鍵盤調律法

理論と実践

まえがき

チューニング・ピンをまわして鍵盤楽器を実際に調律することは熟練を必要とします。しかし「調律法」そのものは一般に考えられているほど難解なものではありません。種々の調律法を系統だて、重要なポイントを整理すれば、調律法全体を理解するのは、それほど困難なことではありません。また適切な手順に従えば(そして練習すれば)誰にでも鍵盤楽器を調律することができるでしょう。「調律」について、すべてのことがらを理解でき実践できることを旨として私はこの冊子を作成しました。

「調律法」は、ある時代にはそれ自体が格調高い「音楽」という「学問」の重要な一部分でした。そのため「調律理論」は、ときに難しい(あるいはあいまいな)「数学」を援用したり複雑な用語を用いたり、さらにはそれを混同して用いたりしていっそう難解な様相を呈しています。現代においても事情はあまりかわらず、多くの書物のなかにもかぎりなく誤りや思い込み「数学のひとり歩き」がくりかえされています。音楽に必要な「調律」の理屈そのものはこの小冊子のなかですべて解き明かされています。

「調律」は実際に音を響かせてこそその真価をあらわします。とはいってもいくつかの調律法で音階や旋律や和音をただ聴き比べてもそれぞれの違いがよくわかる、どっちが良いというものではありません。音楽作品が時代様式に適った「オリジナル楽器」を使い、充分考証された熟練した演奏によってはじめてその真の美しい姿をわれわれにみせてくれるのは周知の事実ですが、「調律法」もそれらの一部となってはじめてその真価を発揮するものなのです。作品によっては調律を変えると音楽の作り方そのものを変えなくてはならない場合すら多々あるのです。調律法と音楽のかかわりを理解するための糸口を与えることもこの冊子の重要な目的です。

鍵盤楽器を実際に調律する練習を始めて経験を積む過程では「うなりや響きを聞くコツ」「ピンを回すコツ」をつかむことも大切ですが「合理的な手順を身につけること」が上達への近道です。五度、四度、ときには三度も確認しながらオクターヴ調律を進めてゆく手順なしでは美しい調律をすることは至難ですし、日頃必要な狂った音の「拾い調律」や不等分律のヴァリエーションを試みるときなどに大変困ることになるのです。 

この冊子の第一部は『講演−耳でわかる調律のすべて』のレジメをもとに、第二部は『調律実技講習』のテキストをもとにし、さらにいくつかの数値計算法等を付録として付け加えました。各ページはひとつのテーマごとに見開きとし、原則として左頁には骨子を、右頁にはその解説と実践法の指示、ヒント等を書き込んであります。

                                                           1990年8月17日初版の序文

−改定第三刷への序文−

「わかる調律の本」の必要性を痛感し、本書を出版してはやくも6年の時がたちました。なんとも皮肉なことでしたが、この本の出版とほとんど同時期に、各種の調律法のプログラムを内蔵した「賢いチューナー」が発売され、一瞬、チェンバロのオーナーに天の助け、もう「調律の手引き書」など不要になったかと思われました。しかしながらチェンバロの音は減衰が早いため、どんなチューナーにしてもなかなか思うように使えるものではありませんでした。一方ではまた、12平均律への疑問、古典的な調律法への関心はますます高まっており、「わかる調律の本」の必要性は少しも減ってはいないようです。

この本は、「学問的」に調律法や調律の歴史を追求したものではありません。最重要な事柄の流れを理解しやすくするために、あえて子細な点を省いて表現しています。また音楽のよろこびを深める助けになるようにと、思いきったガイドもしています。異論はあるかもしれません。しかし調律について議論するときに最低限必要な数理的知識を理解し調律法について議論するには、そして調律法がさまざまな音楽を演奏するときにどういうふうに違いをもたらすかについて実験し検証してゆくには、ここからはじめていただきたいのです。

ところでこの6年の間に、私自身もさらに経験を重ね、従来とすこし違う考えももつようになりました。第三刷で大きく書き直したのは「実用調律法ガイド」の改定と「ヴァロッティの調律手順表」そして「鍵盤調律法の全体像」の付加です。その理由を以下に概説します。

チェンバロの調律法として、「中全音律」と「不等分律」を使い分けてほしいという点には変わりありません。不等分律の代表格として「ヤングU」をお勧めする点もかわりありません。しかし「ラモーの調律」のように、より純度が高く陰影に富んだ調律の良さをもっと知っていただきたい、使っていただきたいのです。管楽器奏者はもちろん、弦楽器奏者にも-1/4コンマの五度にもっと馴染んでほしいと思っています。それは中全音律での完璧な合奏ができるようになるための布石にもなるのです。

従来は不等分律の代表格としてヤングUのみをあげていたのですが、ピアノ、フォルテピアノの調律には「ヴァロッティの調律法」を薦めることにしました。チェンバロの時代の調律としては♯鍵は低めにしたいという一般的な傾向からヤングUを薦めました。しかし時代が下ると事情は変わってくるようなのです。♯鍵の音が少し高くなるヴァロッティのほうが明らかに使いやすいのです。現代ピアノのための「古典調律」としてもヴァロッティを薦めます。覚えやすいという点も大きなメリットです。

「鍵盤調律法の全体像」を付け加えたのは、古典的な調律法それ自体への関心の高まりに答えて、本文中で省いたり単純化した部分の実態をはっきりさせておくためです。

                                    1996年12月

目次へ            鍵盤調律法の話へもどる