予防原則の歴史 1 ドイツ、スウェーデン、アメリカ政府

はじめに
予防原則のルーツ;ドイツ
予防原則のルーツ;スウェーデン
米国の予防原則の流れ
米国政府の近年の予防的アプローチ
米国におけるNGOのアプローチ 大竹 千代子/東 賢一


1.はじめに

これまで「予防原則」について何度か雑誌などに掲載していただいたおかげで、最近、関心が持たれるようになり、筆者の元にも問い合わせがくるようになった。今回は、予防原則のルーツと、これまであまり触れられなかった米国のアプローチを述べさせていただくことにした。

 

2.予防原則のルーツ

 「予防」の概念それ自体は、決して新しいものではないが、この概念が法制化され(あるいは精神として導入され)、政策決定に取り込まれるとき、そのコミュニティーを構成する人々は、利害の対立と方法の違いを超えて、より安心な社会を実現するために議論の時間と努力が要求される。

<A NAME="#2"> 1)ドイツの場合

19世紀にはドイツにおいてもどこの国でもそうであったが、自然保護の法律が無かった。英国からスタートした産業革命は次第にドイツにも広がり、産業の発展の裏で、ドイツの誇りである豊かな森林をも蝕んでいった。1960年当時、工場の大気汚染の被害削減対策は、人の健康被害に限定され、それも、経済的に実行可能でなくてはならなかった。1961年のドイツ連邦選挙に於いて、ドイツ西南にあり、有数の炭鉱地帯であったルール地方で、社民党(SPD)は「ルール川の青い空」というスローガンを掲げ、大気汚染の防止を訴えて戦ったが勝利できなかった。

1969年に、民主党(FDP)は非常に野心的な環境プログラムおよび「Vorsorge(予防)」の公約によって勝利した。SPD/FDP連合政府によって「Vorsorge」の概念が進んだ。さらにドイツ政府は、1972 年の「ストックホルム人間環境宣言」の影響も強く受けた

1974/1976年には、酸性雨/光化学スモッグから民有地の森林を守るための交渉をバックアップする目的で、大気汚染法の中にVorsorgeprinzip(予防原則)が導入された。当初これはほんの一部に適用された簡単なものであったといわれている。1980年代になると「Vorsorge」は、「注意」や「警告」として用いられる以上に、「予防は義務である」という概念に進化し、立証責任が開発者側へと逆転・移行していった。1980 年代初頭に英語のPrecautionary Principleに翻訳されたと言われている。「予防の概念」はドイツ政府によって国際社会に影響をおよぼし、1992年リオ宣言で「予防原則」になった。EU2000年に「予防原則適用の指針」を発表し、20015月、20数カ国約100人のワークショップを開き、予防原則についてこれまでの議論をさらに発展させ、問題点を整理した。

2)スウェーデンの場合

 スウェーデンの予防原則の歴史は1969年の環境管理に関する政府委員会に始まり、1973年には「人または環境にリスクを与える製品を製造/輸入する者は、予防的に健康と環境保護の視点から、製品を調査しなくてはならない」という前文を含む法案が議会を通過している。生産者は、既存の科学的な知識及び法則に基づいて、製品が有害性の疑いの根拠のないものであることを証明しなくてはならない(立証責任の逆転)。1984年には化学製品に対して同様に明確に規定された。1990年に「代替原則」を追加し、代替品によって利用可能な化学製品へ回避することも含まれている。1997年には「持続可能な化学品政策」においてこれまで通り「予防原則」を支持し、スウェーデンの環境上の指針であるべきことを提案している。

この流れは、EU20012月に発表した白書「これからの化学政策戦略(Strategy for a future Chemicals Policy)」に大きく影響を与えていると考えられる。この戦略では、生産量1トンを超える既存化学物質は2018年までに、およそ3万種類の登録が要求される法案であるが、2002年5月現在、まだ承認されていない。

また、2020年に向けて「non-toxic-environment」を目指して、有害化学物質の削減・廃絶の息の長いスケジュールを持っている。KEMIWoblstromによれば、スウェーデンは世界から賞賛され、国内の産業界からは疎まれているようである。

 

3.米国の予防原則の流れ

 資料を読み進んでいるうちに、欧州がルーツとされていた「予防原則」は米国でも早い時期に議論され、そして産業界の力の前に惨敗した経験をもつことが分かった。

世界で最初に車社会を迎えた米国は、1916年に既に360万台、1925年には1750万台の車の保有を越えた(日本がこの数を越えるのは1970年である)。フォードに押されていたGMがこの頃、圧縮エンジンを開発し、均等に爆発するガソリンとして四エチル鉛を添加した。その後の経緯は以下の年表を参考にしていただきたい。1926年、GMとデュポン出資の疫学調査結果の「影響は無いとする事実」の前に、予防原則は敗退した。

 

   表 米国における予防原則の黎明と挫折(Montague,1999

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1923 四エチル鉛添加ガソリンの初めての発売。

    1925.5 四エチル鉛のリスクについて米国公衆衛生局会議開催。

        厚生省職員は「予防原則」を支持(立証責任は消費者側にあった)。

        エチルコーポレーション*社長は新型エンジンをだめにしないために四エチル鉛が必須と発言。

        他の陳述者は鉛の蓄積の有害性、生殖毒性を認める。

        さまざまな動物試験により有害証拠が発表される。

1926.2 252人の疫学調査結果は「鉛のリスクに関する意見特別委員会」で「現在のところ、エチル化されたガソリンの使用を禁止するいかなる理由も無い」と発表。

   1926.6  GM 、エチルコーポレーションが販売を再開。

1965  MITPatterson教授が「米国の一般市民は厳しい鉛の慢性被害を受けている」と発表し、確認された。

1945-1971年 最もダメージが大きかった時期。

1989  四エチル鉛の使用禁止(この間、700tの鉛が大気中に放出された)。

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 *GM、スタンダードオイル、デュポンで設立した会社)

 

1926年以降の米国の環境と市民の健康は、常に、四エチル鉛問題様の扱いであったと推測できる。1962年のCarsonの「Silent Spring」に始まり、1970年代は環境問題が噴出した。1983年にNAS(国立科学アカデミー)が「連邦政府のリスクアセスメント:その管理」をまとめ、リスク評価の手法が広く取り入れられるようになった。リスク評価はこの後、EPAIPCS(国際化学物質安全性計画)によって発展した。(この後、内分泌かく乱問題が世界を混沌の渦に巻き込み、予防原則の必要性が高まったがここでは誌面の都合により割愛する。)1997年「マサチューセッツ州の予防原則法」、1998年「予防原則;ウィングスプレッド声明」、2001年「予防原則;ローウェル声明」、2002年「USEUの予防ワークショップ」へと連なる。

 

4.米国政府の近年の予防的アプローチ

 筆者らは予防原則に関わる欧州と米国の環境政策の違いや貿易摩擦を学びながら、ずっと次の二つの疑問を解く鍵を探していた。

@EUは、世界的な議論となる前に、なぜ早い時期に「予防原則の適用の指針」を発表したのか。

A米国政府はなぜ「予防原則」を拒みつづけているのか。

2002111-12日、EUと米国政府はベルギーのブリュージュで「予防に関する合同ワークショップ」を開催した。この合同ワークショップで、米国行政管理予算局長官J.D.Graham、欧州共同体の健康と消費者保護局長官R.J.Coleman、同バイオテクノロジーとリスク分析専門官M.D.Rogersらがスピーチを行った。3人はその中で、「EUと米国は、GMO(遺伝子組換え生物)からBSE(牛海綿状脳症)、気候変動まで、多くの人の健康と環境問題のリスク規制に関して一致が見られなかった」、と語っている。Colemanは「予防原則」をリスク分析の中に位置付け、WHOWTOOECDの国際ルールに発展させる必要性、科学の限界について述べた。Grahamは、リスク管理において違いはあるが「予防」の概念の合意は可能である、と述べ、「予防」が必要かつ役立つ概念であるが、主観的で貿易政策その他の目的に乱用されがちである、とその導入を牽制している。これは、EUが予防原則を盾に米国のGMOや成長ホルモン剤含有牛肉の輸入を拒否した経緯を指している。つまり、疑問@の解答は、外向けには対米政策であり、内向けにはNGOによる、産業に不利な(理不尽な)予防原則アプローチを抑える目的があった(後出)。

Rogersは、EUは不確実なリスクを予測して規制し、一方米国は公式には予防原則を採用していない、とEUと米国の違いを述べている。さらに、米国最高裁判所が「規制する前に顕著なリスクの証明が無くてはならない(1980年、米国労働省のベンゼンの労働環境基準1ppmを「顕著なリスク」が認められないとした)」、と判決しているため、この判決が1983年のNASの出版(前出)を促した、と解説している。つまり疑問Aの答えは、米国の上記の判例があるためである。この20年間、リスク規制の基礎としてこのNASのリスクアセスメントは米国のみならず日本でも科学的リスクアセスメントの適用に貢献した。

一方、企業は「規制が全体の産業を閉鎖する意味を持っていても環境リスクを減少させなくてはけないのか」と問い、「活動あるいは化学物質使用の自由がなぜ制限されなければならないのか、説明する義務がある」と政府に詰め寄る。しかし、Grahamも予防的手段を適用する前に、有害性に関する科学的評価を行うと共に、実現可能であればその代替となる予防的アプローチの費用/便益分析が必要であると説き、「予防」概念の必要性は認めている。米国政府は「予防原則」という言葉を使っていない。

 

5.米国におけるNGOのアプローチ

 「予防原則」について何を知っているかと問えば、多くの人々は「ウィングスプレッド声明」あるいは「ローウェル声明」と答える。米国にこのような動きが生まれた背景には、先に触れた諸事情があるようである。しかし、「予防原則」が今後日本の中で議論される時に、勢いのあるGreenpeaceの活動のみが唯一のアプローチではないこと、を知っていただきたい。既述のとおり、健康と環境における予防原則の概念とその適用は、国により1世紀近い歴史があり、あるいは半世紀近い立法の足跡を持ち、世界の条約として位置付けられて早10年を経た。そして、はじめて世界の国々が同時にこの問題の重要性を認識し、その国の環境問題の歴史や国民の健康と環境への意識に沿って議論され、種々のアプローチを模索しているからである。 

いわゆるウィングスプレッド声明は、1991年に米国ウィスコンシン州のその名の地で開催されたのが第1回であり、Colbornらの「奪われし未来」への道程である。「予防原則に関する声明」が第7回(1998125日)のウィングスプレッド会議で発表されている。この会議およびその再確認となったローウェル会議(2001)には、米国のみならず欧州からもさまざまな分野の賛同者が集まり、主な賛同者は、「科学と環境衛生ネットワーク」理事長Raffenspergerとマサチューセッツ・ローウェル大学Ticknerの編集した著書に予防原則の考えを著している。

ウィングスプレッド声明の要約は以下のとおりである。

予防原則に関するウィングスプレッド声明

@      有害物質の使用と放出、資源の活用、および環境の物理的な変化は、人の健康と環境に非意図的に重大な影響を及ぼした。

A      既存の環境規制やその他のさまざまな決定、特にリスクアセスメントを基礎としたものによって、人間の健康および人間がその一部に過ぎない、より大きなシステムである環境を守ることが出来なかったと我々は考える。

B      人間活動の基本となる新しい原則が必要である。

C      有害物質の取り扱いをさらに注意深くする必要があり、社会は人間活動のすべての活動に予防的施策を取り入れなくてはならない。したがって、予防原則が必要である。

D      この件に関し、立証責任は公衆ではなく、活動提案者が負うべきである。

E      予防原則は対策を行わない場合も含めたすべての代替案について審査をすべきである。

F      費用対効果は考慮しない。

この中で、D立証責任の移行が大きな特徴であるが、多分これは、スウェーデンKEMIの参加者、Wahlstromの強い影響を受けていると考えられる。この中で、筆者が興味を抱いた項目は、Aである。この項目だけグリンピース・ジャパンの翻訳どおりに載せた。米国政府の流れでも述べたように、1980年代に入り、リスクの評価はNASのリスクアセスメントを基本に据え、EPAIPCSの国際的な手法が進展し、実践されてきた。それは、新しい科学的知見が得られるたびに、矛盾を是正し、生体内動態、作用機序に基づき、より科学的な手法へと進化してきている。そうした20年に及ぶ科学的な方法論を理解しようとせずに、定性的な要件のみに注目するウィングスプレッドの方法は具体性に乏しく、支持し難いと筆者らは考えている。

 

 

6.まとめ

筆者らの考える予防原則の適用のためにいくつかのアプローチの条件を整理してみると、@リスクアセスメントの手法を採用するかどうか、A立証責任は開発者側に有る。Bすべての立場の人が参加し、透明、公平でなくてはならない、C費用対効果を導入するのか、D適用に当って保護のレベルの統一性・一貫性などを守る、E新しい知見の導入、となる。

日本の環境政策の中に予防の概念がやっと一言「予防的方策」と付け加えられた今、予防原則先進国では、「予防原則に基づいて」政府と市民と業界とのリスクコミュニケーションが機能している。しかし、ハンセン病が和解し、ヒトクロイツフェルト病の過失が認められ、日本にもやっと市民・消費者保護の流れが始まった。国内外の歴史に学び、日本独自の、借り物でない「予防原則」の議論を続けていきたい、と切望する次第である。

1992年のUNCEDRIO宣言から10年経た今年、南アフリカのヨハネスブルグで開催されるサミットにおいて、この「予防原則」がどのように再認識され、具体的な適用にむけて始動するのか、楽しみである。

次回は米国以外の各国政府等の取組みを予定している。

 

参考資料 [ 5]6)8)以外はWebサイトから]

1)EU (2000) Communication Paper on Precautionary Principle

2)EU and US Approaches to Precaution(2002)

Coleman, R., The US, Europe, and Precaution:

Rogers, M., Technical Risk Management under Uncertainty

3)Graham,J.(2002) The Role of Precaution in Risk Assessment and Management: An American’s view:

4)Kriebel, D., Tickner, J., et al. (2001) International Summit on Science and Precautionary Principle, Summit Report,

5)O’Riordan,T.,& Cameron, J.,(1994) Interpreting the Precautionary Principle, Earthscan Publications

  Boehmer-Christiansen, S. ,31-60, Bodansky, D. 203-228

6)Raffensperger, C.and Tickner, J. (1999) Protecting Public Health and the Environment: Implementing the Precautionary PrincipleISLAND PRESS

  Wablstrom, B. 51-69, Montague, P. 294-309,

7)Wingspread Statement on the Precautionary Principle(1998)

8)グリーンピース・ジャパン(2002)予防原則を行動にうつすためのハンドブック

 

出典:水情報 No.22(6) 3-5, 2002 一部改変


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