各国の教科書に見るソ連対日参戦


 第2次大戦末期、ソ連は日本に対して宣戦布告し、おもに中国東北部(満州)に駐留していた関東軍を攻略、中国東北部を解放した。この時の状況を関係各国の子供たちはどのように学習しているのか、中学校・高等学校の教科書を比較する。

  


ポーランドの歴史教科書


(ポーランドの高校生用教科書です)

広島・長崎への原爆投下

 その間、アメリカ政府は、日本の一般市民に対して新しい殺致手段である原子爆弾を使用することを決定した。

 新型兵器の威力を知っていたトルーマン大統領とチャーチルにとって、その使用の決定はただ一つのことを意味しえた。すなわち「もしも即時の降伏がなされなければ、日本民族の殺致は際限がなくなる」ということだ。
 そのことは、トルーマン大統領の八月六日の次の声明が証明している。「もしもいま、彼らがわれわれの条件を受け入れないなら、かつて世界で見られなかったような空からの殺裁の雨が待たれるだけである」(J・フラー『第二次世界大戦一九三九-一九四五年』ワルシャワ、一九五八年)
 日本上空での原子爆弾の爆発は、原子力時代と核兵器を含む軍備競争を開始するものだった。人類は史上はじめて絶滅の危機に直面した。
 一九四五年八月六日、アメリカ航空部隊により広島に原子爆弾が投下された。この爆発で約十万人が死んだが、これは負傷者を数えていない。三日後、すでにソ連による日本への宣戦布告ののちだが、アメリカ軍は第二の爆弾を今度は長崎に落とした
 ここでは四万人以上の人が死んだ。アメリカのある歴史家は、このできごとを次のような言葉で性格づけている。「このようにして力が分別に、人間の中の獣性が人間的なものに勝利した」

ソ連の対日参戦、日本の降伏
 日本に対してソ連が登場して、戦争は急速に終末に近づいた。すでに行動の初日にソ連軍部隊は防備堅固な満州の日本の勢力地域を圧倒的に打ち破り、追撃に移った。
 八月十四日、日本政府は降伏の意思を発表した。しかし、満州の日本の部隊はさらに数日間抵抗した。他の前線でも同様だった。日本の代表団が無条件降伏の文書に署名した九月二日、ようやく軍事行動がやんだ。第二次世界大戦は終了した。


引用文献

ヨーロッパの教科書に書かれた日本の戦争  越田稜編・著(1995/10) 梨の木舎


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