A Future for the Precautionary Principle ?

John D. Graham

Journal of Risk research 4(2), 109-110,2001

 

Grahamの所属Center of Risk Analysis, Harvard School of Public Health

(予防原則の将来性;要約)

19996月、Harvard Center for Risk Analysis は2日間の政策ワークショップを開催した:予防原則;改良するか取り替えるか(Precautionary Principle: Refine It or Replace It?

このワークショップの目的は、不確実な技術的ハザードに対する予防的措置の決定を政策立案者とリスク管理者によってどのように取り扱われるか、を考えるための学者と専門家を刺激することである。ワークショップはコンセンサスを得ることを組み込まず、そのかわり、考え方の異なった視点を発展させることを目的としている。

ワークショップの参加者は、17人の招待スピーカーを含み、150人の政府、産業界、学術およびNGOからの専門家で、カナダ、ドイツ、日本、英国および米国から参加している。

12の科学論文がワークショップの前に準備され、ワークショップの注解にもとづいて著者によって書きなおされたものである。11はジャーナルの出版物として受理されている。5編はHuman and Risk Assessment(Hammitt,2002:Montgomery and Smith,

Applegate,2000;Sand,2000;Wagner,2000), その他の6編はこの中に収められている。

 

私自身の「予防原則は改良するか取り替えるか」の議論を述べさせていただく。それは、USの法律や政策が形式的な予防の「原則」を認める必要性を説いていないけれども、世界中の討論とそれに続く開発についてのワークショップの議論に基づいて、質問の答えは「改良する」である。世界中の政策決定者がこの明らかに漠然とした原則を、なぜ改訂する必要があるか、私に説明させて下さい。

 

まず、第一に、リスクアナリシスの形式的なツール(それは、広くリスクアセスメント、コストベネフィット、リスク分析など)の開発と応用における進歩のあった数十年、我々の分析的なツールはいくつかの不確実な技術的リスクについての政策的ガイドラインの定義を示すことが出来ていない。その不確実な技術(例えば、バイオ技術による食品や地球規模の気候変動などである)は、科学者や市民の間に関心が高くなった。それゆえ、政策立案者は、形式的なアナリシスが提供できるものから、不確実性に直面した理由付きの政策決定までの「橋渡し(bridge)」を必要としている。予防原則は、もし、定義され、はっきりした流儀で運用されるなら、有益な「橋」を提供するに違いない。

第二に、その原則が「生き残っていて元気がいい」し、定着している、という現実です。例えば、EC(欧州委員会)はEUおよび国際的な活動の中でこの原則が用いられるように合法化し、明らかにすることを決定したようである。欧州議会の委員会もまた、この原則のECの見解を賞賛し、議会及び欧州審議会のすべてが、将来的にこの原則を採用するであろう。カナダとオーストラリアもまた、この原則を彼等のリスクマネージメント政策に合体させている。国際的な環境政策の分野でも、予防原則は将来、役割を演ずる機会が増えるだろう。ホルモン処理を施した牛肉の問題においてEUがこの原則を用いた「懐疑」があったにもかかわらず、WTOはこの考えに対し徹底的な反発は示さなかった。

 

最後に、予防原則は一部の科学者や技術者が恐れるような危険な思想ではない。内部的な環境政策の分野でなく、WTOでさえ、ECが用いている、EC20002月のコミュニケーションペーパーは、最も進んだ実用的なステイトメントで、これはリスクアナリシスのより大きな過程の流れの中に用いられた、リスクマネージメントの一つとして予防原則が位置付けられているので、建設的な前進するステップの一つである、としている。ECはまた科学的及び政治的な政策決定が、時として、不完全なリスクアセスメントの基づいて作られていることも認識している。ECの予防のアプローチには更なる「改良(Refine)」の多くの作業と、現実の社会における実用性のデモンストレーションが必要ではあるが、ECは、予防という啓発された展望は、客観的な科学的な評価、リスクアセスメント、コストベネフィット分析、リスクマネージメント、リスクコミュニケーション、あるいは他の確立されたリスクアナリシスの見方を拒絶しはしない、ということを明らかにした。予防原則はリスクアナリシスとマネージメントの一つの生き残る代替であるという見解、あるいは、この原則は、新しい技術の擁護が「それらの安全性の結論的なエビデンスを提供されるべきである」と言うことを意味する見解、を何人かの著者が説明し続けている間は、この原則の1992年のリオ宣言の内容に対する攻撃に耐えられない。

 

将来を展望すると、予防原則への関心に対する試みは、「better safe than sorry」のスローガンを越えて動き始めている事であり、形式的なアナリシスのツールの定義では対応できない不確実なハザードについて、複雑な疑問に直面する政策決定者に有意義なガイダンスを提供するために、予防の枠組みを構築することである。ぶつかり合う社会的な目標の間で不確実な科学と潜在的なトレードオフに直面した時に、政策決定者や規制官が、思慮深い政治的判断を下せるように、その枠組みは、いくつかの選択肢を提供する必要がある。その枠組みはまた、健康、安全、そして環境を費用対効果の方法で保護する本当の目的以外に、政策決定者による努力に対して、モチベーションの隠蓑としての「予防」をチェックとバランスを提供する必要がある。

 

予防原則の改良を続けるために、私は新しいかあるいは現存の国際的な組織による、この原則の定期国際会談の開催を提案する。その会談は創造的であり公的なコンセンサスは求めず、現世界のケーススタディーを含むもので、途上国、先進国の学術、政府,工業会、NGOおよび関係するすべての利害関係者による参加者をもとめる。


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