と き :2003/10/26 (年恵 誕生日)午後2時〜4時
ところ :鶴岡市塔和町公民館
参加者 :長南俊春、長南真啓、長南成、長南智恵子、長南由市、長南寿一、長南光洋、佐藤政之助、
千葉寛容、金野昭博 、中村就一、中村ヒサ |
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司会 成(しげる) |
先日年恵の筆跡(唐詩選「夜送趙縦」)の後半分を藤島町の安田源治氏を訪ねて拝見した。これがここにある因縁を聞いたところ、源治の祖母マキの祖母タミは千葉氏の出であり、年恵の父寛信は千葉氏から長南氏に婿入りした関係だとわかった。マキは年恵より年下で、しかも病弱だったから長南年恵の妹のようにしていたという。 |
俊春 |
鶴岡市訪問は2回めで、本日は年恵様ゆかりの般若寺と南岳寺を参拝しました。 |
中村 |
長南氏について30年調査して本にまとめたが、長南年恵について特に重点をおいたわけではない。でも丹波氏が長南年恵の伝記映画を作るために全国長南会に協力を求めているのは、チャンスだと思う。
米国資本が同じ企画をもっているとの噂もあるが、ここでわれわれが勉強する事は、丹波映画への協力もさることながら長南一族の歴史研究にとって有意義ですから、皆さんのカを結集しよう。 |
寿一 |
家臣の給料で「13石2人扶持」等という場合の1人扶持とは、米を1日5合の割合である。日本の歴年から660年を差し引くと西暦の年になります。 |
由市 |
2000年8月15日に朝日村で開催された第4回「長南氏のルーツを語る会」で初めて皆さんの仲間入りをしました。平成9年には柏市に住む息子の案内で長南町へも行きました。 |
佐藤 |
さる5月に丹羽哲郎をトークショーに招く過程で年恵の話題がでて、全国長南会の活動もわかりました。私の生家が高畑町で年恵の住所と近く、移った陽光町も目の前です。
長南年恵という人は、私欲のない人で、ひたすら世のため、他人の為に生きた方です。丹波氏が尊敬しているのはその点です。
92歳の婦人から聞いた話ですが、彼女の舅が裁判所の看守当時、脚が痛んで困り拘留中のミコ(長南年恵)に相談したら「以前に、猫がいじめられている所を通り掛かったが助けてやらなかったので霊がたたっている」と言われ、救ってもらったそうです。
地主正範氏100歳が史談会で長南年恵の話をしていた。また、長南年恵が高畑町に移った隣の二階にいた人が、長南年恵の位牌を持つています。 |
中村 |
100歳だと何時どうかなっても不思議でない。明日にでも話を聞いてください。 |
千葉 |
長南年恵の母の実家とは、あまり深い付き合いはなかった。 |
成 |
年恵の筆跡(唐詩選「夜送趙縦」)と同じものは、まだ他にもあると開いたので、渡部政三氏の子息に会って聞いたが、父の死後大切にしていた物は全て廃棄したと言った。 |
真啓 |
50年間栃木市で働いていた。当時、鶴岡には拝み屋がたくさん居た。市民は長南年恵のことを話したがらない様子がある。 |
金野 |
長南里香さん(上田沢の博昭氏の娘、毎日新聞記者)から、この集会のことを聞いて来た。浅野和三郎の本を読み、長南年恵について関心を持ち、結婚を機に鶴岡に来たが、長南年恵のことを聞いても、知らない人が多いのを不思議に思っている。 |
光洋 |
明治時代のことだが、「念写」などの超能力について研究していた東大の福来友吉助教授は、大学にふさわしくないとて職を追われた。しかし、山本健造は科学的に研究している。彼は奥さんが霊界の弘法大師の指導を受けたからという。 |
佐藤 |
高年齢の人の名簿をつくり調べたい。 |
真啓 |
長南年恵は神様と親しく、頻繁に神社へ行ったから、それらの神社へ行き、神主の話や古文書を調べたらどうか。(ここで、キモト・ヨウの念力とか、合気道が話題となったが、内容についてはメモできなかった)
神霊科学についてはクマモトの著書がある。 |
佐藤 |
来世研究会には整形外科の医師も参加している。
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寿一 |
雪舟が画家の手を持って、超能力で大作の天の橋立を描いた作品がある。
庄内風土記に長南年恵の記述がある。 |
光洋 |
老人会に長南年恵の話題を持込み、またビラをまいて情報を発掘することも考えるべきだ。仙台市には福来記念会があり、文献を集めている。 |
大講義
鶴岡市の般若寺にある長南年恵の墓には、次のような碑が立っている。
贈大講義長南年恵刀自墓
これは神式のもので、1907明治40年10月29に死去した時には、長野県木曽御嶽神社から神官が来て般若寺前庭で葬儀が行われたと伝えられている。
この件で照会したところ、2003年12月31日、奈良市の御嶽教大本庁村鳥管長から電話で次のような回答があった。
1.神官の位には15段階あり、大講義は8番であって、中位のものである。
2.刀自は故人女性につける。仏教の信女や大姉にあたる。
3.御嶽教の信者でつくる講社は全国に1000以上あるが、東北地方には比較的に少ない。
年恵もいずれかの講社に所属して神官の資格をとったものである。
4.明治時代の古い資料は現存しないので、長南年恵個人の記録はない。
(参考)
1.最初に御嶽神社(長野県木曽郡三岳村黒沢)に照会したが、御嶽教木曽大教殿(長野黒木曽郡王滝村)を紹介して
くれたので、改めて手紙を出したが、返事がなく、催促すると御嶽教大本庁(奈良市大淵町)へ回送したという。
2.般若寺の大講義碑のわきに1988年に仏教の法名「清照院恵室善行大姉」の墓碑が建てられた。施主は柴田裕司・高枝と渡登代子と女性ばかり12名の名が刻んである。
これらの女性はどんなグループか、長南年恵といかなる緑があるのか、長南 成氏と長南君子さんに、寺や石屋にも照会してもらったがわからない。
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