欧州における予防原則ワークショップの紹介 後編

3.参加者からのコメントと知見

3.1 規制の展望:経験と懸念
EU加盟各国では、予防原則に関する多くの経験を積んできた。例えば英国健 康安全局(HSE)の枠組みの中で、英国政府のリスクアセスメントに関する省庁間 連絡グループは、論理的で一貫性のあるリスク政策に政府横断的に取り組んでき た。このリスク政策には、予防に対する種々のアプローチが含まれている。「弱 い」解釈は、自由市場誘導型の開発や技術革新を意味する。ここでは、そのリス クが科学的に明白であれば、政治的な規制が介在するのみである。その介在は、 論理的に費用対効果のあるものでなければならないため、リスクマネイジメント における禁止は非常にまれである。「強い」解釈は、市場誘導型の開発も技術革 新も意味しない。リスクの回避が広く普及し、すなわち禁止が望まれ、リスクを 発生させている当事者が活動の安全性を証明する。弱いアプローチとは対照的に、 強い解釈は個人的な選択と社会的な懸念を考慮する。これら2つの対向したポー ルの間には、中間的位置にある「穏やかな」予防的アプローチが提唱され、健康 安全局によって基本的にそれが取り入れられてきた。この「穏やかな」解釈では、 自由市場誘導型の開発や技術革新が社会的に懸念が高いために、取り下げられる べきであることを意味する。すなわち、必要であれば個人的な選択が認識され、 考慮される。ここでは、政治的な規制は、リスクを発生させている当事者に立証 責任を転嫁するため、ケースごとの推定はかなり柔軟であるべきである。予防的 なリスクマネイジメントは、禁止や差し止めを機械的に意味しているのではなく、 そのような対策が可能であっても、禁止などは最終的な手段とすべきである。

予防的アプローチに関連する、社会、政治、倫理、経済の領域には、多方面に わたるさまざまな要因がある。これらの多数の関連要因を考えると、利用し得る 最高の科学が、リスク判断の審議を可能にするようなリスクの特徴に関する科学 的な知見を提供できない、ということを指摘することは重要なことである。した がって、従来のリスクアセスメント手法はリスクを過小評価するのではない、と いうことを、予防原則の適用によって保証することができる。それゆえ予防原則 の目的は、たとえ科学的不確実性が高い状態のまま残っていても、リスク政策を 行う起動力となることである。本質的な点は、科学的不確実性が存在する状況だ から対策を行わないという、弁明を取り除くことによって、「リスク分析の麻痺」 を避けることである。むしろ、他の対策形態や対象となるリスクと一致して、期 待される保護の水準に見合った対策を誘導すべきである。予防的リスクマネジメ ントのプロセスは、透明性、説明責任、立証責任、管理の階層性によって判断さ れるべきである。EUと同様にドイツとスカンジナビア諸国の政治規制は、予防 的リスクマネジメントが考慮されるべき主な構成要素として、例えば、均整、無 差別、一貫性、費用対効果分析なども、同様の捉え方をしていることを強調して いる。

例えば、スウェーデンは化学の分野で最も積極的な役割の一つを果たしている。 スウェーデンのイニシアティブのおかげで、予防原則の導入を議論していたこと によって、化学物質は1992年の国連環境開発会議(UNCED)で特に注目を浴びた。 スウェーデンはまた、最新のEU白書「化学物質政策の未来戦略」(注1)の主 要な発案国の一つであった。さらにスウェーデン議会は、2020年までに「有害 性のない環境(non-toxic Environment)」(注2)を達成する目標を公式に認めてき た。特にスウェーデン政府は、80余の農業地域を目標として厳しい農薬削減プ ログラムを遂行してきた。KEMI(国立化学製品監視機構)が、化学物質規制を扱 うために設立された。このプログラムは、有害性の少ない代替手段が利用可能で あれば、有害な製品の認可を拒絶する代替原則を含んでいた。このKEMIの活動 は、環境の持続性と人の健康を推進するマーケット・フォースと解釈できた。結 果として、承認された農薬の数は約700から350へと削減させることができ、し たがって1980−1985年平均レベルを基準として全体で71%の削減が達成された。 現時点でKEMIは、さらなる農薬削減対策へ向けたリスクインデックスを提案し ている。結論として、スウェーデンの政策立案者たちは、予防原則と代替原則の 厳密な逆立証責任版の強力な擁護者である。

3.2 法制化の展望:経験と懸念
予防原則の法制化の問題は、さまざまな報告書や討論で言及されている。欧州 各国において、特にスカンジナビア諸国とドイツにおける規制経験の長い歴史は、 予防原則の適用を重視することと一体である。ドイツでは予防原則が環境規制の 中の明白な一部分であった。1970年代から予防原則は、大気、淡水および土壌 保全に関連する一連の法規制に組み込まれてきた。ドイツの法律は、未然防止 (prevention)と予防(precaution)とを区別しているが、予防原則に対する一貫 性のある定義には至っていない。さまざまな法体系において、予防に対する異な った解釈がある。スカンジナビア諸国では、予防原則に対する狭い解釈が相対的 に厳しい環境保護の提案へと結びついてきた。これらの国々やフランスにおいて も、予防的なアプローチに役立つようにさまざまな規制や科学的手法が開発され てきた。予防原則は、孤立したツールではなく、より広い法規制文化の一部であ る。その上、多くの場合において、予防的なアプローチは経済を圧迫することな く、地域住民と環境を十分な保護下に置くことに成功を収めてきた。

法規制はより広い文化の中に組み込まれることもまた、強調された。法規制の 専門家が指摘するように、予防原則を分離して理解することはできない。そして それは、より広い規制行政の政治文化の一部として理解されなければならない。 米国のリスク規制もまた、より広い考えによって進められてきた。米国政府およ び政府機関の否定的な姿勢は、たとえ特定のグループから反感をもたれようが、 禁止のライセンスである予防の解釈に対する反応として理解されなければなら ない。それにもかかわらず、ALARA(注3)などの予防手段はアメリカでも使 用されている。しかも、法律用語、実践される法律の施行、およびそれらから導 かれた政策の結果とは区別することが重要である。例えば、スウェーデンの農薬 規制もまた、より一般的な文化と同様に、市場の性質などのより広い問題につい ての議論を促した。

予防原則の適用はまた、法律の施行に対して多くの懸念を生じさせている。第 一の懸念は、予防原則と規制の命令と、規制のコントロールのそれぞれに対する 伝統的な規制様式の間には機械的な関係がない、と指摘されたが、結果として予 防原則は干渉規制政策(interventionist regulation)となった。実際には、欧州委 員会のコミュニケーションペーパーでは、柔軟で、規制の非法制化アプローチの 必要性を強調している。第二の懸念は、いく人かの参加者によって生じたのだが、 彼らは予防原則が法律の支配を侵害する結果をもたらすか、あるいは独断的な政 策決定をもたらすのではないか、と懸念したことであった。その独断性を回避す る必要性は、予防原則を実行するうえで重要な側面であり、欧州委員会のコミュ ニケーションペーパーでも繰り返し強調されている。しかし、それとともに「う その説明責任」に対する危険性に気づく必要があると述べられている。法制化が 現実味を欠いているのは、今のところ、予防原則それ自体によるというより、む しろ事実に基づく確実性の欠如(不確実性:訳者注)による方が原因とされる。 米国工業界の展望では、「議定書の横暴な行為」は規制の枠組みにおいて極め て危険であり、それは柔軟である必要がある、と強調した。いろいろな意味で、 この要因は第二の要因とともに緊迫した状態にある。規制の枠組みが柔軟なのか 独断的なのかがどのようにして決定されるのか、は興味深くまた難問でもある。

3.3 工業界の展望:経験と懸念
化学工業界は、一方で化学品製造施設に対する安全管理の維持を求め、一方で、 広く使用され、安全性に配慮された製品が市場でよい売上げ高を記録することを 求めている。目標は、生産資源を最小限にし、競争力のある価格を獲得し、化学 工業界のために最大限の利益を提供することである。それゆえ化学工業界は、予 防原則を、持続可能な発展の考えに従って成功させるべきである、と解釈するこ とを支持している。予防原則の適用が、煩わしさと過剰な規制を導くべきではな いし、自由な市場経済において、改革と科学との十分な両立がなくてはならない。 この流れの中でリスクマネジメントは、異なるいくつかのガイドラインを考慮 すべきである。そのプロセスは、不確実性の大きさを各ステージで識別する客観 的なリスクアセスメントによって開始されなければならない。リスク分析に影響 する全ての関連要因が識別され、透明で客観的な方法で議論されることが本質的 なことである。この目的のため、工業界の技術面での専門的知識は、全ての利害 関係者がそのプロセスに含まれなければならないのと同様に、統合されなければ ならない。

予防原則の適正な導入は、合理性によって判定されるべきである。合理的であ ることには、具体的なクライテリアを開発し、使用することであると、明確に定 義された「評価の尺度」を定義することを意味する。そのため予防対策は、独断 的ででたらめ、というよりもむしろ、あいまいではなく、明白であり、実用的で ある。環境の感受性や複雑さのため、反映、予測そして調和が必要である。問題 の重要性は、採用された対策の有効範囲において反映されなければならない。将 来の行動と開発の指示を必要とする。科学的及び技術的側面と同様に社会政治的 側面が互いに調和されなければならない。包括的なリスクアセスメントに対して これらを要求することは、予防原則を明解にするための信頼できる適切な基盤を 提供することになる。

工業界は、前述の政治規制と同様に、リスクマネイジメントのための中心的な 構成要素を強調する。選択された対策は、制限あるいは排除されるべきハザード やリスクとバランスがとれていなければならない。これらの対策には、全ての利 害関係者が許容可能なレベルにまでリスクを削減する費用対効果アセスメント が含まれなければならない。さらにその対策は、欠落したデータを補うため実行 される科学的調査の結果をペンディングにしておき、常に暫定的な特質を有して いるべきであり、より客観的なリスクアセスメントが行われなければならない。 暫定的な判断の問題は何度か述べられてきた。新しい証拠によって作用物質が予 想よりも有害性が少ないと証明されるのであれば、暫定的な禁止や制限は解除さ れなければならない。しかしながら、政府はこの件では有権者に支持されないた めに気が進まない。暫定的な禁止問題を解決することによって、工業界の立場が 良くなるため、可能ならこの問題の解答を用意するようにプロジェクトチームは 要求された。

3.4 環境グループの展望:経験と懸念
環境グループの代表者たちは、さらに多くの情報が入手できても、禁止あるい は厳しく制限された物質が有害ではないと判断された例を発見することはほと んどないことを強調した。しかしながら、その正反対の事例は頻繁にあった。こ のような経験に基づいた発見は、いっそう予防的なリスクアセスメントスタイル に必要であることを強調しているであろう。また多くの物質にとって、有害影響 が明らかになった後に軌道を修正するよりも、安全サイドに誤る方がベターであ ろう。

しかしながら、環境グループは、予防を革新を邪魔する障害と解釈すべきでは ないと強調した。そして彼らは、予防は革新的な道筋を形づくる手助けをし、環 境に優しい技術への動機付けを提供する手助けとなるに違いないと説得した。予 防原則は、持続性のある技術革新への水先案内人とみなされるであろう。そのよ うな先導者の役割は、遺伝子組み換え生物や操作生物種などの巨大なスケールの インパクトを与える可能性を有するリスクの統治をも任されたものと理解され た。不確実性が高くインパクトの可能性が大きい場合には、もし負の副作用が顕 在化するなら、進展を遅らせたり、その問題を警告する監視装置を組み込むこと は、分別のあることのように思われる。加えて、いくつかの科学技術や化学物質 は社会的価値をほとんど有していないので、市場から追放されるリスクは、小さ なリスクであっても、正当化するのに十分であると判断すべきである。

4.建設的な提案
4.1 一般的な提案
たとえ高い不確実性やあいまいさをもつ、多くの状況が想定出来たとしても、 有害な結果の確率の範囲や大きさについて、信頼できる情報を見出すことは、今 もなお可能である。そのような場合において、科学的リスクアセスメントの手順 は無視されるべきではない。なぜならこれらの方法は、信頼できるシナリオを書 くために有用な情報を提供することができるからである。この点において、科学 分析から予防原則を分離することは望ましくないこともまた、強調されるべきこ とである。EUは、科学的な証拠の入手の程度に応じて、出来るだけ完璧な科学 的評価からスタートする予防原則のアプローチの履行を提唱している。偏在、難 分解性、不可逆性などの要因を評価することは、予防原則を駆動させる要因とし て受け止められることが可能であり、それらはリスクマネイジメントの対策を決 定するために確実に重要な要因である。しかしハザードの特質だけを基準として 予防原則を駆動することは、特に国際レベルにおいて予防原則の誤った利用をも たらす可能性がある。物質のリスクを評価するときには、曝露状況、分布経路、 考え得る用途などの要因を考慮する必要がある。

4.2 特別な提案
難分解性、生体蓄積性および移動性などクライテリアを用いた化学物質のスク リーニング法は、米国などで長い歴史があり、考慮されるべきである。これらの 経験のいくつかは、与えられた規制の枠組みの中での適応性や結果の確からしさ に関してむしろ否定的であった。それゆえに、提案された難分解性化学物質の管 理のためのリスク評価は、現在や過去のスクリーニング手順とははっきりと異な るべきである。効果的で革新的であるために、その提案は、例えば、米国の「リ スクアセスメント及びリスクマネイジメント大統領/議会委員会」によって念入 りに作られた環境健康リスクマネイジメントの枠組みと比較して、なぜそれがリ スク規制における、よりよい代替手段を提供するのか、証明すべきである。プロ ジェクトの現在の段階で、費用便益分析の側面は十分考慮されていない。社会経 済分析に関するOECDの技術指針文書にみられる統合された結論が、このギャ ップを満たすことができた。
もう1つの点は、カナダ環境保護庁(CEPA)の改訂提案のように予防原則を操 作可能にする努力を反映することであろう。予防原則を概念化し実行しようとし ている、その他の国の国家的試みは、徹底的に検討され、調査されるべきである。 おわりに
この報告書を読み終わって、これまでに読んだ「予防原則」の文書にはない、 広い視野で、さまざまの立場の意見が反映されていることに感銘を受けた。
この翻訳にあたり、ドイツ技術評価センターのAndreas Klinke氏にはワーク ショップの案内をいただき、Christine Losert氏には翻訳の許可をいただいた。

注1:White Paper Strategy for future Chemical Policy, Brussels, 27.2.2001
http://europa.eu.int/comm/environment/chemicals/0188_en.pdf
注2:Swedish Environmental Quality Objectives
http://miljo.regeringen.se/pressinfo/pdf/p9798_145e.pdf
注3:ALARA('as low as reasonably achievable'合理的に成し遂げられる限り低く)
                                   (文責 大竹)


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