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2002年冬の新作映画メモ


『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』 『アクシデンタル・スパイ』

『ヤンガリー 怪獣大決戦』 『恋する遺伝子』 『スパイ・ゲーム』

『メメント』 『バニラ・スカイ』 『修羅雪姫』 『フロム・ヘル』

『ジェヴォーダンの獣』 『RAIN』 『オーシャンズ11』

『ジーパーズ・クリーパーズ』 『仄暗い水の底から』

『キリング・ミー・ソフトリー』 『マリー・アントワネットの首飾り』


『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

 監督:金子修介
 出演:新山千春 宇崎竜童

 毎年毎年、期待に期待してしまいます。今年もこの季節がやってきました!

 1954年のゴジラ襲来より50年、日本を守る防衛軍の海底探査船が捉えた、背びれのある巨大生物の映像。防衛軍はゴジラ出現を警戒するが、それと時を同じくして日本各地で謎の現象が起こり、三体の怪獣が覚醒する。バラゴン、モスラ、そしてキングギドラ……。太平洋戦争の怨霊を背負った破壊神であるゴジラと、「くに」を護らんとする護国三聖獣、そして防衛軍の三つ巴の戦いが始まる。

 さてさて、発想や映像にはそこそこ見るべきところがありながらも、説明的セリフだらけでセンス皆無の脚本、魅力に欠ける新怪獣のせいで泣けてくるぐらいつまらなかった前作『ゴジラ×メガギラス』から一年。『とっとこハム太郎』と二本立てという、往年の「東宝チャンピオン祭り」を思わせる屈辱的ラインナップで、今年もまたゴジラがやってきました。

 さて監督が平成『ガメラ』シリーズを手掛けた金子修介であり、特撮スタッフもかなり同シリーズと共通です。そしてキングギドラとモスラがまとめて登場するお祭り騒ぎ的配役及び護国三聖獣という最初聞いた時は何かの冗談かと思った設定。これは『ガメラ』を思わせる特撮映像で派手派手な怪獣プロレスが繰り広げられるんだろうと、勝手に想像していました。しかし画面上に展開されたのは、近年の作品にない強烈な政治的提言を盛り込んだ社会派としての側面も持ち合わせた、プロパガンダ的映像だったのです。

 さてさて今回登場するゴジラは、初代『ゴジラ』から数十年を経て、大平洋戦争で死んでいった人々の怨念の集合体として、日本を滅ぼすべく侵攻してきます。白眼むき出しの憎々しげな表情で容赦なく人間を踏みつぶしていく姿はまさに破壊の神。防衛軍や護国三聖獣の攻撃も、ものともしません。静岡県焼津での大破壊は、直接的な流血の描写こそありませんが、凄惨です。作中、怪獣への政府の対策は遅々として進まず、またバラゴンを初めとする怪獣に接触した民衆のどこか危機意識を欠いた姿も描かれ、人身被害の描写も合わせてこの映画が緊迫する国際状況の中でなお平和ボケした日本という国家に警鐘を鳴らす意図を持っていることは、極めて明確にあらわれています。「自衛隊」ではなく敢えて「防衛軍」という軍隊を怪獣に立ち向かわせる設定からも、現状の日本の体制に対する批判がこめられていることは明白と思われます。

 ……が、しかしです。主義主張、イデオロギー、そういったものを怪獣映画にこめることそれ自体は、大いに結構です。誰もがのんきな怪獣プロレスを毎年観たいと思っているわけでもないでしょう。ですが一つ言わせていただくとしたらこうなります。

「幼稚な奴らが安っぽいお題目並べ立ててんじゃねえよ!」

 一つずつ見ていきましょう。まずは前述の防衛軍の設定。作中の日本は安穏と戦後を過ごしたわけではなく、ゴジラ襲撃という「戦争」を経験したことで強固な国防意識を身につけ、自国で軍隊を所有するに到ったようです。しかし、どんな設定があるのか知りませんが、画面上からは「自衛隊」とは根本的に違う「防衛軍」の軍隊としての特性は、まったく見えてきません。工業機械を兵器に転用する描写や、閣議決定が出るまで出撃を停止せざるをえない法整備の不備、怪獣相手に場当たり的な攻撃を繰り返し犠牲を出す実戦能力への疑問。どれもが現状の自衛隊を映画で描いた場合にも、そのまま当てはまるものなのではないでしょうか? 軍隊を持たぬ日本に敢えて軍隊を持たせ、現状への批判としようとしたはずなのに、ある種の理想であるはずの「防衛軍」が「自衛隊」と同じくなすすべなく敗退する姿を描く……。「現実への批判」と「理想像」がごっちゃになった、製作者の自己矛盾が露出しています。完成された防衛能力を持つ「防衛軍」の姿を描くか、あるいは役立たずの「自衛隊」を徹底的に敗北させる方向で描写するか、作劇としてはどちらかしかないはずなのに、なんとも中途半端です。「日本の軍隊」という意味で「防衛軍」という名称は確かに強烈なインパクトがあります。が、それを使いたかった気持ちはわかりますが、その名前だけが先行してフィクションとしてそれに見合う設定を完成させられなかった、想像力の欠如あるいはビジョンの無さが完璧に露呈しているのではどうしようもない。「国防」と言うのは容易いですが、作者側はその先を何も見ていません。

 ヒーローとしてではなく、観客の感情移入を阻害する破壊神としてのゴジラの設定。これも今作のキーポイントになっています。白眼の恐ろしい形相と、「ゴジラってかわいい」などという怪獣に共感を示す人間を容赦なく叩き潰していくその姿は、まさしく悪の化身です。最強武器である放射熱線はキノコ雲をも立ち上らせ、「原爆……?」という台詞とともに否応無しにかつての「戦争」のイメージを想起させます。初代『ゴジラ』を踏襲した設定です……というとうっかり信じてしまいそうになりますが……初代『ゴジラ』ってそんな話だったっけ? ええ、いや、ゴジラがそもそもそういった太平洋戦争の惨禍を象徴する存在であることは、たしかにそうなんです。ですが、「国防」意識をかかげそのゴジラを「外敵」として位置付け、倒そうとする姿勢は、初代とはまったく違うものです。「太平洋戦争の悪霊」としてのゴジラと「核の申し子」としてのゴジラ、この二つにはそれぞれ「日本」レベル「人類」レベルと違いはありますが、どちらにもある種の問題意識がこめられています。端的に言って「戦争」と「核」を生んだことによる警鐘です。が、それらを「外敵」として撃退しようというのは、あまりに過去の行いを忘れた能天気かつ虫のいい姿勢ではないでしょうか?

 身も蓋も無い言い方をすれば、ゴジラは「日本」と「人類」の「身から出た錆」であり「しっぺ返し」であり「代償」なのです。乱暴に言うと「日本」と「人類」はゴジラに滅ぼされて当然かもしれないのです。いや、現実レベルでも後の世には「戦争」か「核」によって本当に滅びる可能性だってあるのです。それを踏まえた上で、それでも「現在」に生きる人間が過去の亡霊に滅ぼされまいとする姿を描くなら、まだ納得がいきます。が、安易にゴジラを「悪」として描き恐怖の象徴として据えることは、「戦争という現実」から目を背け忘れ去った「大衆」を描きながら、その実、作者側こそが最も過去から目を背け、問題意識を欠いていることを露呈しています。ゴジラから表情を奪い顔のない「外敵」として設定したことは、かつてどこぞの国の兵士が他国の人間を「丸太」と呼んで殺したことと本質的に同義であり、あまりに想像力を欠いた罪深い行為です。

 そのゴジラと対立する存在として設定されたはずの「護国三聖獣」も、安っぽい主張しか持たない脚本によって行動目的のつかめない不明確な存在に堕しています。「国家」ではなく「国土」を守る霊的な守護神として「外敵」と戦う三聖獣ですが、この設定から「人類」ではなく「地球」の守護神である平成ガメラを思い出すのは私だけではないでしょう。しかしその本質を三作かけて描いた『ガメラ』シリーズに対し、今作は三聖獣に関しては台詞での説明に終始。詰め込み過ぎの感は否めません。それでも要所でポイントを押さえていればどうにかなったのですが、まずゴジラという存在が「国土」の敵であるという設定には、前段の理由で疑問を覚えます。まあそれでも歩く核兵器が侵攻してくるのなら、三聖獣も寝てるわけにもいかんでしょう。

 その三聖獣、目覚めた時にまず挨拶代わりに複数の人間を血祭りにあげます。彼等が「国家」「国民」ではなく「国土」の守護者であることを表現する、重要なシークエンスです。言うなれば「怨霊」と「御霊」の対決であるゴジラと三聖獣の対立の構図は、個々人の生死など無視した「イデオロギー」と「イデオロギー」、「観念」と「観念」の激突である、まさしく「戦争」の象徴であるといえます。……とまあここまで今作を観る以前の情報から考えて「見事な設定だ!」と感心していたんですが……。終盤まで三聖獣の手にかかって殺される人間は、登場時に居合わせた者たちのみなのですが……これがなんと「暴走族」と「万引き不良少年」! 他に善良な人間が殺される描写があれば良かったんですが(そういう人はもっぱらゴジラに殺される)三聖獣が直接殺すのはこいつらだけ、つまり「暴走族」と「万引き不良少年」は「国土」の敵であり、害のある存在であるということなんでしょう……。暴走族の服装その他が今の風俗ではありえないものであり、メットやつなぎなどを着た通行人ライダーである可能性を排しているあたり、作者側がここで殺して見せたかったのは「暴走族」という記号であることは明らかです。書いててうんざりしてきました。なんという選民意識でしょうか。なんという傲慢でしょうか。ゴジラに殺される人々に関しても言えることですが、殺される人々の描写とチョイスがあまりに恣意的かつ作為的で、いくら流血描写をしてもとてもリアルには感じられません。

 「怪獣映画」とは「戦争」を描く一面を持っていると常々思っているのですが、作者側は「戦争」で死ぬのは「暴走族」と「万引き不良少年」「怪獣に共感を示す平和ボケした人々」だけだとでも本気で思っているのでしょうか? 「平和ボケした日本に警鐘を鳴らす」意図で作ったつもりなんでしょうが、製作者はただ単に自分達は「平和ボケ」しておらず「暴走族」や「万引き不良少年」とも違う存在であるということを強調し、自分達だけは「戦争」による「死」の圏外に逃れたいという恐怖心の裏返しであるエリート意識を、知ってか知らずか露呈(この表現多いな)しています。のんきに怪獣映画作ってるてめえらは平和ボケしてねえってのか? 十代二十代にどれだけ品行方正だった? まともな大人の社会人なら今時の若者の教育に対して責任の一端ぐらいあることわかってるか? これだけ全部クリアしたところで「戦争」が起きたらどんな人間だって死ぬかもしれないことが想像できないのか?……とこの程度のことに思い当たれば、これほど傲慢な内容は作れないはずなんですが……自覚してないんでしょうか? 傲慢を悟らぬ傲慢こそが最悪の傲慢なのですが……。

 映像面のわかりやすいあざとさには、もううんざりです。「白目なら凶悪そう」という単純な発想、執拗な踏みつけ攻撃といういじめっ子レベルの動作で凶悪性をアピールするゴジラ対バラゴン(やりたかったことは想像がつくけどむしろユーモラス)。極め付けは、「原爆……?」の台詞のためだけにあがったキノコ雲その後一切登場せず、でしょうか。横浜決戦でもばんばんキノコ雲があがればよかったんですが、一回しかやらないんじゃあ意図見え見えで興醒めするんですよね。

 しかしそれでも仰角視点のバラゴンはかっこいい。あの歩き回るバラゴンの重量感、建物ぶっ壊す時の臨場感、最高ですな。マッハで飛ぶモスラもかっこいい。しかしゴジラはかっこわるい……白目はいいんですけど、あのドタドタした下半身、どないかなりませんか? ついでにあの熱線の細さはなに? プラズマ火球ばりのエフェクトで発射するわりにはどう見ても量感不足で迫力無し、なのに威力はやたらとあり……。完全に光線として処理されたところも不満。ヘリを撃墜するとこはかっこよくバリエーションの一つとしてなら容認できるが、なぜ怪獣が一発で蒸発するんだ……?

 防衛軍の人間がバタバタ死んで、ようやく事態が正常化した感のある横浜決戦。しかしあんなに弱いキングギドラとモスラは初めて観ました。平成『ゴジラ』『モスラ』両シリーズで光線技と戦闘力の大幅なインフレをゴジラともども見せた両者ですが、ずいぶんと弱体化したものです。いえね、旧シリーズ観てた時は「パワーアップしすぎだよ、いい加減にしろよ」と思ったものですが、いざ光線技を封印して見ると、う〜ん、なんか物足りない。例えていうなら人造人間編以降のスーパーサイヤ人を超える超えないやってた頃の『ドラゴンボール』を「無茶苦茶だよ」と思っていながらも、いざ天下一武道会でちまちまやってたあたりを読み返して見ると物足りなく感じるようなものでしょうか……この例えわかりにくい? 「千年竜王……キングギドラ……!」っちゅう台詞にはアドレナリン逆流したんですがね……。「完全体になる」という設定を聞いていたのでか〜な〜り期待したんですが、空を飛んで引力光線を吐くようになる……って今までの映画で素でやってきたことを鳴り物入りでされてもなあ……。ゴジラより巨大化してサシで決着をつけるのを期待したのに……。

 主人公の新山千春がお送りするくさいナレーションとしけた音楽で煽るデジカメ報道も、阪神大震災の報道でくっさい音楽をバックに鳴らして顰蹙を買った某局と同じく、まさしく悪しきニュースショーの典型としか思えんのですが、これも自覚なしでしょうかね。製作者はずいぶんと自らの設定した防衛軍に肩入れしているようですが、新山の「彼等は守るために戦っています!」の絶叫の裏には「平和ぼけしたおまえらを、オレ達国防意識をしっかりもった人間が守ってやってるんだぜ。ありがたく思って感謝しろよ」という本音が見え隠れします……何様? 他人なんぞ死んでもかまわんと思ってるのが見え見えの奴らが、何が「守るために」なんだか。

 最後は宇崎竜童が娘である新山の思いを背負い、ゴジラの口の中へ特攻を決意! 指令室で時間の流れが止まったように延々と続く敬礼シーン! 口の中へ突撃というのも余りに古典的で驚きましたが、最後は宇崎竜童は生き残りました。「特攻隊」まではさすがに自粛したようです。安手のヒロイズムに変わりはないですが。そして仕上げはヤマトの聖獣たちに敬礼……三聖獣に殺された人の無念はどうなるの? とってつけたような「残留放射能」云々の台詞も哀れを誘います。そういやゴジラって放射能吐いてたっけ……焼津はどうなったんだろうね。

 恐るべき傲慢と選民意識に裏打ちされたダイレクトに安い映像をくどいぐらいくり返すプロパガンダ。「平和ボケしてると怪獣に殺されちゃうぞお!」という今作に込められたテーマは、「セックスばかりしてるとジェイソンに殺されちゃうぞお!」という主張を込めた『十三日の金曜日』シリーズと同レベルの無内容であります。また「アメリカ万歳!」よりさらに狭いカテゴリである「国防を憂うオレ達万歳!」を歌い上げ、てめえらさえよければそれでいいという感覚を前面に押し出したヒロイズムはあの『パールハーバー』をも遥かに超える安さです。「戦争」をテーマにしようとしながら幼稚さをむき出しにした本作は、まさしく「戦争ごっこ映画」とでも呼ぶにふさわしいですね。初代がいかに傑作だったか、身を持って知りました。

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『アクシデンタル・スパイ』

 監督:テディ・チェン
 出演:ジャッキー・チェン エリック・ツァン ビビアン・スー

 間が空きませんね、またもジャッキー映画!

 健康機具を販売するバック(ジャッキー・チェン)は、うだつがあがらないながらも平凡な日々を過ごしていた。そんな彼のもとに訪れた、顔も知らなかった父の危篤の知らせ。莫大な遺産を相続するためにトルコへ飛んだ彼は、そこで細菌兵器を巡る陰謀に巻き込まれ、にわかスパイとして奮闘することになる。

 こないだ『ラッシュアワー2』を観たとこだというのに、もう次の作品が来てしまう。かつての東宝東和独占状態だった時代からは考えられません……ああいや、あのころも結構立て続けに観てたかなあ。まあ温かった前作の仇がこれで取れたらいいなあと思っていましたが、はてさて?

 「ストーリー性を重視し、アクションを極力抑え、ジャッキー自身もシリアスかつ繊細な演技を見せる」ってな前評判をどこからともなく聞いていました。……が、観て思ったことはと言いますと……どこがやねん! なるほど、いつになくストーリーにはそれなりのラインがありますが、冒頭、いきなり本筋に関係なく銀行強盗を追い掛け回すジャッキーを見ていると、突っ込まずにはいられません。そのシーンも小道具あり、狭いエレベーター内での格闘あり、目も眩みそうなクレーンの上でのアクションあり……どこが抑えてるねん! そして中盤、『ラッシュアワー2』でほんのちょいしか見せなかった全裸での路上チェイスを発狂したかのように延々やります。どこがシリアス……いや、もう何も言うまい。だってこのほうが面白いもんな……。

 正直、全盛期の切れはなく、ジャッキーにもしんどそうなとこが目立ちますが、それでも立ち回りのハイレベルさや小型機のプロペラが目の前を通り過ぎるスタントなど、見せ場も充分です。ファンならそれなりに楽しめます。

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『ヤンガリー 怪獣大決戦』

 監督:シム・ヒョンレ
 出演:リチャード・リビングストン ハリソン・ヤング ブライアント・ウェルズ

 ワンシーズンに二本も怪獣映画が! いい世の中です(ほんとか?)。

 先史時代の洞窟から発見された、身長100mの巨大な化石。それこそは伝説の大怪獣ヤンガリーであった。時を同じくして地球に飛来した宇宙人の放った謎のビームによって復活するヤンガリー。宇宙人の尖兵となって大都市を破壊するヤンガリーには、戦闘機もヘリも歯が立たない。最後の賭けとして実験段階の秘密戦闘部隊「Tフォース」が出撃し、ヤンガリーと激闘を繰り広げる。人類の命運やいかに?

 『シュリ』、『JSA』『リベラ・メ』など、立て続けに韓国映画も見てきまして、映画として完璧ではないながらも、どうしたって現状の日本映画がかなわない圧倒的な迫力がある、と感じてきました。今作にもそれはありました。……ただし、違う意味で。

 個々の描写をあげて行くときりがないのですが、とくもかくにも突っ込み所が多すぎる! すいません、まさか今どき大真面目に、英語を喋る宇宙人が地球を侵略してくるとは思いませんでした。すいません、まさか怪獣がしゃがんでミサイルを避けられるとは思いませんでした。すいません、まさか人間が背中にロケット背負って空を飛べるとは思いませんでした。すいません、まさかなんの脈絡もなくサソリゲスが登場するなんて、チラシにきっちりイラストがあるにもかかわらず想像もしませんでしたあ!

 大槻ケンヂ率いるバンド「特撮」が、主題歌「ヤンガリー」の中でも散々に突っ込んでますが、こちらも語らずにはいられない腰がへなへなになるような衝撃映像の数々! これが14,800,000,000ウォンという巨費(15億円ぐらい)というこっちのゴジラ映画よりも多い予算で作られているというんだから驚きです。リアルさのかけらもないCG映像と意味不明な設定、意図不明の演出。これを作っている監督は韓国の国民的スターであるコメディアン……?……?……コメディアンがなんで怪獣映画を撮ってるの? でもってこいつが韓国では爆発的大ヒットを記録した……ほんとですかあ!? 

 不親切な鑑賞メモで申し訳ないんですが、この映画の内実を語ろうと思えばこの場で誌上ロードショーをする以外にありません。それだけは勘弁して下さい。取りあえず観て下さい。怪獣映画が好きな方は必見です。観て下さったらここまで私が書いた意味不明な叫びの数々もきっと御理解いただけるでしょう。

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『恋する遺伝子』

 監督:トニー・ゴールドウィン
 出演:アシュレー・ジャッド ヒュー・ジャックマン グレッグ・キニア マリサ・トメイ

 珍しく恋愛もの、観ました。

 超人気トーク番組「ダイアン・ロバーツ・ショー」のゲストブッキング担当であるジェーン(アシュレー・ジャッド)。プロデューサーのレイ(グレッグ・キニア)と恋に落ちるが、同棲を考えはじめた矢先にレイは突然煮え切らない態度を見せ始め、彼女を捨ててしまう。あてつけに同番組の構成作家で大変なプレイボーイであるエディ(ヒュー・ジャックマン)の家に転がり込んだジェーンは、恋愛における男性の行動を牡牛にあてはめて分析した理論を友人リズ(マリサ・トメイ)の雑誌に連載することになるが、これが大反響を呼んでしまう。あげくに理論を発表した偽名であるチャールズ博士を自分の番組に呼ぶことに……。

 タバコをくわえてうろちょろするヒュー・ジャックマンが、やたらとかっこいいのです。『ソードフィッシュ』の項でも延々と書きましたが、今作でも女をとっかえひっかえしながら人生を楽しむプレイボーイながら過去の心の傷をちょっぴり引きずっているという役柄を、巧みに演じてます。ベタな設定なのでさして演技しなくともいいぐらいの役ですが、こういうのをやらせるとまた上手さが際立ちます。しかし真正面から見るとあまり男前ではないですな。横から見るとかっこいいのだが。

 ストーリーの眼目であるはずの「牡牛と雌牛」理論が、それほどコメディタッチで描かれないために印象が弱いです。結果、もう一つ作中の恋愛にからまず終わってしまい、設定が生かせていない。キャラクターの配置やバランスは悪くないように思うので、ちょっともったいないですね。

 ところでこの映画、ニューヨークが舞台なんです。普段それほど舞台設定を意識したことがなく、シカゴだろうがロスだろうがニューヨークだろうが同じように観ていたのですが、今作には度胆を抜かれました。作中、アシュレー・ジャッドとグレッグ・キニアが同棲するためにアパートを探しに行くシーンがあります。不動産屋に連れられて、眺めがいいというのが売りのマンションの上階にやってきた二人。ベランダに二人を案内した不動産屋は、その場で景色を指してこう言います。

「いい眺めでしょう。貿易センタービルも見えるんですよ」

 高々とそびえ立つ二本の塔を見て思わずげっとなってしまいましたが、う〜ん、今はなきあのビルがスクリーンで観られるのは、これが正真正銘最後でしょうね。しかしニューヨークを題材にした色んな映画が自主規制で延期されたりしていますが、今作はまた堂々と公開したもんです。この衝撃シーンだけで、今作は観る価値ありかな!?

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『スパイ・ゲーム』

 監督:トニー・スコット
 出演:ロバート・レッドフォード ブラッド・ピット

 俳優レッドフォードを見るのは久しぶりですね。

 伝説の工作員ミュアー(ロバート・レッドフォード)も、永きに渡る職務を終え、CIAを引退しようとしていた。が、その矢先、かつて自らが見い出し育て上げた教え子ビショップ(ブラッド・ピット)が、中国においてスパイ容疑で捕らえられ、投獄されたことを知る。CIAは任務以外のところで行動していたビショップを切り捨てようとするが、ミュアーは工作員としての特権を使える最後の一日を利用し、彼を救出しようと計る。

 遥か中国で牢獄にぶち込まれているブラピを、アメリカを一歩も出ずに助けようとするレッドフォード……という構図が映画の冒頭から見えてきます。そんな無茶な……と思うのですが、着実に一手一手積み重ねて行くレッドフォードの姿に、見ているこちらもだんだんいけるような気がしてくる。もちろん映画なんですから、鮮やかなハッピーエンドが来るのはわかってるんですが、そこまでの描写の積み重ねが実に緻密で素晴らしい。二十四時間というタイムリミットが徐々に消化されて行く時間経過に、ブラピ修行時代が回想シーンで重なるのですが、回想シーンの台詞や展開が現在のシーンに無駄なく伏線として生きてきます。また現在のパートで謎だった部分も回想パートが進むにつれて徐々に明らかになり、冒頭では不明だったブラピの行動目的も、回想が終わる頃には全て鮮明になる。その頃にはタイムリミットも迫りいよいよ大詰め。この脚本の練り込みには脱帽です。

 監督のトニー・スコットも、アクションやサスペンスなど娯楽作品の監督を多くこなしていますが、今作の演出の切れ味はまさに職人芸。絵になる男二人を本当に上手く撮っています。また早回しや時間経過の入れ替えなど、昨今の流行りともいえる演出をもう十年も前からやってたようにあっさりと使用。ベテランの凄みでしょうか。

 ブラピの出番はほとんど回想のみなので、実質出番はレッドフォードの方が多いです。『ドリヴン』の項でも触れましたが、レッドフォードのキャラも年相応のかっこよさを追求し、無理なく仕上げています。血の気の多い弟子を「非情になれ」と諭しながらも、情に負けて無謀な作戦に挑んだ彼を、結局は助けようとしてしまう気の良さ、情の篤さ。ベテランらしく、ハイテクにのみ頼らずはんこの模造など手先の小細工も弄する老獪なせこさ。「情報提供者など駒にすぎない。いくらでも切り捨てろ」と非情に言い切りながらも自分では彼等といつまでも仲良くしている、言ってることとやってることが全然違う二枚舌ぶり。今や失われつつある古き良き時代のスパイ像を踏襲した、クールで粋でなおかつ熱い男の姿を、嫌みもなく浮きもせずに演じています。

 対するブラッド・ピットはレッドフォードの弟子ということですが、一見他の役者でもいいように思えながらもやっぱりブラピでないとつとまらないように感じられました。印象が似てるんでしょうか?

 冷戦後の重苦しいテーマをはらんだ世界を舞台にしながらも、ストーリーを男の友情と愛に生きる姿に収束させた、ナイスなバカ映画。難しいことを考えずに楽しめました。

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『メメント』

 監督:クリストファー・ノーラン
 出演:ガイ・ピアース ジョー・パントリアーノ キャリー・アン・モス

 こういうのを待ってました、ミステリ系映画の期待作!

 10分ごとに記憶の消える健忘症となったレナード(ガイ・ピアース)。留めることが出来なくなる以前の最後の記憶である妻殺しの瞬間を胸に、彼は妻と記憶を奪った犯人を追い求める。ポラロイド写真と刺青を頼りに、彼は犯人である「ジョン・G」をついに見つけだすのだが……?

 ラストシーンから始まり、その後10分ごとに時間軸を分解して巻き戻して行く構成。この映画はこれだけで観る価値ありでしょう。なんせ逆行していくんですから、先読みはほぼ不能。観ているこちらは必死こいて「ラストシーン」とそれ「以前」を記憶しながら伏線を追って行くことを強いられます。なんせ主人公は端から話を忘れて行きますし、展開がややこしいったら。また、他の登場人物も主人公が健忘症であることを知っている者と知らない者、知っている時点と知らない時点があり、それぞれで対応が違ってくるので、それらもまた混乱に拍車を駆けます。かなり頭使いました。

 「この話、もうしたっけ?」の決め台詞が幾度も炸裂! しかしここらへんが思ったよか笑えなかったのはちょっと残念。観客に疑似体験を強いるような構成になっているせいか、記憶を失うことの重みが激しく伝わってきて、大変切実に感じられるんですね。演出が優れている証拠です。でもコメディ向きの設定だと思うんですが、そうするとネタ的にやばいのかなあ。

 ただミステリとしては、それほど高く評価できません。実際にはほぼないに等しいストーリーを、「主人公が記憶喪失」であるという一事と、逆回しの構成がややこしくしているだけで、言っちゃいかんのでしょうが時系列順に並べれば実はなんて事はない話だった……という事がラストで明らかになってしまう。この事はいささかもこの映画の価値を損なわないとは思いますが、ちょっと食いたりない感じがしました。

 たぶんこの後に記憶喪失をネタにした映画を作ると「『メメント』のパクりだ!」と叩かれるでしょうが、しかし今作は記憶を扱った作品としてはエポックメイキングになりえる映画であり、むしろ今後の指針にしたいところ。要はもっとこの題材の映画が観たいのですよ私は。同じ記憶喪失でも他の監督が撮ればもっと違うものができたり、またこの話オレだったらこうするな、とか思ってる脚本家が絶対いるはずなんですよ。パクりとかなんとかケツの穴の小さいこと言わず、記憶喪失ブーム起こしたいなあ。この映画の構成は素晴らしいですが、もっと違うアプローチが考えられると思うので。ところで、その構成というのが、なんとラストシーンから始まり、その後10分ごとに時間軸を分解して巻き戻して行くんですね。この映画はこれだけで観る価値ありでしょう。なんせ逆行していくんですから、先読みは……この話、もうしたっけ?(お約束)

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『バニラ・スカイ』

 監督:キャメロン・クロウ
 出演:トム・クルーズ ぺネロぺ・クルス キャメロン・ディアス カート・ラッセル

 お正月にトム・クルーズ!(意味不明) 『オープン・ユア・アイズ』のリメイクです。

 出版界の若き実力者デヴィッド(トム・クルーズ)は、金にも友人にも女にも恵まれた人も羨む男。だが、ジュリー(キャメロン・ディアス)というガールフレンドがいながら、パーティで出会ったソフィア(ぺネロぺ・クルス)という女に惹かれた彼は、嫉妬に狂ったジュリーに無理心中をしかけられ、大事故に遭う。醜く引き攣った顔になった彼はそれでもソフィアを求めるが、そんな彼に徐々に信じられない幸運が舞い込みはじめる。ソフィアは彼の元へ戻り、顔は再手術で治り……だが、それは新たな悪夢の幕開けだった。

 ちょっとサイコもの入ったラヴロマンスかな、と予告編を観て思っていましたが、これは大違い。しかし前半は金持ち男の恋愛劇が延々と続くため、かなり退屈しました。無理心中で自動車事故に遭う下りまでは、予告編でかなり詳しくやっているので、とりあえずそこに辿り着くまでが苦痛。そこを過ぎてトム・クルーズの顔がとりあえず滅茶苦茶になってからが、本番です。

 仮面で顔を覆ったトムが、精神科医と獄中でカウンセリングをするシーンが途中で挿入されるため、何やら異常な事態が進行しているのはわかります。話が進むにつれて顔が再手術で元に戻ったり、死んだはずの女が生き返って来たり、それをまたいつのまにか殺してしまったり……明らかに不自然な事態が続発! これで論理的な解決が呈示されたらすげえな、と期待しましたが、オチは……要は『マトリックス』ですね、これは。こういう設定に逃げられると、なんでもありになっちゃうので、途中あれこれ考えながら観てたのがずいぶんと徒労に感じられました。

 主人公の高所恐怖症という設定や、「バニラ色の空」への思い入れ、亡き父への感情などが全部中途半端な描き方しかされていないため、ラストシーンも盛り上がらず。トム・クルーズの演技は年々良くなってますが、それだけじゃねえ……。

 まずまず退屈な映画でした。これと同じ話ならオリジナルの方も観なくていいかな。

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『修羅雪姫』

 監督:佐藤信介
 出演:釈由美子 伊藤英明 佐野史郎 嶋田久作

 アクション指導ドニー・イェン! 

 500年に渡る鎖国政策が今なお続く、とある国。その国で無敵の暗殺者集団として暗躍する建御雷家の一族の一人である雪(釈由美子)は、20歳を迎えた日、幼き頃に死んだ母の秘密を知る。母を殺した男の手を逃れ、組織から脱走した雪。傷付いた彼女は反政府組織に所属する青年、隆(伊藤英明)に拾われる。だが、建御雷家は組織を裏切った者を決して許さない。かつての雪の母のように……。冴えた空気の満ちた林の中、最強の暗殺者同士の死闘が繰り広げられる。

 オレ的至高作『ドラゴン危機一発’97』のドニー・イェンがアクション監督をやってる……ということで、まあ一応観ておこうかなあ、というぐらいの軽い気持ちで見に行ったんですが……凄すぎましたね!(ただしアクションのみ)

 なんせこの映画、パンフレット(1000円もしましたよ)によると一億3500万円しかかかってないらしい。我々のレベルから観れば大金ですが、あの『陰陽師』なんかも十億がとこはかけている。それに比べると悲しいほどの低予算です。我らがドニーは果たしていくらもらったのでしょうか? 

 とりあえずアクション部分は力が入ってます。『ドラゴン危機一発’97』のラストバトルを彷佛とさせる林の中でのチャンバラは、刀が何本にも見えるファンにゃお馴染みのマッハチャンバラ! 刀を吹っ飛ばされても当然のように素手でのファイトに移行、これまたマッハクンフー。気合いとともにドニー先生得意の踵落としを釈由美子が炸裂させるのには、感涙ものです。蹴り技に破壊力とスピード感を伴わせたシャープな演出に、無骨な刀による華麗かつスタイリッシュな剣技を組み合わせたアクションシーンは、素人がアクションしてることを考えたら現代アクションの最高レベルの逸品と言えるでしょう。同じ素人がやってるということで『グリーン・デスティニー』を思い出しますが、あれよりは好みです。ラストも当然のように二刀流をかまし、チャンバラ万歳! アクションシーンだけは何回でも観たいです。

 まあはっきりいって他の部分はしょぼいです。美術も作りこんでませんし、世界観が見えてこない。ついでに伊藤英明の『クロスファイア』『陰陽師』などと同じく、キーキャラクターであるはずなのに見事なまでに何もしない木偶の坊ぶりはいったいなんなのか? 釈由美子も実はブッサイクですね。お話はシンプルで、こういうバトルのみに特化させるためのストーリー作りは嫌いじゃないですが、演出次第でもっと盛り上がったようにも思えます。監督の佐藤信介は『LOVE SONG』という映画を以前に撮ってますが、これも伊藤英明主演ですね。今作のダラダラした部分のみで構成された映画だったのでしょうか。

 続編にはぜひ期待したいですが、ハリウッドでたくさんギャラをもらうようになったドニーさんが、また日本にアクション監督しに来てくれるだろうか……それが心配です。

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『フロム・ヘル』

 監督:ヒューズ兄弟
 出演:ジョニー・デップ ヘザー・グラハム イアン・ホルム

 切り裂きジャックを題材にした作品です。

 1888年のイギリス、ロンドン。霧深い街で次々と起こる、街頭の娼婦のみを狙った連続殺人。腹を切り裂かれ内臓を持ち去られた死体。人が後に「切り裂きジャック」と呼ぶようになるこの連続殺人の犯人を、首都警察の腕利き警部アバーライン(ジョニー・デップ)が追う。殺された娼婦たちに共通する点、そして事件の影で蠢く陰謀とは?

 『スリーピー・ホロウ』に続いてまたも猟奇殺人に挑むジョニー・デップ! とはいえ今作には本格推理のテイストはまったく見当たりません。かのシャーロック・ホームズが活躍した時代であるにも関わらず、デップ警部は死体の解剖と現場の証拠写真を手がかりに、足を使った捜査を展開。部下の警官を張り込ませ、関係者に聞き込みを行い……。ほんとにこの時代、こんなアメリカのスラムの警察みたいな捜査してたんですか? 殺される五人の娼婦が全員顔見知りのお仲間だった、という設定も、オチに結び付けるための御都合主義と受け取れますね。もったいないです。

 ちらりとと言うには結構露骨にゲスト出演するエレファントマンや、スラムのごとくじめじめとしたホワイトチャペル周辺の描写がいい。時代考証はどこまで正確なのか知りませんが(割といい加減かもしれない)、作品内における猟奇殺人や陰謀が横行してそうな、いかにもヤバ気なムードの醸成には成功してます。最初何をしてるのかよくわからなかったロボトミ−処理のシーンは、本気で鳥肌が立ちましたよ。

 デップ警部がアヘン中毒で、ヤクを吸ったら幻視で未来を予知する、という設定があります。超能力が絡んでくると、サスペンスものの興味は半減すると思っているのでちょっと不安でした。映像で細かい証拠を積み重ねてさりげなく観客に印象づけ、最後にあっと驚く真相があきらかになる……これがミステリ映画の醍醐味でしょう。幸いこの幻視の能力はさほど話に関係して来ず、先の展開をやや臭わせる程度にしか機能してません。むしろ、ラストシーンでの使われ方が効果的でした。

 この映画、原作のコミックのファンには不評だそうです。しかしどっかからクレームが付きそうなこの「真相」、あまり真面目な内容とも思えないんですが……。原作の魅力とは、いったいどこにあるのだろう。機会があれば読んでみたいものです。

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『ジェヴォーダンの獣』

 監督:クリストフ・ガンズ
 出演:サミュエル・ル・ビアン マーク・ダカスコス モニカ・ベルッチ ヴァンサン・カッセル

 『クリムゾン・リバー』に続く、フランス娯楽路線映画?

 18世紀、フランスのジェヴォーダン地方で奇怪な殺人が相次いだ。女子供ばかりを狙った、残虐無比なバラバラ殺人。死体には巨大な獣の爪痕が残されていた。犯人は狼なのか? それとも……。人心の動揺を嫌うルイ15世は、科学者であり啓蒙家でもあるフロンサック(サミュエル・ル・ビアン)を調査に派遣する。従者マニ(マーク・ダカスコス)と共に現地の大規模な狩りに加わる彼だが、事件の真相は誰も知らない意外なところにあった。獣の正体とは? そして事件の陰に潜む真実と、その先に待ち受ける悲しい運命とは……。

 かつての怪作『クライング・フリーマン』の主演マーク・ダカスコスと監督クリストフ・ガンズが、再び結集……と、この時点で、もうこれはただのフランス映画ではないことは明白です。

 冒頭、雨中の草原で暴漢に襲われる老人と女。雨の中を通りがかった覆面姿の旅人二人。片割れの細身の男が馬から降り、暴漢たちに歩み寄る……降りしきる雨の中、回し蹴りと棒術が炸裂! マーク・ダカスコスが、久々のはまり役と共に銀幕に帰ってきました。演ずるは主人公フロンサックの従者マニ。フロンサックが新大陸に渡った時に命を救い、それ以来義兄弟の契りを結んだと言うネイティブ・アメリカンの部族の一人。なんでフランスにインディアンが?というツッコミも空しく、樹の声を聞き、狼とお話し、手を取った人間のトーテム(守護霊)を探り、謎の秘薬も持ち歩いている……いやまあ、とんでもない上げ底描写。んでもって前述の棒術と合わせ、手斧とマーシャルアーツを自由自在に使いこなす鮮やかなアクションを披露。フランス語は話せるが無口で、無表情にひたすらアクションを担当。話が進むにつれて、覆面姿が普通の服装になり、最後は刺青と戦化粧で半裸スタイル、肉体美を見せます。事実、ダカスコスのために用意された役柄だそうで、準主役で大活躍でした。今後が楽しみです。

 奇怪な装甲をまとい人間を襲う「獣」の描写は、もう一つ食いたりませんでした。襲われる人間の恐怖を描く描写はなかなかいいですが、肝心の獣自体の動きはややCG臭いぎこちなさがあり、ちょっと興醒め。ですが、この作品はそれを補って余りある人間様の大暴れがあるので全く良しです。インディアンにくわえ、ズラリと武術の達人が勢ぞろい、秘密結社、ブードゥー教、政府の女スパイ、これのどこが18世紀のフランスやねん! 特にヴァンサン・カッセル演ずる片腕の貴族がいいです。この人、『クリムゾン・リバー』でもカンフーやってましたが今作でも……。その嫁ことモニカ・ベルッチも謎の高級娼婦役でサービスショットを見せながらもおいしいとこをかっさらっていき……。

 やや漫然とした映像もありますが、それなりに伏線も張ってますしとにかくバカ映画で堪能できます。上映時間も長い! 実に2時間18分。途中でクライマックスがきたかな、と思った時に時計を見たら、まだ30分残っていて驚きました。スタイリッシュな映像も多く、たっぷり楽しめます。僕はちょっとフランス映画が好きになりましたよ。

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『RAIN』

 監督:パン兄弟
 出演:パワリット・モングコンビシット プリシムニー・ラタナソパァー

 タイ発の殺し屋映画。

 生まれつき耳の聞こえなかった青年コン(パワリット・モングコンビシット)。射撃場での出会いをきっかけに、彼は殺し屋ジョーの手ほどきで殺しの道に入る。静寂の世界の中で、淡々と引き金を引き続けるコン。ある日、彼は薬局で働くフォン(プリシムニー・ラタナソパァー)という女と出会う。彼女から初めて人の温もりを与えられたコンは、次第に自分が殺し屋である事への怖れを抱きはじめる。そんな時、恋人を犯したマフィアを殺したジョーが、組織の制裁を受け殺された。フォンへの愛に葛藤しながらも、コンは組織を敵に回しジョーの復讐を果たす事を決意する。

 耳か聞こえず口もきけない男が主人公……必然的に映画からは余計な台詞回しがカットされ、主人公がメインで登場するシーンは映像のみで処理されて行くことになります。ここらあたり、下手な監督ならモノローグでも入れてしまうところでしょう。ですが、過去の回想や殺しのシーンなど、巧みなカット割りで過不足なく設定を見せ切ります。撮り方などやや凝り過ぎなきらいはありますが、狙撃シーンなどの間の取り方など、決まってるところは実にいい。

 『男たちの挽歌』を彷佛とさせる、日本料亭殴り込みシーン。友の仇を取るために、二丁拳銃を持って料亭の廊下をゆっくりと歩む主人公。その姿に、今は亡き友の同じく二丁拳銃持った勇姿がオーバーラップ。二人の男が突き進む映像と交互に、ちょい先の時間軸で主人公が仇のマフィアたちに銃弾を撃ち込む映像を挿入。さらにそれを決め決めのくさい音楽が後押し! いや、かっこいいです。観ててぞくぞくしますよ。ただ、どうしてこの料亭にはどこにも従業員がいないんだろうともちょっと思ってしまいましたが……。ディティールが甘いとの批判は免れ得ないかな。

 舞台がタイなんですが、さすがは東南アジア。出てくる登場人物が全員Tシャツ。殺し屋もマフィアのチンピラも薬局の女も組織のボスも全員Tシャツです。暑いんでしょうね。途中、殺しの依頼を受けた主人公が香港に飛ぶんですが、うっかりTシャツのままで行ってしまい……さっぶう!

 主役の人が顔が濃いうえに名前が覚えにくいところも、ちょっとつらいとこでしょうか。でもまあ、なかなか楽しめました。

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『オーシャンズ11』

 監督:スティーブン・ソダーバーグ
 出演:ジョージ・クルーニー プラッド・ピット アンディ・ガルシア ジュリア・ロバーツ マット・デイモン

 珍しいぐらい豪華キャスト! ソダーバーグ監督最新作。

 刑務所を保釈された窃盗犯オーシャン(ジョージ・クルーニー)。収監されていた四年間で彼はラスベガスの三大カジノの現金全てを盗み出す計画を練っていた。親友で詐欺師のラスティー(プラッド・ピット)と組み、11人のスペシャリストが同じ目的の下に集う。標的はラスベガス最大のホテル王ベネディクト(アンディ・ガルシア)。ベネディクトはオーシャンの元妻(ジュリア・ロバーツ)の現在の恋人でもあった。かくして、秒刻みの犯罪計画が、一億六千万ドルを狙ってスタートする。

 前作『トラフィック』とはうってかわって、ずいぶんと気楽なお話です。手に入れたいのが金と女って、はあシンプルでいいですねえ。

 泥棒軍団が11人で構成されていると聞いて、クルーニーとピットの二人以外はさして見せ場を与えられないのではないかと心配してました。まあその通りでもありそうでもない、というところでしょうか。『YAMAKASI』なんかに比べれば各自それなりに一つ以上の見せ場を与えられ、また役割分担も明確です。

 もっともいわゆるスター映画にはなっていません。一番目立つクルーニーとブラッド・ピットですが、この二人のキャラクターも単に話の進行上の役割分担が多いだけで、特別な扱いをされているようには見えない。出番は多いのですが、それは「主犯格」だからというだけで、まずシナリオありき。脚本上に出番の多い役柄が二つあり、それにクルーニーとブラッド・ピットを割り振ったように思えます。オリジナルがあるリメイク作品だからこれは当然ですが、二人をスター扱いしないのは好感がもてました。ファンには物足りないかもしれませんが、ブラッド・ピットに「ブラッド・ピットであること」を強要しないこういった起用法の方が、彼等も役者としての持ち味を出せるように思います。

 余計な描写どころか、時間経過すらもはしょったカメラワークなど、テンポの良さはピカイチ。「犯罪映画」の重みなどは微塵もなく、ひたすら軽妙なノリで計画通りに進んで行くとこを楽しめるかどうかが鍵でしょう。観た後でなんにも残りませんが、私的にはこれはこれでよし。

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『ジーパーズ・クリーパーズ』

 監督:ヴィクター・サルヴァ
 出演:ジーナ・フィリップス ジャスティン・ロング

 またまた都市伝説ホラー!

 23年に一度、23日間だけ惨劇の嵐が吹き荒れる。「ジーパーズ・クリーパーズ」のメロディに乗って蘇る謎の殺人鬼。帰省中の姉弟を謎のトラックが襲う。トラックの運転する殺人鬼が捨てた死体を発見した姉弟は、執拗な追跡を受けるはめに……殺人鬼の正体は?

 コッポラ製作総指揮だそうですが、不条理な内容がなかなか笑えます。冒頭は『激突!』を思わせるチェイスシーン。主人公たちの車を襲う謎のオンボロトラック。見た目いかにもボロボロなんですが、不思議と早く走りそうにも見える。なぜそう見えるかと言うと、ドライバーの姿が見えない車体と一体化したようなフロントガラスと、全く同じ色で赤錆びているために、むしろ一体成形され流線形と貸しているようなボディのせいでしょう。「なんてスピードだ、改造車か!?」との台詞に違和感がない。

 話の展開は唐突に感じられますが、今一つ不明な殺人鬼の行動目的や救いのないラストにも関わらず、不整合は感じられません。いかにもホラー的な不条理感のみが楽しめます。突然変身を始める殺人鬼の怪物ぶりも実にナイス。車は遠くに振り切ったはずなのになぜかいつの間にか追い付いている殺人鬼、実は羽が生えて空を飛んで追い掛けてきました……。理屈は通ってますが、なぜ突然羽が生えるのかは謎のまま。ある意味、古き良き怪獣映画的です。

 元ネタの都市伝説が何も説明されないのは、やや不親切に感じました。アメリカではきっと誰もが知っている話なんでしょうね。しかしやはり元ネタでも殺人鬼は怪獣なのか、アメリカの観客はあの展開に納得してるのか、ちょっと聞いてみたいところです。

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『仄暗い水の底から』

 監督:中田秀夫
 出演:黒木瞳 菅野莉央 小口美澪 水川あさみ

 一年ぶりです、角川ホラー!

 離婚した夫と娘の親権を巡って争う松原淑美(黒木瞳)は、新しく就職した会社の近くのマンションに入居を決める。だが、娘と共に暮らす彼女に、マンション内で次々と異変が降りかかる。消える娘、謎の赤い手提げバッグ、監視カメラにちらつく影、広がる天井の染み……。立続けに起きる怪奇現象は、マンションで2年前に女の子が行方不明になった事件と、やがてつながっていくのだが……。

 昨年の『弟切草』『狗神』が興行的に惨敗したせいか、今年は一作品のみとなってしまいました。中田秀夫監督は『リング2』以来、この路線には3年ぶりの登板となります。

 さてその中田演出、今作では久々に冴えています。『リング2』ではストーリーを収束させるのに精一杯という感がありましたが、限定された舞台と限られた登場人物を完全にコントロールしています。出るか出るかと思わせといて肩透かし、一拍置いてギャーッ!という間の取り方や、台詞に頼らない映像による情景描写も実にバランスよく、恐怖感を盛り立てます。

 が、同時にマンネリも浮き彫りになりました。完璧なタイミングで驚かされるはずの恐怖シーンで、出てくるのが髪の毛、天井の染み、顔の見えない女(の子)と、『女優霊』『リング』で見たことがあるようなものばかり。ああまたか、という興醒めが恐怖感をぶち壊しにしてくれます。一度醒めてしまうと、あとは欠点が鼻につくばかり。

 まるで仕事しない管理人、行動目的不明の夫、信用に足らない幼稚園の先生など、主人公ひいては観客を不安がらせるための装置にすぎない雑なキャラクター性などもいただけません。ベタベタな台詞がたくさん出てきますが、台詞を書いた脚本家、演技した役者、演出した監督はやってて恥ずかしくなかったんでしょうか。壁紙を張り替えないまま部屋を見せる管理人、二年に一度しか掃除しない貯水槽、まったく日の射さない廊下、主人公親子以外誰も住んでいないようにしか見えない廃虚のごときムードなど、恐そうには見えますがリアリティのかけらもなく、賃貸業者にとっては噴飯ものです。

 我が子を旦那と亡霊、両方から奪われそうになるのに怯える黒木瞳おかん、得意のヒステリー系演技が上手いです。が、観客が共感しきるにはやや裏目にでた感もある狂人一歩手前の演技は、果たして演出として適切だったでしょうか。そのおかん、ラストで子供をさらおうとする亡霊に対して身替わりになり、自らが連れ去られます。そのシーンまでは「娘をさらわれる恐怖に怯える母」をメインに話が進行していたのに、そこで突然主役が母から娘へと交代! テーマ的にさほど不自然ではないんですが、もう少し娘の視点でストーリーを捉えていないと、やはり唐突に感じます。天才子役がいれば可能だったでしょうが。亡霊の行動目的が「遊び相手」として娘を求めていたのか、「母親」として黒木瞳を求めていたのか、もう一つ明瞭でないため主役逆転がありえたのですが、生き残った娘が全然幸せじゃないことを考えると、美しき自己犠牲とは言いがたいように思えます。亡霊の地縛霊的性質からも「引っ越したらええやん」というツッコミが苦もなく成立するあたり、「銀行に預けとけよ」と言いたくなった『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と同等の御都合主義を感じます。

 しかしこの作品の最大の見どころは、この主役逆転の直後にありました。エレベーターに乗せられて連れ去られた母親を追って、主役を引き継いだ娘こと郁子、通称いくちゃんがマンションの階段を駆け上がります。実に3階から7階まで。マンションの部屋中が水浸しになっていたため、いくちゃんもまた全身水浸し。シャツが濡れて張り付き透け透けになっています。いくちゃんそのかっこで階段を走る!走る! アングルからして必然的にパンツなども見えてしまってます。ロリコンの人が見たら汁出っぱなしなのは間違いありません。惜しむらくは3階から7階までのダッシュが映像ではワンフロア分しか描かれなかったことでしょう。階段を全段描写すれば、クライマックスでバトルなしでしんちゃんの全力疾走を描き多くの人の涙を誘った『クレヨンしんちゃん モーレツ大人帝国の逆襲』をも超える名シーンとなったことは確実だったのに。中田秀夫は日本においては「映像的興奮」を描ける数少ない映像作家であるのですから、このシーンにはもっとこだわって欲しかった。そうすれば今作は新主人公いくちゃんと共に、これまでの概念を超越した「グランド・ロリコン・ホラー」となったであろうに……。もったいなやもったいなや。

 原作は短編ですが、長篇を縮めて映画化するよりも、短編を膨らました方がもしかしたら面白くなるのかもしれません。とりあえず、原作を読んでいる観客の知らないラストを呈示できるだけでも。

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『キリング・ミー・ソフトリー』

 監督:チェン・カイコー
 出演:ヘザー・グラハム ジョセフ・ファインズ ナターシャ・マケルホーン

 またもハリウッド進出! 香港出身監督チェン・カイコーのサスペンス。

 冬のロンドン、出勤途中の交差点でアリス(ヘザー・グラハム)は登山家であるアダム(ジョセフ・ファインズ)という男と瞬く間に恋に落ちる。激しく暴力的なセックスに溺れ、アダムの虜になっていくアリス。だが、結婚をした矢先に、アダムをレイプ犯と中傷する不気味な脅迫状が届く。纏わりつく疑惑の影。アリスはアダムの姉デボラ(ナターシャ・マケルホーン)と共にアダムの過去を探るのだが……。

 取りあえず登場人物が少なすぎます。いかにも怪しい人が一人。ちょっと怪しい人が一人。あとは脇役。これでは最初からオチが読めてしまうんですよ。最初は平凡な男で、徐々に恐怖の本性を露にするというのではなく、登場した瞬間から怪しいジョセフ・ファインズ。こんな男と速攻で恋に落ちる立脚点からしてもう無理がありすぎ。無理無理な展開にわずかながらも説得力を与えるためにはどうするかというと……ヒロインをバカ女に設定! またこのパターンか……。

 R18指定ということで、過激なセックス描写も数多く……ということもないです。『ポワゾン』でもそうでしたが、取りあえず尻が見えてればR18らしいですね。映像の陰影の付け方などはさすがに上手いな、と感じましたが、チェン・カイコーはいったいこの作品で何をやりたかったのでしょうか。

 頭が悪そうな顔なのが災いしてるのかヘザー・グラハム、着痩せするタイプで顔の細さに対してアンバランスなぐらいマッチョなジョセフ・ファインズ、演技陣もこの陳腐なお話にはまってるのが空しい。火曜サスペンス劇場みたいな映画です。観なくてよし。

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『マリー・アントワネットの首飾り』

 監督:チャールズ・シャイア
 出演:ヒラリー・スワンク サイモン・ベイカー エイドリアン・ブロディ ジョナサン・プライス クリストファー・ウォーケン

 フランスを舞台にした宮廷史劇(ただしアメリカ映画)。

 かつて政敵によって滅ぼされた名門ヴァロア家。その唯一の生き残りであるジャンヌ(ヒラリー・スワンク)は、家門を再興し家名を取り戻すことに人生を懸けていた。爵位を得るためにだけ愛のない結婚をし、王妃に取り入るチャンスをうかがうジャンヌだが、なかなかチャンスは巡ってこない。ある日、晩餐会で年輩婦人を渡り歩いているジゴロのレトー(サイモン・ベイカー)と出会った彼女は、彼の協力を取り付け、野望実現へのある計画を企てる。

 どう見てもアメリカ人な人たちが英語で演ずるフランスのお話。しかしアメリカ人から見たフランスとでもいうべき観点が、期せずして映画自体に独特の統一感を出しています。これでほんとに成功するのか疑わしい主人公の陰謀、これでほんとに騙されてしまうのか疑わしい権力者、妙に気取ったキャラばかりが目につく宮廷内の描写、ヒロインと愛人と夫が三角関係なのにつるんで陰謀をめぐらす性的モラルの大らかさ、宮廷内はどこかのほほんとしているのにいい加減な裁判から一転して苛烈になる刑罰の数々。どれもこれも私がどことなく想像していた中世フランスのイメージに見事に合致しています。史実としての正確さ、時代背景の描写の適切さなどの観点からみると実にいい加減なんでしょうが、非フランス人大衆から見た、絢爛さと殺伐さの同居した「中世おフランス」のイメージが、意図しての物ではないでしょうがよく出ています。

 強烈な盛り上がりもなく、語り手のナレーションとともに実に淡々と進む構成には物足りなさを大いに感じました。もう少しシナリオを工夫し、陰謀自体の進行が観客にも全体像をつかめないようにしてくれれば、面白くなったでしょうに。歴史の流れをそのまま追った、という設定なんでしょうか。

 カリオストロ伯役で登場したクリストファー・ウォーケンなど、もう少し活躍して欲しかったところ。主演のヒラリー・スワンクはなかなかいいです。この人、アングルによっては綺麗なんですが、時としてものすごいブッサイクにもなります。特に刑場に引き出され、鞭で背中をしばかれるシーンがすごい。「はうあっ!」という台詞が聞こえてきそうな大口空けて白目を剥いた表情は、とてつもなくブッサイクです。が、こういう表情をしてこそ痛みを表現できるし、メリハリもつくというものです。澄まし顔のおフランス貴族どもの中、主人公の異端児ぶりが見事に表現されている!

 ヒラリーを助けて陰謀に加担し、そのまま愛人となるジゴロ役のサイモン・ベイカーもなかなかいい感じ。大きな役柄はこれが初めてですが、これまた宮廷に溶け込んでいるように見えてどこか浮いたキャラクターを演じ、おいしいところを持っていってます。途中で純愛野郎に変身するのも、実にアメリカ映画らしくていいですね。

 色々素材は揃ってたと思いますが、まとめあげるのには失敗したかな? ちょっともったいない映画です。

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