十月三十日

終わりにして始まり

 あれから、いつの間にか三週間が過ぎていた。ようやく帰って来た、だが、三週間前
に足を踏み出したのとは全く違う場所のように見える、自宅のマンションの入口で、景
は途方に暮れたように立ち尽くしていた。
 失った意識が戻ったのは、三日が過ぎた後で、景は地元の病院にかつぎ込まれていた
。薬臭い病室のベッドで警察の事情聴取を受け、彼は事件が何も明らかになってはいな
い事を知った。
 八年ぶりの同窓会。かつて在籍していた生徒が全員参加するほど、仲の良かったクラ
ス。午後九時を過ぎて大方の生徒が解散した後も、八人の生徒が教師たちとともに学校
に残っていた。火元は調理室。パーティ用の料理を温め直したコンロが、直接の原因。
ガス爆発。行方不明者は元生徒五人と、教師十一人。
 現場を調べれば、爆発の規模や死体の数や状態、地下施設など、いくらでも不自然な
点が見つかるはずだった。それらについて何も言及されていないという事は、警察、い
や、国家そのものに、組織の手が回っているという事だ。おざなりに調書を取る刑事の
、投げやりな手つきを見て、景は苦笑いを浮かべた。その笑いを見て、刑事は困惑した
ように眉を潜めた。それはあたかも、こう言っているかのようだった。
 いったい、どうしろというんだ?
 警察と病院曰く、掛川多岐美と思しき女性の手で運び込まれた時、景は「爆発による
飛礫によって出来た傷」の出血で、危篤状態だったらしい。ここまで持ち直すとは思わ
なかった、と。
疎まれている、と、景は感じた。なぜ、生きているのだ、と。組織絡みの事件は、警
察も手の出しようがない。捜査はしなければならないが、真相は決して明るみに出ては
ならない。この国の汚点は、闇に葬られなければならない。それが、警察の考えだった
。そのためには、関係者に騒がれては困るのだ。だから、景は傷が良くなると、何も問
わずに病院を抜け出した。
 警察が追ってこないのはわかっていた。これからは、組織と自分の戦いになる。国家
権力は介入しようとはしないだろう。
風の噂で、桜本千春が精神病院に収容されていると聞いた。事件の真相について騒ぎ
立てたのだろう。信じる者などいようはずが無い。狂人のレッテルを貼られるだけだ。

一つの戦いは終わった。だが、組織の追求の手はどこまでも伸びて来るだろう。景も
、多岐美も、この日本に安息の場所は無くなった。組織の息の根を止めるまで、戦い続
けねばならない。
しかし、景は恐れてはいなかった。
 このマンションも、すぐにも引き払わなければならない。そんな事を考えながら、景
は入口の郵便受けを覗いた。
 一枚の葉書が入っている。消印はない。文面は、「同窓会のお知らせ」。かつて、彼
の通っていた、市立唐沢高校からの物だった。
 景は苦笑した。消印が無いという事は、郵便局を通さずに、直接ここに投函されたと
いう事だ。高校の教師が、わざわざ彼のマンションまで来て、同窓会の招待状をほうり
込んだという事だ。
 だから、下らないと思う。どうしようもなく、暇な奴らだ。
 ゆっくりと、景はマンションの外に歩み出た。
「いるんだろう。出て来いよ、先生方」
 人どおりの無い表通りに向けて声をかけると、周囲の角から、ジャージ姿の男が数人
歩み出てきた。一目で体育教師とわかる、ゴツい奴らだった。
 招待状を投函し、昼間からマンションを待ち伏せ。幼稚なやり方だ。組織といえど、
構成員が教師である以上、こういった社会の狭さからは逃れられない。
「荒光景。一緒に来て貰おうか」
 見覚えのない教師が、景の方に歩み寄って来る。学校まで来い、という事だ。教師の
力の及ぶ場所は、学校だけだ。教師は、人に学校まで来て貰わないと、何も出来ないの
だ。
だから、景は彼らを恐れない。過去を消滅させ、もう、学校を恐れる理由は無くなって
いた。
 多岐美も、今、どこかで戦っているだろう。学校という存在の最後のくびきから逃れ
、自分以外の人間を救うために。
「クククク、ハッハッハッハッハ!」
 景は哄笑し、手に持った招待状を、宙に向けて放った。距離を詰めつつあった周囲の
教師たちが、一斉に気色ばむ。
その場で、景の右手が流れた。投げ上げられた招待状は、次の刹那、伍筋の光によっ
て切り裂かれ、無数の紙吹雪となって四散した。その吹雪の中で、獣の咆哮と、双眸の
赤い輝きが交錯し、続いて、教師たちの絶叫と血飛沫が奔騰した。

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