俳句で有名になった長南氏 |
俳句は世界で最も短い詩といわれますが、わずか17字で作者の心を表すことができるので、江戸時代には日本国中でさかんになりました。
俳句を作ることは身分や職業に関係がないので江戸時代の武士、農民、商人の間で広く行われましたが、長南氏の中でも2人だけ俳句を作ったことがわかっています。 1人は石巻長南氏の長南丈八郎(ちょうなんじょうはちろう)です。丈八郎は寒風沢から分家した茂左衛門のの9代目の人で、家は湊屋(みなとや)と呼ばれる大きな廻船問屋です。つまり奥羽地方の生産物を船にのせて江戸に運び、帰りには江戸の品物を積んで帰る海運業です。 丈八郎の頃は、湊屋の基礎も固まり、商売も順調で、今でいえば社長の丈八郎は湊の有力者として警察署長のような仕事も兼ねていました。そこで石巻の東郊外の祝田浜(いわいだはま)という所で、仇討(あだうち)がありその様子を報告した文書に丈八郎の活躍ぶりが書かれています。丈八郎は俳句を作りましたがいまのところただ1句しかのこっていません。 桜折る子大津絵換えて戻したり この句は春のことで、美しく咲いた桜の枝を折ろうとした子に「ちょっと待て」といって折るのをやめさせ、大津絵を1枚やって帰らせたという俳句です。 子供は珍しい大津絵をもらって、ほくほく喜んだにちがいありません。大津絵というのは日本舞踊の藤娘とか鬼の念仏といって鬼が坊さんのなりをして鉦(かね)をもちなむあみだぶつととなえる姿などを木版画で刷ったものです。カラー印刷ですから当時は大人も子供もほしかったものです。 この句がのっている本は、江戸時代の終りに江戸(いまの東京)で発行されたもので全国の俳句の作者の名簿の形をしており、名前のほかにその人の作品を1句だけ添えてあるものです。 この本は石巻市湊町の謄沢(いざわ)さんの家にあります。(672頁) もうひとり俳句を作った長南氏は、やはり同じ時代に荘内の酒井藩に仕えていた武士で長南桃春(ちょうなんとうしゅん)です。 桃春の孫娘の年恵(としえ)は霊能力者で、このさいごに登場しますが、年恵のお墓石に桃春の句が刻んであります。 どちら振り向いても花の世なりけり 当時は江戸幕府の力も衰え、ロシア、アメリカなどの外国が商業取引をせよと迫るのに対し、国内は賛成反対の両方に分かれて大騒ぎでしたから、のどかに桜を見るゆとりはなかったでしょう。 そのような世の中だけになおいっそう、桃春にとって春が美しく思われたのでこの句を作ったのだと思います。たぶん桃春の気持は「世の中は、あわただしくぶっそうなのに、桜は今年もみごとに咲いた。どちらを振り向いてもなんと魅力的なことでしょう」というようなものであったと思います。桃春の句はこのほかに次の2句があります。 芦見連渚(あしみづれなぎさ)や冬の夕日向(ゆうひなた) 冬枯れの芦の原の風景が美しいからと仲間連れで海辺へ出かけたところ、小春日和で夕暮れ前の穏やかなひとときを、もうけものをしたように思ったというほどの意味でしょう。 東風吹くや天窓の重き酒の酔い 春の宵にお酒を召し上がってうとうとしていたが、どうも新しい空気を入れたくなって天窓をあけようとしたが、体がだるくて重く感じたことよ.このようなばめんでしょうか。桃春は武士とはいってもごく下っぱでしたから家もせまくるしいものであったのです。そのような暮らし野中で、その風景を俳句によむ心のゆとりというか、やさしさを見てほしいと思います。(1010頁) |