Draycott Studio

 

 

Introduction.mp3
(3:18 1.6MB)

 

 

 

 


ロンドンの フラットの前で
(柳ジョージ撮影)

1972〜75年、成毛はロンドンに住んでいたが、この時知り合ったミュージシャンの多くは自分の家にスタジオを持っていて、ミュージシャン仲間が来るとすぐにジャムセッションが始まり、そこでお互い腕を磨いたり、アイデアを交換したりしていた。
スタジオと言ってもそんなにすごい設備が有るわけではなく、単に地下室の壁に段ボールを張り付けただけのものもあったが、とにかくいつでも周りを気にせずに演奏ができる環境を持っていたのである。


ゲイリー・セインの家で、ゲイリーと

特にユライヤヒープのゲイリー・セインは奥さんが日本人だった事もあって親しくなり、成毛はよくゲイリーの家に呼ばれて彼のスタジオでジャムセッションし、ロックの“GROOVE”を教わったり、多くの事を学んだ。そのため成毛は、「ミュージシャンは小さくても自分のスタジオを持つべきだ」‥と思い、日本へ帰ったらまず第一に自分のスタジオを作る事にした。


フラットのある通り(Chelseaにある)

 

そして1976年にスタジオが完成し、ロンドンで住んでいたフラットの住所が“Draycott Place”だった事から“Draycott Studio”と名付けた。
スタジオができていつでも演奏ができるようになった成毛はミュージシャン仲間に「ジャムセッションやろうよ」‥と呼び掛けてまわったが、ロンドンとは違い、日本ではなかなかのってくる者はいなかった。
「スタジオができれば色んなミュージシャンとジャムセッションができる」‥と思って張り切っていた成毛はガッカリし、結局誰も来ないスタジオで一人で多重録音するしかなかった。
“Introduction”はそんな成毛が一人でDrs. B. G. Org.を弾いて録音し、それにアナログ シンセサイザーで作ったトランペットの音をかぶせた「一人ジャムセッション」である。

 

 

After Three Years.mp3
(2:50 1.3MB)

 

 

 

成毛がマルチキーボードで作った組曲 “Alone In My Room”のPart 4をアレンジを変えて一人で多重録音したもので、Drs. B. Pf. Org. G. Solina, メロトロンを弾いている。
“Alone In My Room”は成毛が1975年に渡辺俊之(Drs.)、藤井真一(B.)とレコーディングしたのだが、ディレクターに「こんなもの音楽じゃない!」‥と言われて発売されず、その後別のディレクターで、つのだ☆ひろ(Drs.)、江藤 勲(B.)と再び“Alone In My Room”をレコーディングし、マスタリングまでこぎつけたのだが、レコード会社の販売会議で 「こんな変な曲は売り物にならない」‥と言われてやはり発売されず、録音したテープも廃棄処分にされた。


 




渋谷の「屋根裏」で、左から宮田、柳、上綱、成毛 ('77年6月)

 

 

スタジオを作ったものの、レコーディングしたアルバムがことごとく発売中止にされてあてにしていた収入が入らなくなった成毛は、取り敢えずカラオケやカーステレオの音源製作の仕事を請け負った。当時はガソリンスタンドで8トラックのカラオケやカーステレオを売っていて、これの音源製作の仕事が結構あったのだ。
カラオケは歌が要らないため、コスト削減に成毛は一人で殆どの楽器を演奏したが、カーステレオはたまにR&B特集など唄が要る物もあり、そういう時は柳ジョージ、トム谷村等に「ノーギャラ、食事付き」で頼んで唄ってもらった。

  柳ジョージ Vo.
  成毛 滋 Pf. Org. G. B.
  四ツ田ヨシヒロ Drs.

 

    
 

Nobody Knows You.mp3
(5:28  2.6MB)

 

 

 

1977年、成毛の家にたまたま竹田和夫、金子マリ、鳴瀬喜博、四ッ田ヨシヒロ‥等が集まり、「じゃ、みんなでジャムセッションしようか」‥という話になった。スタジオができて以来初めての事で成毛は 「やっとスタジオが役に立つ」‥と大喜びし、記念にTEACの1/2インチ8TRでこの初のジャムセッションを録音した。
ジャムセッションは時によってうまくまとまる事もあれば、全然まとまらない事もあるのだが、この時は4曲やった内1曲殊の外うまくまとまったので、これに後から成毛がピアノとハモンドオルガンをオーバーダビングし、ミックスダウンしたのがこの“Nobody Knows You”である。
メンバーは‥

竹田和夫 Vo. G.
金子マリ Vo.
鳴瀬喜博  B.
四ッ田ヨシヒロ Drs.
成毛 滋  Pf. Org. G.

‥であった。
この時ギターはスタジオに置いてあったグレコのLJ-600一本で、竹田和夫がイントロと初めのソロを弾き、次に成毛がそのギターを受け取って後のソロを弾いた。つまりギターも、アンプも、つまみのセッティングも同じなのだが、竹田と成毛ではまるで音が違う。

 

 

Soldier Of Fortune.mp3
(3:27 1.6MB)

 


Echos In The Dark.mp3
(4:38 2.2MB)

 

 

 

成毛はロンドンの「祇園」という日本料理屋でウェイターのアルバイトをしていた時、やはり日本から英語とヴォーカルの勉強に来て土産物屋の店員をしていたトム谷村と知り合い、帰国後一緒にライブハウスで演奏したり、カーステレオの音源製作の仕事をしたりした。
“Soldier Of Fortune”は1977年に音響機器メーカーからオーディオフェアのデモ用音源の製作を頼まれ、成毛がDrs. B. G. Ac.G. Org. Solina. メロトロン‥を弾いて録音し、それに谷村がヴォーカルをかぶせたもの。
“Echos In The Dark”も同じオーディオフェアのデモ用音源として録音されたが、こちらは‥

トム谷村 Vo.
四ツ田ヨシヒロ Drs.
竹内正彦 B.
成毛 滋 G. Org. Pf. Synth. メロトロン

‥というメンバーである。