各国の教科書に見るソ連対日参戦


 第2次大戦末期、ソ連は日本に対して宣戦布告し、おもに中国東北部(満州)に駐留していた関東軍を攻略、中国東北部を解放した。この時の状況を関係各国の子供たちはどのように学習しているのか、中学校・高等学校の教科書を比較する。(太字は特に重要な記述です。) 

  



韓国の歴史教科書 (*1)



対日・独宣戦布告
 臨時政府は中国国民党政府とともに、数回におよぶ移動をくり返しながら重慶に定着したのち、本土奪回のための臨戦態勢へとその体制を再び整備強化した。そして分散していた各地の武装勢力を臨時政府の光復軍に統合して、軍事訓練を通じて軍事の強化に努めた。このとき、中国の国民党政府は韓国人の東洋平和および独立に対する熱意に感服し、光復軍の活動に物心両面の援助を行った。
 太平洋戦争が起こると(一九四一)、臨時政府はただちに対外活動を展開するとともに対日・独宣戦布告文を発表し、光復軍を連合国軍の言貝として参戦させ侵略者撃退の先頭に立った(一九四三)。
 光復軍は、日本軍がいる地域であればすべて独立戦争のための戦闘地域と判断し、各地に部隊を派遣したが、遠くはビルマ、インド戦線にまで参戦し、イギリス軍との連合作戦を行ったこともあった。
 対日戦に参戦した光復軍は、戦闘だけでなく、反日宣伝、捕虜尋問、暗号解読、宣伝ビラ作成、懐柔放送などに尽力した。このように光復軍は多くの悪条件を克服しながら抗戦を継続したが、祖国光復は、絶え間なく続いたこのような独立戦争の成果といえよう。

光復軍の国内進入作戦
 光復軍は、東南アジア一帯で対日戦に参加しながら、他方全民族の宿願である祖国の解放を自力で達成するために、直接国内進入作戦を計画した。
 光復軍はこの計画にあたって飛行隊まで編成し、総司令官池青天、第二支隊長李範爽らを登用し、国土修復作戦のための特殊訓練も行った。
 しかし連合国軍が日本に原子爆弾を投下し、一九四五年八月十五日、日本が無条件降伏することによって、光復軍は同年九月に予定していた国内進入を実現させることなく祖国光復を迎えた。




韓国の歴史教科書 (*2)


民族の光復
 1945年8月15日、わが民族は日本帝国主義の植民地支配下から光復を手にした。韓民族の光復は、連合国の勝利がもたらした結果であったともいえるが、より重要なことは、わが民族が国の内外でねばり強く展開した独立戦争と、その熱意の結晶であったということである。
 世界制覇をねらって、いわゆる大東亜共栄圏の建設という妄想をいだいて、侵略戦争をしかけた日本は、1943年9月にイタリアが連合軍に降服し、1945年5月にドイツもまた降服すると、急激に戦力が衰弱した。
 特にその年の8月はじめ、日本は2か所で世界最初の原子爆弾の攻撃を受けると、戦意を失ってしまった。同時期にソ連が日本に宣戦布告をして参戦すると、日本は連合国側に無条件降服した。
 光復を迎えた韓民族は、太極旗(テグクキ)をふりかざし、愛国歌を歌いながら、これがそのまま完全独立につながるものとかたく信じた。われわれは、国内外における民族独立戦争と外交的努力によって、完全な独立国家が達成できると期待した。



韓国の歴史教科書 (*3)

(これは、大学教科書なので詳しい)

◆ソ連軍の占領政策と北朝鮮分局の結成

 ソ連は一九四五年八月八日、日本に宣戦布告し、満州から日本軍を攻撃しはじめた。ソ連軍は、日本軍を武装解除させながら元山を経て南方に出撃し、二十四日に平壌に入った。八月末には北韓全域を占領した
 当時、沖縄に駐屯していたアメリカは、ソ連軍の行動に慌てた。そこでアメリカは、八月十三日、両国の軍隊が北緯三十八度線を境界に、韓半島を分割占領し、日本軍を武装解除させようと提案し、ソ連は同意した。ソ連は当時、韓半島を一国で占領する場合、アメリカと衝突が起こるのを望んでいなかった。ソ連にとって、主要戦略地域が韓半島ではなかったので、ただ韓半島には自国に友好的な親ソ政権を建てる立場であった。
 解放直後、北韓にも建国準備委員会が組織され、その後、人民委員会に改編された。ソ連は北韓で軍政を行ないながら、次第に行政権を人民委員会に与えていった。そこで、北韓の人民委員会は、ソ連軍司令部内にある民政部の支援を受けながら行政機能を維持した。このような過程で、民族主義勢力が除去され、左翼勢力が政治的主導権を握るようになった。これは、親ソ政権を建てるために、民族主義勢力の力を奪い、左翼勢力を強化する政策だった。特に一九四五年末になり、チョマンシクが信託統治に反対してソ連軍政と対立する中で、民族主義勢力は弱体化された。
 北韓地域の共産主義者は、人民委員会に参加しながら、地方党建設に力を入れた。ソ連軍の進駐とともに金日成などの抗日武装闘争勢力が帰国すると、北韓の共産主義者は、一九四五年十月十日、熱誠者大会(「朝鮮共産党西北五道責任者および熱誠者大会」)を開き朝鮮共産党北朝鮮分局を作った。
 北朝鮮分局ではソ連軍政の支援を受ける金日成を中心とした勢力が次第に主導権を握るようになった。彼等はソウルにある朝鮮共産党中央の指導を受けず、独自に活動した。北朝鮮分局は一九四六年に入り北朝鮮労働党一北労党一に改編された。




引用文献

*1)アジアの教科書に書かれた日本の戦争 東アジア編 越田稜編・著(1990/2) 梨の木舎

*2)全訳 世界の歴史教科書シリーズ31 韓国(1983)帝国書院

*3)概説韓国の歴史 韓国放送通信大学校歴史教科書 宋讃燮・洪淳権/著 藤井正昭/訳(2004/1)明石書店


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