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発見!ドイツのお菓子大集合!
巷(ちまた)に溢れるドイツ製のお菓子を紹介するコーナーです。
栄えあるドイツ帝国市民を支えるお菓子の数々をお楽しみ下さい。
       


独・仏庶民に広く親しまれているホッキーです。(写真は当時のもの)
日本でも定番のお菓子となりましたが、ドイツ語でフォッキーと発音したのを
誤ってポッキーと認知されてしまったそうです。(戦後ポッキーと名称変更)

もとは大戦中に仏が独に占領された時、独に流入し定着したお菓子です。
「パンが無ければお菓子を食べれば良いのに」とマリーアントワネット王妃
(仏ルイ王朝)が失言し、内閣総辞職。森元首相の様に謝罪訂正するも、
結局ギロチンに掛けられた話は有名です。

血をイメージする赤いパッケージは、フランス革命で流した血か、
ゲルマン民族の猛々しい血かは、定かでありません。(コーラのパクリ?)
フリッツ、伝統的な昔から伝わるお菓子です。名前がそのまんまですよね
他にトマトフリッツ、ビアフリッツ等派生し、色々バリエーションが存在します。
が、残念ながらグレイフリッツは出ませんでした。
   (※グレイ:小人の宇宙人が結成したバンド、若者に人気があった)

昔ドイツ兵が使用していたヘルメットが、現代米軍や日本の自衛隊でも
改良されて、今では正式採用されているのをご存知ですか。
一般呼称は「フリッツヘルメット」 当時のドイツ帝国の技術力が伺えます。
やっと普及したフリッツADSLも、当時のドイツの技術です。
昭和13年、ドイツ帝国から航空機を輸入した際に、バラバラにした部品の
梱包剤として箱に詰められていたお菓子なのは、あまりに有名な話です。
水に浮くので、潜水艦(海軍艦艇)で輸送する際、撃沈されても回収可能
と言う、大変優れた性能を持っており、ドイツ海軍のレーションでした。

現代では、梱包剤はウレタンに取って代わられました(写真左下)が、
その形状は現代でも尚、当時の姿を留めています。
終戦後、そのままの形だと二つ合わせてハーケンクロイツ(鈎十字)
になるので、お菓子の方は形を修正したとの事です。
カールのカの端が曲がっているのは、ハーケンクロイツの名残なんですね。
月餅と言うと、中国かと思われる方多いと思いますが、実はドイツ原産です。
ドイツ東部戦線(モスクワ攻略戦ですね)の陸軍兵士が携帯していたもので
現代ならレーションに当たる食べ物でしたが、日本ではおにぎりとカンパンを
足して2で割ったような扱いでしょうか。(食事とまではいきませんが)

ただ、当時のゲッペイは勿論餡子ではなく、ミートパイのような具だったそうで
肉饅頭を月餅の皮で包んだようなものだと想像出来ます。
ドイツ軍支給(官給品)のものは、表面に鷲十字の焼印があったそうですが、
戦争後期になると手間を省く為に、これが省略されたと言われています。
表面に模様のない月餅って、何だか変ですね。(汗)
ソ連軍に接収され、中国で現在の形である月餅になったと言われています。
ドイツ空軍”ルフトヴァッフェ”のオフィシャルサポート飲料、その名もユンカー。
航空機メーカーのユンカースが推奨した機上食の一つで、帝国空軍が連日
の出撃要請で疲労したパイロットに与えた、「戦意高揚剤」の一種でした。

現在では当然の如く採用されている兵士のドーピングですが、当時ドイツが
兵士の士気を高める為の努力を欠かさなかった事は、言うまでもありません。
一方の米軍はガムにこれを仕込んでいた様ですが、日本は特攻隊員に
「水盃」(みずさかずき)しか出してやれなかった過去があります。

戦後、民間レベルで輸入され、「ユンケル黄帝液」と銘して販売されました。
(当時のパッケージは「カ」がハーケンクロイツのデザインだったそうです)
ドイツ産のクリマンと言えば、普通はワインの事だと思う人が多いでしょうね。
私も調べるまで知りませんでしたが、何と同じ名前のお菓子があるそうです。
お菓子について詳しい事はまだ調査中ですが、ドイツ語でクリマン、英語では
クレメンとかクリーメンスとか発音するみたいです。

スイスに住む知人に写真を送って貰いましたが、食後のデザートと言うよりも
ティータイムに付け合せで食されるそうです。(英国なら流行ったでしょうに)
もしお菓子で交流があれば、第二次世界大戦は避けられたかもしれません。
そんな異文化コミュニケーションで人が救えたと思うと、残念でなりません。

これに関する詳しい情報を探しております、何か有りましたら教えて下さい!
ワルサー社が採用したブローバックシステム、9mmパラベラム弾を9発装填
出来る、P−38拳銃を元にして作られていると裏の説明書きにはあります。
弾薬の燃焼ガスにより遊底が後退し、撃鉄(ハンマー)を起こす動作が見事に
再現されていますが、戦時下に帝国の子供達に配られた政治宣伝商品です。

Pedzの首をコッキングさせると、マガジンに模した黒い胴体から弾丸ならぬ
ラムネのお菓子が、その都度一発排出されます。(人に向けない様に注意)
日本では昭和52年に輸入されるも、ラムネは飛びませんでした。(惜しい!)

多連装のドラムマガジンタイプや、機関銃を模したベルト給弾タイプのペッツは
世界的に人気が高く、マニアの間で高額な取り引きがなされているそうです。
今まで何故コレが登場しなかったのか不思議なくらいに有名なお菓子ですね。

飴はSS制服の漆黒ではなく、空気を含んでちょっと金色に見えるのが特徴。
現在は和歌山県で生産されているが、ドイツでは既に生産終了している模様。
これは、黒砂糖の原料となるサトウキビが北ヨーロッパでは自生しないため、
南方植民地からの輸入に頼らざるを得なかったからだと言われています。

そう言った経緯から、現在では日本製にしかその姿を残していないそうです。

リコラ等と違って装飾に凝っている訳ではないので、お土産には不向きかも。
でも美味しいから食べ過ぎちゃうんですよね、お茶との愛称は抜群です。(爆)
医療用語の殆どがドイツ語である事から明らかな通り、当時医療先進国でした。
フランスのパスツールでビフィズス菌が発見されて以降、ドイツでも有用細菌の
研究が盛んに行われ、現在の礎を築いたと言っても過言では無いと思います。

そんなドイツから輸入された3種類のビフィズス菌を使って作られたのが、
今回ご紹介するヨーグルッペです。(厳密には純日本製品ですけどね)

異なった種類のビフィズス菌達が大腸菌相手に切り込んで行く様子は、まさに
複合兵科構成の戦闘団「カンプグルッペ」そのものであると言えます。

愛称と言う事で頭がヨーグルトになって可愛くなっちゃいましたが、多くの犠牲を
払って突き進む姿にゲルマン魂を感じます。なお、液体は褐色なのでSSよりも
SA隊員を連想してしまうのは私だけでしょうか。(追記:殺菌済み飲料だって!)
ブラックペッパーをきかせたベーコンの旨みとカリっと心地よい触感が、
お酒の味を引き立てます。

日本のカンパンは味が薄く、それとは別に氷砂糖まで入っていますが、ドイツの
この(いわゆる)カンパンは相当塩辛いのです。(水が無いと辛いです)
アフリカ戦線では暑く、汗ですぐに塩分不足に陥るので辛くなっているのだとか。

ニューギニアの密林の中で10年間生き抜いた島田覚夫氏は、得られたカンパンを
2年半の間食い延ばしたそうで、保存食として古今東西問わず優れているのです。

もはやお菓子と言う次元ではありませんが、飽食の現代に残った姿がこれです。
もはや説明不要のグリコのビスコです。

ここまで来ると、もうどの辺がドイツのお菓子なのか全く不明ですが良いでしょう。
箱絵のビスコ坊やですが、元はドイツのポスターに描かれた少年がモデルとか。

ホントですよ、グリコのHPに書いてありましたから。(笑)
しかしこの「ドイツのお菓子」シリーズ、グリコ率が異様に高いですね。