Night in Bintan Bintanを思い出す時、なぜか夜のイメージが強い。 2001年ゴールデンウイーク。 竹馬の友で大親友とBintanへ。 シンガポールからフェリーで移動すること45分。 初めてリゾート地なる土地へやってきました。 最終のフェリーで彼の地に着いた私達を待っていたのは、これから8日を 過ごすこととなる”manamana ”のバス。 フェリーの中は日本人で一杯だったのに、バスに乗り込むと乗客は私達だけ。 他のホテルのバスの中は日本人で一杯なのに、一体どういう所なの?! manamanaに着くと、辺りは真っ暗な上、レセプションは外。 おまけに海が見えない。 そしてホテルを予想していた私達はロッジへ。 シングルルームを予約していた私達は部屋へ入って絶句。 トイレとバスのしきりはないし、テレビは見れない、電話はない。 正直私達は凄く心細くなり、こんな筈じゃなかったのにい!と、もう 帰りたいモードに入ってました。 取りあえず、オープンレストランに行く事に。 友だちはレセプションで、翌日に来る事になっている会社の同僚に電話を かけに。私はレストランの方に見える海に行ってみた。 とっても静かできれい... それからひとりレストランで珈琲を頼みました。 とっても静かで贅沢な空間で、心が癒され始めていた時、そこで働くウエイター達が 話し掛けてきて、おしゃべりを始めました。 そこへ電話を終えた友だちがジョインして一気にBintanになじんでしまったの。 私達って順応性あるよね!とかなんとか言いながら、原始的な8日間の ホリデーが始まったのです。
manamanaの食事はとっても美味しい。 何を頼んでも満足のいく料理がでてきて... そこで働くウエーター何人かと仲良くなって、とりとめのない おしゃべりして笑って... 彼等にとって日本は憧れの土地。 2002年のワールドカップを見に来る為お金をためてるというアルテン。 聞けば日本円で14万円程。 航空券も含めて、です。 それで1ヶ月日本と韓国に滞在するという。 そんなの無理だよ!とは言えなかった。 夢を壊してしまいそうで、私達は何も言えなかった。 心を表わす瞳...みんな素直で人間らしい生き方してる、と感じた。 全ての人がそうとは言わないけど、私達がBintanで仲良くなった彼等は .......そうだった。 下の写真の彼は清水健太郎に似てて、「失恋レストラン」を教えてしまった! もしmanamanaに行く機会があって、清水健太郎似のウエイターに会ったら 「失恋レストラン」をオーダーしてみてね!

すっかりBintanになじんでしまった私達。 夜はレストランで美味しい食事と会話を楽しんだ後、浜辺を歩くのが 日課になりました。 とっても綺麗な海と空...他には何もない。 人気もなく、ただただ歩き続けて。
  
時間がゆっくり流れてく。