全国長南会   ホーム  / 長南氏年表 / 世帯数 / 長南氏歴史物語 / 著書の紹介
  中村就一の紹介 / リンク / 掲示板
全国長南会通信  22号
2006年1月20日発行  全国長南会
駿女(しゅんめ)刊行        著者 佐々木譲
  必見!! 長南忠春が出てくる小説

駿女(しゅんめ) 佐々木譲 著

中央公論新社より2005年11月25日刊行
単行本 2005年11月25日刊
四六判 368頁 定価1995円(本体1900円)

ときは十二世紀末、ところは奥州の辺境、父とともに平泉を訪れた少女、由衣とその従兄弟、八郎丸。二人を待ち受ける運命とは? 義経討ち死にから大河兼任の乱に至る動乱の時期を舞台に、「さっそうと馬に乗る戦闘美少女」を描く。

「長南忠春と海尊の手を借りて、無事弟弥彦を取り戻した由衣。二人は義経の落胤八郎丸指導のため糠部の地に留まる。穏やかに日々が過ぎる中、頼朝が遂に奥州征伐に挙兵したとの報が入る!」........

長南氏待望の時代小説「駿女」が刊行されました。早速予約をし、手に入れました。購入ご希望の方は、お近くの書店か、インターネット書店のアマゾンでご注文ください。著者の佐々木譲さんには「駿女」執筆中に、長南忠春が大活躍するような展開にするように、お願いした経緯もありますので、長南氏の皆さんには是非購入して読んでいただきたい1冊です。(アマゾンのURL http://www.amazon.co.jp

佐々木 譲 (ささき じょう) 著述業・作家
生年月/1950年(昭和25年)3月  出生地/北海道・札幌
専門・関心領域/幕末史、第二次大戦史、近代産業技術史、ジャーナリズム全般他

作品リスト
歴史・時代小説/『武揚伝』『くろふね』『天下城』他
第二次大戦史素材の小説/『ベルリン飛行指令』他
社会的テーマの同時代小説/『ユニット』『うたう警官』他
経済(産業)小説/『ハロウィンに消えた』『疾駆する夢』他
ノンフィクション/『冒険者カストロ』他
60年前の空襲の記憶        青宿  長南永子
  戦後60年過ぎた今日でも、私にとって忘れられない事があります。

  それは、昭和20年6月10日、日曜日の事です。当時私は国民学校の6年生でした。戦争で大人は人手不足だったのでしょう。私たち子供が、みんなで神社清掃をしていた朝の8時頃、警戒警報のサイレンが鳴ったため、急いで家に帰ろうとしたところ、途中で空襲警報のサイレンに変わりました。
 
  警戒警報は「ウーーーーーーー」。空襲警報は「ウーウーウーウー」でした。家に着くと、急いで家に作ってあった防空壕に入り、母と曾祖母と3人で布団をかぶっていたのを思い出します。父は仕事でその時はいませんでした。
    私どもの集落には、軍隊の隧道が3ヶ所あり、ちょうどその時、神社の隧道に予科練生が退避していました。そして何人かの人が民家のラジオを聞き、伝令で知らせていた様です。その伝令は、B29が、房総半島より東北の方へ向かっているということでした。すると間もなく、私たちの近くに爆弾が落ちました。
 
  「シューシューシューシュー ズドン」それは大きな音でした。布団から顔を出したら、あたりが灰色になったような気がしました。藁屋根が吹き飛ばされたのでしょう。そのうちとなりの家の方から「逃げべヨ−」と、必死で怒鳴っている声が聞こえました。私たちも夢中で壕の外に出ました。もちろん、皆はだしです。となりのおばさんの顔から血が出ていたのを覚えています。誰の気持ちも同じで、100メートルくらい先に軍隊の隧道があったので、みんなでそこに逃げ込みました。ワーワーと泣く声、大きな叫び声、それは、想像に絶するものでした。当時、私は12才でしたが、この光景が今でも脳裏に焼きついています。
 
 どのくらいの時間が経ったかわかりませんが、空襲が解除になったという声があり、おそるおそる外に出てみると、そこは何もない、灰だらけの風景でした。10軒くらいの民家が焼けてしまい、私の家も丸焼けでした。爆弾の直撃で何も残っていない家もありました。それに、予科練生たちが退避していた隧道にも爆弾が直撃し、約300人の予科練さんたちが亡くなりました。直径5メートルほどの爆弾の穴が2つ並んでぶち抜けているところを、この目で見ましたが、それはとても悲惨な光景でした。

  私は近所の家に泊めてもらい、両親は防空壕で寝泊りしました。また、亡くなった予科練さんを、兵隊さんが徹夜で法泉寺の境内に運んだそうですが、今のように担架などはなく、焼け残った家の戸板で運んだそうです。私が泊めてもらった家も半分は戸板を持っていかれ、残りの半分を横にして、夜空を見ながら眠ったのを覚えています。

しかし、他人の家にいつまでも世話になれないと、九尺二間のバラックを作り、そこで生活が始まりましたが、毎日、空襲のない日はありませんでしたし、もちろん学校を休んでいるという状態が続いていました。母はいつも「死ぬ時は一緒だ」と言っていました。
  そんな毎日が続くうちに、昭和20年8月15日になり、ラジオで天皇陛下のお話があるということで、もちろんラジオなどありませんので、近所の家に集まり、正座をして聞き入りましたが、子供の私には、何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。大人たちが「戦争は終わったんだ」「日本は負けたんだ」と話をしていたのを聞いて、やっと事態がわかりました。
今思うと、6月10日から8月15日までのほんの65日間でしたが、考えられないような必死の体験の連続でした。
あれから、60年の歳月が過ぎ、戦争のことなど忘れ去られそうですが、私にとってB29の爆弾の音と、当時の悲惨な状況は忘れることはできません。
最後に、6月10日の空襲によって、予科練生の他にも地元の人が数人亡くなられました。亡くなった皆様のご冥福をお祈りし、筆をおきたいと思います。


全国長南会通信編集者交代    中村就一
平成17年11月17日  22号の編集会議を行う。
場所は茨城県阿見町青宿、長南秀則宅

写真、後列左から
健二、永子、美佐子、照光、秀則
前列左から、中村ひさ、中村就一、武、モモ
 
 
  逓信省の学校で高橋直服先生に「仕事でも他の分野でも日本中探して誰もやっていないテーマを決めそれに生涯を賭けてみよ」 と教えられた。 このナンバーワンよりオンリーワンのテーマが、長南氏の研究でした。退職金で本を作ったが、それだけでは十分ではないことが判りました。

  そこで、徳雄氏が会を作り光男氏が本誌を創刊し、2号から私が引き継いできたが、年には勝てません。見渡すと調査研究して、ものを書いたりする会員の中で、秀則氏は抜群だし、青宿のまきには、重鎮の武氏をはじめ照光氏のように、よろず器用な方もいて、今回引き継いでいただき、安心です。今後はルーツを語る会を続け、また「長南氏の歴史研究」というやさしい本を作りたいと考えています。
我が家の引越し    長南町  長南昌子
  主人の夢であった長南町へ移り住み早17年、一からの仕事、知人のいない生活等といろいろありましたが、まず、家族が多かったこと、商いをしていた事によって人との触れ合いがあり、良い方々とのめぐり会いにより特別に問題もなく過ごせてきたと思います。

  これも主人の努力のたまものと感謝しております。今回諸事情で住み慣れた土地を余儀なく移らなくてはならなくなりましたが、現在地から5分位の場所に土地を求める事ができ、変わらぬ環境で生活することができそうなので安心しております。
  来年はなにかと忙しく無事に移転できること を祈るばかりです。
 
勝彦、昌子夫妻 2004年 松島瑞巌寺にて 住み慣れた我が家(長南町報恩寺)
長南町商工会女性部作成の絵葉書

左  長南町の大花火大会
上  長南町の花 紅花
第36回長南氏のルーツを語る会       2005年12月3日 いわき市正月荘
 さる12月3日、いわき市の長南孝幸氏主催で同市の正月荘で開催された。この会は、親子、孫の三代9名が参加という、28回広淵以来の意義深い勉強会となった。

 先ず孝幸氏が挨拶で語る。
「7歳の時に南山を後にして、原ノ町に落着いた。青年時代に結核をわずらったが、その後しばらく常磐炭鉱で働き、努力して事業を起こした。その頃の夢は、10万円ためて、故郷に帰り市会議員になることだったが、まだ夢のままです。社会に出るなり、名前を聞かれ、長男か次男か聞いているんでない、と叱られたりしてみじめな思いをし、苦労したが、祖先が決めた名前を大切に想う。同郷の長南鉱六氏(故人、北区)に勧められて全国長南会に入りました」

 長南氏のルーツについては、中村氏が先ず長南氏移動図及び房総諸氏興亡一覧により、道真公の子孫が紅花を栽培していた時代から、新興武士団千葉氏の指揮下に入り、千葉氏と縁組みを繰り返し、一族は鎌倉幕府に仕えた。
 また、義経の家臣となった長南忠春は、平家追討のため壇ノ浦まで奮戦した歴史を紹介した。最近、中央公論新社から佐々木譲氏が「駿女」を出版したが、これは、由衣という娘と長南忠春を主人公にした歴史小説です。
 しかし、鎌倉幕府の乱れに見切りをつけ、長南勘解由は1213年に鎌倉を去り、妻とともに現在の大蔵村に開拓農民となった。この子孫が本日ここにいる皆様です。
 これが最初で、長南一族は次々に青宿、立谷沢、上田沢、新庄、福島、鶴岡等に分散移住した。1615年に寒風沢に移った長南和泉守は、松島を作ったが、この功績は2003年に全国長南会が端厳寺に栽松記念碑を建てるまで誰も知らなかった。
   最近では、日露戦争の頃に鶴岡にいた長南年恵という娘が、超能力で神様の水を得て病気を治したから、医師に訴えられた。しかし神戸地裁の法廷で神水を出して無罪となった。
 話が終わったときに、「何故に中村さんが長南氏の歴史を調べているの?」というもっともな質問があった。

 中村氏はガダルカナル島に補充する兵隊として訓練を受けたが、日本軍は敗退したので、航空部隊に回され、仏印を希望したが果たさず、沖縄行きの途中、神戸大空襲で遅れ、沖縄陥落で大宰府に止まり、道真公にご挨拶した。次に広島への命令が出たが、広島出身の同僚が運動して、中村の代わりに行き、ピカドン. 蒲田郵便局に復員して、齋藤房江に逢ったら彼女は、この人が夫になる人だと雷に打たれたように判ったという。焼け野原の東京、結婚式どころか、特別配給の清酒2本だけ。記念に、両家のご先祖調べを発願したが、中村は西国に多く不便だ。房江の先祖は、松島から刀一本かついで彰義隊に参加した長南平七とわかった。しかも、長南一族は千葉県の長南町が発祥の地だという。碁、将棋、麻雀、ゴルフなど相手に時間を取られる事は一切関わらずに電電公社の本社にいる30年間に寝食をわすれて調査に没頭、退職金で「長南氏の研究」を自費出版した。

 房江は原稿の清書で手伝ってくれたが、37歳で他界。年頃の三人娘の所に津軽からひさが来て、育てて嫁がせ、今はハンドルを握って調査に同行してくれる。活動資金は房江の従兄弟の齋藤兄弟をはじめ、長南俊春会長を筆頭に全国長南会の皆様が年間100万円を拠出してくれる。誠に有難い人生で、毎日が楽しくて幸せです。

 長南家のご先祖、特に道真公や和泉守が守って下さることが、はっきり自覚できるのです。
     
長南 孝幸 長南 政幸 長南 雄二 長南 裕行
 
尾口 重治、尾口トシ子 長南きわ子、長南テツヨ 長南 律子
参加者 : 長南 孝幸、長南テツヨ、長南 政幸、長南きわ子、長南 裕行、長南 雄二、長南 律子、尾口 重治、尾口トシ子、中村 就一、中村 ひさ
どこに消えた国吉長南氏
 長南町の笠森観音堂は、四方懸け造りといって、巨大な岩石の上に四方に組み立てた基礎構造の上に建造されている。
 地上からは急な階段を上ることになる。
 登り口の左右に1830文政13年に建てられた石灯篭があり、右のものに寄進者の氏名が刻んである。

  国吉村 大沢新右工門
      長南 平蔵
      同  弥七
      同  伊右工門
      (以下略)

 ここで問題は「国吉村」だが、長南氏の歴史研究の先達、船本音羽(石巻長南氏)夷隅郡の国吉村としているので、さる2005年10月18日に、塚原茂氏の案内で夷隅町役場と行元寺を訪ねて調査したが、その後市原市にも国吉村があつたことを塚原氏が発見して、本誌21号で報告している。
 塚原氏は長南氏歴史の熱心な研究家で、今回も市原市の旧国吉村の調査をするというので、あわててお伴した。
 国吉村の有力者らしい大沢新右工門に続いて記名ガある長南氏3名なので、塚原氏が事前に調査してくれた大沢氏を訪ねれば何かの手がかリがあるかと、2005年12月12日に塚原氏の車で市原市西国吉へ向かう。
 先ず大沢家の墓所にお参りした。なるほどりっぱな構造で、構内には読めるだけでも宝永1704〜、延享1744〜、明和1764〜、文政1818〜等の数十基のこ先祖の墓石がていねいに並んでいて、これには頭が下がるばかり。
   本家大沢良平氏を探し当て、塚原氏が尋ねたが、古いことはどうも、というばかリで頼りない。
 それではと、塚原氏とは小学校から高校まで一緒の大沢文夫氏を訪問したが、比較的新しい分家で、やはり同様。
   
  さっそく御前をかりて記念写真をパチリ。奥は塚原氏

痕跡さえなくて

 最後に真言宗豊山派の医光寺に行つた。高校教師の住職は不在で、奥様に挨拶した。この寺は織田信長の妹、お市の方が嫁した浅井長政ゆ方かりの寺である。
 あとは、同じく旧国吉村のもう一つの寺、曹洞宗永徳寺に手がかりがないかである。
 大沢氏と並んで3名も名を連ねる長南氏の話すら出ないで今回の調査は終わった。忽然と消えた長南氏は、いったいとこに消えたのだろうか。
 地元市原市や千葉市に住んでいる長南氏で、手伝ってくれる方はいないだろうか、と思案しているところだ。

ご注文はメールでお願いします。
    送料込み(円) 概要
書 籍 長南氏の研究 一般20,000 中村就一著 A6 1899頁
会員10,000
土師菅原史記 2,500 長南良一著 古代から道真までの研究 B5 631頁
天神様の美術 3,000 NHK制作 道真1000年記念関係の文献、絵画を収集 A4 340頁
長南年恵の生涯 800 雑誌微笑別冊 A4 208頁(売り切れました)
錦 絵 ひよどり越え 2,000 71×36センチ 江戸末期版画カラー原寸大
一の谷 2,000
壇ノ浦 2,000
蝦夷地渡海 2,000
4枚セット 5,500
先祖書巻物 1本 100,000 予約金、送料込み
2本(1本あたり) 73,000
4本(1本あたり) 57,500
6本(1本あたり) 51,400
※会員とは既に毎年会費を納入している方、今回購入の機会に入会する方の年会費は初年度8,000円、以後は金額自由。

 会員には「全国長南会通信」が配布されるほか、「長南氏のルーツを語る会」等各種行事に参加できます。
ch0330@support.email.ne.jp
おかめひょっとこにぎらっぺ

    鴇たかし・作詞
    岡田佳久・作曲
    鈴木英明・編曲
    長南みず代・唄

忍び愛

    鴇たかし・作詞
    岡田佳久・作曲
    鈴木英明・編曲
    長南みず代・唄

    キングレコード