Conservation 山下由
中津 我々の宝の海を護れ
現在、有明海では海洋環境の異変により、多くの漁業従事者が苦しんでいます。「宝の海」と呼ばれたその海洋生態
系は明らかに様々な人為的負荷によって、もがき苦しんでいます。
私たちの暮らす周防灘は、昔ほどではないにせよ、今でもかなり豊かな生態系を維持していると考えられます。私た
ち生物研究者は先年「周防灘讃 現代日本最高の内湾と共に生きるということ」というシンポジウムを行いました。
東京湾・瀬戸内海の大部分・有明海など多くの内湾生態系が破壊されていく中で、周防灘は現在もまだ豊かな生物多
様性を保っており、それは過言ではなく日本の内湾環境の最後の砦であると、多くの海洋生物研究者は考えています。
希少種の生息数について評価するならば(それは生物多様性全体の豊かさを意味します)、周防灘全体が厳重自然
保護区に相当すると考えていただいて結構です。
しかし、この周防灘という「宝の海」も年々生物多様性が減少し、漁獲量が衰退し、安心できる状況ではありません。
自然環境に対する負荷がこれ以上高まるならば、非常に危険なぎりぎりの状況にあると考えられるのです。我々は
周防灘の自然に対する負荷に、神経質すぎるくらいに対応しなければなりません。周防灘の生物多様性の減少は、日
本全体の大きな生物多様性の減少に直結し、それが地球レベルでのマイナスであることは言うまでもないからです。
したがって、中津市での自然環境改変は、地域社会だけではなく日本及び国際社会にとって、実に重要な問題を孕ん
でいるのです。不用意な河川改修・河口堰・自然海岸の護岸・産業と生活の排水・原子力発電所の計画等、周防灘の
生態系を脅かす要素は、現在もたくさん存在します。
なぜ、我々は海を自然を護らねばならないのでしょうか。それは、我々が地球上の数億種に及ぶ生物の一員であり、
他の生物の存在によってその生命を維持しているからです。
世界の経済体系は時代によって変化しますが、我々が動物や植物を食べなければ、あるいは主に植物が作り出す酸素
を摂取しなければ死んでしまうという原則は不変です。我々は経済というマジックによって、この生命維持のための
重要な原則を忘れようとしています。
従って、食糧生産者である第一次産業従事者は非常に重要な労働に従事する人々です。今後の地球上の人口増加傾向
に対し、食糧生産はより重要性を帯びてくるはずです。第一次産業従事者の経済性は現在低く評価されすぎており、
これは適正に補正されなければなりません。特に地球上の70%の広さを占める海、その海洋資源の効果的な利用は人
類の存続にとって、今後非常に大きなテーマになると考えられます。もし我々が環境への配慮・自然と人間は共にあ
るという意識を持つことができたなら、安全で豊かな食糧が自然から供給され続けるはずです。
私はもちろん、中津市・私の故郷である姫島村・大分県の発展を願うものです。しかし、それは真の意味で豊かな発
展でなければなりません。経済的発展というよりも、人間的発展というべきものを私は望みます。地域の自然に根差
した産業・地域の豊かな文化・暖かい人間関係・心のふれあい。我々は過去にあった自然と人間の豊かさを、現在の
経済・文化・科学技術に再び重ね合わせる必要があるのです。
宝の海である周防灘・豊日分と呼ばれた豊かなこの土地を守り育んでいきましょう。
我々は生物を食べなければ生きていけず、環境も変えていかざるを得ない生物です。しかし、我々はまた現在、「自
然」「環境」「地球」という思想も手にしました。考え方の道具も進化しているのです。ありあまる科学力もありま
す。進化した人間にふさわしい愛情を、地球と隣人と生物たちに贈りましょう。
山下由「Wild World Songs」Indexに戻る
八坂川の花
大分に来る飛行機の中で、機内雑誌の見開きに「花」の歌詞が掲載されていた。
春のうららの隅田川
のぼりくだりの舟人が
櫂のしずくも花と散る
流れをなににたとうべき
「櫂のしずくも花と散る」川。「刻一刻も千金の」川。川遊びをするたくさんの人たち。情景というもののある世
界。これは何年前の話だろう。今の隅田川を知っている私はまた涙ぐんでしまった。たくさんの川が、ただの水の通
り道になってしまった日本。遊び憩う人のいなくなった川。
この歌の作曲者は大分県出身の滝廉太郎だ。Melodyそのものが川のようだ。人間もそうやって美しい自然を作り出
す能力を持っている。
この音はどこから聞こえて来るのだろう。
私は貝の研究をし、自然・生態系の保全に関わっているけれど、本当はただ人間が生き生きしていること、優しさ
や暖かさに満ちた人の世であることが希望なんだ。生物多様性というのは私にとっては「いろんな奴がいておもしれ
え」とか「いろんな友達がいて楽しい」とかだ。
今の社会のもっとも深刻な問題は、人間の画一化・無個性化と優しさ・暖かさの喪失だ。そしてそれは自然の様々
な顔・情景が失われていくのと同時に進行している。
八坂川の緑の岸辺に立って、今までどれだけの人の、どれだけの心が癒されただろうか。
カワセミがいて
カワウがいて
俺の帽子は
頭のうえ
川が俺をみてるので
優しくなれた
山下由「Wild World Songs」Indexに戻る