VOL..11
永井 紀世彦 さん
社会福祉法人埼玉聴覚障害者福祉会
ろう重複障害者の生活労働施設(重度身体障害者授産施設)
ふれあいの里・どんぐり 援助員
「永井さんいらっしゃいますか。」
いつものように、名簿を頼りに取材の申し込みをしました。99年度版の新しい名簿です。
会員の職場に「どんぐり」の文字を始めて見つけ、私は飛びつくように電話をしました。
地域の手話サークルに所属している私にとって、どんぐりは耳慣れた名前です。山本おさむ氏の漫画「どんぐりの家」や映画を通じ、また、聴覚障害を持つ人や手話を学ぶ人たちの活動の拠点として、リーダー的な役割を果たしている施設だからです。
「永井はおりますが、聞こえませんので電話に出られませんが。」
あ、そうか。聞こえないことが日常的な施設なんだ・・・。取材はここから始まりました。
「社会福祉士会で、同じ障害を持つ仲間に。出会えたら・・・と思っています。」
プロフィール
大学では社会学を専攻していたが、聴覚障害者の問題に関わる仕事をしたいとの思いから、専門知識を身につけるため日本社会事業学校研究科に進み、社会福祉士資格を取得。
その後日本社会事業大学大学院に学び、今年3月に修了。4月より「どんぐり」の援助員として勤務している。
「ふれあいの里・どんぐり」とは・・・
聴覚・言語障害に加え、知的障害・視覚障害・精神障害・肢体障害などを併せ持つ、「ろう重複障害者」を入所対象にしている。
1985年6月、大宮と坂戸ろう学校の重複学級の親、教師、関係者で作業所を作る運動(どんぐりの会)を開始し、翌86年10月に大宮市三条町の小さな借家で、共同作業所「どんぐりの家」がスタートした。
ろう重複障害者の共同作業所は関東では初めての施設であった。
1991年、親亡き後の生活保障、生涯保障としての生活・労働施設建設運動を展開することを決定。聴覚障害者、手話通訳者、手話を学ぶ人たちとろう重複障害者の親たちによる運動の結果、93年12月に自己資金2億円を達成し、補助金と合わせて施設建設が実現することとなった。勢いのある活動が実を結んだもので、2年足らずのことであった。
94年12月建設工事着工、96年1月、「ふれあいの里・どんぐり」がオープンした。
法人としての運動は、聴覚障害者情報提供施設を設置することや高齢聴覚障害者のための老人ホームを建設することなどに向け、現在も続いている。
定員は入所50名、通所5名、ショートステイ4名(現在は入所49名、通所1名)。
援助員は15名で、永井さんを含め3名が聞こえない。
聴覚障害者の専門施設としての設備が整っており、振動ベッドやフラッシュランプなどで防災面に対応するほか、聞こえない職員への伝達は施設内にパトライトを設置したり振動ポケベルを持つことでカバーしている。
職住分離の意識を持つために、生活棟と作業棟は100mほど離れている。
作業は7班に分かれて行っている。内容は空き缶つぶしなどのリサイクル、手すき、縫製、クッキー作り、パン作り、配電会社の下請け作業などである。
○どんなお仕事ですか?
「私は生活面を中心とした援助員です。
どんぐりの仲間は、皆コミュニケーションが難しい人たちです。聴覚障害に加え、知的障害を持つ人が86%います。簡単な日常会話なら手話でできるという人もいますが、手話が理解できなかったり、いろいろな事情から手話が身についていない場合もたくさんあります。こうした場合には写真や絵で示すなど工夫が必要ですし、予定を立てて見通しを持ちやすくすることも大切です。
生活の中では、聞こえないことから、また、精神障害などの関係から、不安定になってしまう仲間の感情を受け止め、対処していくことに難しさを感じています。これが今の自分の課題だと思っています。」
○ご自身の聴覚障害について聞かせていただけますか?
「生まれたときから聞こえませんでした。
幼稚園はろう学校幼稚部を出ましたが、小学校から高校、大学まで全て普通校でした。勉強は友達のノートを見たり、黒板の板書を写したり、自分で勉強したり、というやり方でした。
中学校までは子どもの頃からの友達が多かったのでよかったのですが、高校に入ってからは聞こえないことからくる孤独感がありました。ですから、手話を覚えたのは高校生になってからです。
どんぐりでは聞こえない職員のための配慮がいろいろとありますが、それでもはじめの頃は何かと気を遣いました。宿直のときは特にです。何か変わったことがおきていないか、常に見回りをして神経を配っていました。
しかしそれでも、夜の間に居室がひどく散らかされていたのに、朝まで気づかないこともありました。
最近では、押さえるべきポイントが少しずつゎかってきましたが。」
○仲間のみなさんにとって、聞こえないということはどんな問題になっているのですか?
「ろう教育の問題と根を同じくしています。
ある人は、もともとは聞こえないということだけが障害でした。あるとき、職場での人間関係のトラブルにうまく対処できずに、暴力をふるってしまったそうです。自分の考えを伝える手段を他に持っていなかったのです。そのことが原因で精神病院に入院し、なんと20年間もそのままでした。その後どんぐりに入所してきたわけですが、これでは社会経験の幅が圧倒的に不足してしまいます。
また、不就学のため手話が身についていない、という人がいます。就学免除を理由に、在宅を余儀なくされていた人たちです。
人は言語を持つことで考える力を養ったり観念を育てたりすることができます。教育を受けていないために言語がない、ということで考える力まで奪われていることになるのです。
不就学の人たちは、家庭や狭い地域、とくに田舎の方では一見何不自由なく暮らしているように見えます。しかし、環境が変わったとき、戸惑うことになってしまいます。
こうした仲間は、どんぐりに来てから少しずつ手話を覚えています。聞こえない人にとっては、同じ障害を持つ仲間がいることがとても大切です。仲間がいなければ、コミュニケーションの手段が育たないからです。」
職員の間では、自分の時間を使って地域で活動をするのが当たり前、という空気があるそうです。永井さんも聞こえない人の団体で活動をしているし、来年は役員もやっていきたい、と考えているそうです。
現在の職に就いてまだ8ケ月。「来年くらいでしたら、もっといろいろなお話ができると思うんですが…。」と言う永井さんの活動は、今後も広がっていきそうです。
(取材 広報委員 野川
E-mail kiyoko-n@ta2.so-net.ne.jp)