Tails 山下由




The story ノコギリガザミ


一方、花咲か爺さんは大学の教壇に立って、たっぷりと老人の匂いを振り撒きながら、絶望について講義を行っていた。
「そこのおまえ」
爺さんが言った。
「わたしですか」
黒縁の眼鏡をかけた男が答えた。
「たとえばここにドーナツがひとつあるとしよう」
「またか」
「え」
「いえ、はい」
「お前さんなら、どこから食べるかね」
花咲か爺さんは懐かしい竹の根で作った鞭を手にしていた。   
「真ん中からでしょう」
学生が答えた。
「なるほど、なるほど」
爺さんは目を細め、テキストをめくると、
「えーお前さんはと、派手好きの社交家で、一見バランス感覚に富んでいるように見えるが自己中心的で、自分の短所を指摘されるとそのバランス感覚が崩壊し、極端な行動に走りやすいと。ささいなことで人を殺しやすいので、感情のコントロールを大切に。友人は少なめにおさえること。ラッキーカラーは白で、将来の職業としては銀行員・猟奇小説家が良いか。他に質問は」
「はい」
紺のタートルネックのセーターを着た女の子が手を上げた。
「私は、右はじから食べます」
「ほうほう」
爺さんはさらに目を細め、
「えーあなたの今週の運勢は、土星によく似た男があなたの家の近くを通るので、気分は少し沈みがちです。雨の日などには文庫本を一冊持って、遠くの紅茶専門店へ出かけましょう。万引きは吉。失せ物は身近な所にあります。旅行・縁談・衝動買い、皆よし。ソフトボール部のキャプテンとの素敵な出会いがあります。夜は戸締まりをして寝ること。歯をみがく前にうがいをしながら願い事を飲み込むと良くかないます。株は家電関係が吉」
女の子が一心にノートを取っている。       
「他には」
厳格な大学教授の声が響く。    
「ブク」
不明瞭な海洋的な音が、教室に響いた。
「ギクッ」
爺さんはうろたえて、そのインチキ臭い鼻眼鏡を床に落とした。
「ブクッ」
一番後ろの席で、明らかに挙手している甲殻類のハサミが見える。
教授になりすました花咲か爺さんを放浪の旅へ連れ戻しに、組織の手が伸びたのだ。
「ブクブク」
ゆっくりと揺れる巨大な黒いハサミは、明らかにマングローブの友・ノコギリガザミのものだった。


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The story: 走れ!アルマジロ


昼なお暗いニカラグアの熱帯雨林の中では、ジャングルにふさわしくない、いや、ふさわしいのかもしれない男たちの死闘が続いていた。
鉄棒少年と夏雲太郎が、絶滅危惧種の動物たちを相手に、東洋の魔法ゲーム・マージャンを繰り広げているのだった。
東家の鉄棒少年が八索を切った。
すかさず、南家のアルマジロが七八九でチー。
打・九筒。
北家のナマケモノがこれを大明槓。
新ドラが九筒。
凄まじい緊張が蟻塚の卓上を走る。
「ナマ!」
ナマケモノがリンシャンでつもった。
リンシャン・中・トイトイ・ドラ4。
「倍マンだ」
「飛びだな」
「ギュウ」
振り込んだアルマジロが悲しそうにうめいた。
「ギュウギュウギュウ(原虫で払ってもいいですか)」
「だめだ、だめだ」
鉄棒少年が言った。
「俺はかまわないぜ、日本に帰ったら大学の友人に売るんだ。いい金になる」
夏雲太郎が言った。
「よし、じゃあピンセット。ナマさん、あんた押さえといてくれ」
太郎はインチキ臭いコールマン髭を撫でながら高らかに叫んだ。
鉄棒少年がしぶしぶ、干し首のポーチから蝸牛採集用のローズウッドのピンセットを取り出して渡す。
「ナマッ!」
なんにでもうなづくナマケモノが、夏雲の膝の上のアルマジロを鋭い爪で押さえる。
「ちゅー、ちゅー、蛸かいなーと」
夏雲は御機嫌でジャガス氏病原虫をピンセットでつまみ管瓶に入れて、円に換算している。
アルマジロは気持ちよさそうに目を閉じて眠ってしまった。
「これじゃあ、誰が勝ったのかわからんな」
「しっ」
トントンタカタカトントンタン トントンタカタカトントンタン
「太鼓の音だ」
「祭りかな」
「いや」
「ナマ」
「そうか」
「なんて言ってるんだ」
「首狩り族らしい」
「なんでい、族かい。この辺の若造も御暇と来たもんだ」
「ギュウ」
「ああ、ごめんごめん。ちょっとピンセットが痛かったでちゅねー」
「早く続きをやろう」
「今ざっと、52匹だが」
「よしっ、じゃあトップのナマが30匹。俺が20匹。鉄棒の、おまえは浮きの3着だから2匹と。これでいいな」
「俺も結局、原虫払いか」
「いつもニコニコ、原虫払いだ」
「脇の下で飼えばいいのか?」
「ナマッ」
ナマケモノがにっこりと微笑んだ。
密林と大河、そして遠い遠いニューヨークを照らす黒い満月のような笑顔。
「ギュウギュウ」
アルマジロは、まるで上野駅で別れるかのように御辞儀をすると、チャーミングな尻尾を振って、てくてくと気持ち良さそうに、森の中へ消えて行った。
アリッ?
のっそりと、南米屈指の打ち手・オオアリクイの「三日月の辰」が卓に着いた。



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The Story: 三日月の辰


オオアリクイの三日月の辰は、中南米麻雀選手権で動物の部で50期無敗、人間・動物無差別級でも23期チャンピオンをつとめ、ジャングルの雀聖として恐れられていた。
しかし、アメリカ合衆国の自然保護団体は、ジャングルの雀聖にはアマゾンオオズズメの方がふさわしいと、かねてから主張している。
三日月の辰は、五百才とも六百才とも言われているオスのオオアリクイだが、インカ帝国で麻雀を覚え、当時の内務賭博省の事務次官を勤め、時のアタワルパ(皇帝)の命で中国へ渡っている。
1535年に、シベリアからアラスカ・カナダ・アメリカと回って、旅打ちをして帰ってくると、インカ帝国は滅びてた。
復讐を決意したオオアリクイは、単身・ピサロのアジトに殴り込みをかけ、言葉巧みに麻雀の決闘に持ち込むと、こてんぱんにやっつけてピサロらが強奪した金銀財宝の8割を取り返したと言われている。
「それじゃあ、どうもね」
アリクイが、金銀財宝を巨大な風呂敷に包んで持ち帰ろうとした時、
「重いだろうから、車で運んであげよう」
ピサロが髭にさわりながら落ち着いて言った。
なんて親切で男らしい人だろうと、アリクイは思い、きっと歴史に名を残す侵略者にちがいないなと考えた。
もちろんピサロは、スペインにその人ありと言われた悪党。
川のそばまで行って、後ろからズドン。
「オオアリクイは大蟻でも食べてな」
と言い残して、お宝を取り戻す算段である。        
「さぁさぁ、お運びしましょう」
と、ピサロの一の子分のヘッテラが、小屋から出ようとしたところ、そこには2000頭のオオアリクイと、3000頭のナマケモノ、そして川から上がってきた500余頭の濡れそぼったオオカワウソが待ち構えていた。
「くそっ」
「やれっ」
ピサロの合図で、スペイン人たちの銃が火を吹いたが、物の数ではなかった。
10分も立たないうちに、小屋は跡形もなく踏みつぶされて白蟻の餌状になり、スペイン人たちはナマケモノたちに抱きしめられて、それからオオカワウソたちにアマゾン河の支流に放り込まれた。
勝利の立役者であるオオアリクイの右目の上から、流れ弾による血が赤々と流れていた。
「三日月の辰」と言う、通り名のもとになった顔の傷は、この時のものである。


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The Story: イッカク


花咲か爺さんは、零下30℃のブリザードの中で、ペンギンたちを集め、新世界の秩序について演説していた。
「俺の思想夢が見られたら、おっかさん。いやいや、わかるかペンギンたちよ。スプーン曲げの天才だって、お箸を使うことだろう。ボクサーが一匹、原野を歩いていくのが見える。あれは18才の頃の、このわしだ。懐かしい。水爆さえもノックアウトするあのリーチ。一撥自摸か?いやいや、一回まわすべきだった。聞こえるか、みんな。サルバドール・ダリ!
世界に必要な狂人は、みんな死んでしまった。ニール。荒野のとんがった月の下、インディアンの赤土から復活する、新たな輝かしい狂人たちよ。黄金の怪物よ。失われた文明の利器を手にした友人よ」
ペンギンたちは卵をあたためながら、無垢な瞳を花咲か爺さんに向け、聞きいっていた。
彼らがこの地球上で選ばれて、爺さんの演説を聞く役目を負い、その体温であためられたヒナたちが、新世界の冒険者となって、新たな狂人と共に進むのだ。
ペンギンでなければならない。
「空中に俺たちの狼の月が昇り、美しい聖者たちがその羽で街の天空を撫でる。失望や欺瞞を吹き飛ばし、海ではイルカたちが着実に地球の新しい物語の用意をしている。南半球で地球を支える羽のない鳥たちが、やさしさとかわいらしさを語り継ぐだろう。わしの友、ワタリガニたちが海の塵の中から星を作り出し、天の川の中に置く。恐れることはない、恐れることはないぞ」
花咲か爺さんの声が、マントラのように南極大陸の地吹雪の中に響きわたり広がっていく。

北氷洋では、イッカクの群れがその角で来たるべき星の位置を指し示している。

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The Story: ヘイケガニ


一方その頃、花咲か爺さんはエビ底曳き船に乗り込み、俳句を作っていた。

「底曳きや エビもカニも僕も 網の家」

花咲か爺さんはベントスの調査をしながら、なおも傑作を作ろうと必死だった

「エビと来て 我の苫屋は 舟の上」

「おら、爺い! さぼるんじゃねーぞ!」
二百歳も若い船頭に怒鳴られながら、爺さんの航海は続いていた。

「っ痛!」
「なんか、どいたんか?」
「ゆびょ鋏まれた」
「なんにや?」
「こり」
花咲か爺さんの右人差し指には、丸々と太ったヘイケガニがぶら下がっていた。

「コチラ・カニザ・コチラ・カニザ・テラ16ゴウ・コードネーム・ハナサカ・オートーセヨ」
漁船の上に、平家蟹のラジオ的な音声が流れた。

「コチラ・テラ16・ハナサカ・ホンジツハセイテンナリ・アーアーアアア コーコーサンネンセイ・ハワイコウロニ

アコガレナガラ・セトウチヲコウカイチュウ・ドーゾ」
「ピー・ソノママ・セトウチヲミナミヘコウカイサレタシ・ドーゾー」
「ガー・ピー・シャコモトレテマス・ドーゾ」
「シャコハ・ホウリュウサレタシ・ドーゾ」

周防灘は夕暮れに近づいていた。
北斗七星がゆっくりと降りて来る。
明日は妙見様の祭りだな。


27 July 2001

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センベイアワモチの恩返し


ある天気のいい日に
ミカエルとガブリエルは
八坂川に貝の調査に行きました。
今日は「胴長記念日」で学校はお休みです。

ミカエルとガブリエルは
ジュース工場の裏でゴムボートをふくらませ
川に入っていきました。
よく冷えたキウイゼリーも2本積んでいます。

少しくだると浅瀬があって
そこにはイシマキガイが数えきれないくらいいます。

プフフフフフフフ。
イシマキガイたちが川の底で
緑色のボートの底を見て笑っています。

うなぎ塚のあたりの川砂の中には
ヤマトシジミがたくさん暮らしています。
「万国一味噌汁最適具」を誇りとする彼らは
非常にプライドの高い部族です。

ヤーレホホホー。
ヤーレホホホー。
ドンドコドコ!
今日は彼らの「溶存酸素祭り」の三日目
ヤマトシジミたちの叩く太鼓の音と
ほがらかな歌声が八坂川にこだましています

八坂川の蛇行は
岸辺のすぐ近くまで木が生えていてジャングルのようです。
岸辺の水につかった木の幹には
なんとフジツボがたくさん生えていて
土地の人たちはこのあたりをフジツボ森と呼んでいます。

フジツボ森の対岸の玉石積みの石垣のあたりで
二人はボートをつなぎ
上陸しました。

石垣の上にはカワザンショウがひしめいていて
さんざめいています。
ズザザズザザザザ。
ズザザザザザ。
カワザンショウのおしゃべりはとても強力です。
ジジャジャジャジャジャ
キャキャキャ。
ツブカワザンショウも混じっているようです。

ミカエルが少し大きめの石をひっくり返しました。
「おう」
センベイアワモチがいました。
キュキュキュキュキュウー。
独特の甲高い声で鳴いています。
「どげしたんかなあ」
ガブリエルが言いました。
「まぶしいんかなあ」
ミカエルが言いました。
キュキュキュキュ
キュウキュウキュウーーー。
センベイアワモチが言いました。
「背中がかーいんやな」
ミカエルが言いました。
キュウーウ。
「じゃあじゃあ、そげいいよらあ」
ガブリエルがうなずきました。
「ほんなあ、かいちゃろ」
ミカエルは細いきれいな指で
センベイアワモチの背中をかいてあげました。
フシュー
フシュー。
センベイアワモチは気持ちよさそうに
触角を細め
背中をそらし
お尻の穴で深呼吸しています。
ミー!
突然
別のセンベイアワモチが現れて
ガブリエルのサンダルにすりすりを始めました。
「よしよし」
ガブリエルも
そのセンベイアワモチの背中を太い指でかいてあげました。
一時間もたったので二人はかくのをやめ
すごく平たくなって眠り込んだセンベイアワモチにさよならし
ボートに乗り込みました。

川はとても
うららかに流れています。

フジツボ森をとおりすぎ
丘耳丘を見ていた時のことです。
「おーい」
丸山の淵で遊んでいたアカエイが遠くから声をかけてきました。
「おーい、ぼくものせちょくれー」
アカエイはとても好奇心の強い魚です。
「もしもーし」
みるみるボートに近づいてくると、
「のせてー」

尻尾の先でボートをちょんちょんとつつきました。

プシュー!

暑い夏の道を一里も歩いて持って帰って来たコーラの
栓をあけたような音がしました。
アカエイの尻尾の先の剣が
ゴムボートに穴をあけたのです。

「わあー」
「きゃあー」

ブシュシュシュシュシュシュー。
ゴムボートは勢いよく
しゃべりたかった気持ちを言葉に変えています。

ブクブクブク。
ボートが仲良しの水にどんどんくっついていきます。

「助けちくりー」

「どうしよう、どうしよう」
とんでもないことをしてしまったと気づいて
あわてたアカエイは魚であることも忘れて
空をひらひらと右往左往しています。

その時でした
川の貴公子・カワセミが悲鳴を聞きつけ
「そのまま!」
「じっとして!」
「今、助けるから!」
と叫ぶと
すごい速さでボートにグングン近づいてきました。
カワセミはその色のとおり
とても正義感と万能感の強い鳥です。

「あっ」

プシュー!

小魚を持ち上げるようにひょいと
ボートを持ち上げようとしたカワセミの鋭いくちばしが
ボートに2個目の穴をあけてしまいました。

「きゃー」
「うわー」

「ああ、しまった」
川の貴公子は恥ずかしくなって
水に飛び込み
鳥であることも忘れて川底の砂に潜ってしまいました。
「ワライカワセミに知られたらどうしよう、、、」

「助けちくりー」
「だりかー」

その時です!
急に水面が静かになり
ボートが浮力を取り戻しました。
「?」
「?」
「?」
ミカエルとガブリエルが
おそるおそるボートの下をのぞきこむと
さっきのセンベイアワモチがぴったりとボートにくっついて穴をふさいでいます。
「わあー」
「助かったぞー」
二人はまた
ひっしでボートをこぎはじめました。

深い丸山の淵を静かに進んでいきます。

ボートのスピードが急に速くなりました。
見ると小さな魚が凄い力でうしろから押してくれています。
ヨーホゼ!ヨーホゼ!エイホッホー!
ヨーホゼ!ヨーホゼ!エイホッホー!
ハゼの仲間・怪力ヨシノボリです。

ボートは丸山の淵を越え
たいらな川原にたどりつきました。
黄色いハマボウの花が咲いて
風に揺れています。

騒ぎを聞きつけて下流からやって来たシオマネキと
ハクセンシオマネキがうれしそうに手を振っています。

「どうもありがとう、みんな」
ミカエルとガブリエルが振り返ると
センベイアワモチの姿はありませんでした。
もう石の間に隠れてしまったのでしょうか。

杵築大橋のむこうから夕暮れの波の音が
静かに聞こえてきます。
干潟のカブトガニの
金色の屋根の輝きも遠くに見えました。

川にいろんな生き物たちがいるおかげで
わたしたちはとても楽しい旅ができました。


*これは大分県杵築市の八坂川のお話し。河川改修でなくなってしまう川の蛇行部のお話し。ピーターとオカミミまでの三部作。

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怪力ヨシノボリ


ヨシノボリの義男は、今日も学校の帰りにカワエビを万引きしたりして、意気軒昂です
八坂川に恐いものなしの義男は、とても力が強く怪力ヨシノボリと呼ばれています
「怪力が来たよ」
「怪力だ」
イシマキガイの石やんと石ちゃんがしゃべっています

テナガエビの長さんは鰻塚の家の中で
長い長い腕に水パイプをふかしながら歌っています

俺のあん子は
子守唄が好きで
いつも ねんころりーーーーよ

川じゅうのエビが眠くなって
寝てしまいます

霙沼蝦
沼蝦
南沼蝦
みんな眠くなって輪になって寝てしまいました

コンコン・こんこん・昏々
誰かがドアを叩きます

「誰?」
霙沼蝦が聞きました
「僕だよ」
誰かが答えました
「WHO!」
沼蝦が聞きました
「I AM」
WHOが答えました
「本当は誰なの」
南沼蝦子が聞きました
「くらむぼんだよ」
「うそよ」
「ほんとだよ」
「じゃあ、歌って」
「かにのぷくぷくがよーーーーーい」
「また酔ってるのね」
蝦子は恐い目でドアをにらみました

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「ごめんね、でも外は寒いんだよ」
「義男?」
「うん」
葦登が答えました
「寒い」

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

どんな沈黙の切れ端でも繋げない長い時間が流れました

「川がなくなったんだ」
「知ってるわ」
「食べるものがないんだ」
「うん」

「春が来るのよ」
「そう?」
「待てる?」
「?」
「苔を食べられる?」
(首を振る)
「エビを、私達を食べたいの?」

新しい川の丸い石の上を水が流れていきます
水が女たちの涙のようでした

義男も泣いています

「きっと、よくなるよ」
海老雄がいいました
「バブー」
生まれたばかりのエビーもいいました
「元気を出して!」
蝦子はスジアオノリのエプロンをして笑っています

「赤コーナー! 27グラムー! 怪力ー! 葦登りー!」
おっかさんの蝦子が力強く喉を張り上げました
義男は、あの美しい尾鰭を旗めかせ八坂川の上流へ帰っていきます

ヨーホゼ!ヨーホゼ!エイホッホー!
ヨーホゼ!ヨーホゼ!エイホッホー!
ヨーホゼ!ヨーホゼ!エイホッホー!

沈み橋から鹿倉橋へ
黄色と青の旗をふりながら

これはシャーマン・ヤマーが水の中で聞いたお話し
そして昔のプロレスラー・怪力豊登を思いながら

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ピーターと丘耳


さて、角笛の音が聞こえるとして
ピーターと丘耳は今日はなにをしゃべっているのでしょう

「いやね、ピーター」
「うん」
「川のことなんだけど」
「ちょっと待って」
ピーターは険しい顔をすると
夜の野原の窓を開け
自分の中に星をひとつ入れました

「うん」
ピーターが聞きました
「いやね」
丘耳は実はなにも考えていなかったんだ考えるのがいやなんだけど
川の話をしたいようでした
「実はね」
「うん」
ピーターの黒い目は南極に住む狼のようでした

丘耳は覚悟を決めて重い口を開きます
「ほら、あの、僕らの葦原の話さ」
「うんうん」
ピーターが聞き入ります

丘耳は耳まで真っ赤にして
思いを言葉にしようとしています

ファサ

丘耳は倒れてしまいました

「うん」
ピーターは丘耳に毛布をかけます
「丘耳はしゃべるのが、とても苦手な種族である」
ピーターがさっきの星にそう話しかけると
星はその言葉をもってピーターの胸から出て
夜空へ帰っていきました

「うーーん」
丘耳が気づくと
そこは極彩色の川原で
太鼓や笛を持った人たちがたくさんいてサーカスのようです
「飛んでるなあ」
蜻蛉のかわりにたくさんの音楽が空気中にあって
そしてそれは蜻蛉を呼んでいるのでした

涙のかたちをしたピエロが
風船に字を書いて翔ばしています
「ピーター?」
丘耳が尋ねました

ピエロはとても遠い懐かしい笑い方をすると
オルガンの自転車に乗って
川の水の上を走っていってしまいます

「もといたところに
 君がいて
 僕がいる」

丘耳はあわてて川の上流へ走り
昔住んでいた葦原のあった場所を見ました

そこには菜の花が咲いて白い蝶がたくさん飛んでいました

それはとても美しい光景でした

丘耳は自分が死んだことを思い出し
ピエロのピーターがいるはずの川の上を振り返りました

でもピーターはいなくて
風のような音楽が聞こえるばかり

ピーターがくるぞー!
丘耳がくるぞー!

わたしたちの名前は一度しかありません
 
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The Story:シオマネキ


一方、その頃、トニー・デービス・ジュニアこと「親にらみの政吉」は有明海の干潟で緑黄色の珪藻類を食べていた。
「いけそうですか」
「けいそうです」
淋しいトニーの独り言が、12月の諫早に吹き荒れていた。
「そら、どうした、どうした」
重力の父であり、世界のバランスの彼岸であるシオマネキの争いを見ては、乾いた声を張り上げるのだった。
「雨にも負けず 傘にも負けず」
トニーは陰影のように朗読し、牧場のような姿になった海に唾を吐くのだった。

♪ かーくーらーやー

遥かな泥の水平線のむこうから、潟スキーを漕ぎながら一人の老人が近づいて来るのが見えた。

♪ かーくーらーやー かーくーらーばー

シャキシャキシャキシャキ
シャキシャキシャキシャキ

老人の奇妙な歌声にあわせ、シオマネキたちが一斉に穴から飛び出し、鋏を打ち鳴らした。
カニたちの師・地球の大いなる瘤である花咲か爺さんが現れたのだ。
「トニーよ」
泥でできたような花咲か爺さんが言った。
「私は塩の名前を知る者である。とにかく飲みに行こう」
政吉と花咲か爺さんはシオマネキを数匹ずつポケットに忍ばせると、干潟から陸上へムツゴロウのようにピョンピョンと歩き始めた。
「肺呼吸しても、いいですかー」
難しいアクセントで叫びながら。

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