青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'11.8月〜'11.11月


「中華やの親父」'11.11/29

 中華やの親父はたたかっている。

 それはひと月前のことだが、

 友人と「ニラレバ炒め定食」を注文したら、堂々と「かつ丼」が出て来た。

 「マスター、注文とちがうよー」「あれっ、ごめんごめん」

 結局、かつ丼を食べたわけだが、それはたまたまのことだと思っていた。

 先日のことだが、また夜に友達と訪ね、ニラレバ定食を注文。

 今度はちゃんと出てきたのだが、スープをテーブルにひっくり返してしまった。

 中華やのがんこ親父ももう80歳くらいじゃないかな。遠近感があやういのではないか。

 食べ終わって、代金を払おうとすると、

 「何食べたっけ? オムライスだっけ?」と言う。「ニラレバだよ〜」

 「はい、650円」そう言って、千円を渡すと、

 「お釣り、、いくらだっけ、、?」と言う、、「350円だよ〜」「おっ、そうだそうだ」

 「だいじょうぶすっか??」と、言えば、

 「もう、年くっちゃ、だめだね〜」って言う。

 ・・・・・・

 次の日の午前中のこと。

 外に出かけると、中華やの親父さんが、家から自転車に乗ろうとしてた。

 乗ったのは良いけれど、バランスを崩してそのまま倒れてしまった。

 その一部始終を、後ろから僕は見ていた。

 どうして倒れた、おやじ〜。

 自分が自分の思うようにならないのだな。

 たまたま体調が悪いのだろうか。それならばよいのだが、、。

 でも、はっきりとわかることは、

 中華やの親父はたたかっているということ。


「ハーモニカ」'11.11/27

 いまや2011年も暮れになりましたが、

 ハーモニカは、そんなに進化していない。

 携帯電話やスマートフォンの進化はめざましいが、

 ハーモニカに対する、現代文明の知恵は、ほぼ置き去り状態だ。

 ハーモニカさんは、ハーモニカさんですよと。 

 ギターを弾き語りしながら、なにかほかにするには口を使うしかない。

 まあ、足もありますが。

 いろんな音色を出したいんです。

 いつまでも、同じ音色ばかりでは、哀しいんです。

 では、ハーモニカシンセにすれば、、。

 それもなんだか抵抗があるんです。

 自分で作ってみるか。


「言葉」'11.11/25

 下町を歩いていると、ひとりのおじさんに声をかけられた。 

 その家の二階の人は、今いますか?って、言う。

 僕は「知りませんけど、、」と、答えると、

 おじさんは、二階へあがる階段下より、こう声をかけた。

 「やおやさんがきましたよー」と。

 そうか、おじさんは八百屋さんだったのか、

 それにしても、こんな声のかけかたもあるものだ。

 まちがっていないし、なんだかかっこいい。

 おもわず笑ってしまうし。想像もつかない言葉であった。

 ちょっと探すと、こんな言葉がある。


「川沿いのうた」'11.11/23

 現場から事務所まで、6キロ〜7キロくらいある。

 自転車で、40分以上乗るのだが、その途中、ずっと川沿いを走る。

 ほとんど人に会わない道がある。

 行きは、仕事のことを思っているが、

 帰りはただ走るだけである。約10分ほど。

 誰にも会わないので、いつも唄を歌う。

 最近は、自分のアルバム「30年ブレッド」より一曲選んで唄っている。

 まだ録音して数ヶ月なので、歌詞を憶えているからだ。

 歌ってゆくと、とにかく気持ちがいい。

 ギター演奏もハーモニカもないのだが。

 毎日、一曲は歌えるので、それを録音しようかな。

 風切る音も入っているだろうが、

 えたいのしれない音源が録れるかもしれない。

 キーキーッ、ブレーキの音も入り。


「バンドっていいな」'11.11/21

 先日、友達の飲み屋さんに友達と寄ると、

 ボブ・ディランの'76年のライブアルバム「ハードレイン」をかけてくれた。

 そのアルバムは、僕が高校三年の頃、毎日のように聴いたアルバムなのだ。

 ディランファンであるならば、みんなそうであろう。

 高校時代に聴きすぎたせいか、卒業してからは、ときどき聴いてきた。

 そのライブは「ローリングサンダーレヴュー」と呼ばれ、

 大人数を引き連れて、開放的に、まるで旅の楽団(まさにそうなのだが・・)のように演奏されていった。

 そのライブアルバムは野外で録音されており、その映像もまたテレビスペシャルで放送されている。

 そのテレビスペシャルは僕が高校三年のときに放送され、音源をテープレコーダーに録音した。

 友達の飲み屋さんで、その音源を聴いていると、その音源のバンド演奏の音、ひとつひとつを憶えているのがわかった。

 ディランの声もまた自由自在で、まるで変幻自在なバンド演奏を包み込むような歌い方である。

 演奏陣の中でも、スカーレット・リヴェラのバイオリンが、なんとも良い。

 即興演奏ともちがうのだが、歌にやって来た鳥のように、飛び回っている。

 そしてロブ・ストーナーのベースは、迫力があり、まるで歌のエンジンのよう。

 どの演奏も、その曲に向かって集中しているのがわかる。

 ディランのリードギターもなかなかに良い。

 そこに流れるバンドの音ひとつひとつが耳に残っている。

 今もディランはバンドでツアーを続けているが、こんな感じではない。

 やっぱりこの頃は奇蹟の時期だったような気がする。荒削りではあるが、生き物のような演奏。

 このアルバムがこんなにも良く聞こえてくるのは、僕が聴きすぎているせいか。

 演奏のひとつひとつが、生き物のようにせまってくる。

 バンドっていいな。

 こんなアルバムが作れたら最高である。


「柿の種エピソード」'11.11/19

 柿の種にまつわる、奇蹟のような夜があった。

 もう13年前のこと。僕がこのアパートに引越しをしたばかりの頃。

 ここから歩いて2分ほどのライブハウスで、トイメンシャオという

 ユニット(中村十兵衛、原さとし)のライブがあった。

 このふたりは、当時僕のライブをよく手伝ってくれていたのだ。

 引越し祝いをかねて、ライブが終わってから遊びに来てくれた。

 まだこの部屋の真ん中に丸テーブルがひとつだけあった頃。

 急にドアを叩いてやって来たので、おもてなしの用意も出来なくて、

 お菓子の柿の種があるだけであった。六袋入りパックの。

 テーブルの真ん中のガラスのトレーにまず柿の種をひとふくろ開けた。

 最初は、中村さんが始めたと記憶しているが、

 とにかくボリボリと柿の種を食べ始めたのだ。

 もしかしたらお腹がすいていたのかもしれないが。

 まあ、誰もひとりでいるときは、そんなふうに柿の種を食べているであろう。

 しかし、客人であるときは、おしとやかに柿の種を食べたりしているのが普通だ。

 その夜はどうゆうわけだが、ボリボリと柿の種を食べたのだ。

 中村さんが食べ始めたので、原くんもボリボリと食べ、僕も食べた。

 次々と柿の種のパックを開けて。

 嬉しい夜であった。そして話もはずんだ。

 僕は忘れられない。


「信号機の中の紳士」'11.11/17

 ここ数年で、横断歩道にある赤と緑の信号機が、

 LEDライトのものに変って来た

 例の立ち止まって人と歩いている人が書かれてある信号機

 小学生の頃から、その信号機はあったはずだが、

 そこに描かれて帽子の人のイラストをよく見ると、

 とても味があるということがわかった。

 とくに歩いている人の紳士。

 少し上を見上げたふうで、その手足のバランスもよい。

 立ち止まっている同じ帽子の紳士も実に良い感じだ。

 小さい頃から見続けていてあまり気にしなかったが、

 あの信号機をデザインした人は、とてもセンスのある人だったのであろう。

 信号機の中にほんとに紳士が住んでいるようなのだ。

 あれは信号を守る紳士。

 それが、、

 LEDライトの信号機に描かれている紳士は、たしかに同じ紳士なのだが、

 光りの粒の一粒が、少し大きめで、イラストというより、光の形という感じになった。

 たぶん、以前の信号機の紳士そのままで作ったのであろう。

 たしかに、止まっている紳士、歩いている紳士には見える。

 帽子の部分がかなり微妙になったが。

 そのうち全部、LEDの紳士の信号機になってしまうのかな。

 もともとのイラストの紳士は、味がなくなってしまった。

 またもっと先の未来の信号機のイラストは、また変わってしまうだろう。

 伝言ゲームみたいに。


「だれだろう」'11.11/15

 昨夜は、友達の誘いで飲みに出かけた。

 飲み過ぎてはいないが、帰ってしばらくして眠ってしまった。

 実は目覚ましもかけずに。4時にいつもみっつもかけているのだが、

 そのまま眠ってしまった。大失敗。

 それでも、自然と4時に目が覚めることは多い。そうでないときもある。

 しかし今朝はこんな感じであった。

 おとこの人が耳元でやさしく「もう5時だよ」と言ったのだ。

 誰だろう。

 目をさませば、ほんとに5時であった。


「ライブハウス」'11.11/13

 西荻窪に寄って、歩いてゆくと、

 老舗のライブハウスの前を通りかかった。

 地下に続く黒い壁一面にライブのチラシが所狭しと貼られていて、

 それはいかにもライブハウスという感じであった。

 そのお店にはまだ入ったことがないが、

 すーっと、地下に吸い込まれてゆくようであった。

 降りてゆくと、古い傷のついたドアがあるであろう。

 扉を開けると大きな音が鳴っているであろう。

 それがライブハウスと呼ばれるもの。

 ライブハウスにもいろいろある。普通の喫茶のようなお店。

 階段を登ってゆき、畳が敷いてあったお店もあった。

 普通のビルのエレベーターの乗り、地下に降りるお店もあった。

 壁一面にチラシの貼られたライブハウスは今も多い。

 僕が21才の頃、初めてそんなお店に向かった。

 入口のあの独特な感じ。

 地方から出てきた僕は、驚きながらも、

 これがライブハウスだと思いながら、進んでいった階段。

 これが演劇小屋であったら、もう少しだけキチンとチラシは貼られているだろう。

 ライブハウスならではのチラシの貼り方だ。

 ・・・・・・・・・

 今は2011年。

 太古の昔よりの長い長い時代があり、

 そのときどきに行ける場所があるとする。

 もしかしたらの話だが、僕は何度も生まれ変わっているのかもしれない。

 また、この先の未来も。

 あのライブハウスの階段を見ていると、

 今、生きている時間の象徴のような気がしてくる。

 50年前、そして50年先にはないのではないか。

 ずっーーと、先の自分の魂が、時代を行ったり来たりできるとしたら、

 この階段の前で立ち止まり、懐かしく眺めるであろう。

 このときに起こった出来事を想い出すであろう。


「CDレコードの日」'11.11/11

 ここから近くの小さなライブハウスでは、

 毎週、CDレコードの日というものをやっている。

 「がんがんかけます」と、ボードにも書いてあったりするが、

 訪ねると、なぜかいつもマスターがひとり客席で聴いている。

 店のソファーは大きなからっぽ。

 以前は「レコードの日」の名前だったが、いつしか「CD」が増えた。

 みなさん、毎週、そこで「CDレコードの日」をやっているのですよ。

 それは感謝祭みたいなものでしょうか。

 もったいない話ですが、そこにはマスターがひとり、客席のソファーで聴いているのです。

 僕らがとてもお世話になっているレコードの感謝祭の日に。

 そのライブハウスでは、多くの即興ミュージシャン他、歌うたいが集っている。

 音に命をかけたミュージシャがほとんどだ。

 それなんですけど、レコードの日ことは忘れている。

 みんな自分の音のことで忙しいのであろう。

 その日、小さなライブハウスに来ると、

 伝説のミュージシャンたちがプレイする。そんな日が毎週ある。

 CDレコードの日。マスターはそこにいる。


「PORTERパック」'11.11/9

 電車に乗っていて、

 ドアのそばに立っている男の人の持っているカバンがとても良かった。

 僕が使っていたカバンはすでにこわれ、今は代用のものを使っているのだが、

 なかなか気に入ったカバンが見つからなくて困っていたのだ。

 その人の下げていたカバンは、僕の気に入るサイズと形をしていて、品もあり、

 できれば、そのカバンのメーカーを知りたいと思ったのだ。

 まあ、直接、本人にきくわけにもいかないので、なんとか知恵をしぼってみた。

 電車のドアのそばに立って、降りるときに振り向りむいたついでに、

 カバンについているシールを見ようと思った。

 (まあ、こういうことはあまりないことなのですが・・)

 もし、今をのがしたら、あのカバンのメーカーを知ることが出来ないかもしれない。

 降りるときにチラッと確認すると、シールには「PORTER」と書かれてあった。

 もう、ばっちりである。ネットで検索して、注文しようと決めた。

 家に帰って、ネットで検索してもみると、僕が知らなかっただけで、

 それは、あの有名な、吉田カバンで出しているブランドであった。

 がががーん。

 吉田カバンと言えば、こだわりの素晴らしいバックメーカーである。

 もちろん、そのぶん、値段もそれなりにする。

 ・・・ちょっと今は手が出ない。

 それから三週間ほどして、電車のシートに座っていると、

 斜め前の人のカバンが、好みの形とはちがったが妙に良かった。

 気になって、そのシールを見ればそこにまた「PORTER」の文字があった。

 ううっ。

 そして昨日も、電車のシートに座っていて、斜め前に立っていた女性のバックが良かった。

 まさかと思って、シールを見ると、またそこに「PORTER」の文字があった。

 もう少し値段が安いといいのだけどなぁ。やっぱりいいものはそれなりの値段なのか。

 欲しいが、ちょっとおあずけである。


「自然のリズム」'11.11/7

 100曲録音に挑戦してから、もう約三ヶ月ほどたった。

 まだちょっと疲れが残っている。

 今回は一日に10曲、連続して録音していった。

 録音したものを、後日聴いてみると、自分が思っているよりも、

 リズムが早かったかなぁと思えるものもあった。

 あれぇ、録音したときは普通だったのになぁ・・。

 今、三ヶ月ほどたち、アルバム10曲を、じっくりと聴いてゆくと、

 早めのリズムだったと思えた歌も、なんだか自然のリズムの早さだった。

 一曲一曲で取り出すと、普段とのリズムの変化はあるけれど、

 前の曲との流れでゆくと、ちょうどいいときがある。

 特に今回は、ライブのように続けて録音していったので、

 そうなってしまう可能性は高い。

 やっぱり前の曲のリズムが体に残っていたんですね。

 不思議、不思議なんですよ。

 続けて10曲聴いてゆくと、リズムが自然なんですよ。


「何か湯気のようなものが」'11.11/5

 朝、下町の大通り沿いを歩いてゆくと、

 豆腐やさんから、湯気がもうもうと店から外に出ていた。

 それは火事の煙とはまるでちがう。ゆらっとした靄のようなもの。

 まあるくてほわっとしててゆっくりでおおきくてあふれるようなゆげ。

 もう11月、朝は寒いので、なおさらに湯気は目立つのであろう。

 いつか遠い田舎の朝を歩いたとき、あの湯気を見なかったか。

 ぽつんとある田舎の家から。また何もないような大地から。

 キャンプファイアーの朝にも見なかったか。

 インドの朝の列車に乗っていたとき、窓の外の小さな家々から、その湯気を見なかったか。

 人の気配、大地の気配、朝の気配。

 それは太古の昔もそうだったであろう。朝一番にテレビの音などは聞こえない。

 家々より、湯気のような煙が出ていたのだ。

 あの朝の湯気のような煙のような靄のような形を見ていると、 

 命の形を感じる。

 家の中からあふれ出るその湯気の形。

 朝、僕らもまたそんな形なのではないか。

 それは形のない形。

 そうでないとは、言えないだろう。

 朝、目覚める少し前、僕らはきっとあんな形をしているのではないか。


「僕らの生活に足りないもの」'11.11/3

 新潟の実家で飼われているワンちゃんを散歩している写真を見た。

 夕方前か朝焼けの頃か、柴犬の実家のワンちゃんは、

 ひたすらに地面の匂いをかぎ、電信柱の匂いをかぎ、進んでゆく。

 それはほんとありふれた風景ではある。

 ここから300キロも離れた実家のワンちゃん、インターネットもなく、

 テレビもなく、電話もなく、メールもなく、

 自分の出来ることは、ただ歩き道の匂いをかいでゆくこと。

 すべての判断はそこにある。

 たとえば、綱が離れ、どこか遠くまで行ったとしても、そこからバスや電車に乗ることなく、

 彼は、自分の感覚を信じて、その場所から帰ってくる。

 たとえば、他の動物と戦ったとしても、戦ったという事実から、また帰ってくる。

 自分の記憶や感覚の中を辿り。彼はちゃんと帰り道を知っているのだ。

 歩いた道を外れることなく。

 とても寒い凍り付くような冬であっても、春を迎えたならば、

 その冬からしっかり帰ってきたということなのだ。

 それが彼の生活。それしか出来ないのかもしれないが。

 だから、それを信じて彼は道の匂いをかいでゆく。

 バスに乗って遠くに出かけたりはしない。

 さて、僕らの生活は、そんな帰り道をしっかり持っているだろうか。

 テレビドラマで刑事ものを観る。そのドラマからの帰り道を知っているだろうか。

 インターネットやテレビで遠い異国の出来事を知っても、そこからの帰り道を知っているだろうか。

 太古の人々は、きっと帰り道を知っていたであろう。舟に乗り、遠出をしたとても。

 そしてしっかりと大地に立っていたにちがいない。つながったひとつの時間の中にいたであろう。

 ながいながい時間、きっと僕らは帰り道を知っていたにちがいない。

 明治の現代文明になるまで、、。


「いつか夕焼け雲を見ていた。」'11.11/1

 実家のある新潟・柏崎にいた頃、

 高校一年の頃だったかな、ふと夕方、外に出ると、

 川沿いの道の上に、信じられないほどの綺麗な雲が出ていた。

 地上からとても近い感じで、オレンジ、薄いグリーン、そして薄いパープル、

 そして薄い薄いブルーもまじった、きらきらと光る雲がすぐ近くにあった。

 あんな雲見たことがない。ゴージャスで、古い西洋絵画に出てくるような雲。

 ふと訪れた川沿いに出ていた雲。夕暮れ間近でもあったので、

 あと10分、15分もしたら、陽は暮れてしまうであろう。

 僕はそこに立って、どこへも行かなかった。しっかりと目に焼き付けようと思ったからだ。

 この雲のことはニュースにもならないであろう。あと少ししたら消えてしまうし。

 雲を見上げ立ちつくしていると、少し向こうでも同じように立って雲を見ている人がいた。

 同じようにずっと。

 カメラもなく、ビデオカメラもなく、目にとどめるよりしかなかった。

 だから今だっていつでも、その雲は思い出せる。35年ほどたっているが。

 あれからまだ、あれ以上と思える夕焼け雲にも出会っていない。

 この先も出会えるであろうか。それは不明だ。

 あのとき夕焼け雲は、僕の宝物である。


「果物を食べると眠くなりませんか」'11.10/30

 ここ数年、果物を食べると猛烈に眠くなってしまう。

 リンゴを食べても、梨を食べても、柿を食べても、バナナを食べても、、。

 とにかく眠い。部屋にいたならば、必ず横になってしまう。 

 ほぼ100パーセント。

 普段、あまり果物を食べるという習慣がないので、時々思い出したように、

 果物屋の前を通ったとき、安売りのひと袋を買って帰る。

 久し振りなもんで、がぶがぶっと、何個か一度に食べてしまうんだよ。

 すると眠くなるっていう次第。

 果物には何か眠くなる成分が入っているのであろうか、、?

 僕はいろいろと考ええてみた。

 やっぱり原始の脳が反応しているのではないか。

 日中に出かけた原始の人は果物のなる樹をみつけ、

 その樹の下でまずお腹いっぱい食べたであろう。

 そしてその木陰で横になった。いつも。

 僕はよく弁当を食べるが、弁当はどこかやっぱり現代的だ。

 チャーハンも現代的だ。酢豚も現代的だ。

 脳は原始の頃を想い出すことはきっとないだろう。

 しかし果物をほうばるとき、脳はおもいっきり原始を想い出す。

 これだ、これは合っていると。。

 だからきっと眠くなるのだ。

 果物を食べると眠くなりませんか、、?


「スズメが飛ぶのを観ていると」'11.10/28

 電動自転車で走っていると、

 あまりのスピードの速さのせいか、二羽のスズメが驚いたように、

 道から飛び立って自転車そばを抜けていった。

 タイヤの高さよりも低く、そんな状況であっても、二羽はお互いを意識しながら。

 その飛び方ときたら、必死というかね、予測もつかないというか、、。

 それでいて、時間や空間のすきまを飛んでゆくような、

 何か飛ぶことを極めているようにも思われた。

 ぎこちなくたって、へたなんかじゃない。アマチュアなんていうレベルとはちがう。

 ツバメも飛ぶことを極めているが、スズメたちもまたきっと極めている。

 ときどき屋根から真下に飛び降りてくることがあるが、あれはすごい。

 スズメが飛ぶのを観ていると、僕や僕らがつかんで来たものをそこに感じる。

 大きなものがやって来たとき、すっとかわす能力、空間に見つけるすきまの道。

 僕が電動自転車で通ったとき、二羽のスズメはよろけ飛びながら、

 ひとつの場所へ、二羽で飛んでいった。

 枝にとまり、こんな会話をしただろう。

 (おもったより、はえーな、あいつ、、あぶなあぶな・・、チュンチュン)

 (おまえもやるな、チュン、、おまえもな、、チュン)


「柿の実がなっていた」'11.10/26

 下町を歩いていると、大きな柿の木に

 柿の実がたくさんなっていた。

 数えたわけではないが、150個以上はなっていただろう。

 柿の実って、あんなになるものなのか。

 あれだけ柿がなっていれば、ひと冬は柿だけでも食べていけるかもしれない。

 柿料理ってないものか。柿鍋?

 干し柿にしておけば、相当に持つであろう。

 一本の大きな柿の木があれば。。

 村じゅうの人が楽しめるであろう。

 腹へれば、柿を食べて。

 すごいな柿の木って。

 春夏秋冬と、それぞれに実のなる木を持っていたいな。

 自然って素晴らしい。

 木のそばで暮らしたい。 


「なにか鯛焼きのようなものを焼いた」'11.10/24

 ギターを持てば、すぐさまいろいろと弾くことが出来る。

 今でも、すっと出てくる歌のメロディーは、中学・高校の頃に憶えた歌が多い。

 今も体にしみているのだなとわかる。

 中学・高校の六年間は、フォーク、そしてギター、ボブ・ディランの日々であった。

 歌を憶えるにしても、スポンジのように吸収していった。

 高校を卒業する頃には、今とほぼ同じくらいにギターも弾けていた。 

 その六年間に憶えた歌や演奏は今も、忘れているということがない。

 くっきりはっきりと自分の中に焼き付いている。

 いつだって、そこからメロディーや演奏を取り出すことが出来る。

 あの頃にしばられているとも言えるが、サイコロを振れば、

 その頃の歌がほいほいと出てくる。

 あれから30年もたっているのに。

 僕はきっと、ギターを持つたびに、あの頃に戻っている。

 僕自身もこんなふうになるなんて思ってもみなかった。

 そんなばかな話がというかもしれないが、それはある程度、事実ではないかと思う。

 中学・高校の頃はとても大切だ。

 なにか鯛焼きのようなものを焼いている。


「すごく眠かったのは」'11.10/22

 昨日はお休みで、ほんとのんびりとした。

 お昼前に駅まで出かけた。

 本屋さんに寄り、それから自分としたら少しぜいたくな寿司ランチを食べた。

 ほんとうまかったなぁ。とろけるほどに。

 そのあと、1000カットの床屋で髪を切った。

 帰りには、せともの店で、いい感じのうどん茶碗を買った。

 店内は古い匂いがした。

 ちょっと歩いた先の八百屋さんで富有柿をひと袋買った。

 そしてビデオ屋により、時代劇のDVDをあれこれ探した。

 探し観ていると、髪を染めたロックおじさんが隣で観ていて、

 そばにいると、くらくらする匂いがしていた。

 髪の毛からか、革のジャンバーからか、年代もののジーンズからか、

 それとも二日酔いであったか。

 部屋に戻り、柿を食べながら、モノクロの時代劇を観ていると、

 大変に眠くなった。その眠さは尋常ではなかった。

 落ちてゆく眠りの中で、その原因を思った。

 ふだんは行かないぜいたく寿司を食べたからか。

 1000カットの床屋に行ったからか。

 富有柿を続けて食べたからか。

 瀬戸物屋の古い匂いをかいだからか。

 時代劇のDVDをあれこれ探したからか。

 あのロックおじさんのクラクラする匂いをかいだからか。

 モノクロの時代劇のDVDを観たからか。

 わからん、もうわからん、、ねむすぎる。。


「私のカレー論」'11.10/20

 私はカレーが好きだ。

 食堂やカレー屋でカレーを食べるとき、大きくこだわっているところがある。

 それは、、

 無心でそのカレーを食べたとき、ライスがちょうど一緒になくなることだ。

 よくカレーが先になくなり、ライスが余ってしまうことがあるが、

 それはよくない。

 無心で食べたとき、ちょうど一緒にカレーとライスはなくならねばならない。

 すべて、僕の基準であるが、、。

 それを私のカレーの基準としている。

 どんなに美味しいカレーであっても、ライスが余ってはいけない。

 基本、私は美味しいカレーは無心で食べる。

 スープに近いカレーもあろう、野菜などでごろっとしたカレーもあるだろう。

 コックさんよ、無心で自作のカレーを食べてみて欲しい。

 ライスとカレーも量は気にせずに。

 一緒になくなれば、それでよし。

 ライスの量を気にしてしまうようでは、だめです。

 その瞬間に現実に戻るのです。

 10人、100人と食べてみれば、おのずとライスとカレーの関係は見えてくるはず。

 カレー好きは無心で食べる。

 ライスが余ってはいけません。


「古ぼったい話」'11.10/18

 古い小さな靴屋さんが、下町の通り沿いにある。

 いつもシャッターが半分、そしてその半分がしまっている。

 その靴屋さんのことを、僕はここ20年ほど知っている。

 今はおじいさんひとりが住んでいる。

 昨日、諸用で、その靴屋さんに声をかけた。

 店内の靴はみなもうほこりがかぶっていた。

 数年ほど前はちゃんとお店も開けていた。

 それ以降も、きっと声をかけられれば、

 靴を売っているのだろうと思っていた。

 しかしこれではもう売り物にはならないであろう。

 店の奥のくらい部屋から、おじいさんがゆっくり出てくる。

 ずいぶんと年もとった。

 シャッターをもう少し開けていれば、それでも靴は売れるだろうに。

 もう売るという気持ちもないのかな。

 そして僕にはこんなふうに思えた。

 この売れ残った古い革靴たちも一緒に、

 おじいさんは連れてゆくつもりなんじゃないかと。

 ここまで来たら。

 愛情のすべてで包むように。


「今、犬を飼ったら」'11.10/16

 僕は高校を卒業するまで犬を飼ったいたが、

 基本、ワンチャンは家の外にいるものであった。

 もしくは、外につながった家の一番はしっこに。

 そしていつも犬小屋にいるものであった。そこで吠え、

 その犬小屋にアゴを付いて待っているものであった。

 我が家では、昔からそうであったから。

 僕はそれでも、その家訓を破り、ワンチャンを部屋に上げたりした。

 中型犬のそれも小さい方だったせいもある。

 ワンチャンにとってはそれは幸せの時間だったであろう。

 しかし、基本はいつも外とつながった家の裏にいた。

 そこで待っていた。待っているのがワンチャンだった。

 上京した以降は、僕は犬を飼っていないので、30年は飼っていない。

 今、もしまたワンチャンを飼うとしたら、

 僕はワンチャンを待たせる事が出来るだろうか。

 かと言って、小さな室内犬は、どうも苦手。

 そして中型犬をずっと部屋で飼うというのも、なんだか好まない。

 ワンチャンは、犬小屋にいるものであったから。

 ワンチャンには、会いにゆくものであったから。

 もしひとり暮らしだとしたら、きっとそれには耐えられないだろう。

 ワンチャンには部屋のどこかで、そっといて欲しい気持ちが大きい。

 ひとり暮らしなのに、僕は部屋、ワンチャンは外、にはきっと耐えられない。

 今、犬を飼ったら、、。

 僕のこころも弱くなった。


「ワンチャンを見て思ったこと」'11.10/14

 自転車で走っていると、そこから散歩に出ているワンチャンを見える。

 トコトコと歩き、道に集中していた。

 ワンチャン、ワンチャンと言えば、僕も実家で飼っていた。

 あのワンチャンは、僕を主人と思っていた。

 家の裏で飼っていたが、夜中、トイレに起きると必ずお座りをしていた。

 暗闇に光るワンチャンの目。僕はそばに行った。会いに行った。

 どんな夜遅くとも、真冬の夜でも、あのワンチャンはトイレに行くたびに、

 そこでお座りをして待っていた。愛に応えていたのだろう。

 ・・・・・・

 僕は今、部屋を片付けなくてはならないという強迫観念に襲われている。

 しかし、あのワンチャンたちは一生の間に部屋を片付けることはきっとないだろう。

 銀行に行って、カードでお金をおろしたりもしないだろう。

 不器用と言えば不器用であるが、愛にはちゃんと答える。

 それは出来る。部屋は片付けられなくても。

 僕の人生もそれと似てる気がした。


「100から出発」'11.10/12

 物があふれせまくなった部屋をどうにかしようと思っている。

 本気で。

 よく「ゼロからの出発」と言うが、

 これはなんと呼べばいいのか。

 「100からの出発」?? 飽和状態からの出発。

 今が100パーセントだとしたら、

 99パーセント、98パーセント、97パーセントと減ってゆく。

 やがては、まともな部屋に戻ってゆく。

 60パーセントを理想として。

 これは部屋からの片付けの話であるが、

 こういうことはよくある。

 飽和状態からの脱出、100からの出発。

 ゼロがあるなら100もある。

 ♪♪人生100ありゃ〜ゼロもある〜


「鏡の中」'11.10/10

 先日、姿見の鏡をもらって来た。

 中学・高校時代は、よく鏡を観たものだった。

 自分がギターを弾いている姿を。

 まるでデビューアルバムのジャケットを見るような気分で。

 鏡の中でギターを弾く自分は、

 公民館でコンサートをやっている。

 日本武道館で歌っている。

 テレビ出演をしている。

 スタジオを録音をしている。

 路上で歌っている。

 鏡の中にそんな夢を見た。

 もらってきた姿見の鏡の中に、ギターを持つ自分がいる。

 それは思い描いていた、未来の自分だったろうか。

 いや、鏡を今、のぞいてみると、そこに映るのは、、

 中学・高校のときの自分である。

 意外でしたな。


「礼節」'11.10/8

 この一週間、宮本武蔵の劇画を電車の中で読んでいる。

 自分はもう老眼で、細かい字が読めないので、

 メガネを外して、本を近くして読んでいる。

 その方が集中できるということもある。

 昨日は電車のシートに座り、本を顔の間近にして読んでいた。

 もう最後の章になっていて、巌流島での佐々木小次郎との決闘を読んでいた。

 宮本武蔵と佐々木小次郎の集中力はすごいものである。

 その二人のようには僕はなれないが、その本を読む集中力だけは同じ気持ちである。

 本の表紙には、でかでかと宮本武蔵の墨文字が書かれ、

 宮本武蔵のイラストも描かれていて、すぐに何の本を読んでいるがわかったであろう。

 そんなことはかまわない。これは「礼節」なのだ。

 我もまた気を集中す。

 電車のみんなはそんなに興味はなかったかもしれませんが、

 本のタイトルを見て納得されていたでしょう。

 


「よろこぶというかんじ」'11.10/6

 秋の交通安全週間になり、

 朝の横断歩道のところに、旗を持ったおじさんが立っていた。

 そこを通る何人かの小学生の男の子。

 「おはようございます」

 そして男の子は、こうきいた。

 「ねえ、よろこぶというかんじ、どうかくの?」

 「よろこぶというかんじはねぇ、むずかしいよ」

 そこを自転車で通る僕がこころで叫ぶ。

 (おじさーん、よろこぶというかんじは、かんたんだよー)


「夜闇と布団」'11.10/4

 たいがいはすぐにぐっすりと眠ってしまう。

 それでも、ときどきは眠れなくて目を開けててしまう。

 部屋は暗い、その闇。とくに空気を黒く塗っているわけではない。 

 その闇は、今も昔も変わらないであろう。

 10年前も、100年前も、1000年前も。

 そして布団。

 布団の歴史は、江戸の頃から続いているという。

 今よりももっと重たい布団だったかもしれないが、

 布団だったこことには変わりがない。

 部屋の闇と布団、それは、江戸の頃から同じ。

 その昔の人々も、眠れない夜は布団から闇を見ていたであろう。

 眠れないときは、その遠い想いを感じてみようと思う。

 もしかしたら昔の人々も、布団と闇を見て未来を思っていたかもしれない。

 眠るときは、そんな時間がある。


「惜夏の日々」'11.10/2

 今年の夏も長かった。

 そして今はすっかり秋となった。

 しかし、まだ暑い日もある。

 夏の日々は、部屋に戻ると冷房も効いていないので、

 むっと暑く、すぐに上着を脱いでTシャツとなった。

 夜、眠るときはもちろん毛布一枚であった。

 アイスもよく買った。部屋に戻るときはジュースを自販機で買って帰った。

 暑い日が続いていた頃は、暑いのは沢山だと思っていたが、

 いざ少し涼しくなると、ちょっと夏が懐かしくなってしまう。

 そんなに部屋が暑くなくとも、つい上着を脱いでしまう。

 アイスを買ってしまう。ジュースを買ってしまう。

 夜は、毛布一枚では寒いなぁと思いながら、眠る。

 それも倒れるように眠る。

 つい冷房をつけてしまい。またすぐ切る。

 本格的な秋になる前に、去る夏を恋しく思ってしまう。

 たしかにそういう時期がある。

 まだ呼び名はないが。

 たしかにそういう時期がある。


「老眼と発見」'11.9/30

 ほんと、ここ最近、老眼で困っている。

 小さい文字も含めて、本を読むときは、

 ほとんどメガネを外している。

 メガネをしてて、15センチくらい近づくとピントが合わない。

 だから、いつもメガネを外す。

 すると、5センチくらい近付いてもピントが合う。

 これはもうしょうがないのか。

 さてさて、みなさん僕は今日発見しました。

 メガネを2センチくらい前に離すと、

 なーんと、文字とピントが合うのです。

 発見、発見!!

 でも、目には良くないかもしれませんが。

 そういうメガネのフレームを作ってください。


「タイムスポット」'11.9/28

 先日のこと。駅の階段を降りて改札口へ向かったとき、

 ふと、未来のような今のような、事実のような予感のような、

 そんなイメージがひとつ、ふいに頭をよぎった。

 ・・なるほど、そうだったのか、、と。

 それは今につながった未来のことである。

 その感覚は、考えて来た数学や理科の問題が、すっと解けたような感じ。

 あっ、わかった、、と。

 少し近い未来、またこの駅の階段を降りているときに、想っていることを、

 先に感じてしまったような。

 未来のイメージ。それは感じることはとても大切だ。

 とっぴょうしもないイメージではない。

 今とつながった、謎解きのようなイメージ。

 それはもう今から始まっている。

 ずっとたったある日、今を見返すと見えてくる、そんなつながり。

 駅の階段を降りてくるとき、ぱっとひらめくことはよくある。

 たぶん、そこは僕にとって「タイムスポット」。

 一瞬、一時、未来の自分が、今へとそんなことを想っている。


「飛脚のように」'11.9/26

 今、電動自転車に乗って、片道5キロ以上の道を走っている。

 いろんな道を試しながら、一番安全で早い道を見つけ、

 ここ三ヶ月は途中まで同じ道を走っている。

 これが早い早い。電動自転車なので、ほとんど疲れないし。

 同じ道を一日に二回通り、それを三ヶ月も繰り返すと、

 道のとても小さなことまでわかってくる。

 それでまた、安全にスピードアップできる。

 あまりに電動自転車が軽やかなので、

 まるで自分が飛脚になったような気がしている。

 走ることを極めた人のように。

 場所から場所へ走る。

 見ているみんなは、飛脚の走りに驚いたであろう。

 きっと、今の僕の自転車走りも、みんな驚くのではないか。

 道を熟知して走るその姿は、まるで飛脚のようだと。


「見えないダンサー」'11.9/24

 音楽するとき大切なのは、見えないダンサーを感じること。

 と、いつも僕は思っている。

 歌い出すとき、演奏するとき、そこに見えないダンサーが現れる。

 曲ごとに。

 ゆっくりとしなやかに踊るんです。バンドの演奏に添って。

 唄の感情に添って。 

 何が大事かって、そのダンサーですよ。

 唄の精ですから。

 ・・・・・・

 先日のことだが、古い音源を聴いた。

 途中で大御所と言われる人がリードギターを弾くが、 

 どう聴いても、唄と合っていない。リズムも流れも。

 他の曲の演奏と一緒であった。

 時代もあります。それで大丈夫だったんですよね。

 今なら小学生でも、おかしいとわかる。

 大御所ですから、その録音された音源に対して、誰も何も言わないでしょう。

 そのギターが合っていないとは。そのままレコードになったわけです。

 他のメンバーはすべて、その曲と合っているのに、大御所だけが合っていない。

 あれでは、ダンサーは踊れない。うなだれてがっかりしてしまう。

 大御所はダンサーではなく、ギターの指板を見ていたのであろう。

 盛り上げればいいというわけではない。


「ほこらに止まる」'11.9/22

 いつも40分ほど自転車を走らせて、事務所より現場に向かっている。

 その途中のほんの小さな道に信号機があり、そこに古い「ほこら」がある。

 毎日、花も替えられお供えものもしてあるので、土地の人々に愛されているのであろう。

 僕はただ、信号待ちでその「ほこら」の横に自転車で止まるだけなのだが、

 その時間が今、自分にとって大切にものとなっている。

 何をお願いするわけではない。ただチラッと眺めるだけ。

 それでも、古い木のほこらの隣に自転車で止まる。

 江戸時代の「ほこら」であろう。

 時を戻り、また戻れば、ここから見えるマンションも商店もない。

 土道があり、この「ほこら」がある。

 その古い「ほこら」の横に自転車で、毎日止まる。

 それはとてもよいことだ。

 今日の僕はどうでしたか。

 自転車はすーと、ここで止まる。

 まるでトンボがここで休むように。


「いつも思うこと」'11.9/20

 先日買った、ドリップ式簡易コーヒー。 

 カップの上に紙を広げてお湯を注ぐというものだが、

 そのドリップの紙を広げる方法が何度やってもうまくいかない。

 説明書きも見て、そのとおりにやっているのだが、うまくいかない。

 ただよく読んでいないだけかもしれないが。

 僕が出来ないのだから、みんなも出来ないのではないかな。

 制作者は「こんなに簡単じゃないか」と、言うかもしれないが。

 ぱっと見てばっとやって出来ないものは、やっぱり難しい。

 コンビニエンスストアーのおにぎりも、よく失敗する。

 三回に一回は、のりが切れてしまう。

 急いでやりすぎなのかもしれないが。

 一度、各コンビニ会社のおにぎり担当の人におにぎりをあけてもらいたい。

 あのドリップ式簡易コーヒーを作った会社の社員の人に、何も言わずに、

 あのコーヒーをカップにセットしてもらいたい。

 ぱっと見て、さっとやって、何度も失敗するものは、やっぱり無理がある。

 いつもそう思う。


「江戸の頃」'11.9/18

 こんなに50年があっといまとは思わなかった。

 歴史のことを思うとき、明治・大正・昭和・平成と、

 明治維新以降の映像は残っているので、リアルに感じられる。

 それに比べて、映像のない江戸の頃は遠く感じられる。

 しかし、それは本当だろうか。

 テレビドラマで、あれだけ再現しているので、かなり身近な時代となっている気がする。

 ヨーロッパでは、もしかしたら、歴史をくぎりなく意識しているかもしれない。

 江戸の頃は長い。300年もある。

 しかし、手にとるようにわかってもいいのではないか。

 明治以降のことばかり、集中的に憶えないで。

 映像ならたっぷりある。

 これは意識の問題なんだよね。

 まるで見てきたように、江戸を思い出してみたい。

 そのためには、、

 いろんなドラマを作って欲しい。

 将軍とか、捕り物ではないドラマを。

 主人公がふつうの人のドラマを。生活のあるドラマを。

 いつの頃に、こんなことが生まれたと。

 それを知ることは大切だ。


「かあちゃんの風景」'11.9/16

 昨日、仕事からの帰りがけに、

 喫茶店のウインドウより母子を観た。

 向かい合いスパゲッティを食べていた。

 それがひとつのママの風景になるだろうなぁ。

 喫茶店とスパゲッティ。

 母子の風景。

 自分の場合は、中華屋でのラーメンである。

 実家にいた頃は、一年に数回しかお店のラーメンは食べなかった。

 それも呼び名は「ラーメン」ではなく「しなそば」だ。

 贅沢をするときは「しなそば」であった。

 どこかに出かけた帰り、かあちゃんと「しなそば」を食べた。

 それは想い出深い、かあちゃんの風景。

 ラーメンと言ったら、今でもしょっちゅう食べている。

 昨日だって、とんこつラーメンを食べた。

 なにげない食事のひとつだ。

 しかし、かあちゃんと食べたのあの「しなそば」は味がちがう。

 とても品があり、高級感のある味だ。

 一杯のラーメンですが、それは贅沢の味だった。

 それはたっぷりとあり、お腹いっぱいになった。

 現代ではスパゲッティやハンバーグなのかな。

 あのスパゲッティはどんな味。


「ジョルジュ・ムスタキ ライブ イン ジャパン」'11.9/14

 昨日も、久し振りに

 「ジョルジュ・ムスタキ ライブ イン ジャパン」のアルバムを聴いた。

 1973年録音のアルバム。

 一年ほど前に買って、何度も聞いたことはあるけれど、

 半年振りくらいに聴いてみると、シンプルでありながらも、たいへん味わい深いと思えた。

 フランス語なので、直接の歌詞はわからないのだが、

 日本のフォークや、僕らの歌とはちがうものを感じた。

 シャンソン??

 バンド編成での録音で、ムスタキのギターの他、ウッドベース、フルート、ギターと加わっている。

 シンプルな音づくりではあるが、充分に楽しめる。

 たぶん何度も何度も演奏して、同じフレーズを加えてくるのだろうけれど、

 あきさせない何かがある。 

 ムスタキの歌い方にも、ムスタキのギターにも、メロディーにも。

 歌ではあるけれど、語りにやっぱり近い。

 一番一番は六行くらい歌詞である。

 それを人に伝える、語る、歌うということをするとき、

 ムスタキは静かに語り始める。小さな展開、そして盛り上げ、

 そして最後では、ちょっとおちゃめなメロディー。

 それだけではないが、ひとつの語りとして、人柄が出ていると思われた。

 やさしさがあるというか。会話的というか。

 バックをつとめるミュージシャンも、それに合わせるように会話をしているようだ。

 くやしいけれど、このアルバムはいい。

 ジョルジュ・ムスタキレストランに入った。

 何気なく出される料理。

 くやしいけれど、このアルバムはいい。


「手紙エピソード」'11.9/12

 1994年のこと。北海道ツアーに行く前、新曲を作っていた。

 「手紙」という歌。

 一度作り、グッドマンライブで歌ったが、あまりにだめであった。

 今も歌っている「手紙」と同じ歌ではあるが、作り直す前のこと。

 現在は二番の歌であるが、作ったときは三番まであった。

 それも一番の歌詞と曲の長さももっと長かった。

 一度作り、そして歌い、だめであったので、普通ならボツ歌にするところだ。

 しかし、手紙にはよいフレーズがあって、

 どうしても、歌えるうたとして完成させたかった。

 北海道ツアーにゆく前日まで、書き直していたが、だめであった。

 飛行機の中でもレポート用紙を出して、歌詞を書き直してみたが、だめであった。

 何かが足りない。何が足りないのか。どうしても中途半端な歌になった。

 もうここまで来たら無理なので、いいフレーズはあるけれど、ボツにしようと思った。

 ツアーから帰って来て、しばらくしてから、それでももう一度「手紙」に向かってみた。

 むずかしい歌だったので、説明みたいだった三番の歌詞をごっそり抜き、

 一番一番の最後についていた、これもまた説明みたいだった二行の歌詞も抜いた。

 すると、歌は完成した。

 何、手を加えたりしたわけじゃない。ただ短くしただけだ。

 3分くらいの歌になった。たぶん、この歌は4分5分の歌ではなかったのだ。

 「手紙」は、僕のレパートリーの中で、新しいタイプの一曲であった。

 その歌は軽く、イメージ豊かで、新しいリズムを持っていて、何度も聴け、歌えた。

 僕は「手紙」から、また新しい歌作りを始めた。

 大事だったことは、つめすぎないこと。

 一度は完全にボツにしようとした歌であったが、その歌は形になった。

 今でもその経験は生きている。


「へとへとが歩いてくる」'11.9/10

 左足は「へ」、右足は「と」。

 離れた町から、へとへとは歩いてくる。

 一歩一歩、へとへと、と。

 疲れていても歩いて行けば進むわけで、

 へとへとは駅に着き地下鉄に乗る。

 へとへとはへなりと座り、「へ」でも「と」でもなくなる。

 しばし充電。

 ずっと地下鉄に乗っていたいけれど、また乗り換えで歩かねばならない。

 わたしはへとへとの分身ですよ。エスカレーターにも乗りますが。

 やがて一時間かけて、自分の街に着いた。

 この路地の向こうに部屋がある。ここまでやって来ましたよ。

 「へ」と「と」の二人の共同作業によって。


「行き先ボタンを押してください」'11.9/8

 仕事にて、多くのエレベーターに乗るが、

 ときどき喋るエレベーターがある。

 乗ってぼやっとしていると、

 「行き先ボタンを押してください」と、女性の声でエレベーターが喋る。

 まあ、行き先は「フォークシンガー」であるわけなんだけど、

 そのボタンはない。そのボタンがあったなら、迷いなく僕は押しているだろう。

 「シンガーソングライター」のボタンでもいいか。

 ボタンを押すだけで、そこまで行けるなら、なんと楽なことよ。

 すーっと運ばれて。そんなボタンがあったなら。

 「フォークシンガー」ボタンだけじゃない、

 「政治家」「ロックスター」「お金持ち」「アイドル歌手」「社長さん」

 「カリスマ美容師」「絵描き」「漫画家」「小説家」etc

 ひとつのボタンしか押せないとしたら悩むところだ。

 「お金持ち」ってのもいいな。

 しかし、僕は迷うことなく「フォークシンガー」ボタンを押すだろう。

 「ロックスター」の方がかっこ良さそうだが、とても疲れそうだ。

 エレベータは喋る。

 「行き先ボタンを押してください」

 押せば、すーっと昇ってゆく。楽だなぁ。

 もし、本当に「フォークシンガー」ボタンがあったとしても、

 同じように、すーっとエレベーターは昇っていっただろう。

 なる気があるのだから。


「こんなんばっかり」'11.9/6

 先日、洗濯機のフタを開けたとき、

 自分のメガネを同時にはじき飛ばしてしまった。

 洗濯機のフタの大きさが感覚でわからなくなってしまっているのだ。

 最近、こんなんばっかりだ。

 ここ数日、熱が出て、ふらふら状態であった。

 いつもはぶつけないポストの上の木に頭をぶつけたり、

 定食屋で、グラスに水を入れようとしてこぼしたり、

 目が悪くなったのかな。

 いや、カンが悪くなっているんですよ。

 今日なんか、会社の自販機で、レモンティーのペットボトルを押したつもりりなのに、

 出てきたのは、大きなヤクルト系の飲み物であった。

 隣を押してしまったんだよね。

 何それ??

 ずれすぎですよ。


「フォーク魂」'11.9/4

 中学時代に、忘れられないワンシーンがある。

 当時、同学年では僕が群を抜いてフォークギターに詳しくて、

 ギターのことなら青木にきけ、と、みんなが言うくらいに知識があった。

 友達がギターを買いたいと言うと、一緒に楽器店に行き、どのギターが良いかなど、

 いろいろアドバイスをした。それは、ひとり、ふたり、さんにんと、、。

 たいがいはヤマハのギターを薦めた。

 あまり予算のない友達であれば、18000円のウエスタンタイプのギターを。

 予算に少し余裕のある友達であれば、25000円から30000円のギターを。

 あるひとりの友達は、少し良いギターを買いたいと言って相談してきた。

 僕はヤマハの27000円のギターを薦めた。

 そのギターは友人たちの中でも高いギターであった。

 週一回の器楽クラブにみんなは入り、その日には学校にギターを持って来た。

 教室でギターを弾く。18000円のヤマハも27000円のヤマハも。

 僕は弾き比べ、みんなで「やっぱりちがうねー」と言い合った。

 友達は、ほんとにそのギターを買って良かったよといった表情をした。

 それは秋だったか。

 ・・・・・・・・・

 そして雪の降り始めた冬の日のこと。

 商店街の通りの向こうに、その27000円のギターを買った友達が歩いていた。

 雪のためコートの帽子をかぶっていたが、持っているギターケースでわかった。

 通りの向こうであったため、声はかけなかった。

 ただ僕に気が付いた友達は、雪の降る通りの向こうから、ギターケースを上に上げた。

 ギターを弾いているよ、言うかのように、

 このギターは今もよく鳴っているよと、言うかのように。

 僕には、今もそのシーンが心に深く残っている。

 僕のフォーク魂は、きっとそこにあるような気がする。


「フォーク大臣になったなら」'11.9/2

 また総理大臣が変わったが、

 今回はほぼ同年代の人である。きっと青春時代は、フォークを聴いていたであろう。

 ぜひ、今回の組閣では、新たに「フォーク大臣」を作って欲しい。

 ほぼ弾き語りを専門にした省庁。

 初代「フォーク大臣」には、ぜひ僕が立候補したい。

 国民生活に創作と歌をテーマに。

 フォーク大臣になったら、やりたいことがある。

 まず、いい歌を発掘するということ。

 20人ほどの専門家スタッフで毎日送られてくる音源をチェックする。

 そして、その20人が良いと思った音源などを、ホームページ上で公開する。

 20人がそれぞれに個性的に選んだ音源なので、これぞと思う音源が埋もれることはない。

 僕もそのひとりのスタッフとして、もちろん参加します。

 その20人の専門家スタッフが、企画として、各地方地方の楽曲を10曲づつほど選びます。

 それはアルバムやアーティストでもいい。

 ここで大事なのは、弾き語りをメインに考えるということ。バンドのサウンドではなく、

 楽曲の良さを、選ぶ。素人、プロ、全部含めてもいい。

 そして、シンガーたちを応援します。

 各町々に、歌えるスペースを作ります。椅子50。立ち見を含めると100人ほど入れるスペース。

 PAのスタッフもいます。入口には自販機も並んでいます。利用は無料です。

 平日は夜7:30スタート、午後10時半に音出しは終了。毎日が企画です。

 店長さんが、そのライブを聴き、いい楽曲やシンガーさんたちは本部に推薦されます。

 毎年、12月には今年のベスト30を選びます。

 どうやって選ぶかは未定なのですが、ベスト100曲ほどはリストアップします。

 また、古い楽曲も発掘していきます。それも大事な仕事です。

 そんなふうなことをフォーク大臣として実行したいと思います。


「感想が嬉しい」'11.8/31

 先日出した、10枚組のアルバムについてライブで感想をもらった。

 「アオキさん、初期の頃の歌がいいですねー、とくに人物描写のうたが・・」

 「ありがとうございます。複雑な気持ちですが・・(笑)」

 「あの千葉のおじさんの歌もいいですねー」

 「八街のおいちゃんですか、、あれは一度ボツになった歌で25年振りに唄ったんです」

 嬉しいな。一度ボツになった歌がそんなふうに、また聴かれるなんて、

 それに「良かった」と、言われるなんて。

 たったひとりでもいい、それだけで歌がしっくり来る気がした。

 アルバムに入った、その歌も自信がついたであろう。

 しっかり胸をはって、それにいるってわけだ。

 感想が嬉しい。 


「歌詞カード」'11.8/29

 10枚組のアルバムは、発売の日、歌詞カードが間に合わなくて、 

 今、徐々に作っているところだが、友達より

 「わたし、歌詞カードいりません」と、連絡が来た。

 僕個人としたら、それでも送りたいと思うのだが、

 友達が言った言葉は、わかるような気がした。

 たしかに聞き取れない言葉がほとんどないと思うし、

 歌詞カードを見るなら、聴いたほうが早いという感じもある。

 しかし、友達が言っていたことは別のことでもあるように思う。

 今、歌詞はアルバムの中に入っている魚みたいなものである。

 その魚はどこかに向かっている。

 右であるか左であるか、上であるか下であるか、

 角度は30度であるか60度であるか、それはその魚の意志である。

 歌詞カードは、言葉が横に並んでいて、下の行に下がってゆく。

 友達は、歌詞を魚のままにしておきたいのであろう。


「集中」'11.8/27

 昨日はオフであった。

 そしてほとんど何もしなかった。

 今月はとても忙しく疲れた。

 オフであっても、何かしようと思ったが体が反応できなかった。

 体が休みに入ったら入ったでいろいろやりたいこともあるだろう。

 今日は、そのやりたいことのやる日なのだ。 

 久し振りに出かける遠足のように。

 体が遠足に出かけているのに、また家に用事で呼ぶのは、あまり好ましくない。

 夕方に帰って来るだろう。それからでいい。

 もしかしてテントで一泊してくるかもしれないが。

 きっと大事なことは、途中で呼び戻したりしないこと。

 オフであっても、体は集中しているのだ。


「さいきんあること」'11.8/25

 ここひと月、ふた月、つねに忙しい日々だったが、

 普通に生活していると、ふと、ほんとにふと、

 ずっと忘れてしまっている懐かしい想い出が、チラっと頭を横切る。

 それはほんとうに懐かしくて大切な想い出。すっかり忘れてしまっている。

 毎日、一回、いや数回、そういうシーンが頭を横切る。

 横切るだけで、またさっと消えてしまう。

 ノートにでもチェックすればよいのだろうけれど、

 数秒先には、また記憶から消えてしまう。もったいない話。

 その一瞬のシーンから、いろいろ思い出すことも出来るのに。

  ここ数ヶ月、それが続いている。


「イカの姿あげ」'11.8/23

 駅からの帰り、スーパーマーケットに寄りスイカを買った。

 レジのそばに特売品で「イカの姿あげ」のみっつセットが198円だったので買った。

 「イカの姿あげ」を知っているだろうか。

 100円で三枚入っている例のお酒のおつまみだ。

 東京に出て来たとき寮にまず住んでいた。毎日帰りには何かしら買ってきて、

 テーブルの上に置いた。「イカの姿あげ」は定番中の定番であった。

 '80年代、友達の家で飲むことになり、何か買い物をするとき、

 とりあえず選ぶのが「イカの姿あげ」であった。

 お得感もあるけれど、それがテープルにあると盛り上がるのだ。

 「イカの姿あげ」は、子供のお菓子と、大人のおつまみのちょうど真ん中にあるようだ。

 今ではそんなに買ってくることはないのだが、20代の頃はよく食べたものだ。

 今でも、それは続いているのだろうか。定番中の定番だろうか。


「デュオ」'11.8/20

 先日の企画ライブの終わりに、

 富山の大谷氏とデュオで二曲歌った。

 けっこうそのデュオが良かったと言われた。中には「狩人」以上だったとも。

 しかし「狩人」と言えば、デュオの大御所であり、ハーモニーもばっちりだ。

 僕らと言えば年末ライブのデュオコーナーで8年くらい毎年、デュオを続けているが、

 いまだに、ハーモニーというものがない。

 いい大人がふたりで、歌詞を交代に歌ったりしているだけだ。

 きっと何かが、良いと思えるのであろう。

 本人たちには、それがわからない。

 もしかして「狩人」と正反対のデュオであるからだろうか。

 町内会のおじさんが歌う「狩人」のような。

 不思議な気分だ。

 きっと何か、僕らが忘れかけているものがそこにあるのであろう。

 それが何かはわからないのだが。


「オフ前日」'11.8/18

 やっと明日、オフの日がやって来る。

 オフと言っても、やることは山ほどあるのだけれど。

 レコーディングにとりかかった6月始めから8月半ばまで、

 たったの一日でも、オフになる日はなかった。

 アルバムのイメージのことを考え、曲順のことを考えた。

 そしてひらめくのを、常に待っていた。

 ギターも疲れたはず。

 アルバムは無事に出たのだが、その前の数日感は最高に忙しかった。

 その後は、連日の猛暑で体はへとへとを通り越してしまった。

 そして明日はオフ。

 部屋じゅうのものが疲れているのがわかる。

 少しずつ、復活しようと思っている。


「たましいが」'11.8/16

 ふわふわと軽くなったような、

 電車に乗っていても、ほんとに軽い。

 床をほんとに踏んでいるのか、いないのか。

 10枚組のアルバムに、たましいを込め過ぎたのか、

 くぎりとなるイベントが、ほんとに区切りとなったような、

 今は自分が軽い。

 じょにじょに、たましいを増やしていかねばならない。

 しっかりと電車の床が踏めるように。


「ノートブック」'11.8/12

 今回の録音用にノートを一冊用意した。

 少し変形の細長いタイプのノート。

 B5の高さがあるのだけれど、幅は8センチくらい。

 外はビニールカバーがついている。

 そのノートをずっと持ち歩き、いろいろ書き込みをした。

 ほとんどのページがそして埋まった。

 こんなふうにぴっしりとノートを使いきるなんて、

 ほんと久し振りのこと。

 それが嬉しくてたまらない。


「サントリーのウーロン茶」'11.8/10

 ウーロン茶にもいろいろありますね。

 今年のサントリーのウーロン茶はほんと美味しいです。

 僕が知らないだけで、以前とほぼ同じ味なのかもしれませんが。

 テレビの番組で、サントリーのウーロン茶は、毎年、ブレンドをして、

 同じ味に整えていると見ました。

 それにしても、この暑い夏にウーロン茶は美味しい。

 こっそりサントリーのウーロン茶は進化しているのではないか。

 あまり誰も話題にはしていないのだが。

 わたしはしっている。


「写真」'11.8/8

 アルバムのジャケット作りのために、家にある写真という写真をみんな見た。

 写真を撮り、それをくれた友達にはほんと感謝している。

 ほんとうに。僕もそうやって写真をあげてはきたが、、。

 デジタル写真の時代に入ってき、僕ももう5年はたったのだが、

 とても探しづらい。

 たぶんの僕のやり方がまずいのだろうけれど。。

 とにかく、同じシーンでの枚数が多い。それは良いことではあるのだけれど、

 フィルムカメラのときとは、やっぱりちがう。

 やっぱり良く撮れた写真は焼いておいた方がいいな。

 探しやすいし、形を感じる。


「トースター」'11.8/6

 ほんと久し振りにトースターを出した。

 とある事情で。

 この20年ほどはオーブントースターを使っていた。

 ポンと出るトースターを僕は、28年ほど前に買った。

 四畳半に住んでいた頃。トースターのある生活に憧れていたのだ。

 焼けるとポンと飛び出るトースター。

 日曜の朝の部屋に響く、トースターのパンが焼けて飛び出る音。

 あの音が気持ちよく響く部屋に僕はまた住まねばならない。

 今の僕の生活にたりないものは、このトースターの飛び出る朝の音なのだ。

 はっきりとそれは聞こえる。

 焼けたよ、ポンッ!! と。


「もう少し」'11.8/4

 昨日は、お休みだったので一日、ジャケット作りをしていた。

 ある程度、イメージはあったのだけれど、それを形にするのは大変であった。

 いらすとれーたーとかいう、ソフトをおぼえることにもなった。

 あと少し。

 ジャケットだけではなく、アルバムタイトルも10枚のうち9枚まで決定した。

 そのアルバムタイトルをみていると、いかにもそんなアルバムになっているような気がしてくる。

 これは、ひとつの楽曲が出来てくるときととても似ている。

 とてもよい楽曲。

 今回の録音に合わせて、一曲作ろうとは思ったが、それは出来なかった。

 その替わり、ジャケットでひとつの作品が作れたような気がする。


「カチンとはまる」'11.8/2

 10枚組のアルバムのそれぞれのタイトルを決めていて、

 8枚は決まった。企画の友達の提案で、

 曲のタイトルをアルバムのタイトルにしないということなのだが、

 僕自身はまったく、そのことにはこだわりはない。

 友達が言うには、ある曲だけを特別扱いになるのはよくないとのこと。

 しかしねえ〜、曲のタイトルがアルバムタイトルになっているときは、

 それがぴったり来ているんだと思うよ。

 まあ、今回は友達の意見を優先するとして、イメージはあっても、

 ぴったりとなかなか決まらない。

 これだと思えたときは、カチンとはまる。

 僕のアルバムタイトルのイメージ作りは今回、

 一枚目からアルバムを見ていって、次のアルバムにどんなタイトルがついているかをイメージしている。

 カタカナであるとか、漢字であるとか、タイトルが長いとか短いとか、

 あと二枚、カチンとはまるタイトルを探している。

 いつもだったら、そのに二枚は、曲のタイトルがついていたのではないかと思う。

エッセイ・インデックス最近の事」へ

「最近の事・過去ログ '11年4月〜'11年7月まで」

「ちょっくら・おん・まい・でいず」の本編に戻る

TOP   Jungle