笠森寺(かさもりじ)に石灯籠(いしどうろう)を寄進した長南氏 |
前に、雨の日に自分の笠を観音様にさしあげた心やさしい乙女が、のちに天皇の后となってりっぱなお堂を建立した恩茂里の話をしました。笠森は、もとは笠茂里と書いたと笠森寺の古い書物にあります。
この観音様は11面観世音ですが、昔から信仰する人が多く、今も毎日多くの参拝の人が訪れています。その門前に1976年から船本音羽(ふなもとおとわ)・さよの夫婦が南部鉄器の売店を開きました。船本音羽という人は石巻長南家の13代熊之進の5男で、若い時から長南氏の歴史研究を志し、長南和泉守が1615年房総の地を去ってから死ぬまで、子孫は必ず長南の地へ帰れと言いつづけた悲願に胸をやかれる思いでいたところ、とうとう住みなれた釜石を引き払って、ここに来たのでした。 その船本音羽さんがある日ふと発見したのが、石灯籠に彫られた文字でした。なんと国吉村長南平蔵とはっきり読めます。寄進したのは1831年です。(374頁) 和泉守が、1615年に去ってから、房総半島は長南氏は全くいないと船本氏もわたしも思いこんでいただけに、たいへんな発見でした。 平蔵らが住んでいたのは笠森から東南、直線距離で15キロメートルの所にある国吉町にちがいありません。船本氏はそれ以来、国吉村の平蔵を研究しつづけています。現在館山に住む長南氏は、平蔵と関係があるのでしょうか。(366頁) |