「あっというま」という言葉は「あっ」という間なのであろうか。
昨日は自分の企画ライブであったが、いつものことであるが、
リハから始まって、あっというまに終わった。
まあ、いろいろやることも多いのだけれど、あの時間の流れ方は独特だ。
今回は、終了時間ぎりぎりまでライブをするということで大変に心配した。
野外イベントなどでは、必ず時間を押すというのが常なのだけれど、
あれも主催の人をどきどきさせる。
まるで自分と時計が一緒になるようであろう。
午後4時に入ってから23時までの6時間。
不思議な時間が流れる。早く感じるというか、長く感じるというか。
それこそあっというまという感じか。
「メガネ必要ですか?」'09.11/28
いつも行く1000円のカットハウスには、多くのカットの人がいる。
カットしてくれる人それぞれに、個性も出てくるのだけれど、
先日、カットしてくれた人は、かなり大胆な人であった。
カット時間も短かったけれど、カガミでの確認のとき、
「メガネ必要ですか?」ときいた。
もちろんメガネがないと見えないわけだけれど、、
そんなふうに言われたら、こう言うしかない。
「あっ、大丈夫です。オッケーです」
それがいけないんだな、、。見えるわけがないのに。
いつもなら、そのあとに最終のカット調整もあるので、
そのままで座っていると、、
「もう、終わりです。ありがとうございました」と、言われてしまった。
省エネなのか、、。
「70万円のつかいみち」'09.11/26
友達と部屋にいて、こんな会話があった。
「70万円のギターを買うなんて、信じられませんよ」と、友達。
「そうだね〜。70万は高すぎるよ」と、僕。
「70万円あったら、アオキさんなら、何につかいます?」
「70万かぁ、、そうだな、、35万円のギターを二本買いたいな」
「まったく、それじゃ意味ないよ」
「そんなことはなないよ。一本はマーチン、一本はギブソンが欲しい」
「ギターなんて安くていいんですよ。3万くらいで十分ですよ」
「いやっ、高いギターはそれなりにいいよ。弾いてみるとわかるよ」
「アオキさん、もう良いギター持っているじゃないですか」
「うん、だけど、マーチンのD18とギブソンのDOVEが欲しい・・」
70万円あったら。。70万円が自由に使えたら・・。
やっぱり35万円のギターを二本買うのがベストであろう。
なぜ、それがわからないのかと思う。
「レナード・コーエンのスザンヌ」'09.11/24
ライブハウスはそれぞれに個性がある。
ライブの合間にかかる曲もそれぞれだが、
レナード・コーエンの「スザンヌ」が流れることがよくある。
クラシックギターのアルペジオで始まる、ゆっくりめの楽曲である。
レナード・コーエンのデビューアルバムの一曲目であり、
ベスト盤でも、だいたい一曲目になっている。
相当にアルバムを聴き込んでいる僕でも、この「スザンヌ」はいつも新鮮だ。
最初のクラシックギターの音の響きでさえも、新鮮に聞こえる。
この歌は「スザンヌ」という東洋的神秘さをもった女性に惹かれてゆく内容になっており、
それもまたこの歌を新鮮な響きにしているのであろう。
それにしても、デビュー当時のレナード・コーエンの声には若さが出ている。
今ではもっと低く太い声になってしまったのだが・・。
ライブハウスにいるお客さんの中には若い人も多く、レナード・コーエンを知らない人も多いであろう。
流れ出す「スザンヌ」を聞いて、どう思うであろうか。
いつの日かまた、これがレナード・コーエンであるとわかるときも来るであろう。
他のライブハウスでもかかり、、。
ちょうどいい出会い方だ。
「みそ汁」'09.11/22
ここ数日、胃の具合が思わしくなかった。
激しく忙しかったり、急にたくさん眠ったりして、
バランスが崩れたのであろう。
昨日は食事に出かけたが、街を歩いていると胃から声が聞こえた。
(みそ汁、みそ汁だよ、きみ、みそ汁を飲むんだよ・・)
そういえば、ここ数日は辛いものばかり食べていた。
胃からはっきりと声が聞こえた。
(きみ、みそ汁、みそ汁を飲ましてくれよ・・)
インドカレーを食べたあと、部屋に戻りすぐさま、インスタントのみそ汁を飲んだ。
そのうまかったこと、うまかったこと。
「出番」'09.11/20
もう10年以上も前のこと、
仕事先の帰り道の洋品店で、素敵なジャケットを安く買った。
一週間ほど着て、とても気に入ったので、もう一枚買えたらと思い声をかけた。
「はいはい、一枚残ってます」と言って、倉庫から持ってきてくれたので幸運にも買えた。
しかし、帰ってきて着てみると、でかい。。サイズがひとまわり大きかったのである。
着てみるとあきらかに大きくて、変だ。。ちゃんとサイズを伝えたのにな。。
それでも、いつか着られるかもと、とっておいた。
それから約10年。
お気に入りで毎年着続けていたジャケットは、さすがにボロくなった。
いよいよ出番である。
何にでも出番は来る。
昨日から、その大きめのジャケットを着ているが、やっぱりかっこわるい。
確実に大きい。
ジャケットの内側に大きな隙間が出来てて、あたたかさも半減している。
10年前なら、確実に着ることはなかったジャケット。
今年はこれで過ごそうと思っている。
たぶん10年たって、僕にひとまわりの心の余裕が出来たのだろう。
「11月」'09.11/18
11月も中旬になった。
秋というふうでもなく、冬と呼ぶにはまだ早い11月。
12月に入ったら、むりやりクリスマスソングが流れ出す、そのちょっと前。
「またあの12月がやってくるけどいいかな」って言っているような11月。
あまり見かけないメーカーの手帖をいつも使っているので、先日、来年の分を買ってしまった。
一年があっというというが、今年の手帖はほとんど使っていないままで、過ぎたような気がする。
9月、10月と秋を味わい、充実とまではいかないがそれなりに良い季節であった。
遠出をし、散歩もし。
しかし11月は体に冬が入ってくる予行練習のようではないか。
ちょっと3月と似ているな。3月も新学期の前のひと月。
3月と11月を、「なんとか月」って呼んでみたい。
「なんとか月」・・・、なんだろう、、、?
そしたら、それなりに充実感が出るかもしれない。
「明るくしないと眠れない」'09.11/16
ここひと月、古い友達と一緒にいる。
長崎生まれの、九州 男子だ。
僕よりいつも遅く眠るのだが、朝になると部屋の明かりがついたままになっていった。
本か何か読んでいて、そのまま眠ってしまうのだろうと思った。
気が付いて、寝入りばなに僕が明かりを消したら、テーブルのライトが朝までついていた。
一週間ほど続いたので、「朝までいつも明かりがついているよ」と、きいてみたら、
友達は「おれ、明るくないと眠れないんですよ」と言う。
真っ暗だと、なんだか眠れなくてと言う。
気持ちはわかるな。僕も怖いテレビなんか見た夜は明かりをつけたまま眠ったりした。
でも、基本はやっぱり暗い中でぐっすり眠る。
それも真っ暗がいい。
やがて部屋の中は目が慣れて見えてくるし、問題はない。
友達は隣の部屋で眠っているのだが、僕の部屋までかなり明るい。
ひと月、そんな感じで眠っていたら、真っ暗にするのが妙に思えて来た。
まあ、明るくても目をつぶれば暗いわけだしね。
目を開けたとき、明るいと安心して良いかもね。
表現は変だが、譜面台を見るような安心感があるかもしれない。
ひと月も一緒にいたら、僕も真っ暗闇の部屋が怖く思えてきた。
でも、僕なんかその怖さが好きだったな。
異次元とつながっているようで。
「グリニッジ・ビレッジ」'09.11/14
友達は、生きている間にグリニッジ・ビレッジに行かなきゃなと言う。
グリニッジ・ビレッジはニューヨークにある古い街で、
'60年代は有名なフォーククラブがあった場所としておなじみだ。
友達は、アメリカの人には興味はあまりないが、グリニッジ・ビレッジに会いたいのだという。
さすがだ。
グリニッジ・ビレッジも友達に会いたいであろう。
僕にも好きな街というものはあるが、ひとりの人格として感じられるほどにまではいっていない。
友達は、今、高円寺の街を歩き続けている。
「たまには他の街に遊びに行ったら」と言ってみるけれど、友達は
「おれ、他の街に行きたくないんですよ」と言う。
そして高円寺をくまなく歩いている。
友達はニューヨークに行ったら、グリニッジ・ビレッジをずっと歩きそうだ。
人に会うということはそうことのようだ。
「sodeyare-jinsei」'09.11/12
お気に入りの服は、よく二枚買ったりしたものだった。
しかしそれは成功のときもあるし、失敗のときもある。
好みは変わってゆくからね。
定期的に服も買っていたが、ここ5年ほどはあまり買ってはいない。
お気に入りの服がかなりあるからだ。
しかし、それらの服もやがては限界が来る。
袖口の所が、「やれて」くるのだ。
「やれてくる」というのは、すこし布がほつれてくるという意味だ。
(小さい頃から、使っているので新潟の方言かもしれない。)
袖口がやれてくるだけではない。
全体に生地も薄くなってくるし、コーデュロイの生地なんて、
ところどころ生の生地が見えたりしている。
どの服も、ここ10年ほど着ているからね。さすがに限界なのだろう。
僕の定番のジャケットがある。冬はその服がないととても困る。
ここ10年ほどは悩むことなく、着てきたのに、
袖口がもうどれもだめになって来てしまった。
それでもずっと着ていたいんだよ。
でも、もう限界に来ている。
でも、その服を着たいんだよ。
どうすりゃいいの。
「世界がもし11の曲だったら・・」'09.11/10
友達が新しく作った全11曲入りのアルバムを、
携帯プレーヤーに入れようとしたところ、
失敗して、他に入っていた音源をすべて消してしまった。
歌のバンドなど多くの入った、50枚ほどのアルバムは消えてしまった。
残ったのは、11の演奏曲のみ。
電車の行き帰りに、その11曲を聴きながら、ふと想像したことがあった。
それは、もしこの先、僕がこの11曲しか聞けなくなったらということだ。
まるで無人島に持っていった一枚のアルバムのように。
しかし、その演奏アルバムは達者なプレイヤーたちなので、充分に楽しめそうだと思った。
来る日も来る日も、この11曲を聞いて、楽しんで。
「そんなのあきてしまうよ・・」と言う人もいるかもしれない。
しかし、この11曲しかないとなると、ずっと聞けるのではないかと思う。
このアルバムの11曲はワールドワイドで、実に豊かな感情と風景とリズムを持っている。
だから、人生に起こるそれぞれの場面で流れる曲には不自由しないであろう。
達者なプレーヤーたちの作る演奏アレンジはちょっとやそっとでは、あきそうにない。
まるで11人の古い友のように。まるで11の街のように。
哀しいときは、そっと寄り添い。。
そうやって、20年50年。。
僕が明日にでも息が止まりそうになったら、
その11曲を聞いていたい、それまでのすべてを感じながら。
泣きながら11曲を聴くであろう。
「西武線」'09.11/8
久し振りに西武池袋線に乗った。
僕が初めて借りたアパートは椎名町にあり、
西武線で池袋に出るというのが常だったのだ。
先日乗ったときは車両も最新型のものになっていたけれど、
やっぱり私鉄独特の感じがあった。
椎名町にアパートを借りていたのは18歳からの10年間で、
今思えば四畳半によく10年もいたものだと思う。
今想えば、一番悩み多かった頃の10年間だったろう。
池袋からは始発なので、止まっている車両に乗ってしばらく発車するのを待つのだ。
そのほんの3分5分の間、さまざまことを考えものだった。
だんだんといっぱいになってゆく車両。そしてアナウンスがあり動き出す。
そうやって10年。それは戻れないような青春の頃。
西武池袋線に乗ると、あの頃の10年がよみがえってくる。
あの10年は、僕は何かに守られていたような気がする。
守っていたのは、電車と、乗っていたみんなではないか。
無事10年が過ぎて、僕は椎名町から高円寺に引っ越した。
西武線の電車を降りたのだ。
「不便の頃のラブソング」'09.11/6
カウンターだけのラーメン店に入ると、
初老の親父さんが真っ赤な顔でお酒を飲んでいた。
と言っても、もう氷しか残っていないグラスを。
その店ではAMラジオが流れているのだが、
越路吹雪の「サン・トア・マミー」がかかったとき、
酔った親父さんが一緒に歌い出したのだった。
ビブラートのかかった声で。
ほぼ全部の歌詞を、親父さんは一緒に歌った。
続いてかかった最近の歌には反応しなかったが、
その次にかかったエルビスの「ラブ・ミー・テンダー」では、
また一緒に口ずさんでいた。
なるほど。時代を越えるラブソングの名曲のように、
良かった頃を想っているのかな。
すっかり今は便利な世の中になったものね。
最近の歌なんて、何歌っているか聞きとれないものね。
親父さん。あんたが良いと思っている歌たちは、
みんなあんたなんだ。
世の中変わったと言うかもしれないけれど、
あんたは変わっていないんだろう。
「寒い朝」'09.11/4
少し前までTシャツでいたのに、この寒さは急過ぎるな。
昨夜の天気予報で、「明日はまたあたたかくなるでしょう」と言っていたので、
つい油断をしてしまった。
今朝は強力に寒いじゃないですか。
それなりにあたたかく布団にくるまっていたのに、こんなにも冷えた。
そんな寒い朝、僕は世界中で朝に寒くしている人たちのことを思った。
20年ほど前、一年の海外旅行に出かけたとき、寝袋持参であったが、
相当に寒い想いをした。昼と朝の温度差のある砂漠地方では特に。
インドの街では、道に布一枚で眠っている人もいたが、寒い日もあるだろう。
ヒマラヤ地方に向かった旅行者はあたたかい寝袋を持っていき、
「大丈夫だよ」と言っていたが、実は寒かったであろう。
今朝はとても寒い。日本じゅうの道でも寒さにこごえている人も多いだろう。
ダンボールハウスはどれくらい、寒さをしのげるのか。
そんなことを想った。
冬山を越える人たちのことを想った。
「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」'09.11/2
ボブ・ディランの四番目のアルバムは、
「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」というタイトルであった。
'64年発売。白黒のジャケットで、継いだあとのあると思われるジーンズをはいて、
通りにふらっと、スタイルを決めて立っているような写真が写っている。
僕は高校のとき、ボブ・ディランのレコードを、一枚一枚集めていったが、
20枚ほど出ていたジャケットの中でも、一番シンプルだったと思う。
ファースト・セカンド・サードときっちりした弾き語りアルバムだったのに対して、
このアルバムは一日で録音したとの話もあり、力の抜けたふわっとした印象のアルバムだ。
1曲目は「オール・アイ・リアリー・ウオント」という、ちょっと茶化したような歌で始まるが、
「ラモーナに」という泣けるようなラブソングや、「マイ・バック・ペイジ」という誇り高い声の響き歌や、
「Dのバラッド」という告白的弾き語りの歌へと続き、ラストは次のアルバムを連想させる、
ビートの効いた「悲しきベイブ」という歌でしめられる。
高校時代、このアルバムもとてもよく聞いて、好きな歌も多かった。
でも、ディランの全体のアルバムの中では、力の抜けた、ふわっとした印象であった。
まるでジャケットが紙も少し薄いような。(実際にはそんなことはないが・・)
そのジャケットをブーメランのように飛ばしたら、一番遠くまで飛びそうであった。
東京に出てきてからも、このアルバムの印象はそんなには変わらなかった。
しかし、ここ数年は、このアルバムの良さが別の角度でわかって来たように思う。
友達はディランのアルバムの中でも、この「アナザー・サイド〜」が一番好きだという。
そういうシンガーは意外と多いかもしれない。他のアルバムにはない独特な自由さがある。
人間臭さもたっぷり出ている。
なんだか、ふと、ディランの住む部屋を訪ねたような、そんなアルバムだ。
慣れたカップにブラック珈琲とか出してくれて。。
「珈琲カップ」'09.10/31
お気に入りの珈琲カップが壊れた。
それは近くのお茶さんで売っていたもので、気に入って四つほど買ったものだ。
もう15年ほど前に。
しばらく使っていると取っ手がとれてしまうという事態がそれぞれに起こり、
先日で、買っておいた四つともに完成形ではなくなってしまった。
本当に気に入っていて、365日×15年、毎日珈琲を飲んでいたことになる。
その店の店頭に出るたびに買い続けた。予備にひとつとっておいたりもした。
それがもう13年くらい前の話だ。
以前、友達が部屋に遊びに来たとき、とてもそのカップをほめてくれた。
珈琲でもビールでも何でも合うカップだと。
そのカップで飲むとしても珈琲もビールもうまい。
内側が、茶色いまだらになっていてね。
そして、そのカップは割れたりして、ひとつしか残っていない。
それも取っ手がとれている。
「あさってあたりに」'09.10/29
ライブが終わってからいつも思うことがある。
あさってあたりに思い出し、じんとくる歌が唄いたいなって。
あさってにまた食べたくなるラーメンみたいに。
明日では、どうも不完全だ。やっぱり明後日でなくちゃね。
それもふと、ただ思い出す感じでね。
さっと歌えるフレーズがあるといいな。
もし僕のライブで、あさってに思い出す歌があったら、よろしくと。
「千里の道も一歩より(から)」'09.10/27
昨日は雨の中の仕事であった。
天気予報では、降ったり止んだりということであったが、
風の中、雨は降り続いた。台風の影響だったらしい。
こんなときは夕方までの時間を計算して、ペースをあげたり休んだり、
全体を考えながら進めてゆくのだけれど、昨日はそれはやめにした。
思っていたのは「千里の道も一歩より(から)」のことわさだ。
何も考えずとも、こつこつやって行けば、やがて終わる。
目の前にあることだけに集中して、
渡り鳥のことを思ったりしながら。
蟻のことを思ったりしながら。
やがては夕方になり、外仕事は終わった。
意外と楽であった。
1里と言えば約4キロである。千里と言えば4000キロ。
昨日歩いたのは五里くらいなものか。五里夢中。
昔の人はきっと、歩いていけばやがて着くと、体感的に知っていたのだろう。
僕はこの年でやっと、わかって来た。
さて余談。「千里の道も一歩から」ということわざは、
世界中にあると思われるが、それを訪ねてみたいな。
それを訪ねて何千里。
「創作料理店」'09.10/25
注文を受けてから、材料を地方に集めに行くという、
そんな笑い話があるが、
その創作料理店では、まさにその通りであった。
店主は、そのメニューをかつて作ったこともなく、
なんとなくイメージだけで書いてみたと言う。
あきれた顔で、席で待つ僕。
「マスターは、どこまで行かれたんでしょうね?」
「さあ、ここ数日のうちには戻ってくると思いますよ
まあ、ゆっくりしていってください」
なんてのんきな料理屋なのだろう。
厨房をのぞくと、ギターが一本置かれてあった。
しかしまあ、考えてみれば注文をしているのも僕なんだし、
今、材料を集めているのも僕なのだから、
こんな話もあっていい。
さて、どんな料理が出来てくるのか、
「若い頃」'09.10/23
今の仕事場で僕は、かなり最年長の方に入るが、
若い人ももちろんいる。
同じ明かりの下、一緒にいるけれど、なんだがちがう時間にいるような気がする。
僕も18才から、社会人として会社に行ったり、お店に出たりしているが、
あの独特なふわっとした感じ、学校の生徒の一人のような参加している感じは、
若い頃、独特のものだ。
わからないことは全部、上の人任せだったあの頃。
それが新人と呼ばれる初々しいところだったのか。
今、職場にいると、若者は日々戦っているのがわかる。
がむしゃらで、一所懸命で。。
僕もここに入った頃は、わからないことばかりで、学ぶべきことは山ほどあった。
若者と同じようだったろう。
同じ部屋の中にいても、
たぶん事務所の雰囲気をちがうように感じているだろう。
若者は戦っている。おじさんはそっと眺めている。
「Good Song」'09.10/20
もうちょっと前になるけれど、久し振りにGood Songを聞いた。
人それぞれの感性があるので、その歌をみんなが気に入るがどうかはわからない。
しかし、僕には目がさめるような歌であった。
もう、ひと月ほど僕はその歌とともに過ごしている。
歌詞も憶えたし、自分でも唄ってみるけれど、うまくは歌えないでいる。
そんなことは、まあ、あとでもよいのだけれど。
僕が大事だなと思うことは、そんなふうに、
1曲がやって来て、自分の人生の中にぐっと入ってくるのだということ。
たまたま、僕にとってはその歌だった。
みんなそれぞれに、口ずさみ愛唱する歌は、1曲1曲としっかりとやって来るのだろう。
「江戸の頃」'09.10/19
国定忠治の映画のビデオをレンタルして観た。
先日、赤城山のふもとまで行ったからだ。
忠治が赤城山にたてこもる話は知っていたが、その状況はよく知らなかった。
話だけ伝わっている出来事を、まるでその時に見て来たように映画を作るって、素晴らしかった。
脚色はかなりあるだろうけれど。
僕はテレビの時代劇もよく見る。その内容というよりも江戸の頃の暮らしぶりを感じたいからだ。
それは現代に脈々と、つながっているのがよくわかる。
庶民の家が映るとき、その暮らしぶりが実に質素だったとわかる。
どの家も部屋にそろっているものは、実にシンプルだ。
現代の僕らの部屋のように、物にあふれてはいない。
ビデオテープや本やカセットやCDやレコードなんかもない。
きっと、それらは全部、住んでいる人の頭の中にあるのだろう。
江戸の頃は、話こそすべてだったのではないか。
僕らのこの部屋にあふれているものは、きっと頭の中にあったのだろう。
話は満ちていたはずだ。
やって来る人には、また新しい話が。
知り合う人にもまた新しい話が。
「巨大な塔」'09.10/17
今、墨田区で巨大な塔を建てている。
細長い煙突のような塔は「スカイツリー」という名称になると言う。
それも世界一。
だんだんと出来ているわけだけれど、そのすぐそばを回りながら、
いつも僕は外仕事をしている。
道々を歩いていて、あちこちの人がその塔の話題を話しているのがわかる。
だって、視界の中に常に入ってくるようになったのだ。
まだこれから三倍の高さになると言うが、そのときどうなっているか想像もつかない。
何かとんでもないものを建てているのではないか。
遠目に眺めているぶんには、高い煙突のようではあるけれど、
近くにいると、なんだかすごいよ。
重力がひっぱられるというのかな。
東京タワーもそうなのかもしれないが。
工事の最初から見ているので、ここ最近の存在感には驚くばかりだ。
三分の一の高さなので、まだかわいいのかもしれないが。
「お世話になる歌」'09.10/15
歌を作り出した中学生の頃には想像もつかなかったことがある。
ひとつは、自分が老眼になり、ハーモニカのキーが見えなくなったこと。
ひとつは、歌が前のようには多く作れなくなったということ。
ひとつは、こんなに自分の歌にお世話になってるということ。。
数曲だけ歌うようなライブがあると、何を歌うが迷ってしまうが、
あの歌、この歌と、それでも出てきて、なんとかなる。
その歌を作ったのは自分ではあるけれど、自分の作品でないような感覚がある。
お世話になる人っているけれど、自分にお世話になったという事を言う人は少ない。
それなのに、僕らは自分の歌にこんなにもお世話になってしまう。
鶴の恩返しならぬ、歌の恩返しか。
いや、歌の方では恩を受けたと思っていないだろう。
あの歌、この歌と、ひたすらに僕らにつくしている。
ありがたやありがたや。
「ベンチとやってくる歌」'09.10/13
先日、地方のライブ喫茶で、夜更けまでみんなで唄った。
もちろんみんな帰れないので、そのまま雑魚寝になった。
次の朝、遅くに起きるとそれはそれはいい天気で、
外に出れば山々の見える景色であった。
喫茶の入口の横には、古いプラスチックのベンチがあった。
ひと休みがてら座ってみると、ぐらっとかしいだ。
ちょっとバランスをとって、ちょっとひと休み。
雑魚寝していた歌い手たちは、もうそろそろと起き出していて、
ふわっと、散歩に出かけてきていた。
僕はベンチの端に座って、何かを待っているようである。
今ある、この世界中のどこからかやって来たものが、隣に座ることもあるだろう。
それは昨夜聞いたミュージジャンとか、その歌とか、僕の唄った歌とか、古い友達とか。
僕はそれと同じくらいに、このベンチで未来からの歌をそっと待っている。
まだこの世界のどこにもない歌。
でも、その歌が来るためにベンチの端で待ってみるのだ。
「地球ゴマの向かうところ」'09.10/11
帰り道を歩いていて、感じたことがある。
なんだか自分の中で、地球ゴマが回っているような感覚があった。
路地を曲がり、また曲がり。。水平を保ち。
ここ数年のことだけれど、回りでいろいろな気になることがあっても、
そんなに気にしないようにしている。
気にしたら、きりがないと思えるからだ。
なんだか、それがね、大きな磁気のような気がするーんだよね。
大事なことは、自分の地球ゴマが、きれいに回っていることだ。
強力な磁場で、迷いが出てきては自分が歩けなくなってしまう。
地球ゴマはその場で回り続けているけれど、
きっとどこかに向かっているんだと思う。
まったく、うまく、表現することは出来ないのだけれど。
そのどこかに向かっている自分の地球ゴマを、
「ニューバーグ2」'09.10/9
先日、高円寺のニューバーグついての話を書かせてもらいました。
もうちょっと思い出したことを、少し。
南口、あずま通りの入口にあったニューバーグの店によく入った。
おじさんがコックさんで入っている、'70年代のかおりたっぷりの店であった。
夕飯時に行くとそれなりに多くお客さんが入っていて、僕は奥のカウンターに行く。
そうそうニューバーグはカウンターだけの細長いお店なのだ。
カウンターの奥の方に行くと、オープンキッチンなので、作る様子がよくわかった。
注文をして待っているお客さんは何人もいるわけで、それに最大限に答えているわけだ。
ハンバーグをあっためるガス台は三台あったかな。
器用に、いろいろ作ってゆく。感心しながら眺める僕。
さて、肝心なことは、僕のバンバーグはどれかということだ。
(あれかなー? ちがうかな?そうかなー?)
そんなことを思いながら見つめる。じっと。
(あれかなー? ちがうかな? そうかなー?)
すると、カウンター内のお洒落なおばさんが、すっとライスを目の前に出してくれる。
(きたきた!!)
その後すぐ、ガス台の上のハンバーグの鉄板は板に乗せられ、すっと僕のところへ。
あとは食べることに集中。
ニューバーグの良さはオープンキッチンにあり。
「ニューバーグ」'09.10/7
高円寺にニューバーグという、ハンバーグ店がある。
とてもリーズナブルな値段で、お財布の厳しい若者にとっては、
嬉しい限りのお店である。
初めて入ってからもう、25年以上はたっているが、
今でもちょくちょくありがたく利用させてもらっている。
特にランチのお得感は、かなりのものである。
さいしょ、さいしょのころをおもいだしてみる。
お店の前を通りかかり、その値段の安さに足を止め、
少し中をのぞき、入ろうかやめようか悩んだ頃を。
だって、実家の柏崎にいた頃は、ハンバーグ屋になんて入ったことはなかったし、
イメージ的にはナイフとフォークを使って、洋食のマナーがないと、だめかなと思ったからだ。
紙エプロンとかして、、。
それでも、値段の魅力に負けて、扉を押して入った。
まず食券を買うところから始まる。
店内いかにも洋食屋という感じだ、高級感のある曲線形のカウンターに座る。
長くて白いコック帽をかぶったマスターが、作ってくれている。
あのときの僕のどきどき感を忘れていない。
そして出てきたハンバーグには、みそ汁もついていた。
ふつうにほんとふつうに食べられるハンバーグ屋さんだったのだ。
あの最初の気持ちも忘れていないが、
今はワンコインで食べられる気軽なハンバーグ屋という気持ちでドアを開けている。
でも、なんかさびしいな。
いや、さびしいことなんてないんだけどね。
「古いコートを着たうた」'09.10/5
古いクラシック音楽喫茶に入った。
その日は珍しく、東欧の方のボイスの音楽が流れていた。
男性達の。。そのレコードはもちろん古く、かなりのノイズであった。
もしかしたらSP盤の頃のものかもしれない。
教会で録音したようなリバーブ感であった。
喫茶店の店内も暗く、時間や時代のないようであった。
かかっている古いレコードも、録音当時の風景がよみがえるようであった。
しばらく聞いていると、その歌が古いコートを着ているように感じられた。
冬の寒々とした景色の中の。。
もし僕がどこか東欧の町を冬に訪ねたとして、
向こうから来るコートのおじさんたちを、あきずにただ黙って眺めている。
そんなイメージ。
あなたたちは誰ですか? と、尋ねる必要はどこにもなく、
ひとつの永遠性のある風景になってしまっている。
その古びた喫茶で聞こえた歌は、古いコートを着ていた。
そんな現実感。
僕はクラシックの音楽は、ふわっとしかいつも聞けないが、
そのボイスは、あきることなくしっかりと聞けた。
「ギブソンB25」'09.10/3
ギブソン社のB25と言うギターを持っている。
小さめのアコーステッィクギターである。
製造は'63年。僕が中古で買ったのは'90年かな。
'90年から15年ほどは、部屋用、創作用でずっと弾いてきた。
僕にとっては思い出多いギターである。
ここ数年は、ギルド社のギターを部屋でも弾いているけれど、
ときにはB25を出してきて、弾いてみる。
創作中などに、気分転換で。
ボディの大きなギルドギターに比べて音量も小さい。
しかしギブソンらしいサウンドだ。
しばらく弾いてみると、このギターで創作していた15年ほどの日々が思い出される。
朝も夜も弾いていた、ギブソンB25。
ギルドギターを手に入れてからは、音量的に物足りなくなってケースにしまってしまった。
弾いてみると、ひとつの変化が自分にあらわれてきた。
このボディの小さなB25で、ふくよかなまるい音を出すには、
自分がそのサウンドの中に入ってゆくしかないのだ。
ひとたび、そのサウンドの中に入ってみると、
なんとも味のあるギブソンらしい音に感じられることか。
ギルドギターは音が外に出ているので、そんな感覚を使わないでも良い。
創作をするとき、「ギターの音の中に入る」という感覚は大変に役立つ。
書道で言えば、筆を持つ力を抜いて、力強い文字を書くというか。。
書道のことはよくわからないのだが・・。
久し振りにキブソンB25を弾いてみたら、ひとつの感覚がよみがえってきた。
「国語・理科・歴史・地理」'09.10/1
小学のときも中学のときも高校のときも、
勉強は好きではなかった。
特に高校の時の数学なんてすごかったね。
もっとためになる数学もあったろうに。。
さて、あれから30年たって勉学を振り返ってみる。
国語はもっと楽しめたかな。それはわかる。
普通に読書する感覚で。
次に理科と科学。
これも、世界の不思議、おもしろ実験と言う感じで
もうちょっ楽しめたであろう。
さて、歴史。学生時代はほぼ暗記に近かったが、
もっと人間物語を中心に、教えてもらいたかったな。
そしたら、もうちっと楽しいだろうに。
問題は地理。僕は地理はほんと苦手であった。
これは教科書に問題があるだろう。
実際、僕は世界旅行の本シリーズを100冊ほど買ったことがあるし。
地理の授業の中に旅の要素がないんだよね。
旅の驚きとかと地理がつながっていない。それが問題だ。
学校を卒業してから、知識楽しみ本としていろいろ買ったものがある。
勉強嫌いだった僕でさえ買った。
学生時代の教科書は、面白くなくちゃね。
そう訴えても、変わらないだろうな。
「ストーリーSONG」'09.9/29
物語の歌をよく歌っている。
約5分、ひとつのストーリーを最後まで伝えるのはなかなかに大変。
一曲一曲、歌うときに創意工夫が必要だ。
自分もまた、知らないストーリーのように歌ってゆくやり方もある。
それはそれで、歌いきれるのだけれど、ラストの方の歌詞が重くなってしまう。
何回も自分が歌うことを考えると、1番・2番・3番・4番と、それぞれに面白みを出す方がいい。
同じだけの役割を。
それぞれの番が、お互いに呼応して、二倍・三倍にも味が出た方がいい。
日本の昔ばなしを朗読するのがうまい人がいるが、
それはもともと決まっている文やストーリーを読んでゆくわけで、
この場合はもっともっと難しいであろう。
幸い歌詞の場合は、フレーズのひとつひとつが独立しているので、それよりは楽だ。
歌詞の言葉のひとつひとつを全体の中で考え、いくつかの重なりを見つけてゆくのが大事だ。
ちょっとした言葉の伝え方で、それは表現出来る。
そのちょっとした言葉の伝え方で、歌全体が生き生きとする。
何度も何度も、何年も歌っているうちに、自分なりにわかってくる。
5分のストーリーSONGを、きちんと歌うのはそれなりに大変だ。
僕が思うに、今までの自分の人生経験がすべて生かさせる。
ストーリーSONGの奥は深い。
こんなふうに僕がいろいろ言っても、そうでなく伝わる場合もある。
ストーリーの深みが出てくる場合もある。
ウディー・ガスリーもストーリーSONGを多く歌っているが、これがすごくよく伝わる。
ストーリーSONGの奥は深い。
「フォーク定食」'09.9/27
自分のライブ音源を聞いていて思うことは、
フレーズフレーズのギターの弾き方が、実にフォーク魂であふれているということだ。
たとえばロックンロールのギターの弾き方が、ロックンロール魂に呼応しているような感じだ。
僕のギターの弾き方は、日本のフォークというより、もうちょっと世界が広いと思っている。
アコースティックギターの弾き語りというかね。
僕自身がギター一本の弾き語りが好きだし、
ギター一本でバンドに負けない豊かさを出したいと常に思っている。
・・・・・・・・
前置きが長くなりました。
とにかく先日の自分のライブ音源を聞きながら、電車に夕方に乗っていたわけです。
自分のギターのフレーズフレーズのフォーク魂に感心しながら。。
すると新しく乗って来た乗客の中に、フォークギターのハードケースを持っている人がいた。
ちょうど僕の横に立ったのだった。年は22・3歳だろうか。生ひげもたくわえて、
いかにもアコースティックの弾き語りシンガーという感じであった。
きっと、この彼もフォーク好きであるのだろう。
さて、僕と彼とは何がちがうのだろうかと思う。
・・・・・・・・
彼もまた弾き語りをすると思うし、そのギターはそれなりであるだろう。
僕も彼もひとつの食堂にいる。
入って来た彼がメニューを見て「フォーク定食」と注文する。
僕もまたフォーク定食を食べている。
やがて出てきたフォーク定食を彼は美味そうに食べる。
おれはやっぱりこれだと言うように。
さて、彼と僕は何がちがうんだろうと思ってみる。
たぶんそれは、僕がフォーク定食を40年も飽きずに食べているということだと思える。
そういう先輩なんだなと自覚する。まるでいばることではないが。。
・・・・・・・・・
「しゃもじ」'09.9/25
いつも使っているプラスチックのしゃもじが見つからなくなり、
上京した頃に買ったプラスチックのしゃもじを取り出した。
もちろんであるが、どこも壊れていない。
プラスチックだからね。
新しいのはボツボツがついていて、ご飯がくっつかないというしゃもじであった。
最初のしゃもじは30年ほど前に、近くの安売り店で買ったものだ。
ほんの小さなある夕方のこと。
すっと、しゃもじを手にして。
もしボツボツタイプのものを買っていなかったら、今も使っていただろう。
だって永遠に壊れそうもないものね。
ふと気が付けば30年。まだこの先50年はいけるだろう。
しゃもじはなんて、経済的であるんだろう。
しゃもじが売れるとき、それはほぼ永遠を示している。
「マイナー名曲ライブラリー」'09.9/23
そんなテレビ番組、やってくれないかな。
深夜12:00くらいでいいから。
世に知られていないマイナーな名曲を紹介するという番組。
その週に登場した一曲の歌い手が次の週の一曲を選ぶ。
番組の構成としたら、司会者(男女)が挨拶。
前の週の一曲の歌い手が次の一曲を選ぶシーンから始まり、
そのシンガーを探してライブを尋ねてゆく。そしてインタビュー。
お客さんや友達、お店の人にも、選ばれた一曲についてコメント。
後日、アーティストからその一曲のCDーRをスタッフが受け取る。
その音源を、いろんな歌い手やアーティスト、街の人、先生、いろんな職業の人に聞いてもらい、
率直な感想をもらう。
その後、その一曲をどこか好きな場所で歌った映像が流れる。
歌詞の字幕付きで。その映像はYouTubeにアップ。
「缶コーヒーはどこへ行く」'09.9/21
仕事がら、外で自販機の前に立つことは多いが、
ここ最近の缶コーヒーのネーミングのサブタイトルには驚くべきものがある。
いろいろありすぎて、さっぱりわからない。
なんとか微糖とかね。リアルなんとかとかね。
なんとか自販機のボタンを押してもらおうと必死なのであろう。
それはみな本当なのか。
一度全部の缶コーヒーを並べて、缶コーヒー会議をしないといけない。
飲み比べて、その違いを確認しないといけない。
あっ、なるほどねっと、思えなくてはならない。
僕が特に驚いているのは、ひとつのメーカーでいろいろ缶コーヒーの種類を出していることである。
僕も一応、いろいろ飲んでみたけれど、なんとなくそうかなと思う程度である。
脳はもう缶コーヒーの味に関しては混乱している。
ひとつの缶コーヒーを飲んでみても、その半分くらいまでは、味を認識できない。
たとえば贅沢微糖といわれても、どう贅沢なのか、脳は混乱したままだ。
缶コーヒーを半分飲んだくらいから、もう脳は味を比べることをあきらめてしまう。
「続々・ふぉーくの虫」'09.9/19
先日の友人のライブで、素晴らしい楽曲を聴いた。
なかなかそんなふうな楽曲に出会えるものではないけれど、
出会ってしまうと、すぐに曲も歌詞もおぼえてしまうものだ。
自分の歌よりも、よくはっきりと歌詞もおぼえられる。
それから三日ほどはよく口ずさんでいた。
こんな日々の感じは、なつかしい。
僕のふぉーくの虫も、騒ぎ出したのか、その三日ほどの間に、
新曲のアイデアが四つほど生まれた。
あれだけ最近は、新曲のアイデアに苦しんでいたのに。
そうなんだよ。こんなふうに、良い楽曲に出会うと、
ふぉーくの虫が活発に騒ぎ出すんだよね。
思い返せば、僕は今から10年ほど前までは、歌を次々作っていた。
中学、高校、東京に出てきて、歌の友人たちに出会った頃は、
歌のアイデアがあふれていた。
それは僕が若かったというせいもあるけれど、
素晴らしい楽曲を、次々と耳にしていた頃でもあった。
友達の新曲を耳にしては。。
ここ最近は、歌が作れなくなったと思っていたけれど、
ただそれは「ふぉーくの虫」が、静かにしてだけではないか。
ふぉーくの虫は、素晴らしい楽曲にすぐに反応する。
「続・ふぉーくの虫」'09.9/17
僕が、本格的な健康診断を受けたら、
「ふぉーくの虫が見つかりました」と、報告を受けるのではないかと思う。
そんなふうに、人それぞれに何かの虫がいる。
僕がかつて、一番パワーがきれたとき、落ち込みはしなかったが、
世の中がぎゅーんと狭くなるのを感じた。
自分がどうなってしまうのかとも思えたが、歌に向かうことでなんとか復活できた。
そのときのことを思うと、やっぱり「ふぉーくの虫」のおかげだったのではないかと思えるのだ。
「ふぉーくの虫」もまた、自分の身の危険を感じて、動き出したのであろう。
僕が思うに、どんな虫であれ、そこから復活してゆくのではないか。
その虫はさまざまで、みな自分でも気が付かないことは多いのだろう。
パワーダウンしたとき、その虫が必死に訴えるだろう。
この声を見つけることが大事だと思える。
「ふぉーくの虫」'09.9/15
自分の歌っている映像を観たが、
なんだか、フォークのしぐさであふれていた。
それは昨日、今日、歌い出したようではなかった。
先日のライブの後、ピンと来たことがあり、
また新たな歌の旅が始まる予感がした。
そのためには、大量な時間が必要となるが、
それでも心の半分はそのことを考えている。
それは、ふぉーくの虫が自分の中にいるからではないだろうか。
その「虫」は、いなくなったかと思うと、また復活する。
自分がいやだいやだと言っても、虫が騒ぎ出す。
僕は中学時代から歌を作り続けて来たけれど、
ずっと止めないでいたのは、自分の努力というより、
ふぉーくの虫のおかげではないか。
ありがたい、ありがたい。
こんなふうに「ふぉーくの虫」の効用は多い。
こんななふうに僕にもきっと「むし」がいる。
それは良い虫であろう。
しかし、そんなふうに「虫」がいるとしたら。。
「ひと回り」'09.9/13
友人のインタビューで「ひと回りちがう」という言葉が出てきた。
ひと回りとは年齢のことである。
十二支がひと巡りして「ひと回り」。
たしかにそのとおりなのだけれど、
なんだかもっと「旅の人生」のような意味合いが出てもいいのではないかと思う。
干支のひとつひとつにもっとエピソードをつけて。
すごろくのように、十二支で、またスタートに戻ってくるような、
どの干支からでもスタートするような話を作ってもいい。
毎年の干支がありながら、僕らがそれを意識するのは、年の始めだけだ。
それではもったいない。干支の話を十二ヶ月続けてもいいと思う。
もっともっと実感があるように。
「ひと回り」とは「人生の旅」のようであって欲しい。
12歳、24歳、36歳、48歳、60歳、72歳、、。
「縮んだ革靴」'09.9/11
大事にしまっておいた革靴を、5年振りに出してはいてみた。
(うっ!!)
これがまたびっくりするほど、足が入らないのだ。
過去にはいた回数1回。本格革靴。値段、安めの上。
こんなにぎゅうぎゅうでほんとにはけるのだろうか。
いや、はかなくてはならない。
靴のサイズが小さくないか。裏を見てみると「26」とある。
えーーっ「26」!?
僕の足のサイズは「26.5」である。
「26」を買ったなんて、よほど大きめだったのであろう。
それが5年後には、まさに「26」になった。
嘘はついていない。
これが値段が安めだった原因なのか。
こんなに無理して靴をはいてでかけたなんて、初めてかもしれない。
恐怖というくらいに足が痛い。
縮む革だったから、大きめに作ってあったのかな。
それならそう言ってくれればいいのに。
「僕たちという言葉」'09.9/9
先日、たまたま聞いた歌は、遠いいつかに聞いたことのある歌であった。
18年くらい前に、ライブで友達が歌った歌であったと思い出した。
名曲だったんだなと、今さらにわかった。
その歌の特徴として、18年より前のちょっとした共通なことがある。
それは、なんというかな、宇宙にまで届くような「僕たち」という言葉というか。。
空想の自由な羽というか、大人社会に埋もれなかった子供の宇宙観というか。
それを無くさない精神というか。
全部を含めた「僕たち」という言葉の出てくる歌。
ひとつの「僕たち」の基準。
20年ほど前、その「僕たち」がたしかにひとつの種族のようにあふれていた。
僕は、まるでその世界からは遠かった。
僕にとっての「僕たち」という言葉、5人、6人ほどの人数をさした。
居酒屋のテーブルひとつくらいの人数。
それが「僕たち」という言葉であった。実は今もそうなんだ。
'70年前後にも、独特の「僕たち」という言葉が生まれていた。
僕の言う「僕たち」の言葉は、居酒屋のテーブルの人数であります。
「前歯」'09.9/7
ふとしたことで前歯が少し欠けてしまった。
堅いものをとろうとして、前歯を使ってしまったことが原因だ。
今回はそんなに目立つほど欠けはしなかったのだが、
(ああ、やっちゃった・・)と、思ったくらいで、すぐに気持ちは戻った。
思い出すのは、最初に前歯が欠けたときだ。
あのときのなんとも言えない、情けない気持ち。
二回目も、けっこう悲しかった。
三回目は、堅い物をかんで、欠けてしまった。
今回は四回目。三回目の教訓は生かされなかった。
小さい頃からのくせで、つい前歯を使ってしまうんだ。
また、治すことになるのだけれど、
また、いつか堅い物で前歯を使ってしまいそうだ。
そしたら、また欠けるんだ。
それにしても、このショックのなさはなんなんだろうと思う。
あの最初に欠けて悲しかった気持ちはどこに行ったのだろう。
だからまた、前歯を使ってしまうんだろうな。
「時代劇に想う」'09.9/5
テレビのトレンディードラマでは、なぜか主役はみな、
ハンサムな男性と、見目麗しい女性になることがほとんどである。
それは太古の昔より決められていた法則であるかのようだ。
まあ、視聴率という意味ではしかたのないことではあるけれど、
顔の良い男がいつも顔の良い女性を好きになるところが、
どうも、いつも気になるところではある、、。
やっぱり視聴率が命なのかな。
さて、先日観た、よく「大河ドラマ」と言われる番組でのこと、
戦国武将達の話なのだが、若武者たちが、みなハンサムが多いのだ。
重鎮の武将たちは、個性豊かな俳優たちが演じていたのは、わかった。
それにしても、若武者たちはなぜみなハンサムでなくてはならぬのか。
トレンディードラマであるのならば、理解できるのだけれど、
若武者たちは、ハンサムでなくても良いだろう。
本当は、その逆であったとも言えないだろうか。
プロレスラーのように。。
強い人って、やっぱり野生的であって欲しいな。
時代劇って、本当らしくあって欲しいな。
本当のところは実はわからないのだが、、
「今年のクリスマス」'09.9/3
もうご存じかもしれませんが、
ボブ・ディランがこの秋、クリスマスアルバムを出します。
タイトルは「Christmas In The Heart」。
高校時代から、ボブ・ディランのアルバムは買い続けているので、
もちろん今回も買うであろう。発売は10月中旬だという。
ボブ・ディランは、最近の二つのアルバムが全米一位になっているので、
今回のアルバムもたぶん一位になるのではないかと思われる。
クリスマスアルバムのアイデアは、ボブ・ディラン自身のアイデアだとも聞いた。
もしかしたら、ずっと前から考えていて、その時を持っていたのかもしれない。
その時とは、きっと今なのだな。
楽しみにしているのは、このアルバムがいつもながらのディランサウンドであって欲しいということだ。
ポップスアレンジにはなっていないと信じている。
さすが、ディランだと思いたい。
10月中旬から、僕は電車の行き帰りに、このアルバムを聴くだろう。
ちょっと間が空いて、12月中旬から、またアルバムを聞き出すだろう。
イブの前の日は、また電車の行き帰りに聞いているだろう。
混んでいる朝の電車の中、イヤホンをして。
クリスマスにケーキもたぶん食べるだろうけれど、
BGMは、このアルバムであろう。
今年のクリスマスは、ちょっと違う。
「なさけないこと」'09.9/1
塵も積もれば山となるという。
最近、一週間がたつのが早くて困っている。
目の見えるところにいつもギターは置いてあるのだけれど、
ついつい一週間ほど弾きそびれてしまうことがある。
ちょくちょくは触っているのだけれどね。
ここ数日、本格的にギターを弾いていたら、
こともあろうに、腕の筋肉が痛くなった。
軽いストロークをしただけなのに。
それに、おまけに、コードを押さえる指先が痛くなった。
えーーーーっ????
そんなことはなかったのにな。
ギター弾きを多少なまけていたのが、つもりにつもって、
こんなことになってしまった。
ギターの弦の張りも堅く感じられる。
いつものように感じられない。
ギターの弦が重くて痛いなんて、、。
「あおきしょうねんのうた」'09.8/30
伝記を扱った映画などで、出ているインタビューのシーンがある。
カメラのアングルが斜めになっていて、時代を検証するかのようにその人は話す。
アメリカで撮られた伝記を扱った作品は、ほとんどこのパターンだ。
あまりにも、このパターンが多くて、僕はこれは何なんだろうと思う。
日本の作品だと、座談会みたいに撮るシーンがある。
これはちょっと安心する。
とにかく僕は、あの斜めから撮るインタビューのシーンが肌に合わない。
そして、笑顔もなく、淡々と時代を語る感じもとても苦手だ。
理由はわからないが、とても苦手だ。
いつかの誰かが、そういうふうに撮り出したのであろう。
あの撮り方のどこが悪いの?
僕の母や父が、もしインタビューを受けて、
あの斜めの撮り方だったら、嫌だなっと思う。
僕の中にはない感覚なのだ。
あの撮り方から、一番遠くにいたいと思う。
「ラーメン屋できいたこと」'09.8/28
先日、小さなラーメン屋に入ったら、
ほろ酔いのオヤジさんが、現代の家庭での父親の存在について力説していた。
その中で、このことを一番強く訴えていた。
「給料袋を家に持って帰らなくなったのが、一番の原因なんだ」と。
今ではほとんど、給料は振り込み制になっている。それがだめなんだと言う。
そして父親の働いているところを、子供らが見たことがないことを訴えていた。
その人は、給料袋を以前のように持って帰りたいと言う。
それが大事だって言う。
それが日本を変えるって言う。
それを聞きながら、僕は小さい頃を思い出した。
そうだそうだ、給料袋って両親がもらって来ていたなって。
なんだかね。その通りかもしれないと思った。
子供らが、父親の職場に見学に来る日もあっていい。
「この夏ドアのところに」'09.8/26
この夏、下町を歩いていると、とても目立つ変化があった。
ドアのところに、白い四角いプラスチックのものが下がっているのだ。
ずっと何だろうと思ってきた。
それにしても流行っているなと。何かの印であるのだろうか。
町内の友達の証のような。
ひと月ほど、僕の疑問は消えなかった。
僕の知らないところで、何かが動いている。
こっそり何かがヒットしている。あれはなんだ。
とうとうネット調べて、その正体が判明した。
これが噂の「虫コナーズ」だったのか。
このひと月の間、僕はあらゆる妄想をした。
ドラキュラの出没する町で、にんにくが吊り下げられているような。
ドアドアに吊り下げられている不思議なもの。
♪むしこなーず
ある意味、にんにく効果と似ているけどね。
外国の人が来たら、僕と同じ疑問を感じるだろう。
「爪の復活」'09.8/24
仕事で一日歩いていると、かなり足の爪にも負担がかかる。
特に親指と小指の爪が、、。
靴の中で圧縮されてごわごわになってくるのだ。
爪を切るたびに、なんとか形を整えてきってみるけれど、
爪って不思議なもので、また元の形に戻ってしまう。
そんな繰り返しをもう、15年くらい繰り返していた。
爪って不思議。なぜ元の形に戻るのだろう。
ここ数ヶ月、思いきって、常に爪を切り、
元の形に戻らないように努力した。
それでも、爪は元に戻ろうとしていた。
一度、二度、三度。。
しかしここに来て、ある現象が起きている。
それは、変形した爪がみずから、崩れてゆくのだ。
あれだけ苦労してきたのに。不思議だ。
「タガメ」'09.8/22
子供らがタガメ探しをするテレビを見た。
一日がかりで、やっと一匹見つけた話であった。
僕も小さい頃、水中生物を探しに探していたけれど、
タガメだけは、どこにもいなかった。
どんなに探してもいなかったので、いないものだと信じた。
それなのに、昆虫の水中生物の図鑑では、タガメは堂々と出ていた。
ページの中央に、でかでかと載っていた。
どこに行けばタガメはいるんだ。
小さい頃の僕は、タガメはここにいないとは結論を出した。
あんなふうにでかでかと図鑑の中央に載っているけれど、
会えやしないんだ。
だって、こんなに探してもいないのだもの。
実際のタガメを見たのは、東京の水族館でだった。
幻のようなタガメがそこにいた。
「吉野家の天敵」'09.8/20
牛丼の吉野家にふと入り、ふとテーブルを見ると、
赤い丼を食べている人がいて、何かなと思って見れば、
それは山盛りのしょうがであった。
まあ、吉野家ではしょうが無料なのはわかるが、
どんぶりいっぱいにしょうがをのせるのは、いかがなものか。
昨日も、山盛りでしょうがのせている人を見た。
その人は大きな声で仲間と笑っていた。
僕が思うに、あの人は吉野家に入るたびに、しょうがを大量に食べているだろう。
この20年くらいは、、。
ときどきじゃない。ほぼ100パーセント、毎回そうしているだろう。
只とは言え、のせすぎあろう。
吉野家ではないが、とある九州ラーメン屋でこんなことがあった。
そこは長いカウンターのある店で、昼はとてもにぎわっていた。
僕も座っていると、なにやら旦那さんと奥さんがもめていた。
旦那さんが言う。
「どうせあいつがここに来るんだ。しょうがを隠しちゃえ。もう毎回毎回、、」
奥さんはそれに反対していた。
「あいつは毎回、半分もつかってしまうんだ」と、旦那さんが言う。
その怒りはおさまらない。
その後はどうなったかはわからないが、店主にとっては、
大量にしょうがを使われることは、こんなに腹が立つことなのかと知った。
「ドレッシングの種類が聞きとれないんだ」'09.8/18
サラダを注文するときに、ドレッシングの種類を店員さんがきいてくるけれど、
何と言っているのか、聞き取れないことが多いんだ。
すごい早口で。
たいがい、「ドレッシングは〜か、和風がありますが・・」と言われる。
和風は聞き取れるので、いつも「和風で」と言ってしまう。
和風の前に言っている種類は何か、
なんとかさうざんとか、こうるすろうとか、ふれんちとか、それが聞きとれない。
ドレッシングの種類をきくとき、「和風か、〜がありますが・・」と言って欲しいんだよね。
「〜か、和風」ときかれるのは、突然の英語名で、耳の準備が出来ていないんだ。
それもすごく早口なんだよ。聞き取りずらいこと、このうえなし。
たぶん店員さんは、ドレッシングの種類をきくことが、めんどうなんだろうな。
あの長い発音をすることが。。ほとんどの店員さんが棒読みだし。
言えばいいだろうみたいな感じで。(そうでない人も多いだろうが・・)
もっと、ゆっくりと、「和風か、〜がありますが・・」ときいて欲しい。
なんとかさうざんと言うネーミングも変えて欲しい。
と、いうことで、サラダのドレッシングは、ほぼ100パーセント
「和風」を選んでしまう。
「じゃあ、和風で・・」と答えるけれど、それはただ聞こえていないだけなんだよ。
「ヒットシングルはバンド録音でないといけないか」'09.8/16
'70年代最初の洋楽シングルを、今また聞いている。
どのヒットシングルも、いわゆるバンド録音。
ベースが入り、ドラムが入り、キーホードが入り、コーラスが入り。。
よく考えてみれば、ヒットシングルはバンド録音が普通だ。
音圧があるというか、豪華というか、たっぷり感があるというか。
フォークブームの頃は、ギター弾き語りだけのシングル盤も多かった。
今はあまりそれはなくなった。
僕なんか、今ほとんど弾き語りばかりなので、
アルバム録音となっても、きっと弾き語りか、+αの編成となる予定だ。
それだとやっぱりシングル盤としては、もの足りないのかな。
まあ、シングル盤を出す予定ではないのだけれど。
シングル盤を出す予定ではないのだけれど、、
大ヒットしないかなと、ひそかに願っている。
でも、やっぱりバンド録音にしないとあきてしまうのかなぁ。
でも、個人的には、がちゃがちゃしてないサウンドがいいんだよなぁ。
それではヒットシングルにはならないのか。
シンプルなサウンドのヒットシングルがどんどん出てきて欲しい。
「ジルバップがやって来てから」'09.8/14
.高校三年のとき、アルバイトのお金もプラスして、
SONY のステレオラジカセ「ジルバップ」を買ってもらった。
テレビCMで見ているときから、欲しくて欲しくて、、。
ラジカセも持っていなかったし。
大きなスピーカー、そしてふたつのレベルメーターも僕好みであった。
ジルバップがやって来てから、僕の生活も変わった。
カセットテープ生活が一気に豊かになった。
音も良く、レベルメーターを見るのは最高の気分だった。
そしてなんと言っても、左右の端に付いているマイクで、
自分の歌を録音してきくことが多かった。すぐに録音。
ギターも毎日弾いていたけれど、毎日録音もしていた。
ジルバップに向かって歌うのだ。コタツ板の上に乗せて。
とてもよく録音できた。自分のオリジナル創作テープシリーズも作った。
ジルバップなき毎日は想像できなかった。
高校を卒業する前には、オリジナルの歌のテープを残そうと何本も録音した。
さよならジルパップ。就職で上京したときには、実家に置いてきた。
しばらく使わないでいたら、回転数不良になり、ジルバップは物置行きになった。
それでも、ときどきは会いたくて、物置へ行くと、蜘蛛の巣のようなものが張っていた。
'80年代〜'90年代まで、ラジカセはどんどん巨大化していった。
横に長く大きくなっていった。
今おもっても、ステレオジルバップは、一番カッコよかった。シンプルで。
「ドラマ」'09.8/12
先日観た日本映画は、大変に暗い映画であった。
常に緊迫感があり、笑えるシーンなど皆無であった。
はとんどの会話も、しめった感じであった。
どの人も感情の告白でもしているかのようであった。
まあ、パニックの映画ではあるので、しかたがないのだが。。
それにしても会話が暗かった。
昼のメロドラマでもそうだが、あんなふうに人が常に感情を話すなんて信じられない。
ドラマや映画だからと言われればそれまでだが。。
僕だったら、そんな映画やドラマはぜったいに作らないだろう。
その日本映画や、昼のドラマを脚本家の人たちは、
それなりのテーマを持って作っているのはわかる。
見ていると、その暗いトーンに見ている人たちもはまってゆく。
それで緊迫感が続いているのかもしれないし、
現実感がなくなるのは、ひとつの快感なのかもしれない。
なんというかなユーモアがないんだよな。
「一時(いっとき)」'09.8/10
現代では、1時間が単位になっているが、
江戸の時間ま単位は一時(いっとき)、約2時間だ。
一日を12で分けていたのだ。
一時が2時間。これはいいなと思う。
最近は特に1時間がつのが早くて困っている。
年齢のせいもあるのだろうけれど、休み休み何をすると、
1時間があっというまだ。
江戸の頃は、一時が約2時間。いや、2時間という感覚ではないな、
それが(いっとき)という認識だったろう。
江戸の頃は出かけるにも、だいたい歩いていかなければならない。
何かを買いに出かけるにも、どこかでお茶をしたり、飲んだりするにも、
時間はたっぷりといるだろう。
現代の1時間では、あたふたとしているうちに時間は変わってしまうだろう。
その(いっとき)の間で、ひと息つくひまなどなくなってしまうだろう。
今僕は午後8時すぎに帰ってきているので、就寝まで約4時間ある。
これがあっというまで、何をしようとしても、うまくできない。
これを、江戸の頃の時間のように、(いっとき)をふたつと考えて、
2時間でひとつのことをすると考えたいな。
いっときで、何かひとつのこと。
ふたときで、ふたつのこと。
「蝉の挨拶」'09.8/8
下町の外仕事をしていると、この夏の季節、
蝉がよくマンションの外階段のところに落ちている。
一週間の寿命のせいでパワーが切れてきたのであろう、
その蝉はまだ仰向けで、手足を動かしていた。
ひっくり返ったままというのも可愛そうなので、
一階の古い手すりのところに置いた。
すると、蝉はゆっくりゆっくりと、足を使いながら自分の向きを変え、
目の前の僕の方を向いた。
それからまたゆっくり片方の前足をあげて、僕に手を左右に揺らしたのだ。
手と言うか前足をゆっくりと。。
それはまるで、蝉の挨拶のようであった。
さようならでもなく、こんにちはでもなく、
ひとつの挨拶として。
挨拶とは、手をふることなのだな。
「続・僕らの失わなかったもの」'09.8/6
夏になった。
こんな日は、冷たい物など美味しいものだけれど、
熱いものもまた美味しい。
総武線の電車に乗ったら、中野止まりであり、
三鷹行きをホームで待っていた。
ホームの真ん中には立ち蕎麦屋があり、
熱い蕎麦もいいなぁと、ふらりと入ったのだ。
狭い店の中、そこには若い車掌さんがいた。
そういえば冬の日なんかの朝にも、しょっちゅう車掌さんがいた。
たぶん中野での車掌さんの交代や、中野発の電車に乗るための時間待ちであろう。
食べていると、またもう一人、運転士か車掌さんか、立ち蕎麦屋に入ってきた。
「ざるそばでおねがいします」
その人は、きれいな声で、ざる蕎麦を注文した。
中野駅のホームで、立ち蕎麦を車掌さんが食べるのは、たぶん長い歴史があるのだろう。
夏の日も冬の日も、車掌さんが寄る。僕も三回に一度は、車掌さんを見かけていた。
このホームに立ち蕎麦屋はいつからあるのだろう。
僕はてんぷら蕎麦を食べながら、長い長い時間の流れを感じていた。
'90年代、'80年代、'70年代、'60年代、'50年代、、。
立ち蕎麦屋も多少おしゃれになったが、基本的なとこは同じだろう。
僕は知っている。冬の朝早く、ここに車掌さんが来ることを。
夏の日も、ここに車掌さんが来ることを。
そして車掌さんと車掌さん、運転士の人も来ることを。
「あれがほしいこれがほしい」'09.8/4
若い頃はいろいろと悩んだりするものだ。
それは自分だけではなくて、同世代のみんながそうだったのだ。
今思うと、それらのことにいろいろ振り回されてはいたけれど、
僕にはわけがわからなくて、へえーっとただ聞いていた気がする。
そこに人生というものがあるような気もしていたけれど、
果てしない無限の泥沼のようであった。
ふと振り返れば、「あれがほしいこれがほしい」と、それぞれが言っていた気がする。
それが人生であるかのような、真剣な真顔で。
若者は今も、その世界に住んでいるのだろう。
その事で深く悩む人もいるのだろう。
考えても考えても、無限に終わらないだろう。
「山をあげよう」'09.8/2
僕には得意ではないジャンルの音楽がある。
それは小さい頃に慣れ親しまなかったせいも、理由としてあるだろう。
しかし、ワールド的に考えると、これぞというジャンルはないわけで、
育った環境によって、慣れ親しむ音楽は変わってくるだろう。
ブラジルならブラジルの、、。
故郷の町を歩くとき、見渡すと、いくつかの山が見えていた。
それは僕の故郷の景色だ。
ひとつの山には「オバQ音頭」をあげよう。
ひとつの山には「加山雄三」を。
ひとつの山には「トム・ジョーンズ」を。
それが僕の見ていた、音楽の故郷の景色だ。それらはまさに山のようであった。
僕はそれでいいんだと思う。
山をあげよう。