各国の教科書に見るソ連対日参戦


 第2次大戦末期、ソ連は日本に対して宣戦布告し、おもに中国東北部(満州)に駐留していた関東軍を攻略、中国東北部を解放した。この時の状況を関係各国の子供たちはどのように学習しているのか、中学校・高等学校の教科書を比較する。(太字は特に重要な記述です。) 

  



インドの歴史教科書 (インドの歴史教科書にはソ連対日参戦の記述はありません)


戦争の拡大
 皆さんはすでに1931年の日本の中国侵略について学んだ。1937年には日本は新しい侵略を開始した。
 日本は反コミンテルンの日本、ドイツ、イタリア三国防共協定の当事国の一つである。1940年9月にはこれら3国はいっそう緊密に相互を結びつけるもう一つの協定に調印した。日本は「ヨーロッパの新秩序確立におけるドイツとイタリアの主導性」を承認し、アジアの新秩序確立に関しては日本の主導性が承認された。これは世界再分割をはかる協定であった。1941年12月8日、日本はハワイの真珠湾のアメリカ海軍基地に大規模な襲撃を行った。そこに停泊していたアメリカ太平洋艦隊は破壊された。アメリカは20隻の艦船と約250機の戦闘機を失った。そしておよそ3、O00人が戦死した。アメリカ側はまったくの不意打ちをくったのである。当時、アジア、太平洋における紛争に結着をつけるための日米両政府間の交渉は続行中であった。アメリカ政府は日本の中国侵略後においてさえも、日本への多くの重要物資の供給を認可していた。交渉半ばでの真珠湾攻撃は、日本がアジア、太平洋征服を決意したことを示した。これとともに第二次世界大戦はまさに全地球的なものとなった。アメリカ合衆国は12月8日に対日宣戦を布告し、この直後にドイツおよびイタリアがアメリカ合衆国に宣戦した。アメリカの参戦につづいて、アメリカ大陸のすべての国がドイツ、イタリア、日本に対する戦争に参加した。 日本はアジアにおいて重要な勝利をおさめていった。真珠湾攻撃後6か月たらずで、日本軍はマラヤ、ビルマ、インドネシア、フィリピン、シンガポール、タイ、香港その他広大な地域を獲得した。
 1942年の半ばにはファシスト勢力はその力の絶 頂に達していた。それ以降、その崩壊がはじまる。


(途中省略)

日本の降伏
 ドイツ敗北後、アジアでの戦争は3か月間つづいた。ドイツ、イタリアとの同盟国たる日本は深刻な敗退を被り、その敗戦は不可避であった。1945年8月6日、戦時中に開発された最も恐るべき兵器たる原子爆弾の一つが日本の都市広島に投下された。これは原子爆弾が用いられた最初のことであった。ただ1発の爆弾で広島市は痕跡ないまでに破壊された。
 またもう一つの原子爆弾が、1945年8月9日に長崎市にも投下され、この町も破壊された。8月15日、日本は降伏し、ここに第二次世界大戦はおわりを告げた




引用文献

全訳 世界の歴史教科書シリーズ6 インド(1981)帝国書院


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