コルベッ党の身

 コルベットを駆る為には、コルベッ党になりきるアイテムが必要である。「最近の若い者は、形から入りたがるからな」と言われるが、まず形を決めなければ”魂あって仏作らず”なのである。
 政党派コルベッ党は、何はなくとも皮ジャンである。どんなに暑くても必要なアイテムなのだ。グローブに関しては、はめて運転しているとタカビーに思われてみっともないので、グローブボックスにしまい込む程度に留めよう。ドライビングシューズも然り。普通の靴に留めておこう。しかし、新品のままではダサイのでヤレた感じを出す。だからといってキタナイのはダメ。ただでさえ足下が暑いコルベット、車内にオイニー(臭い)が充満して即死だ。靴を脱ぐことなど考えてはいけない。コルベッ党は、コルベットから半径20m以上は歩かないのである。


コルベッ党の心

 身が整ったら、当然次は心である。外装がコルベッ党でも、心がなければそれこそ”仏作って魂入れず”なのである。
 それでは、コルベッ党精神とは何かに触れてみよう。大まかな概念は「コルベッ党五つの公約」の通りなので、ここではもっと精神的な部分に触れよう。
 まずは思想である。政治的、宗教的、人道的、金銭的など、様々な要因が考えられるが、コルベッ党たるものは、全てに於いてノンポリでなければならない。しかし、敢えて思想があるとすれば、それは”コルベッ党魂”だけであろう。
 思想が決まれば、後は何も必要ない。だが、コルベッ党といえども人間であるので、そう簡単に悟りを開けるものではない。であるから、次は行動形態を考えてみよう。
 コルベッ党は無口でなければならない。「オレ、ちょっと鹿児島まで薩摩揚げ買いに行って来るんだぜ」などとさりげなく言ってみても、興味のない者にとっては「オレ様はすげ〜んだぜ、わざわざ鹿児島まで薩摩揚げを買いに行くんだぜ、すげ〜んだぜ」としか聞こえないのである。
 もしも、一般ドライバーに「どちらまで?」と聞かれても「道の続く限り」とボソッと答えておく程度に留めておこう。例えそれがとんでもない美女であってもだ。ちなみにその場合、帰ってきてから車雑誌を全て買いあさり、読者コーナーを目を皿にして見て「この前、高速道路で出会った素敵なコルベッ党さん、連絡下さい」などと載っているかも知れないが、そんなことはまずないので心配する必要はない。同様に、自ら匿名で雑誌の読者コーナーに「すごいカッコイイコルベットを見ました。ドライバーもとてもイカしていました」などと投稿するなどもってのほかである。
 このように、コルベッ党は、自分の存在を他人にアピールするのではなく、自分自身の体力と精神力との戦いであるということ、これこそがコルベッ党魂の真髄なのである。


こるべっ党見本之図其の壱

こるべっ党見本之図其の弐

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