朝5時に出発の予定が、寝過ごして6時半の出発になってしまった。 初日の大事な滑り出しで、ちょっと遅れをとった気分で駅へ急ぐ。 祝日と言う事で人はそれ程おらず、朝食の時にと鳥龍茶を買ってホームで電車を待つ。 平日に毎朝待つ電車だが、今朝はなんだか気分も違う。 電車に乗り込み一路横浜へ、車内はがらがらで座って行けた。
横浜に到着しシューマイ弁当を買おうとしたが、まだ届いていないとの事、残念。 キヨスクでパンを買って横須賀線に乗り込む。やはり空いているので、一番ドアに近い 席に腰を降ろす。千葉までこのまま座っていって、内房線に乗り換えて五井まで行く。 それまでの間に、パンと鳥龍茶で朝食を済ませるが、パン一個に鳥龍茶1缶は少し多い 気がした。しかし開けてしまった以上は仕方が無い、全部飲み干した。 千葉に着くまでには時間があるので、少し寝ておく事にする。 終点千葉で内房線に乗り換え、五井まで20分くらい。その間にこれからの旅に期待 と興奮で胸を膨らませる。五井に到着した時にそれは、最高潮に達していた。 「さあ、やるぞ!」靴紐を絞め、そんな気合を入れて第一歩を踏み出した。
気合を入れて一路南へ足を進める、地図を見ながら一番近いと思われる橋まで
とにかく足を動かす。が、なかなか思うように地図の上を指が進まない。
どうも、地図でイメージした距離と、実際の距離がかなりのギャップがあるらしい。
畑の中を抜け、延々と続く一本道の舗装道路を歩きつづける。
この時点で9時半になっていた。もう1時間も町の中をうろうろしている事になる。
段々と焦りを感じ始める。こんな距離で1時間も掛けていたら、とても養老川を
逆のぼって行くなんて出来そうにない。1時間目にして早くも弱気になり始め、立ち止
まって地図をみる回数も多くなる。
ここで初めて気がついた、目の前にある高速道路の インターの向こう側が、すぐ川になってるらしいが、インターを渡る道が無いのだ。 地図を確認して何とか迂回路を探すが、少し前の交差点まで戻らなければならない。 日も高くなり、暑くなって来たので上着を脱いで、気を取り直して再び歩き始める。 何とかインターをクリアし、少し広くなった道路を延々歩くが、南向きに歩いてる為、 逆光でかなりまぶしい。
眼が焼き付いて来たのか、景色が白っぽく見える。 こりゃイカンと言う事で道路を避け、田んぼ道を行く事にしたがやはりまぶしかった。 見知らぬ(当たり前か)お爺さんに道を聞き、やっとの思いで橋(河)に到着。
「これが養老川なのか・・」と感慨に耽って暫く眺めていると、反対車線を走って来た 黒のホンダビートがクラクションを鳴らして去って行った。振り向くと窓から手を 振ってくれたのが見えた。最初は何が何だか判らなかったが、バックパッカーの僕に 挨拶をしてくれたのだ。とっさに手を振り返せなかったのが、非常に残念で仕方ない。 普段の生活をしてたら、きっとこんな体験は無かっただろう。改めて自分が旅人になっているんだと言う事を自覚した。
バックパッカーの名に泥を塗らないように、僕も恥じる事の無い、立派な旅人でありたいと決心したのだった。
養老BP旅 アスファルトと登山靴編
見ず知らずの車の声援(音援?)を受けて、俄然やる気を取り戻した僕は、 養老川の干潟へ降りた。そこは海の砂浜よりも白い砂に覆われた、砂丘の様な所だった。 砂の織り成す波の様な、丸みを帯びた造形はまさしく砂丘を連想させた。 スナップを撮りながら、上流に向かって歩き進んで行くと、なんと50mも行かない うちに干潟が終わってしまった。
これでは川に沿って上流に行くなんて事は出来ない。 仕方無く脇の畑に抜けて、川に沿って歩いて行くが、またしても行き止まりである。 地図をよく読んでいれば、こんな事にはならない筈だが、何せ記号の一覧が無いと何が あるのか判らない初心者状態、こんな事もあるのだ。
結局途中まで引き返し、川に平行して伸びている舗装路を歩いて行く事にする。 やがて、先程まぶしくて外れた道に出て、結局その道を進む事にした。 そこからかなりの距離を歩いた気がするが、実際には地図の上ではそれ程進んでは いなかった。腹も空いてきたので取り敢えずお茶の時間にする。 道路脇の工事資材が置いてある所でチョコを食べ、ボトルの水で粉末ポカリスウェット を溶かして飲んだ。喉も渇いていたが、疲れた時のチョコもまた格別だった。
この辺りの道路は直線で見通しも良く、車が停まれるスペースもあるのでヒッチハイクには、打ってつけの場所だが、余力もあるのでもっと歩いて行く事にした。 光風台駅まで来たが、食事が出来そうな店は無かったので、もう一駅歩いて行く事に。 最初は歩道の無い道路を歩いていたが、車の通行量にストレスを感じ始めて、隣の 線路の上を歩いた。単線なので前か後ろかどちらか一方交互に電車(ディーゼル車)が 来る事に気がつく。それが来る間隔を覚えれば、なんてことはなかった。
気分はスタンドバイミー、写真なんか撮って楽しんだ。踏み切りに出たので、道路に
上陸(?)した。馬立駅まではもうすぐだったが、やはり駅周辺には食堂は無かった。
がっかりして電車に乗ろうかと考えたが、ヤケクソでもっと歩く事にした。こうなりゃ
根競べだ!。そんな気分で再び線路を歩き始める。線路は田んぼの中を抜け、人家の
庭先みたいな所まで通っていた。当然、多くのイヌ達に熱い声援を送られた。(泣)
1時間くらい歩いただろうか、ついに「うなぎ、天ぷら」とノボリが立てられた居酒屋を発見!。空腹も極度に達していて、喜び勇んでその店に駆け込んで行くのであった。 実はこの店、今回の旅の中でも忘れられない、嬉しい思い出の店となるのであった。 やっと見つけたお食事処、時計を見ると午後2時を過ぎていた。
居酒屋なので、料理は多少高そうだが、うなぎ、天ぷらなんてノボリを出している ところを見ると、案外しっかりした料理を出してくれそうだ。 意を決して戸を開けると、中はがらがらだった。それもその筈、こんな真っ昼間から 居酒屋が繁盛している訳無いのだ。奥のテーブルで、中年サラリーマンが豪快に笑い ながら、こんな昼間から酒を呑んでいる。
畳の座敷に座るか迷ったが、結局カウンターの一番端に腰掛けた。 うなぎ目当てだったが、天ぷらも旨そうだと思い、結局天ぷら定食を注文した。暫くし て旅日記を書いてるとバイトらしい女の子が料理を持って来た。突然その子は開口一番、 「旅してるんですか?」と問い掛けて来た。
そう言えば僕は、誰が見ても旅人の格好をしている事を忘れていた。またしても、旅人として見て貰えた事が嬉しくて有頂天に。 「いや、今日が初日なんですが、なかなか・・・。交通量も多いし・・。」言った後で 何が言いたいのか判らない返事だと、自分で悲しくなる。話術の乏しさを痛感した。
1200円の定食は、その値段では安いと思えるほど豪華な内容だった。 天ぷらは勿論その場で揚げたてホカホカ、ご飯は山盛りで味噌汁、茶碗蒸しにお新香と 字にしてしまうと普通だが、ボリュームが全然違うのだ。
内心全部食べられるかと心配しながらもばくばく食べていると、カウンターの向こうで 「ご飯御替わりしてもいいよ」なんて言ってくれた。嬉しい心遣いに、表情も緩む。 ある程度腹に収まると、余裕が出て来て店の女将さんと少し話しがしたくなった。 歩いている時は人と話しをする事は無いからだ。女将さんが「どこから来たの?」と 聞いて来たので、「五井から歩いて来ました、今日が初日ですが養老渓谷まで行く予定 です」と答えると、「まあ五井から・・、偉いわねえ」なんて言われた。 偉くは無いのだが、馬鹿だねえと言われるよりは絶対嬉しかった。
再び黙々と食べていると、今度は氷の入ったコップと、栓の空いたコーラ瓶を持って 「コーラでも飲みなさい」と言ってきてくれた。女将さんの好意に甘えて美味しく頂いた。 食事を終えた僕は、お腹が一杯になった事と、旅先での人の暖かさに触れられて、 身も心も元気になって、再び歩き出すのであった。
だがこの後に僕が、身の毛もよだつ思いをするとは、この時は全く予想出来なかった。
旅の暖かい思い出も出来た、お腹も一杯になって疲れも吹き飛んだ。 そんな最高の気分で、長い距離もあっと言う間に歩き抜いた気がした。
実際にはそれ相応の時間は経っていたが、気分的には開放感で疲れが溜まらなかった。 歩いていて気がついたが、千葉の道路は市街地を抜けると、殆ど歩道がなくなる事。 だから、常に車が自分を追い越して行くのにヒヤっとしたりする。そんな事が何度も あったが、車道を歩いているのだから仕方ない。
その内、信号がある交差点へ来た。立ち止まったついでに辺りを見回すと、フと目に 止まるものがあった。背後に階段があり、ちょっとした山の上まで10mくらい続いて いるのだ、感じとしては神社の跡地と言ったところ。一番上に鳥居があれば、しっくり 来る感じだが、無いようだ。石積みの階段は朽ちていて、しかもかなり急斜面である。 好奇心が僕に「さあ、この階段を駆け登るのだ」と命令する。僕が「こんな荷物背負って 何があるかも判らない階段の上に行く時間なんかは無い」と反論すると、「見ないと 後で思い出して後悔するぞぅ」と来たもんだ。何年も人が登っていない階段を、ザック を背負った男が、駆け登って行く姿は、きっと異様な光景だっただろう。
登ってみると、平らな土地に御神楽みたいな建物、その脇に小さな御地蔵さんが並んで いる、中には傾いでいるのもあるが、一つ一つに手を合わせ、旅の無事を祈った。 改めて階段から下を見下ろしてみると、道路がすぐ下を通っていて、交差点を左に入る と民家も有りそうだが、ここに人がいても絶対に気付かれない自信があった。 言い換えると、テントを張って野宿するには最高の立地条件なのだ。テント泊で、人が 近づいて来る事ほど、恐いものはないのだ。(何故でしょうかね)
時計を見ると3時半くらいで、日の入りまでは多少時間があったが、明るい内に設営
出来るに越したことはない。取り敢えず荷物を降ろして、ウレタンマットを草の上に
敷いて、ザックや上着を寝かせる。更に、Tシャツを脱いで上半身裸でウロウロ歩き
回った。(殆んど変態だ)
Tシャツは汗でかなり濡れていたが、化学繊維で出来ていて しばらくすると、乾いてしまうすごいシャツなのだ。マットに座り込み、御茶でも 沸かそうかと思っていたら、目の隅で草がゆらゆら動いた。風なんかじゃあ無い! ヤツが近づいて来たのだ!。マッチ棒の先程も無い体に、手の平くらいもある長い足を ゆらゆら揺らして近づいて来るヤツは、間違いなく足長蜘蛛(アシナガグモ)である。 最初はイヤだな程度に思っていた。が、しかし辺りを注意深く観察してみると、その数 は一桁では済まなかった。この草むら自体がヤツラの縄張りだった事に気がついた時は 荷物を降ろして、ましてや上半身裸でマットに座っていたのだ。マットの緑色が気に 入ったのか、何故かどの蜘蛛もこちらに寄って来る錯覚に襲われた。
冗談じゃあ無い、こんな所でテントなんか張ったら、夜中は薄い布の上を無数の蜘蛛が 歩き回る事になる。中にいれば良いって言う問題じゃあ無い、気分の問題だ。 荷物を急いでまとめて、出発の準備をする。その間も容赦無く近づいて来るヤツラを 追い払いながら、泣きそうになって階段を逃げ降りたのであった。
最高のテントサイトは、足長蜘蛛の集団によって追い出されてしまったのだ。 高滝のダムまでもう1時間くらいの所まで来ていたが、事情があってダムまでの地図 しか持っていなかった。2、3時間もすれば日も暮れてしまうだろう。養老渓谷まで 行けばテントを張れる場所もあるだろうが、どうしようか。 そんな事を考えている内に、ダムの町「高滝」に着いてしまったのであった。 「養老渓谷まで行こう」そう決心したのは、思ったよりも発展した町並みで、ダムの 縁にでもテントを張らない限り、この土地ではテントを張れないと思ったからだ。
養老BP旅 不安の現地入り編
今日中に養老渓谷のキャンプ場まで歩いて行くのは不可能な事が判った。
と言っても、この辺りにテントを張れそうな所もなく、仕方無しに小湊鉄道の
高滝駅に行く。そこは無人駅であったが、結構お客は待合室で待っていた。
しかし、これから養老渓谷方面へ行く人は僕だけで、他の人は五井方面へ戻るらしい。
列車(と言っても2両編成、普通の電車で3両くらい)が入って来ると、車掌が走って 改札付近までやって来て、降りるお客さんの切符の確認をしていた。 発車するらしいので、取り敢えず近くのドアから飛び乗ると、列車は走り出した。 後部の車掌室まで行ってお金を払い、金額と駅の名前が書かれた紙にパンチで穴を 開けた。車内を見渡すと中学生が多いようだ。前の車両には、おばさんが靴を脱いで、 シートを一つ占領している。それくらいガラガラでの運行なので、料金もJRの2倍 くらいもする。この列車は外房の大原まで行くので、乗客の大半がそこまで行くと、思 っていたが、意外な事に養老渓谷で殆ど降りてしまった。その頃はもう日は落ちてた。 駅前は店が若干あるものの、少し歩き始めると明かりは全く無くなってしまった。
この辺りの地図も持っていない、キャンプ場が近くに有るという情報だけで、 ここまで来てしまったが、いざ探すとなると物凄い大変な事であるのに気がついた。 「とんでもない事になった」内心そう思ったが後の祭り。仕方無しに川に沿って 上流への道を足を引きずる様にして歩き始めた。何ヶ所かテントが張れそうな空き地を 見つけ、「もう少し歩いて駄目だったら引き返して設営しよう」と考え始める。
駅から1キロくらいだろうか、河原が見えたので下を覗くと橋の下で数人が、設営の 準備を始めていた。ここでテントを張るのも悪くないけど、大人数の隣で張るのは イヤだったので、もう少し歩く。すると、すぐ近くにキャンプ場入り口の看板を発見。 やっと、到着したのだ。駐車場はかなり混雑していたが、帰る客ばかりの様だった。 こうして見つけたキャンプ場、ここで一夜目を過ごす事になるのだが、ここでも新たな 触れ合いを体験する、が、その時の僕は疲れていて、ただ休みたいとだけ思ってた。
やっとの事でキャンプ場を探し当て、転がり込む様に中に突入して行った僕。
ウロウロしていると、管理人に声を掛けられた。
「何か用?」と。
「テント場を貸して欲しいのですが」と聞くと、料金は1700円とのこと。
ハッキリ言ってかなり高い金額だが、設備を使える点を考えると仕方なかった。
キャンプ場のルールの説明を受ける。
「煮炊きは一切駄目」「はい・・・・えっ?」 テントのそばで飯が作れないの?わざわざ炊事場で、ストーブ使わなきゃいけないの? そうすると、ランタンもダメとか・・・・。「ガスランタン点けたり、ガスコンロで ご飯炊いたりするのもダメですか?」そう尋ねると、「それは構わない。要するに土や 石を焼いたりしちゃイカンと言う事だ」そう答えた。 「焚き火しちゃいけないんですね」と聞くと、「そうだ」と答えた。 どうも「煮炊き」ではなく「火焚き」と言ったらしく、聞き間違えたのだ。 それならもう問題は無い、さっさとテントを張って横になりたい、もう7時近いし。
「ああ、それから・・」今度は何だ。「ゴミの始末だけど・・・」早く行きたい僕は 管理人の言葉を遮り「全部持ち帰ると言う事で宜しいでしょうか?」と決着を付ける。 管理人は少し驚いた顔をしてから、突然愛想がよくなって場所の説明をし始める。 「川沿いに歩いて行って、山の平らな所で張ってね、河原は危ないから絶対駄目だよ」 今日は2、3人しか張ってないし、本当は朝10時までだけど、お昼まで居て良いや。 ゆっくりしてていいから。と言われて、明日はゆっくり食事が出来る保証が得られた。
暗い中、道を進んで行くと黄緑色のテントを張った人が、テントの前に座っている。
「こんばんは」と声を掛けると、その人は挨拶されるのを予想していなかったようで、
驚いたやや大きな声で、「こんばんは」と返してくれた。僕は満足して先へ行こうと
すると、向こうも嬉しかったのか「これから設営ですか?」と話し掛けてくれた。
足を止め、「ええ、遅くなっちゃって・・。この辺一帯で張っても良いですか?」と
聞くと、「ここでも良いし上にも張れるよ、もっと上には2張りくらい張ってるし」。
「じゃあ少し上の方に張ります、有り難う御座いました」。礼を言って上へ行く。
話し相手も欲しかったが、独りの時間も欲しいので、単独で張りたかった。
電灯の光の当たらない影を探し、そこにテント設営した。中に転がり込むと、着ていた 上着、ズボンを脱いで、トランクスにTシャツになる。 カッパのズボンを履き、上にはフリースを羽織った。寝袋に半分潜り、ストーブでお湯を 沸かして、暖かいコーヒーをすすった。やっと安息の地を手に入れた気がした。急に楽な 姿勢になった為に、足がつりそうになってピクピクしていたが、思いっきり伸びをして寛 ぐと収まった。腹も減っていたが、料理をするには疲れていたので、カロリーメイトをかじり、ソーセージを頬張って、コーヒーを2、3杯飲みながらラジオをつける。
丁度ワールドカップ初日で、 日本対カナダ戦の中継が始まった所で、解説の面白さに時を忘れて聞 き入った。頑張れニッポン、千葉の山の中で僕も応援した。圧勝で初日を終えたバレーボ ール、僕の初日も大変満足の出来る出来事で一杯だった。明日はどんな一日になるのだろ う。そんな事を考えながらコーヒーをすする。寝転びながらテントの入り口を開けると、 満天の星空が見えたが、寒いので外には出なかった。
「こんな生活が本当の贅沢なんだろ うな」そう本当に思った。「明日も天気は良いようだし、どこまで行こうかな」そんな事 を考えながらランタンを消し、寝袋に完全に入って、いつしかそのまま深い眠りについて いた。
だが僕はこの時、テントの中がランタンで暖まっていた事に気が付いていなかった。
心地好い眠りから僕を引き戻したのは、猛烈な寒さだった。 昨日眠りについた時は、あんなに暖かかったのに、テントの中は人が居るとは思えない程の冷気に満たされている。 何と言っても吐く息が白いのだから、外みたいだ。時計を見ると、まだ夜中の1時半くらいだった。そんな何時間も寝ていない様だ。
腹も減っていたので、ランタンの明かりの中で、チキンラーメンを茹で始める。ストーブの熱でテントの中を暖め、なおかつラーメンで体の中から暖める作戦だ。お腹を満たし、食後のコーヒーを飲んで外を見ると、やはり満天の星空だった。 再び目が覚めたのは7時くらいだ。外はもう明るかったが、日が当たるまでシュラフも、
干せないので、暫くウダウダしていたら9時になってしまった。
水を汲みに炊事場まで降りて行くと、昨日挨拶をした人が食器を洗っていた、おはよう御座いますと話しかけてみると、昨日このキャンプ場を探して駅から歩いている僕を、自転車で追い越したそうだ。
そう言えば自転車に追い抜かれて、速くて良いなぁなんて、思ったっけ。そうすると、昨
日僕が声を掛けた時は着いてすぐだった事になる。千葉の自然の楽しさについて語った後、これか
らどうするのかと言う話しになって、自分は特に計画もなくこの辺りの地図もない。だが
出来れば戻らずに外房の海が見たいと話すと、それならこの林道のコースが自然も多くて
お薦めだと、教えてくれた。僕は地図を持っていないので、見せて貰いに下まで降りて行
った。
テントだと思っていたのはツェルトで、木々の間にロープを張って設営していた。ツェルトと言うのは、テントの外張りをロープで吊っているような物で、登山者の緊急用避難テントみたいなものだ。軽くてかさばらないが、テントに比べると防風性もかなり低いと思う。
実際に使っているのを見るのは初めてだが、よくこんなものであの寒い夜を越 えたと思った。だがシュラフは冬用のかなりの代物だったので、納得した。地図を見て、 大体の目印も呑み込めた。距離は地図で1ページ半くらい。僕の歩行距離からすると 1日歩けば2ページ半くらいだと思って、結構海まで近く感じた。
お礼を言って別れ、食
事の支度に取り掛かる。ご飯を炊いて、
即席キムチスープを入れてオジヤにする。何だか見掛けは犬ゴハンみたいでみすぼらしいが、結構いける。キムチの乾燥即席スープには、「贅沢汁」と書いてあった・・・・・(笑)。食事を終えてから、ラジオを聞いたりお茶
を呑んだりしていた為、撤収が終わって出発したのは十二時丁度になってしまった。当然
ツェルトのお兄さんは、もういなかった。教えてもらった道をひたすら歩いたが、一方通
行の林道を対向車が結構来る。それでも、舗装してる道よりも歩くのは楽しく、ラジオを
聞きながら快調に進んだ。
途中で開けた日当たりの良い場所に出たので、一休み。写真を 撮ったりきれいな空気を吸ったりして午後の日向ぼっこを楽しんだ。近くで何か音がする ので、目を凝らすとキツツキを発見。初めて見たので感動し、しばし感慨に耽りながら寛 ぐ。中々日常では得られない安らぎ、コーヒーを美味しく飲み、自分の人生に感謝した。
が・・僕は後にバックパッカーとして、致命的なミスを犯していた事に気が付いた。
水筒のボトルを取ろうとして手が滑り、汗を乾かしていたシャツに、貴重な水を掛けてしまったのだ。水は500ml以下になり、シャツは着れなくなってしまった。
それでもそ の時は事態の深刻さに気が付かないで、とにかく上着を羽織り、その場を後にした。急い で下山しないと、バス停に着く前に日が暮れてしまう。ライトの明かりを頼りに、道を歩 くこと程、惨めなことはない。そもそも、自分で地図を持っていない事自体が非常にマズイ状況であるのに、自分に過信していた所があった。 確かに1ページ半を歩くのは半日も掛からなかったろう。ただし、「2万5千分の1」だったら。自分の地図の縮尺に慣れていて、見せて貰った時にお兄さんの地図の縮尺まで、確認しなかったのだ。(多分5万分の1の地図だ)自転車旅で、2万5千分の1では少し大きいかと思ったが、特に気にしなかったのだ。
自分の間違いに気がついたのは、バス停まであと10kmと言う看板を見た
時だ。「どうしよう」そんな気持ちと絶望感を感じたが、歩くしかない。
自然とハイペー
スになるが、林道ではどうにも距離が把握出来ない。これまでのペース配分で考えると、
暗くなる前に、バス停に到着するのはかなり無理が有る。暗いのを我慢して歩いても、そ
の時刻にバスがあるとは限らない。
とんでもない田舎だったらその可能性はある。地図が無いので、どの辺りに出て来るのかも良く判らない。いや、地理の苦手な僕には全く見当もつかないと言うのが、正直な現実だ。「甘かった・・」溜め息と一緒に独り言がつい出た。でも、自分のミスが、直接自分に降りかかるこの旅が、何故かうれしかった。自虐的だが「ざまあみろ」と思った。
薄暗くなり始めた道を独り歩き、疲れて来たのか下らないギャグが次々に浮かぶ。僕が真似したかったのは、自由な交流と自分ペースの「行き当たりばっ旅」だったが、このままでは「行き倒れバッタリ」になってしまう。イヤ待てよ、 関西には大阪名物の「食い倒れ人形」と言うのがあるらしい。そうすると千葉名物「行き倒れ人体」と言うのも結構良いのではないだろうか。思考が支離滅裂になり、足がうまく 上がらない。もう限界に来ているのを、少し離れた理性的な自分が警告した。「もういい 休め」
悔しいけど、今日はここまでにしよう。明日元気になってから、新たな気分で歩く 方が旅としては良い思い出として残るだろう。急いで怪我をしても悲しいし。自分にそう 言い聞かせながら、テント設営の候補地を探り始めた。だが神様も気紛れで、この夜思わ ぬ出来事を贈り物として、僕にくれたのだった。
道路があるのがせめてもの救いで、現在地も判らず、食料(特に水)が乏しい今、遭難状態である。今はどんなに民家が近くにあろうと、それは変わらないのだ。少し戻って、広い空き地にテントを設営した。
ここなら明日の朝までゆっくり休める。道路より下がって
かなり広い広場だが、端の方に張ってしまうのは僕の性格だろうか。キャンプ場でも、広
大な敷地の一番端に張っていたのを思い出す。自分の事なのに、案外性格を把握していな
いのが滑稽だ。借り物の人生みたいな気がした。周囲をヤブに囲まれており、枯れ木は恐
ろしい程に乾燥している。かなり太い枝でも簡単に手で折る事が出来るので、容易に判断
出来た。焚き火をするには持って来いだ。
いつも仲間と出掛けて焚き火をやると、かなり盛大な炎を上
げるが、こんなささやかな焚き火も良いもんだ。燃えた枝も炭となって、穴の中で赤い光
を発してる。
さて、食事だが米がまだ残っている筈だ。問題は水で、米が炊けるだけ有る
かどうか。取り敢えず米は少な目に炊いて、水は明日の朝の為に残しておこう。最後のコーヒーが朝食なのだ。おや?、サンマの缶詰なんか持っていたのか。すっかり忘れてた。
これだけあれば、立派なディナーに成るではないか。思っていたより恵まれている。ご飯
が炊けた頃を見計らってサンマ缶を開ける。
フと焚き火を見ると、炭は10センチの穴を完全に埋め、地面と同じ高さまで達している。「これは・・・・。」赤々と光る炭の上にサンマ缶を乗せ、暫く見ているとグツグツたれが煮えて来た。炊き立てのご飯とアツアツのサンマで、夕食は昨日の晩より豪華になった。(爆)
水はあと少しなので、飲み物には出来ないけど、夕食らしい夕食だった。フと気がつくと、20mくらい離れた所で何か光る物が見える。獣の目だ! |
触れられない程熱くなってるランタンにシュラフが接触、上部の一部(悪い事に化繊)が溶けてしまった溶けてしまった!。今日は起きて いてもいい事は無さそうだ、ランタンを消して僕は早めに寝る事にした。明日こそは本当 に旅の終わりなのだ、この旅に相応しいフィナーレにしたいと思った。
が、夜もそんな簡単に終わってくれないのが、この旅の特色ナノを忘れてた。(笑)
養老BP旅 息を殺した2分間編
夜中の2時を回った頃だろうか、枝がバキバキ折れる音で目が覚めた。
その時は表で何が起こっているのか全く理解出来なかった。 フーフーと言う低い呼吸音で初めて、外で何かが動き廻っているのに気付いたのだ。 昨日の鹿だろうか、かなり派手にバキバキやっているので、恐怖が先に来て動けない。鹿が物凄い速さで敏感に察知して、逃げ去っていく「足音」だけ聞こえた・・・。 残念、逃げて行ってしまった。しかし、テントの中に居るだけで、これ程近くまで 接近して来るとは、思わなかった。テントと人間を関連付けて考えられないのか? 寝てると思って安心していたのかもしれない。でも、立場を変えると何となく判る。 家の庭先にUFOが着陸していたので、恐いもの見たさで近寄って行く。 が、突然トビラが開きそうになったので、驚いて一目散に逃げ帰った。 何ら、無理のない話しである。見に来る方も、大した度胸だ。
鹿も去ってしまったので再び寝る事にする。出来事は2、3分で終わってしまったが、 こう言う体験をすると、旅に出て来て本当に良かったなと思う。 そんな幸せに浸りながら横になっていると、いつしか眠りに落ちていた。
養老BP旅 極寒との闘い編
早朝、やはりスゴイ寒さで目を覚ました。前日よりも冷え込みは厳しい気がする。
昨日の朝やったように、ストーブに火を付けて、テント内の空気を暖める。
しかし、テントの生地が完全に冷えきっているのか、暖まった空気はすべて布に
吸い込まれて行ってしまう様だ。それに空気が暖まっても、しばらくすれば、また寒く
なってしまうに違いない。今度は食料も無いので、体の中から暖めると言うワケにも
いかないのだ。
最後のコーヒーを入れるのか?ここで決断しなくてはならない。
冷静になって判断する。今お湯を沸かしてコーヒーを入れると、一時的だがテントは
暖まり、体も暖まる。しかし所詮は水なので、じきにトイレに行きたくなってしまうだろう。
寒さの中で、我慢するのはもっと寒そうだ。水はコップ一杯分位しかないので、飲めば
それで終わり。そこで、思い出したのが「水筒湯タンポ」。登山の世界では極一般的な
テクニックで、水筒(魔法瓶はダメ)にお湯を入れて、靴下なんかの布にくるんで抱い
て寝るのだ。ただし、これは水が結構ある時にやる事で、少量で出来るかどうか。
「やってみるしかない」そう判断してヤカンでお湯を沸かし、水筒に戻す。
良く振って、全体が暖かくなるようにして、背中やお尻、足なんかを暖める。
これが効果抜群で、ある程度足腰が暖かくなると、そのまま寝てしまった。
夜が明けるまで2回くり返し、朝になるともうそれ程寒くは無かった。
外へ出てみると、そこらじゅう鹿の糞だらけで、ここが鹿の生活の場である事が判る。
流石に、新しい糞は落ちていなかったが・・・。落ちてたら怒っただろう(笑)。
寒い夜を救った一杯の水で最後のコーヒーを飲み、撤収を始める。
テントを乾かそうと裏返していたら、風が吹いてコロコロ転がって行ってしまった。なんとも頼りない。 総ての装備をザックにしまい込み、焚き火の火が完全に消えている事を確認して、 立ち上がった。ゴミが落ちていないかどうか、最後に見廻り、広場を後にした。 泣いても笑っても最後の日の出発である。
朝日を浴びながらしっかりした足取りで、海を目指して一路、真南に突き進んで行くのであった。
養老BP旅 そして海へ編
最後の目的地、林道の間から見え隠れしていた「海」へ向かって、足を踏み出した。 9時丁度に出発して、15分くらい歩いただろうか、散策しているおじさんが居る。 「こんにちは」僕が声を掛けると、「随分早いね、どこから来たの?」と聞かれた。
「養老渓谷から歩いて来ました、途中で日が暮れちゃって一泊しました。」と答えると 大いにウケて、「寒かったろう、大変だな、バス停はもうすぐだ」と励ましてくれた。 そこから20分くらいあるいて、やっとバス通りに出た。海はもうすぐそこの様だ。 通りを少し歩くと、漁港の様なところ、防波堤も見える海にたどり着いた。
方向感覚がどうもズレているが、やはり外房の海なのだ。
反対側までやって来たのだ。嬉しさが込み上げて来て、400m程の砂浜を歩く。やった、やった、やったのだ。しばらく歩き回って、落ち着いてくると、今度は自分がどこに居るのか知りたくなる。
この辺は安房天津と言うらしい、安房鴨川と行川の丁度真ん中辺りに位置する海岸だ。 後で地図を確認すると、五井からほぼ真南のあたりだ。本当に反対側なのだ! さて、朝飯はコーヒー一杯だったので、どこかで食事をしたいのだが、この辺りは民宿 や、リゾートホテルがあるばかりで、食堂なんてどこにも無かった。
「駅まで行けば何かあるだろう」そんな期待を抱いて、バスに乗る。 方向はどうでも良かった、取り敢えず知っている名前の駅に行きたかったので、鴨川 方面へ行くバスに乗った。(地図を見れば判るが、東京方面とは逆だった) 鴨川でも食堂は見当たらず、駅前のパン屋で焼きたてパンを幾つか買い、ベンチで食べた。 まだ正午であるし、その辺を歩き回ろうか。そう思ったが、一度食事をして、 ベンチに座ってしまうと、歩き回るのが億劫だった。
電車が来るまで1時間半もある。日向ぼっこも悪くないが、こんな町中でこんな格好をしての日向ぼっこは恥ずかしい。
電車が来るまでの間、駅のベンチで手帳を開く。横浜から書き続けて、もう14ページ
にもなった旅の記録は、総ての思い出が記されているワケではなく、思い出を引き出す
キーワードでしかないと思ってる。
どんな文章でも旅の総てを伝えられるワケではない。そんな事を考えて記録を付けてると、電車が来る時刻が迫って来た。
と、急にこのまま旅を終えてしまうのが惜しくなる。ホームシックの逆状態である。 日常の世界に戻って行ってしまうのが、恐ろしくもあった。 何と言っても、旅人である自分の方が楽しかったし、勉強出来た気になった。 知らない景色が僕に与えた影響は、文章に出来ない程強烈だったし、希望感もあった。 ホームに入ると、先に木更津方面千葉行きの普通電車が入っている。 「これだ」と思った。時間は掛かるが、房総半島をグルっと一回りして、千葉で乗り 換 えるのだ。 出発点の五井も通るし、そんな非合理的 なコースが僕の旅に合ってる。
うららかな日差しの中、僕を乗せた普通電車は、ゆっくりと揺れながら走り出した。
養老BP旅 おまけ編
電車が動きだして暖かい日差しの中、お菓子を食べたりラジオを聞いたりしながら、
ゆっくりと寛いで乗っていた。
千葉をグルっと一周しての電車旅なので、時間は恐ろしくある。千葉駅に到着するのが
3時過ぎの予定なので、3時間は乗ったままだ。
やる事もなく景色を眺めたりしてるうちに、まどろんだりして心地好いひと時を過ごす。だが車内のマナーはあまり良くなく、空缶なんかが足元に転がって来る始末だった。
あまりにも酷いので停車中に駅のごみ箱に捨てた。(それ程皆簡単に置いて降てしまう)観光客は皆木更津で降りてしまい、そこから先は地元の高校生が多くなってきた。
千葉に着いたら、今度は横須賀線に乗り換えだが、ボックス席で弁当でも食べようと
駅弁を買い込んだ。・・・が、しかし到着した横須賀線には、ボックス席なんて無く、
しかも超満員で吊り革に掴まるのさえ辛い混雑であった。(泣)
新川崎くらいまでずっと立っていて、横浜につく直前くらいでやっと座れた。
横浜まで来てしまえばもう後はすぐなので良かったが、今回の旅でずっと期待していた
温泉にも入れず、悲しかったので近くの銭湯に行った。(この辺=横浜は鉱泉です)
十分に温まって、良く筋肉や筋を伸ばしておいたら筋肉痛にはならないで済んだ。
でも腰は1週間ほど痛くて、前屈みが出来ずに不自由な生活験した。
後日、足りなかった地図を買って来て、歩いた道を赤いボールペンでなぞってみたが、
やっぱり2日目のビバークの道は、
間違っていた。(笑)
明らかに、太い道から外れて歩いていたのだ。地図があれば絶対間違えない様な・・。
おかしいと思ったよ、どんどん道は小さくなるし、舗装は無くなるし。(笑)
なんで間違いに気が付いたかと言うと、ペンで書いていて「おや、着く先が違うゾ」と
思って、良く見ると僕が付いた実入海岸へは、細い道に入った先にあったのだ。
だから、太い道にも赤くペンで書いてしまった。歩いた後を塗り潰しているのに、
これじゃあ嘘の書き込みになってしまうじゃないか。
こうなったら、間違えて書いた道も歩くしかないっ!。(笑)
勝浦ダムなんてのも近くにあるし、見に行っても良いかも知れない。
そんなこんなで、僕のバックパッキング(BP) 旅は繰り返されて行くのだろう。
旅人ノート
初めてのバックパッキングの旅となります今回の「千葉養老川の旅」は、シェルパ 斉 藤氏の「四万十川の旅」に影響を受けて、手近に良い川が無いかと地図帳を めくっていた時に、偶然目に入った養老川が、印象に残ったので決定しました。 本文中にも触れられてますが、僕は途中の高滝ダムまでの地図しかありませんでした。
どこまで歩くか決めていなかった為と、それより南の地形図が見つからなかったので、結局は行き当たりばっ旅になってしまいました。(無謀だった気がするけど)
でも実際に地図を持っていたとしたら、あれ程イベント性に富んだ内容には、なかなか
ならなかったろうと思います。
そういう意味では、今回の旅もまんざら失敗ではなかった気がしますが・・・・。
ちなみに、最後の「おまけ編」は本編とは別で、旅から交通機関を使って帰路についた
時に思った事や、出来事を書き込みました。帰ろうと思った時が旅の終わりなんです。
旅に出る前は、旅人としての姿形だけを追い求めていましたが、旅を終えてみると、
「旅とは一体何なのか」とか、「良い旅と悪い旅の違いはなんだろう」などと、心理面
での旅人の在り方を考えてしまったりして、随分考えた事もありました。
今では「旅」に対する自分の考え方もしっかりとしてきて、ポリシーの様なものまで 持つようになりました。 旅慣れた人は多分沢山いると思いますが、本当の意味での「旅人」は、それ程多くは いないのではないでしょうか。勿論考え方は人それぞれなんですけれど・・・・。 よく、「一人旅なんて恐くないですか」とか、「寂しくないか」と言われますけど、 確かに恐い目に遭う事もあります。でもそれも含めて、旅のイベント性だと思えば、 そんなに旅に出る妨げにはなりません。
むしろ今度はどんな事が起きるのだろうとか、期待してしまう事もあります。では「寂しくないか」と言うと、僕の場合は集団で行動するより、一人で旅をした方が無理が出来ると思って割り切っています。
この辺は意見の分かれる所ですが、旅の人数が多いところで結局人数分の楽しさが
あるとは言えないと思っています。むしろ、それでストレスを溜めてしまうかも知れ
ません。良く言えば一匹狼ですが、協調性に欠けるとも言えます。
そんな一人旅を満たしてくれるのは、「自分との対面」です。
旅の間は自分一人です。
その間に話し合えるのは自分自身だけなので、本当の自分と腹を割って話します。
そうする事で、本当の自分の姿を見つめられるので、「自分が何をやりたいのか」また
「何をすべきなのか」が自ずと見えてきたりします。
なにしろ時間はいっぱいあります、普段出来ないような気持ちの整理なんかが、結構
旅している間に出来たりします。
それが出来ない人には、一人旅は孤独との闘いになってしまうので、大人数でワイワイ
楽しくやった方が良いでしょう。人それぞれに旅の楽しみ方が違いますから、自分に
合った旅を、多くの人に楽しんで欲しいと思います。