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全国長南会通信  18号
2005年3月20日発行  全国長南会
忠春は大多喜の生まれ?
 年開け早々に上総国大多喜在住の郷土史研究家から、驚くべき情報が飛び込んできた。
近くの旧家の所蔵する古文書に、長南七郎忠春の名前を発見したという。
 果たして忠春はこの土地の住人だったのか。このところ、長南氏の歴史上の大発見が続いているのは、目を見張るばかりだ。偶然だろうか!
 つい一昨年、2003年の5月には、長南和泉守の栽松賞状が発見され、同じ年の9月4日の和泉守の祥月命日には和泉守夫妻、忠臣36士の御墓の改修記念法要を営み、さらに同年末の11月30日には、栽松賞状を刻んだ記念碑が建立されたばかり。
左は、江戸末期流行したカラー錦絵「ひよどり越え」の部分。忠春はこれらに名前がある。

  それと、小説中公に現在連載中の「駿女」という小説に長南忠春が出て来ます。現在10回目を連載中。
  内容は下記のとおり。
  興味のある方は下記ホームページを見てください。
 
Web小説中公 駿女 第4回
佐々木譲/中央公論新社

  ときは十二世紀末、ところは奥州の辺境、父とともに平泉を訪れた少女、由衣とその従兄弟、八郎丸。二人を待ち受ける運命とは? 義経討ち死にから大河兼任の乱に至る動乱の時期を舞台に、「さっそうと馬に乗る戦闘美少女」を描く。

長南忠春と海尊の手を借りて、無事弟弥彦を取り戻した由衣。二人は義経の落胤八郎丸指導のため糠部の地に留まる。穏やかに日々が過ぎる中、頼朝が遂に奥州征伐に挙兵したとの報が入る!

価格:53円(税込 1回あたり)
小説の内容

 由衣たちが固唾を飲んで待ちかまえる中、頼朝たちの軍勢はついに、阿武隈川の渡河を開始した。
 長南忠春が、八郎丸に顔を向けて言った。
「お舘さま、お舘さまの横には、この忠春がおります。臆することなく存分に太刀を振るいなされまし」
 そこに常陸坊海尊も駆け寄ってきた。
「忠春殿が右なら、それがしは左に」
 八郎丸が長南に訊いた。
「厳しい戦になるのだろうか」
 長南は、歯を見せて笑って言った。
「まちがいなく。判官さまも見たことのないような、強き戦になりまする」
 陣の内側を、猥人の侍が大音声を上げて歩いている。
「戦じゃ。武具を整えよ。陣に着け。戦じゃ。戦が始まる」
 由衣たちのそばを、三人の蝦夷の若者が通っていった。三人とも、顔に墨を塗っているようだ。目の下が黒い。戦のとき、蝦夷の男児の中には、入れ墨を入れるように顔に墨を塗る者がいるとは聞いていた。
先祖書について
ほっけ
北の海でとれる美味の魚。
行者が法華経を尊んで名づけたといわれます。
大蔵村長南氏の先祖書

 昨年の12月25日、東京鴬谷のうぐいす倶楽部で、大蔵村の先祖書を作成するための準備の研究会があった。
 出席者はいずれも大蔵村豊牧出身の俊春会長、道夫副会長と中村夫妻。
 話合いの中で一番の問題は関東から、この山間に入ったルートで、
@鎌倉から村山市経由で沼の台に入った三度勘右衛門の手びきによるというもので同ルートとするものと、
A新潟県から上田沢を経て来たという二説のいずれが正しいかだ。
 この間題については、上田沢ルートを調査する必要があるところから、この夏にでも庄内長南会の成しげる会長に協力をお願いして、実査する予定となりそうだ。
先祖書の見本

 注文した長南勘一氏の了解を得て掲載します。この巻物には次の長所があります。

1 他に類例が少ない誇り高い1000年の歴史
2 子孫に一目瞭然、語るに補足だけで十分
3 本と違い紛失することは少ない
4 複数作れば安くなり、滅失でも再生可能
5 退職後の家系研究の援軍、余裕が出来る

下は本文だけですが、この後に家系図、追記のための余白、栽松賞状が記載されます。
 
長南源助系先祖書

 古代の垂仁天皇の時代に、皇后が亡くなった時、出雲の野見宿禰は殉死に代えて粘土製の人形、埴輪を埋めることを建言して容れられ、土師臣の姓を賜つた。

 土師氏はそれ以来皇族等の葬儀を職業としてきたが、百年余の後に、奈良郊外の地名をとり菅原と改姓し一般の廷臣になった。

 平安時代になり、藤原氏が権力をほしいままにしていた時代に現れた菅原道真は、才能をもって頭角を現したが藤原氏のそねむところとなり、太宰府に左遷され、903年そこで世を終わった。

 その後、菅原道真の名誉回復により、その子等が次々に上総、下総の地方長官等に任命された。上総国長柄郡の南部なるが故に長南と称する地に赴任してきた兄の菅原淑茂に伴われて来た一子善智麿、後の滋殖が927年頃に菅原氏の墾田である長南庄河家ノ郷に土着し、長南次郎と称して長南氏の祖となり、紅花を育てて都に紅を責納した。

 中世になると一族は千葉氏一族の支配下に入り、千葉氏と縁組みする一方で、長南忠清は鎌倉幕府に仕え、また長南顕基は弓矢の名手として源頼朝に認められ、長南忠春は源義経に従い平家追討に壇ノ浦まで奮戦し、義経の最後まで忠誠を尽した。

  長南氏はその後、鎌倉幕府の内紛に見切りをつけ、戦国時代にかけて一族は分れて出羽国大蔵村、立谷沢、上田沢、鶴岡、新庄また常陸国青宿、竜ヶ崎や福島等に移り深山僻地で開拓農民となり現在に至っている。 長南本家は、古河公方の命を受けた武田信長の侵攻を避けて、安房館山の里見氏の許に逃れ、長南和泉守菅原道本の代には船手奉行を勤めたが、里見家の没落により、元和2年に仙台藩伊達家を頼り一族36士と共に寒風沢島に渡った。

 和泉守に従う一族は寒風沢水道の海岸を削り岸を埋立てて港を開き、廻船問屋長南屋の事業基礎を築いた。長南屋は石巻に分家した長南茂左衛門の湊屋と共に江戸との海運業で繁栄した。
   また和泉守は島々浦々に黒松を植えて名勝松島を創り、瑞巌寺雲居国師から賞状と栽松道本の法名を受けた。

 和泉守の弟とされる長南庄五郎は、渡来後は兄を助けて港の造成に苦闘し、長南屋の創業時代を支えてその繁栄に貢献した。

 庄五郎の一族として、長南源助は和泉守八代目彦三郎と同時代の人だが、和泉守直系子孫の墳墓と同じく寺向かい墓地に妻つるとその子共々葬られた。

 この墓地は狭く、他には銀左衛門系のみであり、現在は長南清八郎系をはじめ長南氏の大部分は元観音に墓があり、和泉守夫妻の墓も後に改めて井内石で建立された。
 源助の子栄助の妻、たかは松島村の今野家の出である。幕末に官軍が駐屯した時に、参謀の西郷隆盛の接待に、たかが選ばれて奉仕した。また、たかは孫娘のやなに仏教経典を教えた教養人であった。

 栄助の長男亀之助は、明治28年12月に石浜沖でイギリス船ロザリア号が難船した時に救助に赴き事故で死亡した。

 栄助の跡を継いだ留之助は若い頃にはラッコ船に乗り北洋に出かけ、通称ハンターと呼ばれ、裕福だった。また留之助は村の祝い事に舞われる三番里の世話役として烏帽子の修理などもしたと伝えられている。

 留之助の娘、やなは門馬勘兵衛を婿にとり家督を継いだ。やなが長男の勘一にしばしば語ったのは、長南家の家紋が梅鉢なのは、菅原道真の子孫だからという話であり、神棚には陶製の道真が祀ってあった。

      (長南勘一以降省略)

 中村就一著「長南氏の研究」及び長南勘一の研究による
                                                    平成17年2月吉日記
オーストラリアより      長南 里美   新宿区
 早いもので私が日本を離れてオーストラリアに来て10ケ月が経とうとしています。

最初の数か月は久々の学生生活を過ごし、若返りした気分で楽しんでいました。その後、独りで旅先を決め、下手な英語を駆使して転々とし、様々な外国人、日本人と出逢い、様々な生活をして、多くの喜びと感動を得てここまで辿りつきました。それは私にとって本当に驚きです。

 挨拶程度の英語力で、仕事を得たり、ツアーやバスの予約をしたり、時には電話で口論した揚句、空港でひと晩明かしたりと。自分にこれだけの勇気と度胸があったのか...と感心してしまいました。(笑)

 現在は、予定外に訪れた街に住み着いて5ケ月になるところです。
                                            2005.2.3
安藤操著 「房総のふるさと言葉」編集協力NPO法人ふるさと文化研究会
激動の昭和を行きぬいたシニア世代が21世紀に贈る

懐かしいふるさと言葉!全2冊
(CD付き・箱入り 3,990円)

「房総のふるさと言葉」2,940円

◎房総の風土・歴史と言葉−序にかえて

第1章 ふるさと言葉には味がある−「てめぇ生国は上総にござんす」
第2章 房総の挨拶言葉 エッセー 「おあがんなさいまし」
       1 下総の挨拶言葉
       2 上総・安房の挨拶言葉
第3章 私の好きな房総言葉
第4章 房総の漁村言葉 エッセー 浜のおかずを食べる
       1 東京湾沿岸の言葉
       2 安房弁のルーツをさぐる
第5章 房総の日常会話−各地の語り口で
第6章 房総と東日本各地の言葉
       1 房総弁と東北各地の言葉
       2 茨城弁との類似・共通性
       3 相馬弁との類似・共通性
       4 仙台弁との類似・共通性
       5 山形弁との類似・共通性
       6 東北地方北部との類似・共通性
       7 放屁の方言と民俗
       8 上総弁のルーツをさぐる
第7章 民話「雨蛙はなぜ鳴くか」を楽しむ − 房総各地の語りの味を
       1 安房弁で語る
       2 上総弁で語る
       3 下総弁で語る
第8章 エッセー ふるさと言葉を懐かしむ

◎あとがき ふるさと言葉を視座に据えて

付属CD 房総各地の挨拶、会話、民話の語り(NHK千葉FM放送より)
「私の好きなふるさと言葉」1,050円

1 日本の挨拶言葉
       1 各地の挨拶言葉
       2 ふるさとの挨拶言葉−北から南から
2 私の好きなふるさと言葉
3 各地の日常会話
4 昔話「雨蛙はなぜ鳴くか」− 日本各地の語り口
5 エッセー 心にしみ入るふるさと言葉

◎方言を考える−「あとがき」にかえて

注文先 ふるさと文化研究会(千葉市中央区椿森3−6−3)・国書刊行会
本サイトに関連する部分
4.仙台弁との類似性、共通性 P.132
鎌倉時代、東北平定に功績を挙げた下総の千葉氏の一族が、宮城に領地を持ち土着した。
 また、戦国時代末期には上総の菅原氏の流れの長南氏一族が石巻、塩釜地域に移住し、築港や松島の景観開発に功績を挙げている。
かつて、古代からの交易と流通を含めて仙台弁に房総弁が関わりを持っていることが考えられよう。

5.山形弁との類似・共通性 p.134
 江戸時代の紅花の特産地は、最上川沿岸であったが、そのルーツを探ると、上総にあるようだ。平安時代末期に長柄郡の南部を所領した菅原氏は「長南氏」を名乗った。特産品は紅花であったが、不心得者が粘土に混ぜた紅花餅を売って、長南ブランドは失墜した。戦国の世になり、長南氏は追われて三陸海岸沿岸に逃れた。その後、一部の者が最上川沿岸に移住し、その際、紅花を持ち込んで栽培したいう伝承がある。また、河北町には往時をしのぶ紅花記念館があり、長南姓の家が多数ある。「いつかは上総の長南に戻ろう」と言う郷里を思う口伝も残っている。
 同族・同郷意識の強かった時代であるから上総弁も紅花とともに持ち込んだと思われるが、すでに数百年の時間が経っている。
 また、時の権力者、春日の局の養子として出世をほしいままにした堀田一族は、山形から下総の佐倉に栄進し、江戸幕府の要職につき、臣下からは多くの逸材を出している。

 そういうわけで房総と山形県は見えない糸で古くからつながっている。そこで、東北地方を代表するであろう山形弁と上総弁を比較し、そのルーツを探ってみようと考える。途方もない暴挙のようではあるが、あえてここに試みようと思う。
 ここに筆者の師事した国分一太郎先生の「ずうずうペんへん』〈朝日新聞社)という山形弁のエツセー集がある。ご寄贈いただいたときに面白く読んだが、上総弁との比較を視点に再読してみて、さらに興味が増した。
「口からことばが、スースーと出ないで、ズーズーと出るみたいだから、ズーズー弁というのであんまいがな(あるまいか)?と考えてみた。」と、冒頭にある。この「あんまいがな」を上総では「あんめえがな」という。「そんなことは、あんめえ」などと言う。
 arumaikana→anmaigana→anmeekanaと言うふうに変化したのであろう。
「シーのときにはロベラが、ひきつるぐらいまで横へひっぱらせせる。ハーのときは、口がシシヤバケル〈破ける〉 ぐらいに大きくひらかせる。」これは、「東北発音矯正法」(伊沢修二)による教育現場での指導法だが、「ししやばける」は、上総では「ひっちやぶける」 云々...

 たとえば、上総の長柄郡、長南の領主、長南氏(菅原氏末裔)が武田勢に追われ(1456年)、ついには石巻や庄内地方に移住する。庄内地方が紅花の産地として栄えたルーツは上総の長南にあるという伝承はかなり信憑性があるが、、ここでは触れない。ただし、長南氏の分布の多い所を紹介する。(全国長南会調べ北海道・東京都を除く)
山形県386戸宮城県122戸神奈川県115戸茨城県104戸福島県93戸 埼玉県88戸 千葉県76戸(長南町には一人もいないのは、侵略者から身を守るために姓を隠したのであろう。)
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    送料込み(円) 概要
書 籍 長南氏の研究 一般20,000 中村就一著 A6 1899頁
会員10,000
土師菅原史記 2,500 長南良一著 古代から道真までの研究 B5 631頁
天神様の美術 3,000 NHK制作 道真1000年記念関係の文献、絵画を収集 A4 340頁
長南年恵の生涯 800 雑誌微笑別冊 A4 208頁(売り切れました)
錦 絵 ひよどり越え 2,000 71×36センチ 江戸末期版画カラー原寸大
一の谷 2,000
壇ノ浦 2,000
蝦夷地渡海 2,000
4枚セット 5,500
先祖書巻物 1本 100,000 予約金、送料込み
2本(1本あたり) 73,000
4本(1本あたり) 57,500
6本(1本あたり) 51,400
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 会員には「全国長南会通信」が配布されるほか、「長南氏のルーツを語る会」等各種行事に参加できます。
ch0330@support.email.ne.jp
おかめひょっとこにぎらっぺ

    鴇たかし・作詞
    岡田佳久・作曲
    鈴木英明・編曲
    長南みず代・唄

忍び愛

    鴇たかし・作詞
    岡田佳久・作曲
    鈴木英明・編曲
    長南みず代・唄

    キングレコード