宮ヶ瀬BP旅 プロローグ

「なんてこった・・・・。」


夏の気配も完全に消え去った10月も半ば、僕は再び宮ヶ瀬に立っていた。

前回の旅から二月経っての、第二次宮ヶ瀬遠征である。
辺りは次第に夕闇が迫って来ているが、僕は未だに目的地へ着いていなかった。

疲労と焦燥、そして絶望感が同時に僕を包み込んで来るのが判った。



「このままではまずい」刻一刻と進む時間が、僕に決断を迫っていた。



宮ヶ瀬BP旅 出発編

 前回の宮ヶ瀬での旅から、早くも二月近く経ってしまったが、やり残した事がある。 橋の上から撮った場所、僕にとっては思いで深い場所だが、ここでテント泊をする事。 前回は都合で旅を切り上げてしまったが、今回は時間がたっぷりある。

 僕のこれまでの旅では、同じ場所にテントを張り続ける事はなかったが、今回は腰を 据えて、この地の最期のキャンパーとなりたかった。前回と違い、宮ヶ瀬大橋付近でゲリラ的にテント泊をするため、旅のスタイルは自転車ではなくバックパッキングとし、移動は徒歩を中心とする事にした。

猿が逃げ出した後に、栗を拾うCDCです。殆どがペッタンコな栗しか残っていませんでした  と言う訳で、本厚木からバスで20分、清川村に入ったところで下車して、途中の コンビニまで歩く事にした。だが目測を誤り、3キロも手前で降車してしまった。長い道のりを歩いていると途中で柿の木を見つけた。庭先という所でもないし、まして畑でもないので、僕は色のちょうど良さそうな柿を、一つだけ貰った。秋の味覚である。

 また、栗林に野生のサルがたむろしていたので、何だろうと覗き込むと威嚇された。 ムキになって押し入り、栗をさがしたけど、大した栗は落ちていなかった、残念だ。 殆どの栗はサルに取られてしまった様で、ペッタンコで実のないものばかりである。しばらく歩く事、ようやくもうお馴染みとなった コンビニに到着した。 時間にすると1時間くらい歩き続けた頃であろうか。一休みである・・・・・・・が。

 僕の荷物は、飲用タンクの水も含めて、かなりの重量であったが、コンビニでの食料の補給により、とんでもない重さになってしまった。 元々装備の中には、旅に必要のない物も多い。ラジオやハーモニカなんて、娯楽以外の なんでもないし、まして文庫本なんて、読むかも判らないものまで持っている。

一般道路からダム底へ続く道に入って直ぐの場所です。案内板も放置されたままなのが寂しいですよね  それに加えて生活道具と、日数に応じて食料も詰め込んでいると、持ち上げるのも大変 な重量になってしまう。それでもヨタヨタと上り坂を登って歩くが、何せ久しぶりのバックパッキングだ。歩く速度は半減し、吹き出す汗でTシャツはグショ濡れとなってしまった。太陽もだいぶ傾いてきて、気温もかなり下がってきたのが、吐く息の白さで判る。 汗を吸ったTシャツは、どんどん僕の体温を奪っていくが、ザックに挟まれた背中だけはやはり暑かった。 かなり長い時間かけて、坂を登り終えたとき、ダムの底に下っていく閉鎖された入り口 を発見!。「これからが本番だ」 僕は2ヶ月前に断念した懐かしいあの場所に向かって歩き続けた。


宮ヶ瀬BP旅 迷走編

かつてはバス停もあった七曲橋(小さな橋)でのスナップ。手に持っているのは柿です  夕暮れも近く、気温はどんどん下がってきているが、僕は比較的楽観して歩いていた。 それは、3年前にタイムスリップした感覚で、昔バイクで走った道を辿っている事と、 これまでのバックパッキングの経験で培ってきた、暗闇でもテント設営出来るという 自負があったからだと思う。なにしろ、それほどの危機感は抱いていなかった。

 途中、ショベルカーが置いてある工事現場に差し掛かったが、なんと先程まで作業していたらしく、土の独特な香りがプンプン臭っていた。 目的地から帰るには、今の時間帯から夜に掛けてしか、ここを通れないだろう。 昼間に工事している場所を、堂々と通る勇気はない。ここは立ち入り禁止地区なのだ。 そうすると、この場所での滞在にあたっては、食料等の備蓄が必要である。 僕は苦労して荷物を運んだのが、結果的に正解だったと思ってニンマリとした。

 工事現場の先は道が分かれていて、山の上へ登っていく道と、谷を通っていく道の二つ の選択がある。僕は迷わず谷の道を選んだ。 しばらく歩くと、奇妙な錯覚を見た。道の少し先がオレンジ色に光っているのだ。 どうも上を通っている橋の電灯が、映っている様だ・・・・ん?・・映ってる!? 「こ・・・これは・・・。」そこから先は、ずっと水面が広がっていた。近くに木なんか生えているから、全く気がつかなかったが、目的地まで行く道の途中は水没しているらしい。

 何てこった、ここまで来たのに行き止まりなんて・・・・しかももうすぐ真っ暗だ。 疲労と焦燥、そして絶望感が同時に僕を包み込んで来るのが判った。 「このままではまずい」刻一刻と進む時間が、僕に決断を迫っていた。 残された選択は3つ。先程の分岐から、山の上を迂回して宮ヶ瀬大橋に行く方法。もう一つは、この道に入ったすぐの辺りまで戻り、テントを張って今日はもう諦めるパターン。最後は、上の道路に再び戻って、そこから目的地を目指すと言う方法。

殆ど平坦な道路でしたが、この先から水没しています。実はこの道路は少し高いので、周囲は既に水に囲まれていました  時間的に考えて、上の道路を行ったのでは降りてくる時間を考えると、大変なロスで ある。僕は山道の迂回をする事にした。 その道は、完全に土の出た坂道で、雨による侵食でクレバスが出来ていた。 うっかりその近くを歩くと、土のオーバーハングしている場所を踏んでしまって、足を 穴に落としてしまう恐れがある。 慎重に登って行ったが、途中から行き先と逆方向に進みはじめてしまった。

 行けども坂だし、諦めてテントを張るにしてもここじゃまずい。 それに、もし引き返す事になっても、朝になって工事が始まったら帰るに帰れない。 完全に暗闇になる前に、ここから引き返さないと、本当に閉じ込められてしまうのだ。 僕は迷った末、上の道路に戻る事にした。 来た道をしばらく戻ると工事車両が出入りする為の道を見つけた。そこから戻る。 初日からいきなり重装備で歩き続けた為、足がかなり痛くなってしまったが、トボトボ 少しずつでも先に進み始めた。結局下を歩き回って二時間近くのロスだった。

 これからあの場所を探すのは、不可能になってしまった(暗くて確認不可)ので、 テント泊の予定地を、前回の旅の初日に利用した橋の下にする事にした。 宮ヶ瀬大橋より少し先だが、道なりに行けばいいので、結果的に近いと思った。 最悪、まだバスが通っているので、それに乗っていっても良いだろう。 僕は三脚を杖代わりにして、足を引きずる様にして何とか歩いて行った。

宮ヶ瀬BP旅 光と脂編

 トボトボと歩いて行くと、ラーメン屋が暗闇の中、まばゆい光を放って営業していた。 腹も減っていたが、何より座って少し休みたかった。誰かと話がしたかった。 「こんばんは・・まだ何か食べれますか?」僕は店の中に入って、まず挨拶した。 「どうぞっ、やってますよ」そう言って笑顔で店員が僕を迎えてくれた。 店の中は、常連らしい一組の客、中年の夫婦におばあさんの三人客だけだった。 巨大なザックを背負って、三脚を杖にして歩いていた僕は、当然のごとく注目の的で、席に荷物を降ろすと案の定、中年のおばさんが話し掛けてきた。

 「写真を撮りにいらしたんですか?」なるほど、ザックより三脚を見て言ったんだな。 僕は、横浜から来て、バックパッキングという旅が趣味なのだと、手短に話した。 すると、「若い人にしては珍しいねえ」と、口々にそう言った。 どうも登山と勘違いしているようだが、この格好を見れば無理ないだろうか。 しばらくこの三人と話しをしていると、ラーメンが運ばれてきた。ん?・・・・。

 スープが妙に脂っぽい、と言うよりも固形の脂肪の小片が無数に浮いているのだ。 しかし、出た以上は食べるしかないし、今はカロリーの消耗も激しいから良いだろう。 疲れていたし腹も減っていたので、僕はこれでまたしばらく歩けると確信した。 以前千葉をMTBで旅した時、小休止で食事をして急に元気になったのを思い出した。

 食べている最中、先客の三人は僕に挨拶をして先に帰っていった。 やっとラーメンを食べ終った頃には、僕の体は充分に温まっていた。 お勘定を払って、僕は店の人に聞いてみた。「宮ヶ瀬方面のバスはまだありますか」 すると、先程の話しを聞いていたらしく、「車で5分くらいだから勿体無いよ」と。 尚も僕が決めかねていると、「歩く人ならすぐだよ」。この一言で決まった。 完全にプライドを刺激された形だけど、バックパッカーが何言ってるんだという訳だ。

僕は店の人に礼を言って、また歩きはじめた。今夜の寝床を求めて。

宮ヶ瀬BP旅 完璧な住居編

 お腹が一杯になったら、案の定元気が出てきた。橋に差し掛かる度に下を見下ろして、 前回に、写真を撮ったのはどの辺りだろうかと、下を見ながら歩いていた。 しかし下は、どんよりとした暗闇の中で、水面があるようにしか見えない。 そのうち津久井方面へ抜ける橋(やまびこ大橋)を過ぎて、見覚えのある橋に来た。したは砂利だ。

 「あれ?ここはテント泊予定地じゃ・・・・、すると例の橋はもう通った訳か。」 しかし湖面しか見えなかった気がするが、なんだか嫌な予感がする。取り敢えず、テントを設営する事にしよう。全てそれから考えよう。前回来た時は、柵は未完成で自転車でも入れたが、今はもう完成しているので横のガードレールを乗り越えて中に入った。

 テントを設営した場所に行ってみると、あの時テントを固定する為に使った大きな石も そのまま落ちていた。僕は以前と同じ場所にテントを設営した。 また以前と同じ様に、外に三脚は出しっぱなしにしておいて、今回はテントの中からリールアンテナを伸ばしてラジオに繋いだ。これでラジオの感度は飛躍的に上がる筈だ。 僕はすべての装備をテントの中に引っ張り込むと、いつもと同じ様に並べた。

到着するも、歩き疲れて何もやる気がなくなった状態です。まぁ、テント設営して横になればもっと楽なんですけどね  どんな場所にテントを設営しても、このテントの中の配置は殆ど変わる事はない。 だからこそ、安心して寛げるんだろう。言わば自分の部屋であり、家であるのだ。 ところで、テントを設営した場所は、かなり大きな橋の真下で、風が吹かなければ雨の 心配がなく、更に僕が一番気にしている、周囲からの隠蔽効果が抜群に良い。

 前回と違ってフェンスが完成しているので、ここまで人が近づいてくる心配はかなり低く、誰にも気が付かれる心配がない。夜間でも橋の上から下の明かりは見えないのだ。 しかも地面はローラーで敷き詰められた小石なので、水はけも良いし、何より平らだ。 シュラフマットが無いと大変だが、立地条件は僕の基準では「特A」ランクだった。 難点を敢えて挙げるとしたら、車が通る度に橋の継ぎ目でボコンと音がする事。 でも元々交通量が多い所に住んでいるので、車の騒音はあまり気にならない。

 さて、落ち着いたところでお茶でも入れるか。水はたっぷりあるから、明日まで心配が ない。それにさっきラーメンを食べたばかりなので食事に使わず、純粋に飲み水に使えるのだ。 僕は買ってきたお菓子を食べながら、お茶をすすった。一番落ち着く瞬間だ。 そうだ、もいで来た柿を食べてみよう、ひょっとして渋いかもしれないけど・・・・。 僕は愛用の折り畳みナイフ(以前三百円で購入した)で、慎重に皮を剥いた。 苦労して運んで来た柿なのだ、出来るだけ皮は薄く切りたい。(笑)

 意を決して小片を口に放り込んでみると、これが意外においしかった。 渋味は全く無く、売っている柿そのものの味がした。ちょっと小ぶりではあるけど。 天然のデザートを食べて僕は、どうせならもっと採ってくれば良かったなどと思った。 だがやはり重さを考えるとこれが丁度良かったかも知れない。 その他に重かった6Pチーズを二つ程かじって、取り敢えず食事は終わった。

 しばらく旅のメモを取りながらラジオを聞いていたが、山の方でキーキーと猿が騒いでいる。近づいて来て集団で囲まれちゃうと恐いので、どうしようかと思ったが、 ハーモニカを吹いてみたら、怖がって逃げてしまったらしく、それっきりだった。 しばらく起きていたが、かなり疲れていた為に十時前にはすっかり寝てしまった。 その夜はかなり冷え込んだ様だが、テントの中は快適だった。

宮ヶ瀬BP旅 沈んだ世界編

 翌朝、テントに当たる太陽の明るさで目が覚めた。時刻は八時半、良く寝たのでとても気持ち良い。 早速お湯を沸かして、お茶を入れる。シェラカップをすする僕に朝日が当たり、何だか 幸せな気分になった。さて今朝の朝食は、昨日コンビニで仕入れた「明太子パスタソース」。でもスパゲティーは重いので、買ってきたのはマカロニだった。パスタなんて味は一緒だろうから、軽い方が良いと思ったのだ。

お湯を沸かしてお茶にしようとしています。お尻に敷いているのは寝袋マットです。  早速鍋でマカロニを茹でる。茹で上がるまでに時間が掛かりそうなので、その時間を利 用して、前回の旅で見に行った下の世界がどうなっているかを見に行く。 だが、予想通りというか、予想に反してと言うか、途中で道が水没してしまっていた。 これには正直言って驚いた。4メートルくらいは水位が上がっているじゃないか。 この分じゃ、僕が写真を撮りまくった場所は、すでに湖底に沈んでしまっただろう。 僕は諦めて戻り、マカロニに明太子ソースをかけて食べた。あまり美味しくなかった。(爆)

 食事を終えた僕は少し考えを変えて、行けるところまで行って写真を撮ろうと思った。 取り敢えず食器等は片づけて、ザックの上の部分を取り外してベルトに括り付け、三脚 を持って水際まで降りていった。前回撮った景色をもう一回フィルムに収め、引き返そうとした時、僕は気が付いた。 水没した道路を避けるようにして、崖の側面を登っていった様な踏み後があるのだ。 ひょっとして、関係者か僕みたいな人が、迂回路を作ったのかも知れない。

 踏み分けられた道は、山の上へと続いており、僕は覚悟を決めて登ることにした。 下が見渡せる場所に来て、僕は以前写真に撮った場所を、真上から眺める事になった。 しかしそこは、もう僕の知っていた場所は、影も形も無くなっていた。 唯一そこに生えていた木が、上の方だけ紅葉させているのが、残っている全てだった。 僕は無言のままシャッターを切り、先へ進んでいった。すると・・・・・。 下に舗装された道下に舗装された道が見えるではないか。下界に残っている道路がまだ在ったのだ。

この木の辺りの写真は、宮ヶ瀬MTB旅に載っていますよ  だが踏み分けられた道は、そこへ降りて行く様子も無く、更に違う方角へ伸びている。 「おかしい、人が通るにしては薮がすごい生えてるし、靴跡にしては小さすぎるし」 僕は踏み跡をしっかりと見た。僕は見た、この靴跡には蹄が付いていた。(笑) 「ゲゲェー、鹿の足跡じゃないかこりゃ・・・・」ここは獣道だったのだ。 ここを歩いていても下に降りては行けまい、そう判断した僕は、強行突破を決意した。 下に見える道路まで高さにして2メートル、ほぼ垂直な崖であった。

 僕は腰に固定したザックの天蓋に、三脚を括り付けて、後ろ向きになって降りる。 薮の草に掴まって、足がアスファルトに着いた時には、腕は引っ掻き傷だらけだった。 ようやく落ち着いて辺りを見回したが、やはりここは前回僕が歩いた道路よりも、一段 高い場所を通っている様だ。まあ、当然と言えばそうなのだけど。 道路を戻っても水没しているので、ここは前進あるのみ。少し歩いて僕が見たものは、 何かの建物だった。中からは、「カッカッカ」と言う音が聞こえてくる。

 僕は関係者に見つかる事を警戒しながらも、こんな凄いイベントを無視できずに、結局 覗きに行ってしまうのであった。それが何の建物かも考えずに。

宮ヶ瀬BP旅 パンドラの箱編

前後しますが、探検した後の写真ですこれ。何故か円柱ブロックが積み上げられていて、一番上が赤いです  ドアの無くなった戸口の前に立った時、僕はこの建物に人がいる筈が無いと悟った。 窓は全て板で塞がれ、日差しに慣れた僕の目には、室内は暗闇だった。 ようやく埃を被った沢山の陳列棚が判ると、この建物全体が一つの部屋である事に気が 付く。棚には沢山の平べったい箱が、ギッシリ詰まっている。引っ張り出そうとしたが 何故か全く動く気配もなかったので諦める。僕は細い通路を壁に沿って歩いてみた。 するとどうだろう、棚が大きく崩れている場所があったのだ。

見たまんまの写真ですね、コメントのし様がありません(汗)  驚いた事に、崩れた棚の下はコンクリートの床だが、何と崩れて落ち込んでいるのだ。 相当な重量が床に掛かっている様で、床が耐えられなくて棚も崩れたと言った方が正解の様だ。外で聞こえた音は、崩れかけた他の棚が悲鳴をあげているのだ。 万が一にもここで下敷きになんかなったら、誰も助けに来てくれないでそのままダムの 底に沈んでしまうと言う、恐い現実に僕は気が付いた。 「ちょっと軽率な行動だったかな・・・・・」僕は好奇心だけで突っ走っていたのだ。

 建物自体も崩れかけているかも知れないので、僕はもうここを出る事にした。 だけど、その前に絶対に確かめておきたい事がある。今だけしかチャンスは無いのだ。 僕は、一番上になっている箱の蓋を開けてみた。中にはコンクリートの棒や、土の棒が 入っていた。ボーリング調査の標本らしく、深さや場所が記入してあった。 何千本ものボーリング調査の標本の山は、誰も訪れる者のいない博物館に見える。 そしてこれから、誰にも手の届かない博物館へと変わっていくのだ。

正直全く予想できなかった中身でしたが、感傷に浸れるのも旅の良い所だと思います  その殆どの標本は、人の目にも触れず、役に立つ事もないが、無くてはならない物。 そして、やがてはその存在すらも、忘れ去られる存在。僕はここに 来るべきじゃなかったのかも知れない。箱を開けるべきじゃなかったのかも知れない。 開けてはいけない箱、そして開いてしまった箱・・・・・・これはパンドラの箱だ。 全ての調査を終え、これから湖底の土に再び帰っていく運命のこの土達は、どう思って いるんだろうか。喜びか悲しみか、諦らめか希望か・・・・・・。

建物から出る時、開け放しになった箱をチラッと振り返ったが、答えは出せなかった。

宮ヶ瀬BP旅 ダムクライム編

 僕がダムの底に魅せられて徘徊している内に、お昼近くなってしまっていた。 水を汲む為に、腰に括り付けた小ザックにアルミボトルを入れているのを思い出した。 そうだ、水を汲まないと今夜の夕食も作れなくなってしまうのだ。 僕は昨日のラーメン屋からの途中で、車のパーキングがあったのを思い出した。 ひょっとしたら水道もあるかも知れない、そこまでは大した距離は無いし、何度でも汲 みに行けるだろう。確かめてみる価値はあると思う。

 そうと決まったら、このダムの底から脱出しよう。僕はさらに先に進んでいった。 が・・・しかし、道はそのまま湖面へ吸い込まれて行ってしまっている。 戻るか・・・・、さっきの崖を登って、泥だらけの獣道を戻るのか・・・・・。 僕は正直言って、またあの山道を歩くのが嫌だった。 丁度やまびこ大橋の目の前に居た。眼前にはコンクリートで井形に組まれた斜面。 今思うと、よくまぁこんな場所を登ろうなんて考えたなと思います。別に紀行文を意識してネタを作ったワケじゃないんですが、自然に体が動いていましたね 僕は生唾を飲み込んで想像してみた・・・・・本当に可能なのだろうか・・・。

 遂に僕は決心した。再び三脚を腰に括り付けると、目の前の巨大なコンクリートの塊に 組みついていった。恐くて下は見られない。 落ちても只じゃ済まないし、工事関係者に見つかっても只じゃ済まない。 唯一有利な点といえば、誰もこんな所を登っている奴が居るなんて思わない事だ。 そして、とうとうコンクリート部分を登りきってしまった。下を覗き込んでみる。 よくもまあこんな高さを、命綱なしで登ったもんだ。 途中で、ケーブルの付いた装置が埋め込んであったが、恐らく水位センサーか何かだ。 そうすると、確実にあの辺りまでは水が来る事になる。 まさしく、ダムの底から這い上がって来たワケだ。

後は道路まで登っていくだけだが、今度は裸の土の表面に崩れないようにネットを 掛けてある斜面だ。ネットがあるから登りやすいと思いきや、なんと場所によっては 土から離れて宙に浮いているところがある。 コンクリートの井形と違って、足場はないので手を放したら転がり落ちてしまう。 どうする、慎重に進んでいけば大丈夫だろうか。僕は辺りを見廻した。すると・・・。

 先程の水位センサーから伸びているケーブルが三本、丁度ネットの上に垂れている。 僕は迷った、こいつを掴んで登れば楽だろうが、見つかればかなりヤバイ。 だけど、ここにいる事自体がすでにヤバイので、ここは時間との勝負だと即座に判断した。 ケーブルを掴んで登る登る、僅か十秒足らずであった。 路上へ出た僕は、すぐ脇に下から上がってこれる閉鎖された道路があるのに気が付き、 これまでのリスクに溢れた波乱万丈な行動が、全くの無意味だった事を悟った。(爆)

宮ヶ瀬BP旅 文明の利器編

何度か登場した写真です。撮影した場所がズレていたみたいで、正面に見える道路の角度が違ってるのが惜しい  ダムから地上に戻った僕は、水を補給しなければならなかった。 途中、大きな橋を通った時に何気なく下を見ると、見覚えのある景色が見えた。 そこは紛れも無く、前回写真を撮った橋の上だった。が・・・あの宮ヶ瀬大橋は陰も形もなく、静かな凪に揺れる湖面だけだった。やはり水没してしまったのだ。やり場の無い気持ちになりながらも、僕はその沈んでしまった橋のあたりを撮影する。昨日、あのまま下の道を進んでも、やはり橋へは到達できなかった訳である。少し、会いに来るのが遅かったね。時の流れはもう止まらない、沢山の想いが暫くの間、僕を支配した。

 僕は昨日来た道を更に戻り、ちょっとした公園の様になっているパーキングまで来た。 案の定、蛇口じゃないが水飲み場があり、そこでボトルに水を汲む事が出来た。 目的を達成出来たので、取り敢えずベンチに、座って一休みする。 他の人はみんな車で来ていて、徒歩でうろうろしてる人はいなかった。(当り前だが) たまたま知り合った初老のおじさんと、しばらく話してから、一度テントに戻る。 何だかんだで1リットル半も補給してしまったので、結構重くなった。

 テントに戻ってしばらく近くをぶらぶらしていたが、暇になってしまった。 日が暮れるにはまだあるし、それじゃあと言う事で、先程発見した道路を降りて建物まで戻り、今度は反対側の行き止まり、つまり獣道から降りた場所から反対の水没した所へ 行ってみる。やはりガードレールが湖面へ吸い込まれていく様が、何ともわびしい。 しばらく寛いでいると、警察のパトロールらしい一隻のボートがダム方面から来た。

大変シュールな光景でした。こう言う景色が至る所で間近に見られます  一瞬僕は、隠れないと面倒な事になるかなと思ったが、この距離じゃ既に向こうも気が 付いていると思って、満面の笑みを浮かべて手を振ってしまった。 もちろん公務中だから、気が付いても手を振り返すような事は無いだろうが、何もしな いで注意されるよりは、少しくらい愛想良く振る舞った方が、相手も態度が変わると 思ったのだ。幸い何事も無かったかの様に無視された。

 この宮ヶ瀬は、自殺の名所にもなっているそうで、きっと水死体を探しているんだ。 でも一回で良いから、橋の上から溺れないように工夫して、飛び込みをやってみたい。 飛び込みじゃなくても、丸太なんかが浮いているんで、それに掴まって泳げないかとか 本気で思う。が、パトロールに見つかるとヤバイし、カメラがあるのでそれも無理か。 そんな事を考えながら、湖面に石を投げて遊んでいたら、1時間くらい経っていた。 少し寒くなって来たので、結局その後行くあても無く、テントに帰ってきてしまった。

 しかし今回の旅は、テントが常設になっている為に、マイホーム的な雰囲気がある。 いつもなら、暗くなる前に宿泊地を決める事に、神経を使っているけど、帰る場所が あるのはやはり楽だ。帰れば食べ物も飲み物も揃っているのだから。 まだ明るかったが、シュラフに寝転んでラジオをつける。中東のどこかの国の音楽だ。 今回苦労して持ってきた文庫本を読んでいたら、いつの間にやら眠ってしまっていた。 気が付くともう辺りは暗くなってきており、本格的に空気は冷え込んで来ていた。

宮ヶ瀬BP旅 ステージオブハーモニカ編

こんな感じでテントを配置しています。今でもあそこを越える条件の場所は、まだ出会っていません  急に寒くなってきたので、お湯を沸かして紅茶を飲む。夕食は6Pチーズとソーセージ。デザートはチューブの練乳コンデンスミルクだ。これは前回も利用した優れもので、 お湯に溶けばホットミルクになるし、そのまま舐めても結構うまい。 値段的にもそれ程高くはないし、非常食としても良いしカロリーはかなり高い。

 でも歩きながらこれを舐めると、かえって喉が渇いて疲れてしまう。やはり寛いだ時に 楽しむものらしい。舐めはじめると結構止まらないし。(笑) お腹の空きも収まったので、近くに見つけた公衆電話まで歩く。水場よりは距離がないかな。ついでに向かいの自販機でジュースを飲み、多少文明的な生活をしてみる。 電話を家に掛けて、変りない事を確認。前回は大変な事になっていたので用心だ。 このままテントに戻ってもつまらないので、しばらくその辺りを歩き回る。

 すると、公衆便所を発見! この辺りは野宿環境に恵まれた場所だった。 偶然見つけた野営地で、しかもトップクラスの立地条件に加え、この設備じゃあ、 清川村では今後、キャンプ場を利用する必要が全くなくなってしまったワケだ。(笑) 帰りがけにやまびこ大橋の上で、昼間に歩き回った場所を見下ろすが、暗くて良く見え なかった。何より、橋の照明がスポットライトの様に僕を照らして、オレンジ色の光で 全体が霧のような光で包まれてしまっているのだ。

 そこでフト思い付いたのだが、僕は丁度ハーモニカをその場で持っていた。 暗い橋の上で、オレンジ色のスポットライトに照らされて、ハーモニカを吹いたら、 結構サマになるんじゃないか。 僕は得意な曲を幾つか、綺麗に聞こえるように工夫してハーモニカを吹いた。 殆ど自己陶酔に近いかも知れないが、案外格好良く決まってる様な気がした。 もちろん、自分でそう思っているだけかも知れないが、誰も笑う人間は居なかった。 時折、その橋を乗用車が通りすぎて行くが、みんな僕に関心を持つように見ていた。

 だけどその表情は、まるで幽霊でも見たかの様だったが・・・・・。

宮ヶ瀬BP旅 接近遭遇警戒編
 結局1時間くらいでテントに帰ってきた僕は、ラジオを聞いたりハーモニカを吹いたり 眠りにつくまでに3時間くらい掛かってしまった。 明かりを消しても目がさえて眠れず、やっと眠れたのは零時を過ぎた頃だろうか。 今夜は猿の雄たけびも聞こえず静かな夜だったが、ある拍子に緊迫した空気が流れた。

 ゲート前で車が停車する音、ドアが開く音に続き多数の人間が下車する気配、人の声に よって、休息状態から僕の緊張は極度の警戒態勢に入る。大変ヤバそうな感じがする。 相手の素性や目的、予測される行動の推定まで、僕の全ての神経はこれらの情報収集に 全力が注がれた。眠気は完全に吹き飛び、一分が一時間にも感じられる。 考えられる最悪のパーターンの一つに、工事関係者あるいは警備関係者の場合がある。 今の僕の立場は不法侵入者で、見つかれば非常に面倒な事になる。

 工事関係者の場合、ここで下車したと言う事は、まず間違いなくここまで降りてくる。 ここからダムへ続く道は、ダムにまっすぐ沈んで行くので、車両の出入りは無い筈だ。 そうすると用があるとすれば、この平坦で広大な敷地のはず。 逆に警備関係者であれば、ランタンの明かりをダムの対岸から目撃された可能性が大だ。 対岸は道路が通っていて、昼間に僕が偵察した時は工事車両しか通らなかった。 どうも一般車両は通っていない様だったので、工事車両からの通報かも知れない。

 何にせよ、警備関係者だったら間違いなく僕を探しているし、それなら降りてくる。 この二者だったら、この時間の強制撤去もあり得る話なのだ。 しばらくすると、下車した人物数人の笑い声などが聞こえてきた。 年齢的にはそれ程年をとっているとは思えないし、口調やイントネーションから一般人 らしい。落ち着いて車のアイドリングを聞いてみると、ターボ系の低いエンジン音で、 工事車両のディーゼル音とは明らかに違う。これは絶対一般市民だ。

 そうすると、いきなり立ち退きを要求される心配はなくなるワケだ。 それなら一般人が一体何の様なのか、降りてくる可能性はどれだけあるのか。 考えられるケースで、道の確認や立ち小便のレベルなら良い。ここまで来ないだろう。 この夜更けにわざわざ、閉鎖されたフェンスを乗り越えて侵入してくるのは、僕も含め 親しい(変な)友人達くらいだ。だが、そう言った人間の場合、必ずここまで来るだろう。 この辺りは暴走族も多く、中にはガラの悪い連中も居るかも知れない。

 テントを発見した場合、気味悪がって無視するか、まだ判らないが ちょっかいを出してくれば最悪の場合、テントを守る為に戦闘もあり得るのだ。 今まで眠っていった僕はまだ体が半分眠っているので、そうなったら分が悪い。 まして相手は複数だし、勝てる見込みもあまり無いだろう。

 願わくば見つからない事を祈るのみ、僕は覚悟を決めてしばらく息を潜めた。 数分後、再びドアの閉まる音・・・・・声はしなくなった

 車の走り去る音が聞こえた時、僕はこの短くて長い時間が過ぎ去った事を悟った。

宮ヶ瀬BP旅 悟りの境地編

 目が覚めると8時半だった。最近テント泊で朝が遅いのは、丁度良い気候の証拠だ。 あまり寒いと寝てられなくて、朝早くに目が覚めてしまうから。 取り敢えずお茶を沸かして、朝食にしようかと思ったら、もう水があまり無かった。 水を汲みに行こうと思い途中まで行ったが、面倒臭くなって自販機でジュースを飲む。

撤収風景です。誰も手伝ってくれるもんでもありませんが、慣れれば15分程度で全て撤収できます  今日は何をして遊ぼうか、定住型になってしまうと楽だけど暇になってしまう。 特に一人旅なんで、時間が余っても誰も遊んでくれる相手が居ないのだ。 バックパッキングと言うのは、歩きまわってこその楽しみなのかも知れない。 多少苦しいけど、やっぱり苦労して野営地を探すのも面白いんだろうな。

 今回の旅も三泊にこだわっていたけど、一人旅なら二泊三日が丁度良いと思った。 緊急用に一泊の余裕をもって予定を組めば、予想外の事態でも対応出来るんじゃないか。 自分のペースと言う物が判ると、予定も組みやすくなる。また新たな自分の発見だ。 僕はザックに全ての荷物を詰め終わると、定住したこの場所をもう一度見た。 これも一つの僕の旅のスタイル何だなと、改めて旅の奥の深さを感じた。 以前よりは少し、経験がアップした様な気がする。僕の大事な財産でもある。

 お金には替えられないけど、経験のブランド志向ってのも面白い。 ありきたりの誰でも持っている様な経験ではなく、極限られた人が得られる経験は、 僕にとっては大きな意味を持つし、大きな価値を見出している。 そう考えてみると、僕のこれからの人生が何となく見えてくる気がした。 さぁ、また日常に帰るぞ。でもこの経験だけは決して日常では得られない大切なものなのだ。

後記

 まず、最後まで読んでくださった皆様、どうも有難うございます。m(__)mペコリ
 この後記を書いているのは、これまでの旅人ノートとは違い、ホームページ上に
アップした2000年夏であります。
 この紀行文は写真の日付のとおり、1996年ですから随分前の文章になりますね。
 当時の僕は、会社を辞めてからやっと立ち直った頃で、やや前向きに在ろうという傾向が
よく見られると思います。>文中でもそう言うの多いですよね
 この頃に培ったそう言った「悟り」みたいなものは、現在の僕にも大きな影響を与えて
いますが、やはりあの頃の無鉄砲な勢いと言うのは失いつつある気もします。(汗)
 それはそれで成長したと見るか、若さを失ったと見るかは意見も分かれると思いますが、
今現在の僕がバックパッキングを行ったらどう言う紀行文になるんでしょうかね。

 実は、現存する紀行文としてはこれが最後の作品となります。
 それ以降もバックパッキングは行っていたのですが、こう言った文章の形では記録されて
いません。メモとしては存在していますが、それでは作品としては未完成だと考え、
公表していませんでした。(回想文として書くか検討しましたが、それなら新しく・・・)
 宮ヶ瀬にはこの後、再度バックパッキングに出ていますが、そこで一つドラマがありました。
最初にマウンテンバイクで旅した時に再会した友人Tですが、実はその後病に倒れ、長い間
東京の病院で入院をしていたのです。
 今回の旅でも当然彼に連絡をしようと試みましたが音信不通で、その為登場しませんでした。
旅から帰って数ヶ月、Tより連絡を貰い初めてその事を知り、大変ショックでした。

 そして約1年後のバックパッキングで3度目の宮ヶ瀬旅で、再び一緒に食事をとったのでした。
ただ、その時に彼の車を利用してしまった事、食事が厚木での「焼肉」を食べた事などから、
もはやバックパッキングと呼べるものでは無くなってしまったので、紀行文にしなかったと言う
経緯があったりします。(爆) 書くだけ書いておけばと今でも思いますが、仕方ありません。(笑)

 ただ、今後バックパッキングを行った時、新たに紀行文は書かれるので、
これで終了ではありません。(汗)
 そう言った事で、これからも皆さんからの励ましのお言葉や、「ここへ行け!」等の叱咤激励を
お待ち申し上げていますので、今後も「バックパッカーCDC」を宜しくお願い致します。
 文中、判りづらい部分や誤字脱字等のご指摘も受け付けて居りますので、気がついたら
掲示板等に書きこみをお願い致します。m(__)mペコリ