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2002年春の新作映画メモ


『ロード・オブ・ザ・リング』 『レプリカント』 『エネミー・ライン』

『ピアニスト』 『ブラックホーク・ダウン』 『D−TOX』

『ビューティフル・マインド』 『ドメスティック・フィアー』

『コラテラル・ダメージ』 『アザーズ』 『サウンド・オブ・サイレンス』

『スパイダーマン』 『ミミック2』 『スパイダー』 『パニック・ルーム』

『ロード・オブ・ザ・リング』

 監督:ピーター・ジャクソン
 出演:イライジャ・ウッド イアン・マッケラン ヴィゴ・モーテンセン リヴ・タイラー ケイト・ブランシェット ショーン・ビーン クリストファー・リー ヒューゴ・ウィービング

 ファンタジー小説の原点『指輪物語』、ついに映画化!

 遥か昔のミドルアース。かつて世界制覇を目論みつつも、全てを支配する「一つの指輪」を失ったことで敗北した冥王サウロンが、数千年の時を経て蘇った。サウロンは再び世界をその手に収めるべく、邪悪なオークの軍勢を組織し、失われた指輪を求めて動き出す。かつてひょんな事から指輪の所持者となったホビット庄のビルボ(イアン・ホルム)は、友人である灰色の魔法使いガンダルフ(イアン・マッケラン)と親族の青年フロド(イライジャ・ウッド)に指輪を託して旅立つが、そのホビット庄をサウロン旗下の黒の乗り手が襲う。フロドはガンダルフの友人であるアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)に助けられ、冥王軍に対抗できる力を持つエルフの隠れ里へ辿り着くが、それは長い旅の始まりに過ぎなかった……。

 一見した時の印象は、「物凄く丁寧な『ハムナプトラ』」だったのですが、この「物凄く丁寧」こそがこの『ロード・オブ・ザ・リング』の最大の美点であり、長所であることが次第にわかってきます。大予算を投じたCGはもちろん大迫力なのですが、それを下支えするオークやトロールなどの怪物に費やされた特殊メイクの緻密さ、手作りの質感などは、『ハムナプトラ2』などにはあり得なかったリアリティを生み、確かな世界観を構築しています。圧巻なのは、映画前半に登場するホビット庄。小人サイズで作られた家屋のセットと、等身大の人間を交えた撮影によるその小ささの更なる表現。一見なんの変哲もないように見えますが、このシーンに費やされたであろう膨大な手間ひまを考えると、頭が下がります。派手な戦闘シーンよりもこういった部分でこそ丁寧さが光ります。

 隅々まで計算されているであろう、隙のない映像作りと三時間という長時間に渡って無駄のない展開を見せるテンポには感銘を受けました。が、この実に抑制された作りは、むしろわざとテンションを押さえているように感じられる。映像的にもっと迫力を出す手法があるのに、ある意味出し惜しみしているような……。当然ですね、これは三部作の一作目に過ぎないのですから……。おそらく次作に向けてまだまだネタを隠しているはず。それに期待したいところです。

 オーク、トロールをはじめとする闇の軍勢が素晴らしい。特殊メイクや美術の素晴らしさはもちろん、オクトパスや黒の乗り手など、CGあるいは生身主体で作られたモンスターたちも実に活き活きとしています。洞窟で主人公一行を襲うバルログなど、怪獣映画的興奮さえもたらしてくれるスケール感が最高です。『ダンジョン&ドラゴン』に引き続き、私的なノスタルジーを刺激されました。ただその反面、サルマンVSガンダルフの魔法使い同士の対決や、ウルク・ハイなどとのチャンバラは、いささか芸がないようにも思いました。特に魔法戦闘は今一つで、肉弾戦に毛が生えたようなものにしか見えず迫力不足。もう少し色々な魔法の描写が欲しかった。アクション・シーンの演出などは、おそらくもっとも原作を逸脱していいはずのところだと思うので……。

 それにしても淡々と進んだ原作に対し、この後半のテンションの高さはどうでしょうか。幾本の矢を打ち込まれても立ち上がるボロミア、溺れながらフロドを追うサム、バルログを前に絶叫するガンダルフ、なんか随分とイメージが変わってしまいそうなんですが……。今回のサブタイトルは『旅の仲間』ですが、映画のラストで九人の旅の仲間は二名の脱落者を出し、残ったメンバーも三つに分裂、いったいどうなっちゃうのか不安一杯です。……が、こうして解散してはじめて主題に据えたいらしい「友情」が光って見えるのも事実。仲良くつるんでいても、友情の尊さは見えてこない。離ればなれになってもなお強い絆……美しい構図です。脱落者を出したとはいえ、ほとんど少年漫画のようなお約束は、この作品にも生きている。次作では必ず、「あいつ」が帰ってくるはずです。

 非常に楽しく観ましたが、やっぱり9時間映画の冒頭三分の一という印象は拭えず。はよう続きが観たいですわい。いまいち活躍できなかったキャラクターも、次作ではきっと大爆発してくれることでしょう。

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『レプリカント』

 監督:リンゴ・ラム
 出演:ジャン・クロード・ヴァン・ダム マイケル・ルーカー

 今年もとりあえず一本は公開されましたヴァン・ダム映画。いや、めでたいめでたい。

 シングルマザーばかりを狙う連続殺人鬼「トーチ」(ジャン・クロード・ヴァン・ダム)を追う刑事ジェイク(マイケル・ルーカー)は、NSA(国家安全保障局)の提案した秘密計画に参加する。神出鬼没の殺人鬼を捕らえるために「トーチ」のレプリカント(ジャン・クロード・ヴァン・ダム)を生み出し、その記憶とテレパシーでもって彼を追跡しようという作戦である。レプリカントのお目付役として街に出たジェイクは、子供同前の彼の扱いに苦労しながらも、徐々に「トーチ」の足跡をたどって行くが……。

 二役です。またも二役です。『ダブル・インパクト』(双生児)、『タイム・コップ』(同一人物の過去と現在)、『マキシマム・リスク』(出会わないけど双生児)……。もう四本目です。今作はSF設定を生かして同一人物のオリジナルと複製を、悪役と善玉という風に演じわけます。

 演じわけ……と言いましたが、しかしヴァン・ダムにはそこらへんの演技力が根本的に不足しています。悪役の演技は思った以上にいいです。年齢を重ね皺も増えたことが、凄みを出すという点でプラスになっています。かつての『シンデレラ・ボーイ』『ブラック・イーグル』での悪役と比較すると違いは歴然でしょう。ただ、それと対極をなすクローンの役が別の意味で笑いを誘ってくれます。脚本のベタさ加減もあるんでしょうが、ただただ目を見開いて口を空けて茫漠とした表情を見せるだけでは……。

 だがしかしこの企画、もっと演技力のある実力派にやらせたら良かったのかというと、そうではない。確かに上手い役者が演じれば、同じ顔であるにも関わらず別の人格を持った二人の人物が存在するかのような感覚を出せたでしょう。が、ヴァン・ダムにそこまでの演技力がない事によって、むしろ彼自身の存在感がいままでの主演作と同じように発揮され、ヴァン・ダムが画面上に二人登場しているという「事実」がより一層鮮明になります。善と悪との二役という、今までのイメージを変えるような題材の作品であるにも関わらず、そこにあるのは相変わらず「ヴァン・ダム映画」という一つの小宇宙なのです。たとえ他の下手な役者が無理矢理二役をやったところで、この感じは出せないでしょう。飽きもせず、懲りもせず、演技力もないのにあくまで二役にこだわり続けてきたヴァン・ダムと言う名のスターだからこそ生まれた、独特の世界なのです。

 演出リンゴ・ラムはカー・チェイスなどのアクションシーンは上手く撮ってます。ただ、中盤から終盤にかけてややテンポが悪いかな……。ラストシーンも、ワンシーン手前で止めて欲しかった。どうせ死んでないのは誰が観てもわかってるんだから、もしかして幻?という余韻を残した方が良かったと思います。娼婦ネタは蛇足でしょう。どうしてモテモテであることにこだわるかな……。

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『エネミー・ライン』

 監督:ジョン・ムーア
 出演:オーエン・ウィルソン ジーン・ハックマン

 今年は戦争絡みの映画が多くなりそうですよ、まずは一本目!

 除隊志望の海軍大尉クリス(オーエン・ウィルソン)は、所属する空母の司令官であるレイガート(ジーン・ハックマン)にボスニア上空の撮影任務を命ぜられる。戦闘機で出撃した彼は、突如ミサイル攻撃を受け撃墜される。敵地のど真ん中に不時着した彼が目撃したのは、セルビア人民軍による条約で禁止されたはずの残虐行為だった。脱出を賭け、クリスは敵地を突破しようと試みるが……。

 主演のオーエン・ウィルソンと言えば、私の心の名作である『アナコンダ』にて蛇に食われる音響係の役をやっていました。食われるためだけのキャラクターで、はなはだ意味のない役柄でしたが、でもあれもちゃーんとキャリアになってたんでしょうね。大作主演です。しかしジャッキー・チェンと共演した『上海ヌーン』においても感じたのですが、この彼はいったい何を売りにしているのでしょう? 顔はイマイチ。アクションが得意にも見えない。コミカルなキャラクターもはまっているとは思えないし、無論演技派でもない。なんか魅力の見えない役者です。その戸惑いのようなものが、今作の脚本にも如実に現れている、と言ったら穿ち過ぎでしょうか? 強いのか頭が切れるのか運がいいのか、もう一つ明確でないキャラクターは、飛び抜けた魅力に欠けるオーエン・ウィルソン自身に起因しているように思われます。

 本物の空母を駆り出して撮った冒頭シーンや、細かいメカニズムまで映像化した戦闘機の描写など、映像面はかなり迫力があります。地雷原を突破するシーンの大爆発の連続なども見所の一つ。ですが、脚本が雑すぎて盛り上がりに欠けます。主人公が地雷原に踏み込んでしまった……というのはいいんですが、なぜそんな地雷原にわざわざ入ってしまったのか。敵に追い込まれた、司令官に指示された脱出ルートの情報が間違っていた、なんでもいいんでとにかく理由が欲しかったのですが、そこらへんはまったく不明のまま、主人公は突如地雷原のまっただ中にいます。その前のシーンが森や平野など自然の中を歩き回っているところで、その直後放棄されたと思しき市街の地雷原に入ってしまっています。展開が何もつながっていないので、そういう危険に曝されているのが映像的見せ場作りのためであることが、あまりに露骨にこちらに伝わってしまい、しらけてしまいました。また、その地雷原で大爆発を起こしてしまったことにより、敵に居場所を特定されてしまうなどの後の展開があるかと思いきや、何もなし。あまりにストーリーテリングに欠けます。

 追われているからただ逃げている、というだけの状況も、いささかもどかしく感じられました。最後に逃げ切って終わる話なら、徐々に脱出ルートも武器も体力も失い追い詰められていくサスペンスをじっくり描くべきでしょう。スーパーヒーローでもないのにいつまでたっても無傷の主人公は、カタルシスも生まなければマゾヒズムを刺激することもありません。最後の救出部隊登場後の大反撃も、一向に盛り上がらず。爆発など映像の迫力は買いますが、登場した三機のヘリコプターがホバリングして真正面から猛烈に撃ち合ってなお一機も撃ち落とされることがないというのは、不自然すぎるように感じられました。ブラックホークでさえやすやすと撃墜されている御時世だというのに……(註:『ブラックホーク・ダウン』)。

 最後にヘリからロープでぶら下がってオーエン・ウィルソンを助ける役を、ジーン・ハックマン自らやってくれたら多少は救いがあったろうになあ。過剰な盛り上がりにも渋いサスペンスにも欠ける、ほんとに映像だけの映画でした。

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『ピアニスト』

 監督:ミヒャエル・ハネケ
 出演:イザベル・ユペール ブノワ・マジメル

 2001年カンヌ映画祭グランプリ作品〜!

 国立音楽院のピアノ教授を勤めるエリカ(イザベル・ユペール)。だが、彼女はピアニストとして一流になることを母に課せられ、どうしてもそうなりえないでいた。恋人を持つ事も流行の服を着ることも許されないままに中年となったエリカ。その彼女はある富豪が開いた会で演奏した折に、その家の息子であるワルター(ブノワ・マジメル)に出会い、彼の求愛を受けることになる。だが、エリカの歪んだ性的志向は彼を受け入れることを許さなかった。

 ……とまあ、粗筋を書いてみましたけど、実はこれ全く無意味です。この映画においてこんな要約は意味を為さない。BGM全くなし、長回しで延々と役者の顔のアップを撮り続ける映像作りは、淡々としているというよりもむしろ演出自体を放棄しているようにさえ取れます。主演女優イザベル・ユペールの表情の演技は実に雄弁ですが、見ようによってはいかなる解釈も可能でしょう。

 ポルノショップ通いと覗きに明け暮れるヒロインの志向が明らかになったあたりから、この映画はシチュエーションコメディのような要素を帯びてきます。美青年が登場したあたりからヒロインは更なる迷走を開始し、秘めていたSM願望を発露! しかし、ああ悲しいかな実体験不足、サドにもマゾにもなりきれず。あまりにノーマルな志向を持つ美青年は、彼女の超分厚い手紙の要望にただただ困惑するばかり。こっそり収集してベッドの下に隠してあったグッズの数々も日の目を見ることは無し。ぶたれることを切望したヒロインは、ようやく美青年がサド役を演じる気になった途端、ピアニスト志向の習性でつい手と顔をかばってしまい……そんな彼女にはもはやノーマルなセックスなど楽しめるはずもなく、ああ中途半端。

 このヒロインは明らかにおかしな人ですが、しかし上記の淡々とした演出のせいで、コメディチックな要素は無闇に強調されることなく、単に作中の事実としてのみ描写されるにとどまります。笑うも自由、笑わぬも自由、コーエン兄弟のごとく嘲笑的な毒を込めた演出をしていれば随分肌触りが変わったのでしょうが、私的にはこの方が好みです。

 全編に渡って展開されるヒロインの中途半端さ加減が、一つのキーワードになっているように思われました。飛び抜けたところを持たない彼女は、映画内の現実の壁を打ち破れず、いかなるカタルシスにも到達することができません。恋愛の結実、性的願望の解放、ピアニストとしての大成、どれをとっても成し遂げることが出来ず、ひいては観客の期待の充足にもつながりません。笑いの対象にさえなるアブノーマルな性的志向においてもそうなのです。観客の願望に奉仕するハリウッド映画の、ある意味対極にあるように感じられました。ただ、ヒロインの願望に何とかして応えようとする美青年のファンタジックさなど、「リアルな絵空事」である面は共通します。

 ラストシーン、エンドロール直前に、彼女が飛び出したはずの劇場に舞い戻って来たように見えました。ちょっと自信がありません。見間違いかもしれません。ただ、かくも殺伐とした映画世界からヒロインが退場することを、監督が許すとは思えません。逃げだせるならばヒロインはとっくに逃げ出していたはずです。エリカは一度は飛び出したステージに再び舞い戻り、プロになり切れないレベルの演奏で、相変わらず美青年の賛辞を浴びるのです。彼との中途半端な関係もまた続くのでしょう。かくて、この映画はエンドレスとなるのでしょう。痛い映画ですが、楽しめました。

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『ブラックホーク・ダウン』

 監督:リドリー・スコット
 出演:ジョシュ・ハートネット トム・サイズモア ユアン・マクレガー サム・シェパード

 『パールハーバー』に引き続き、またもブラッカイマー製作の戦争映画! 戦争映画ラッシュ第二弾!

 1993年10月3日。ソマリオの首都モガディシオに、100名の米軍特殊部隊の兵士が降下した。目的は、独裁者アイディード将軍の副官の捕獲。だが、1時間足らずで終了するはずだった作戦は、最新鋭ヘリ「ブラックホーク」が撃墜されたことによって、泥沼の市街戦へと変貌を遂げる。数千のソマリオ民兵に包囲され、逃げ場を失った米兵たちは、必死に脱出を試みる。その戦場には名誉も勝利もなく、ただ眼前の死があるのみであった。

 近年ますます株を上げ、ビッグ・バジェットな作品を次々に托されているリドリー・スコット。『グラディエーター』しかり『ハンニバル』しかり。ところでリドリーと言えば、『ブレードランナー』のうどん屋の屋台、『ブラックレイン』の大阪の街のタコ焼き屋の屋台など、旧作においてなぜか屋台を数多く登場させました。近作においても、イタリアの町中、スモークがばんばん焚かれる裏道、なぜか道筋に並んだ屋台の間を縫って行くレクター博士を描き、遠き過去、ローマ時代の片田舎、小さな闘技場を囲んだキャラバンと、その隊商の出した屋台を登場させ、しつこいまでの屋台へのこだわりを我々に見せつけました。そして今作『ブラックホーク・ダウン』の舞台はソマリア。米軍特殊部隊の狙う軍の幹部は、町のど真ん中の建物で会合を開いており、その建物を十重二十重にマーケットが取り囲んでいる……マーケットということはつまり……何が何でも屋台! いったいこのこだわりはどこから来るのでしょうか。

 全編に展開される戦闘シーンは『プライベート・ライアン』をも超えて、まさに壮絶の一言。一般人と兵士の区別など一切無く襲い掛かってくる大量のソマリア人の群れに向けて、アメリカ兵たちはただひたすら引き金を引き続けます。作戦が失敗した瞬間、全ての意味が消え失せた戦場では、ただ自分と仲間の命のために戦うしかありません。そして、その戦場では一切が平等です。力の強い者も弱い者も、賢い者も愚かな者も、若い者も年を経た者も、誰もが区別なく死にさらされます。生き残ったのはなぜか? ただ運が良かったから。死んだのはなぜか? ただ不運だったから。その無機質な戦場には、映画的ヒーローや悪役が入り込む余地はなく、安易なヒロイズムは全て否定されます。

 ジョシュ・ハートネットやユアン・マクレガーら気鋭の若手俳優達も、こうした戦場ではヒーローとして活躍することなど出来ず、ただ刻々と変化する状況の中で生き残るためだけに戦うことを強いられます。ある意味、彼等ではなく誰が演じても良かったのですが、そうした見せ場を与えられない状況の中で、役者陣は好演を見せていました。いつ果てるともしれない戦闘シーンの連続はストーリーの盛り上げなど拒否し、映画として今作を破綻寸前にまで追い込みましたが、だからこそ戦争映画として優れたものになったのだと思います。

 リドリー・スコットのいつもながらのビジュアルへのこだわりも光り、生半可なスプラッタ映画など超越した死体の山、常に画面を横切り続けている銃弾の雨など、臨場感は抜群です。観客席にまで砂利が降り掛かるかのように錯覚させる音響も素晴らしい。ぜひ設備のいい劇場で御覧になって下さい。演出面でも異形のドラマ性を、前半の高密度な緊迫感のこもったシーンから後半の静かな緊張感へと徐々に時間経過を速めて見せ切りました。傑作です。

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『D−TOX』

 監督:ジム・ギレスピー
 出演:シルベスター・スタローン チャールズ・S・ダットン トム・ベレンジャー ロバート・パトリック

 昨年夏以来のスタさん主演作は、サスペンス映画です。

 警察官ばかりを標的にした連続殺人事件が起こる。事件は犯人の自殺によって幕を閉じたかに見えた。だが、犯人に恋人を惨殺されたことで酒浸りになった刑事が入った警官のみの医療施設で再び殺人が! 犯人は奴なのか?

 『ドリヴン』で肩の力の抜けた男を演じたスタさんでしたが、今作は演技面で色気を出して婚約者を失い酒浸りになった刑事を熱演! まあ別に見るべきところのある演技ではないですが、やはり同年代アクションスターであるシュワルツェネッガーよりは幅のあるキャラクターを演じられる地力があります。

 ただまあ、そこそこの演技力も如何せんこのお話では光らない。犯人と思しき死体が発見された時点で、ストーリーは次の展開を見せます。が、その肝心の犯人が、話の必然性として死んでいるはずがないと思えるのはともかく、死体発見の状況が異常すぎて、どうみても身替わりを仕立てているようにしか見えません。またその身替わりも、全く別人ならそうとわかる証拠が出てきても良さそうなのに、そういう捜査をしたようなシーンすら一切なし。それを誤魔化すためか、犯人の正体、バックボーンなどはこれも一切描かれず。結果として魅力に欠けるため、容疑者の多い後半も、別に誰が犯人でもいいやと思えてしまう。サスペンスとして致命的でしょう。

 残酷描写がなかなかショッキングで、目の玉えぐり出されて吊るされた死体はなかなかナイスです。スタさんならずともこれは大ショック! また、ラストの犯人の惨殺方法も、スタさんの怪力が光りました。しかし死んだと思っていた犯人をもう一度ぶっ殺しただけで、主人公に癒しがもたらされたようにみえるのは疑問。要は「自分の手で殺す」というのがしたかっただけなのか?

 ロバート・パトリックが脇役で出てたので、なんとなく『ランボー』とT−1000の対決を想像してしまいましたよ。短いので暇つぶしにどうぞ。

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『ビューティフル・マインド』

 監督:ロン・ハワード
 出演:ラッセル・クロウ ジェニファー・コネリー エド・ハリス

 今年度アカデミー賞、主要四部門受賞作品!

 若き天才ジョン・ナッシュ(ラッセル・クロウ)は、数学者を志し大学時代に「ゲーム理論」の土台を完成させる。だが、目覚ましい活躍と業績とは裏腹に、彼の天才ゆえの偏屈な性格の陰で、事態は確実に進行していた。国家が差し向けた謎の男パーチャー(エド・ハリス)の接触を受けたナッシュは、暗号解読の仕事に従事することになるが、彼の妻や同僚は、次第に彼の身に起きる異常に気付いて行く。

 惜しくもアカデミー主演男優賞は逃してしまいました、ラッセル・クロウ。演技自体は昨年の『グラディエーター』よりも遥かにテクニカルで、素晴らしかった。去年よりも今年取りたかったところですね。無理なマッチョイズムが影を潜め、繊細な演技を見せ切りました。

 賞取った映画にありがちなお涙ちょうだいな部分が意外となく、そのあたりは好感が持てました。が、惜しむらくはこの映画の成立が完全なフィクションではないところ。ジョン・ナッシュという人間の業績ではなく人生を描くはずの映画で、その負の部分をまったく描いていないのは、偽善的であるとかなんとか言う以前に勿体無さ過ぎる。離婚歴、ゲイ疑惑、逮捕事件、息子の病気、それら全てを描いたところで彼の業績が変わるはずもなく、また人生の価値すらも貶められるわけではないというのに、当たり障りのない作品でありすぎます。

 ロン・ハワードの演出は鮮やかなものですが、いささか映像的にアンフェアな部分も目につきました。机を落としたのは誰だったのか? カーチェイスの場面は、「実際」にはどんな光景が繰り広げられていたのか? もう少し解釈が可能にしてほしかったところです。

 悪い映画ではないんですが、物足りないなあ……。

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『ドメスティック・フィアー』

 監督:ハロルド・ベッカー
 出演:ジョン・トラボルタ ヴィンス・ヴォーン スティーブ・ブシェミ

 このシーズンはなぜかサスペンスが多いです。

 船大工のフランク(ジョン・トラボルタ)は妻と離婚し、息子のダニーとも頻繁には会えない日々を送っていた。ある日、かつての妻は実業家の男と再婚することになり、ダニーも彼の家に共に住む事になる。だが、ダニーはその実業家の男の恐るべき裏の顔と殺人を目撃してしまう。フランクは父として息子を守ろうとするが……。

 最初から犯人もわかってますし、登場人物もほどほどの量、特に過激なバイオレンスもなく、いったい何が売りなのかよくわからん映画です。しかし父親役のジョン・トラボルタは好演しています。この人は表情豊かというわけではなく、悪役をやっても同じ薄笑いだったりするのですが、表情以外のところで、どこか暖かみのようなものを出している。対するヴィンス・ヴォーンがどんなに柔和な表情をしても、底の知れぬ不気味さを漂わしているのとは好対照です。

 どう見たって犯罪者なヴォーンを中心に話は展開。先は全部わかるのですが、見てるとそこそこハラハラします。演出は悪くないのでしょう。出てくる伏線も一つずつきっちりと回収されていきます。丁寧なつくりには好感を持ちました。

 別れた妻の結婚式にしぶしぶ参加するトラボルタパパ。映画的「理想の父親」とはここまでしなければならんのか、とちょっと呆れますが、日本とはそもそも家庭に対する認識がまるで違うのでしょう。それが息子の幸せにつながるのならば、たしかにつまらん面子などはどうでもいいはずです。とはいえ参加を頼む妻の神経はちょっと疑いますが。

 「理想のパパ」像と、頭は固いがいざとなりゃ柔軟な「母親」像を両立して描いた、家族もの映画の一つの形、というと誉め過ぎでしょうか。ありきたりではありますが、まあ悪くない映画でした。

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『コラテラル・ダメージ』

 監督:アンドリュー・デイビス
 出演:アーノルド・シュワルツェネッガー エリアス・コーティアス フランチェスカ・ネリ ジョン・レグイザモ

 テロで延期になってました、シュワルツェネッガー主演映画。満を持して公開!

 消防士のゴーディー・ブルーアーは、国際テロのビル爆破によって妻と息子を突然に失う。犯行を声明したコロンビアのテロリスト「ウルフ」を、ゴーディーは現場で目撃していたが、コロンビアとの国交と和平を目指すアメリカ政府は、CIAのタカ派をのぞいてテロ組織を追求しようとしない。ゴーディーは自らの手で「ウルフ」に復讐しようと、コロンビアに単身渡るが……。

 『エンド・オブ・デイズ』『シックス・デイ』など失笑物の作品を連発し、日本におけるお正月の顔も売り渡したシュワ。今作も延期によって不遇を受けました。しかし蓋を空けてみると、オカルトとマッチョイズムの噛み合わなかった『エンド・オブ・デイズ』や、半端なSF設定が安直なメッセージ性と共に空回りした『シックス・デイ』に比べると、一作品としてはずいぶんマシな方でした。

 今作のシュワルツェネッガーはキャラクターから徹底して無敵性を排し、生身の消防士という役柄を演じています。冒頭の消火作業シーンが完全に台詞だけでつながれた手抜きな構成だったのでかなり不安になりました。しかし作中、消防士としての経験は爆弾作りなどにそこそこ活かされ、テロリズムというやや重いテーマを描いている点で、無理にスーパーヒーローを登場させなかったところも整合性が生まれています。それゆえにシュワの個性も出ず、特にカラーのない誰が演じてもいいようなキャラクターになってしまったことは否定できませんが……。

 映画はクライマックスでひっくり返り、当初想像した形とは違った真相が呈示されます。これに向けてのミスディレクション、というよりも真相が明らかになった後、それを唐突に感じさせない伏線の張り方が上手い。鑑賞中にどことなく違和感を覚えた映像が、全てこのラストに直結しています。固定観念を利用しただけのドンデン返しはアンフェアですが、こういう練られた描写を積み重ねたならそれはフェアプレーに転じます。しかし、こういう丁寧な部分がある反面、指名手配されて出国したテロリストが再び簡単に入国しているなど、雑な展開も目立ちます。このアンバランスは御都合主義ですねえ。

 テロリスト側にもアメリカの支援するコロンビア政府軍によって家族を殺された過去があり、そのテロリストによって家族を殺された消防士が復讐を決意する。「おまえと俺のどこが違う?」と主人公に問うテロリストに対して主人公は「俺は違う」と答えます。が、どこが違うかという具体的な説明はなされず。死者のために生きる人間に、「命」の大切さなどを説く事のなんと不毛なことか。主人公の行動は論理的には矛盾だらけです。結果的に多くの血が流されます。失われる物が多すぎます。

 エンターテインメントながら、勝者なき対テロ戦を描いた作品。これを映画の結末だけ観て「ポジティブ」と捉える事は不可能でしょう。公開延期の真相は、空爆一色の世論にある意味冷や水をぶっかけるような内容にあったのではないでしょうか? 思ったよりまともな映画でした。

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『アザーズ』

 監督:アレハンドロ・アメナバール
 出演:ニコール・キッドマン

 まだまだ続きます、今シーズンのサスペンス映画。

 第二次大戦終結直後の1945年、イギリス。その屋敷に住む二人の子供は重度の光アレルギーで、カーテンの厚く閉ざされた暗闇の中で生活している。母親のグレース(ニコール・キッドマン)は、屋敷の管理のために三人の召し使いを雇う。だが、それと時を同じくし、事態は進行し始めた。無人の部屋から聞こえるピアノの音、足音、そしてカーテンの消失。子供達が目撃した何者かは、いかなる存在なのか?

 『オープン・ユア・アイズ』(リメイク作『バニラ・スカイ』)のアメナバール監督の出世作です。こういう意外な展開やラストを見せるサスペンス映画が好きな監督なんでしょうか?

 今作の内容はラストに全てを収束させる構成に尽きるでしょう。舞台となる屋敷の時代設定、セット作り、美術、登場人物、ストーリーの流れ、何もかも落ちで映画を収斂させるために用意されています。「意外なラスト」に奉仕する舞台設定は何もかも計算ずくで組み立てられ、最後にまた予定通り崩壊します。ただこういういかにも「本格ミステリ」的な構成を取ると、この「意外なラスト」の切れ味が相当なものでないと、どうしても印象に残らない作品になってしまう。その点で今作は悪いパターンにはまってしまったように思います。

 母親から子供、さらには使用人。画面中央に据える語り手となるべき主格を固定せず、観客をいくつもの誤った方向に誘導する映画ならではのミスディレクションは堪能できます。幾通りも想像される展開の中で果たして真実はどれなのか? しかしこれらの想像全てを超えた衝撃のラストが待っていれば良かったのですが、実際はそうもいきません(無いものねだりでしょうけど)。落ちの想像がついてしまう人も多いかもしれません。特にあの映画がヒットしてまだ数年ですからね。

 ラストは「A」という属性かと思われていた「グループ1」が、実はそうではなく「A」と対極にある「B」に属するグループであったというもの。このラスト自体はいいのですが、ミスディレクションの一策として「B」に属しながらもやや「グループ1」とは異なる「B’」とでもいうべき属性を持つ「グループ2」が登場するところが気に入りませんでした。まず、この「グループ2」は観客を誤誘導して仮説を混乱させ、話をややこしくするためだけに登場しているので、映画の真相とは完全に分けてしまえる点。またこの「グループ2」がラスト近くで実は「A」ではなく「B’」だったことが明らかになるため、「グループ1」が「A」ではなく「B」であったという真相が直後に明らかになっても、大きく衝撃が薄れてしまっている点。これだけで個人的にはかなり興醒めしました。とはいえ、この二点をとっぱらってしまうと、明らかにあの映画になっちゃうんだよなあ。

 またこの箱の中のごとく完全に閉鎖された世界観も、ムードという点では効果をあげていますが、ラストへ向けた想像の余地を残す点ではややマイナスでしょう。世界観が限定されては落ちも限定されるに決まっています。映像的に主格を固定し全てがフェアになるように撮れば、整合性の取れた完璧な構成のみが持つ美しさを楽しめますが、ラストから導き出されるある種の「なんでもあり」さと閉ざされた世界観の組み合わせは、単なる御都合主義しか生み出しません。メイントリックとはずれますが、もう少し時間差を使って、実はこの屋敷も大きな世界観の一部であった、という風に持っていけば、三段落ちになって面白かったかも?

 人物設定が結末に奉仕するためにのみ設定されているため、生の手触りが伝わってこないところも残念なところです。「存在」に対する恐怖が逆転する結末も、この薄っぺらさが災いして何らテーマとしての重みを感じさせません。

 舞台設定よし、設定の必然性あり、役者の演技も良し(特にキッドマンはベストではないか?)、適度に演出も緊迫感があるのに、全部が全部うわべだけってとこですね。まあ観ているあいだだけは退屈はしません。

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『サウンド・オブ・サイレンス』

 監督:ゲイリー・フレダー
 出演:マイケル・ダグラス ショーン・ビーン ブリタニー・マーフィ ファムケ・ヤンセン

 またもサスペンス。今作はどうかな?

 精神科医のネイサン(マイケル・ダグラス)は、新しく治療にあたる事になったエリザベス(ブリタニー・マーフィ)という少女が、実は重度の精神病を装っているだけであることに気付く。翌日の感謝祭の朝、ネイサンの一人娘が何者かに誘拐された。犯人は娘の命と引き換えに、エリザベスからある6桁の数字を聞き出す事を要求してくる。だが、エリザベスは容易に口を開こうとはしない。

 予告編を観た時には、重度の精神病を患いながらも高い知能を持ち、医者を弄ぶような言動を見せる悪魔的な少女から、精神科医が知識の限りを尽くして騙しあいスレスレの駆け引きを演じる。そういう内容だと思いました。刻一刻と迫るタイムリミットの中で、精神科医はあせり、時には暴力に訴えそうにもなり、あるいは泣き落しを演じる。娘の命と、医者としてのあるいは人間としてのモラルを天秤にかけることを要求されるような、そういった壮絶なプロットを想像しました。サヴァン症候群を題材にした篠田節子の『ハルモニア』などに近い内容の作品だと思ったのです。ところが蓋を空けてみれば……。

 冒頭シーンは犯罪者グループの銀行強盗から幕を明けます。金庫を破って大きなダイヤを盗んだのはいいが、グループのリーダーは手下に裏切られそのダイヤを奪われます。……もうこれだけで「謎の数字」はダイヤの隠し場所を示している事は、容易に想像がついてしまいます。十年後、ショーン・ビーン演ずるリーダーは出所してすぐ主人公の娘を誘拐。その後、謎の数字を調べ出そうとする……見え見えじゃないですか……。謎は早くも求心力を失います。

 大方わかっている謎をいつまでも引っ張るわけにもいかず、医者と患者の駆け引きなんてものはろくにないまま、話は単なる誘拐サスペンスにシフト! さらには単にトラウマで数字を思い出せないだけだった患者を病院から引っ張りだし、かつて精神的ショックを受けた現場まで連れていって思い出させようとする! 全然「精神の病で入院している」という設定が生かせてないじゃないですか……。無理矢理連れ出すなんて、別に精神科医じゃなくても素人でも出来るじゃないですか……。なんつうひねりのないプロットでしょうか。

 適当にアクションを振り掛けて、ほどほどの緊迫感を出してます。こういうのはハリウッドのお家芸の一つですね。しかしこの安直なドラマ作りには失笑です。知的なひねりが一切無い展開には参りました。鏡文字はやると思ったけど、あのシーンカットして普通に数字喋っても、全然つながってしまうではないか。可哀想な患者と主人公の娘を対比させたべたべたな家族ネタもがっかり。いい加減にしてくれ。

 つまらないことはないですが、期待が大きすぎましたかね? 退屈でした。

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『スパイダーマン』

 監督:サム・ライミ
 出演:トビー・マグワイア ウィレム・デフォー キルステン・ダンスト

 ますますメジャー街道驀進の速度を増すサム・ライミ、あのアメコミの映画化です。

 しがない高校生のピーター・パーカー(トビー・マグワイア)は、遺伝子操作された蜘蛛に噛まれた事によって突然変異を起こし、超人的な力を身につける。その力で金もうけを考えるピーターだったが、叔父の死をきっかけに正義に目覚め、ニューヨークの悪を討つスパイダーマンとして生まれ変わる。だが、それと時を同じくして、もう一人の超人がこの世に出でんとしていた。科学者のノーマン・オズボーン(ウィレム・デフォー)は新薬の人体実験を自らの肉体で行い、凶悪な人格を持ったグリーン・ゴブリンとして再誕したのだ。ピーターの幼馴染みメリー・ジェーン(キルステン・ダンスト)をも巻き込み、凄絶なる超人戦の幕が上がる。

 毎年の所長的ベスト10の今や常連となってしまったサム・ライミ監督、今作もまたまたやってくれました。妙に真面目な『シンプル・プラン』、職人芸を見せた雇われ仕事『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』、昔の癖がそろそろ復活してきました『ギフト』を経て、ついに超大作の監督を! しかも題材はアメコミヒーローときては、往年の『ダークマン』のようなテイストを期待せずにはおれません。

 近年確立した丁寧な仕事は健在。べたべたな学園ものストーリーにお約束のギャグ、だがトビー・マグワイアの気弱さとオタク臭漂う演技にも支えられ、細やかな表情の演出や学園内の描写などもきっちりと描かれています。そしてその中でもサム・ライミ節が炸裂! かわしたパンチをトビーがあのぎょろぎょろの目で左右に見るシーンは素晴らしい。芸が細かいのに映像的興奮に満ち、繊細かつダイナミック。そして映像のみならず、演出面でもハイスクールの弱者には厳しい雰囲気が子細に描かれています。作中、いじめにあっていた主人公は超人的な能力を身に付け不良を圧倒しますが、しかしその能力によって彼が学園のマジョリティに収まる事は決してない。排他的で狭苦しい価値観が横行するくだらなさがよく出ています。

 「ヒーロー」とは何か、とりわけ現代におけるそれはいかにあるべきか。英雄的行為は裏があると取られ、決して手放しの賞賛を浴びる事はありません。力に呪われた男のたどる道とは。怪人グリーン・ゴブリンとの対比もまた、その命題を際立たせます。

 主演のトビー・マグワイア、初主演作『カラー・オブ・ハート』から『シビルガン 楽園を下さい』『サイダー・ハウス・ルール』に今作と、一貫して若者の内面的成長を描いた作品に出演、そのすべてで実に達者な演技を見せています。180度方向を転換しながらなお本質を変えることのない、真に成長と言える変化を見せ切る演技、やはりただものではありません。また悪役ウィレム・デフォーもお約束の二重人格演技を用意してもらい、御満悦で演じています。こういう役をやらすともはや彼の右に出る者はいないでしょう。べたな設定ながら、しかしこのキャラクターも根っからの悪人ではない。少しばかり進む道を誤っただけ……そういったちょっとした複雑さをこれまた巧みに表現しています。ヒロインのキルステンにしろ、主人公の友達役にしろ、一見類型的なキャラクターなようでいて、リアルな肌触りを備えている。物事を単純にも複雑にも描き過ぎない脚本の端正さが良く出た部分です。

 映像面では、ちょっとCGが食いたりない感じ。ややぎこちなさが目立ちました。特に生身とCGの使い分けがはっきりしすぎてしまったシーンがもったいない。生身との組み合わせが今後の課題でしょう。次回作では改善して欲しいものです。

 それにしてもラストは……いや、泣けましたね。直接的なネタバレは避けますが、これはまあ要するに……『ダークマン』ですっ! 画面の彼方へ消えて行った『ダークマン』に対し、スクリーンのこちら側に向けて進んでくるピーター・パーカーが呟く。

「I'm spiderman!」

 あ〜もうたまらん。最高すぎます! この二作品のラストの違いは、要するに『スパイダーマン』は続編作るよ〜ということかな? 早くも再来年が楽しみです。

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『ミミック2』

 監督:ジーン・デ・セゴンザック
 出演:アリックス・コロムゼイ ブルーノ・カンポス

 もういいよ、と思った方も多いでしょう。あのつまらなかった虫ホラーの続編!

 かつてニューヨークの地下を蹂躙した遺伝子操作で生み出された巨大昆虫「ユダの血統」。その最後の生き残りが、とある学校の地下に潜んでいた。人間に擬態するその怪物は単体で進化を遂げ、次々と人間を襲い続けるが……。

 そこそこ金をかけてCGも使っていた前作から急転直下(というほどでもないか、予想された流れですね)、あっさりと低予算化され、モンスターもずいぶん手作り感が目立ちます。まあ安っぽいですが、こういうのもたまには味があっていいものです。そこらへんは演出でカバーすればいいし、脚本次第でスケール感だってだせます。

 虫の習性ですとか、そういったものはなかなか上手く脚本に取り込んでいました。ありきたりと言えばありきたりですが。冒頭、たった一匹生き残った蟻の運命、というのが示され、それによって「ユダの血統」最後の一匹の運命も暗示されます。これはちょっとかっこよかったのですが、もう少し虫側の視点がないと情感が出ないですね。惜しい。

 別に面白くはなかったのですが、まあタダなら観てもいいかな……。

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『スパイダー』

 監督:リー・タマホリ
 出演:モーガン・フリーマン モニカ・ポッター

 まだまだ続きます、サスペンス映画。

 心理分析官アレックス・クロス(モーガン・フリーマン)のもとにかかってきた一本の電話。それは政治家の一人娘を誘拐した犯人からの挑戦状であった。クロスは巧みなプロファイリングで、自らをリンドバーグの息子の誘拐犯になぞらえる犯人の、真の狙いを突き止めるのだが……。

 かの『コレクター』の続編です。前作も面白かったとは言いがたい作品でしたが……。

 少女が誘拐される冒頭部分は、突然教師の顔がはがれるショッキングなシーンも含め、なかなかの盛り上がり。その後、犯人の素顔はさっさと明らかになり、さて今後はどう展開するのか? 続きが非常に気になりました。

 中盤の犯人の真の狙いが明らかになるところや、人質の娘が脱出しようと計るところなどもスリリング。ところがその後が急におかしくなりました。原作ならばもう少しさりげなく伏線を張って、多少は説得力を出していたのでしょうが、ちょっと展開が強引すぎ。これならばいくらでも新しいキャラを出して先に引っ張れるではないか。

 『ダーティハリー』みたいなことをやってる途中の電話ボックス巡りも、何度も他の映画で観てるだけあって退屈でした。しかしモーガン・フリーマンは渋い! かなりいい年だと思うのですが、いくら走り回ってもクリント・イーストウッドほどにも息を切らさない(演出してないだけかもしれませんが……)。この元気さにも感心しました。地味なキャラクターのようでいて、まずまずスーパーヒーローですね。

 どうってことない作品ですので、これもまあ暇なら。

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『パニック・ルーム』

 監督:デヴィッド・フィンチャー
 出演:ジョディ・フォスター フォレスト・ウィテカー

 待ってましたのフィンチャー監督最新作、今シーズンとしてはまたまたサスペンス映画です。

 ニューヨークの真ん中にマンションを買った母娘。その家には以前に住んでいた老人が財産を守るために作らせたという隠し部屋、「パニック・ルーム」があった。鋼鉄の扉と多数の監視カメラを備えたその部屋に不気味さを感じる母親だったが、格安なこともあって購入を決めた。だが引っ越したその夜、三人の男たちがその「パニック・ルーム」の中にある何かを狙って侵入する。

 『ファイト・クラブ』以来の久々の新作とあって、かなり期待しましたですよ。さてさて、前作とはガラッと趣を変えて今回は密室が舞台のサスペンス。機械仕掛けの部屋と言えばかつて『キューブ』という傑作がありましたが、今度のタイトルにもなった『パニック・ルーム』はせいぜい鋼鉄の自動ドアと監視カメラがあるぐらいで、それほど大袈裟な仕掛けが施してあるわけではありません。予告編を観た限りでは、天井に電流を流していざとなりゃ下の階へ部屋ごと移動する、ぐらいの仕掛けがあるように思ったのですが、別に関係ありませんでした。本格ミステリで言うと絢爛豪華な密室を期待したのに、しょぼいトリックしかなかったというところでしょうか。そういう映画でなければいけない、と言ってるわけじゃないのですが、タイトルに持ってくるには存在として弱いのではないでしょうか。

 さてさて設定自体がどうってことのない物なら、次はストーリーやキャラクターはどうか見てみるとしましょう。本格ミステリとしてダメでも小説として面白いか、というところですね(この時点でダメ、という人も多いと思いますが)。しかし『サウンド・オブ・サイレンス』のように殊更に強調することはないとはいえ、ありがちな親子関係や例によって仲間割れする強盗三人組など、目新しいものは感じられませんでした。携帯電話やモールス信号など、脱出のために試みられる方法も、こちらの想像の範囲内ばかり。注目したいのは、これらの展開は電波が通じない、通気口が空いているなど、設定が最大限に活かされているということ。なのに退屈なのは、結局最初の「パニック・ルーム」の設定が斬新なものでないため、そこにつながるストーリーも陳腐なものにしかならないのです。

 既成の映画にあったのとそっくりな展開を、フィンチャーが演出したらどうなるか、という映画。フィンチャーの演出が上手いことはよ〜くわかりましたが、使い古された既成概念を延々と使い回すハリウッド方式のサスペンスの末期症状を、打破することは彼をもってしても出来なかったということでしょうか。今シーズンのサスペンスはこれにてめでたく壊滅です。がっくり。

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