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全国長南会通信  19号
2005年6月20日発行  全国長南会
長南七郎忠春はどこから来たのか?
長南忠春めぐる五つのなぞ

  房総半島中部山中から04年松に発見された三条院古文書には、義経の忠臣として一の谷から壇ノ浦まで奮戦し、衣川の戦いの後に岩手県の山中の隠れて世を終わった長南忠春のフルネームがある。

1.三条院古文書に名前
 
  大喜多町三条の君塚家から君塚善利氏が発見した文書に、長南七郎忠春の名前がある。これが義経の家臣の長南忠春だとすると、約900年の昔となる。
  何のための文書か判らないが、12名の名が列記してあり、半数は君塚姓である。

2.君塚系図に出羽守

  君塚善利氏が三条院古文書とともに発見した系図に、里見義成の六男君塚出羽守忠頼の跡継ぎが、郷見家出羽守忠春となっている。これが果たして長南七郎忠春と同じ人物なのか。時代を調べて研究する必要がある。

3.今に残る長南屋敷

   長南町から直線距離にして13kmほどの南のところに、大喜多町の紙敷という字(あざ)があるが、その中に長南屋敷という地名の一角がある。現在そこには廃屋二軒と野菜畑や果樹園の址のほか清澄な泉、山神の祠や墓地の址もあり、二家族くらいは生活できる広さがある。
  これは、長南氏が住んでいたところと考えるほかはないが、ここの墓地から近年に居住者麻生治夫が移したのは如意輪観音らしい石仏と墓碑3基で、現在は同じ紙敷の東光寺なる無住の寺にある。


  墓碑の年代は清山浄覚信士 1784、理屋妙●信女 1803、俊●妙真信女 1819で、江戸中期以降のものである。

  長南氏主力は1500年代に長南を退去し、館山の里見氏の許に移ったから、ここの200年間はいかなる長南氏が住んでいたのかがナゾである。

長南堂なる地名も(市原市月出)

  2005年4月18日市原市藪の塚原茂氏を訪問して、月出の話を聞くと「庁南武田氏5代豊信(父は武田信玄)が落城後に、息氏信が、長南土橋を渡り長南堂に着いた」とのこと。
  調べると次のことが判った。

月出氏は武田氏

  同年(天正18、1590)6月、小田原城を囲んでいた徳川、浅野軍は上総下総の諸城を次々に攻略する。同26日、一命をとりとめた伊達政宗は会津に帰着する。同7月5日、北条父子は開城降伏し、氏政、氏照父子は切腹を命じられ、氏直は高野山に追放される。同7日、庁南城は本田忠勝軍に包囲され、豊信は場外にて自刃する。息氏信は同16日、月出(市原市月出)に落去する。(永嶋信恒「戦国大名房総武田氏と信玄」)
   
4.義経と共に奮戦の錦絵
  江戸末期の版画、錦絵については林武弘氏が調査したところによると、一の谷への行軍、ひよどり越え、壇ノ浦と蝦夷地渡海の4点に、義経の身辺近く長南忠春の姿と名前がある。全体で94名の武者の名前があるが、4点の全てに登場しているのは亀井六郎、片岡八郎、伊勢三郎と忠春だけである。
 
  長南寿一郎の報告では、これら4名のうち忠春を除く全員は、義経の平泉への逃避行に従っている。
  忠春はどこでどうしていたのか?

5.高館の戦いとその後

 
山形県大蔵村の伝説では義経は「壇ノ浦で舟を八艘跳んで戦ったが、忠春は9艘跳んだ。
でも主君より多く跳んだことは自慢してはいけない」という。それほどの忠春なのに、平泉には従わず、高館に直行して戦い、義経最後の後は、田老町青沙里に隠れ、そこで死んだという。三条院古文書の名簿にある長南七郎忠春と、同一人物なのかどうか。
古文書に忠春の名前発見で上総中世郷土史は見直しの気運


  2005年4月9日、大喜多町平沢の井上画塾で、左から前列今関久枝、中村ひさ、後列君塚善利、中村就一の各位。
  これからの進め方について大いに歓談した。君塚氏から貴重な資料が披露され、話がはずんだ。
  大喜多町紙敷長南屋敷の井戸。
清澄な冷たい清水、長南忠春もここでのどをうるおしたのか。
長南屋敷 長南屋敷から移した墓碑など4基


長南屋敷の古墳跡で読経し、先祖を供養する

中村就一 2005年4月24日

2005年4月24日、長南屋敷の調査。左から塚原茂、井上早苗、中村就一、井上順司、中村ひさ。塚原氏は市原市で鶴舞藩の歴史を調査し、清水次郎長との不思議な縁を紹介して地元の話題となっている。井上夫妻は近年、ヨットで世界巡りから岡に上がり手造りで本格的日本家屋を建て、現在は中村氏を招いて、油絵の夢喰山井上画塾として評判になり、会員も10名を超えた。
房総諸氏興亡一覧
菅原氏
(菅原姓地方官)
長南氏 千葉氏(桓武平氏)
909 景行上総守
924 淑滋上総介 927 菅原善智麿改め滋殖長南庄の土着長南氏の祖となる
1017 孝標上総介 1027 平忠常、常将父子千葉城に拠り千葉氏と称す
1081 成時安房守 1074 千葉常将の孫、常季が婿入り家督相続
1084 師季下総権守 1104 長南綾子、千葉常家の室となる
上総氏1086
常兼の死1126年より40年前に上総氏興るとする
   1183 広常の死で滅ぶ
庁南氏1177
庁南氏興る(鴇田説)
1213 長南勘解由ら大蔵村豊牧に入る 1185 平氏壇ノ浦で滅ぶ
1246 公氏上総介 1247 庁南氏秀胤自殺で滅ぶ(説1)
1260 長経上総介 1283 庁南氏滅ぶ(説2)
1262 長経上総介
1318 在雅上総介 1338 長南源三郎、上杉氏に従い青宿に土着
1441 長南忠左衛門の祖松本から立谷沢に入る
甲斐武田氏 上野里見氏
1479 長南弥太九郎ら上田沢に入る 1456 武田信長、長南入り
庁南武田氏
1441 義実安房に入り興る
房総里見氏
1491 北条早雲興る
北条氏
1603 長南和泉、出雲兄弟福島浅川に入り開拓 1590 千葉氏北条氏とともに滅ぶ 1590 小田原落城し滅ぶ
1615 長南和泉守、里見の許から寒風沢に移る 1590 庁南武田氏豊臣軍に降り落城して滅ぶ 1615 房総里見氏10代忠義改易により滅ぶ
1622 酒井の家臣長南氏庄内に入る
長南氏と酒井藩主               長南  力

   「長南氏の研究」の本を送って頂き誠に有難く御礼申し上げます。中村様の記事、事柄に感銘を覚え、読書致しております。貴重な資料ですから今後とも繰り返し拝読し、家宝と致します。

  祖父から聞いた話によると、我が家系は庄内藩主酒井候が入部した時に下級武士として従っていたが、それ以降の経歴は資料がなくて定かではない。最近の酒井家との結び合いを要約し紹介すると次の通りです。

  我が家は農業で、戦前は7ha耕作していたが、農地改革により半分になり、昔の稲倉を活用して機械外注部門として松岡機業且ミ長17代酒井忠明様から、昭和48年から平成3年まで20年間、内職仕事を与えて頂きました。

  庄内松柏会は昭和11年に、論語と稲作を基幹として人間育成、農業発展を目的として、16代酒井忠良様初代会長、幹事長に長南七右衛門で発足、農業講習会、郷学研修会等を開催、壱千名会員で盛会でした。

  最近は農業経営形態の変化、高齢化、後継者減少で現在は200名、月刊誌「松柏」は760号に達しました。酒井藩との深い縁を思うにつけても、長南家のご先祖のお陰だとただただ感謝するのみであります。

  昨年作って頂いた全国長南会の名刺は、機会あるごとに活用させて頂き、由緒ある一族に生まれたことを誇りとして、これからも精進し歩みたく存じます。
                                                      (藤島町・長南七右衛門)
 
長南力夫人昭子さん
昭子さん作品の姉様人形
長南氏のルーツを語る会
年月日 会    場 参加者
1 1998.07.05 札幌 ルーシス札幌 14
2 2000.06.17 長南 長福寿寺 22
3 2000.08.13 櫛引 知憩軒 7
4 2000.08.15 朝日 博物村 19
5 2000.08.16 新庄 ゆめりあ 27
6 2000.11.11 青宿 公会堂 15
7 2000.11.18 青宿 公会堂 19
8 2001.02.03 櫛引 知憩軒 8
9 2001.02.24 東京 うぐいす倶楽部 13
10 2001.03.20 寒風沢 潮陽館 16
11 2001.03.21 塩釜 ふれあいエスプ 17
12 2001.03.21 塩釜 菊泉旅館 8
13 2001.03.22 仙台 五ツ橋会館 6
14 2001.03.23 福島 新浜会館 5
15 2001.06.14 酒田 勤労福祉センター 6
16 2001.06.15 余目 第一公民館 14
17 2001.06.16 鶴岡 長南鮮魚店 9
18 2001.06.19 狩川 立川町コミセンター 6
19 2001.06.20 肝煎 木ノ沢集会所 12
20 2001.06.21 南山 豊牧生活センター 8
21 2001.06.21 肘折 亀屋旅館 3
22 2001.06.22 山形 山形テルサ 11
23 2002.01.22 柏   中村宅 3
24 2002.01.27 東京 うぐいす倶楽部 29
25 2002.10.12 長南 ユートピア笠森 3
26 2003.03.26 塩釜 菊泉旅館 5
27 2003.06.01 石巻 旅館とちぎ 4
28 2003.08.31 広淵 長南静子邸 17
29 2003.09.01 釜石  多田旅館 5
30 2003.09.04 寒風沢  潮陽館 44
31 2004.08.03 松島  パレス松島 8
32 2004.11.07 松島  瑞巌寺 9
33 2005.06.02 大蔵村  豊牧集会所 13
第33回長南氏のルーツを語る会

豊牧

さる、平成17年6月5日、山形県大蔵村豊牧集会所で開催。友蔵さんの努力で、豊牧長南氏の大先輩三原氏を始め予想の倍を超す方が、満目新緑の里に集まった。
中村氏から上総郷土史の忠春をめぐる最新情報を含めて、千葉氏興起当初から婿嫁など縁結びした長南氏千余年の歴史、移住氏の話があった。この後、俊春氏の先祖書のための話し合いが賑やかに続いた。

出席者 三原勝三、友蔵、ミヨ子、喜一郎、銀蔵、松夫、忠、千鶴子、与一郎、須藤弘雄、俊春、白井ヒサエ、中村就一 13名
先祖書第3号  塩竃の長南勘一家
  全国長南会で推奨している先祖書の豪華巻物をこのほど完成し、一族全員で記念写真。

  左から長男光明、勘一と美恵古夫人、次男州俊、娘寿子、州俊の子俊司、寿子の子樹里、頭だけ見えているのは寿子の子蓮太。先祖書は口で説明するよりも子や孫のためにナニよりの文献として貴重です。

  これから先祖書作成を検討している向きは、ご連絡ください。
ご注文はメールでお願いします。
    送料込み(円) 概要
書 籍 長南氏の研究 一般20,000 中村就一著 A6 1899頁
会員10,000
土師菅原史記 2,500 長南良一著 古代から道真までの研究 B5 631頁
天神様の美術 3,000 NHK制作 道真1000年記念関係の文献、絵画を収集 A4 340頁
長南年恵の生涯 800 雑誌微笑別冊 A4 208頁(売り切れました)
錦 絵 ひよどり越え 2,000 71×36センチ 江戸末期版画カラー原寸大
一の谷 2,000
壇ノ浦 2,000
蝦夷地渡海 2,000
4枚セット 5,500
先祖書巻物 1本 100,000 予約金、送料込み
2本(1本あたり) 73,000
4本(1本あたり) 57,500
6本(1本あたり) 51,400
※会員とは既に毎年会費を納入している方、今回購入の機会に入会する方の年会費は初年度8,000円、以後は金額自由。

 会員には「全国長南会通信」が配布されるほか、「長南氏のルーツを語る会」等各種行事に参加できます。
ch0330@support.email.ne.jp
おかめひょっとこにぎらっぺ

    鴇たかし・作詞
    岡田佳久・作曲
    鈴木英明・編曲
    長南みず代・唄

忍び愛

    鴇たかし・作詞
    岡田佳久・作曲
    鈴木英明・編曲
    長南みず代・唄

    キングレコード