各国の教科書に見るソ連対日参戦


 第2次大戦末期、ソ連は日本に対して宣戦布告し、おもに中国東北部(満州)に駐留していた関東軍を攻略、中国東北部を解放した。この時の状況を関係各国の子供たちはどのように学習しているのか、中学校・高等学校の教科書を比較する。

  


イタリアの歴史教科書


(イタリアの高校生用教科書です)

原子爆弾の投下と日本の降伏
 すでに極限状態に達していた日本は、戦勝国が天皇制の存続を保証し、天皇の生命を保護しさえするならば、戦争を終結する意思があるように思われた。にもかかわらず、ルーズベルトの死後(一九四五年四月)を継いでアメリカ大統領となったハリー・S・トルーマンは、原子爆弾の使用を許可した。二つの核兵器が広島(八月六日)と長崎(八月九日)の街に投下され、大惨事を引き起こした(放射能の影響による死者も含め、犠牲者は広島だけで十五万人にのぼった)。
 アメリカのこの決定は、爆弾の製作にかかわった科学者の大半によって促されたものであり、倫理的観点からみて妥当なものであったかということについては、長期にわたる論争を提起することになる。当時の日本はすでに崩壊寸前にまで追いつめられていたので、この決定が下されたのは、軍事的というよりも政治的な理由からだった。
 つまり、戦争の終結時においてソ連に対して優位に立ちたい、さらに、原子力のおぞましい抑止的威力を誇示したいというアメリカの意図によって下されたのだ。こうして驚異的で恐ろしい新兵器が試されるにいたった。ただし、二つの爆弾の、その永久的な効果をもつ毒性が引き起こした惨禍の真の凄まじさに気づくには、数カ月を要さなければならなかった。
 八月九日、ソ連も日本に宣戦を布告し、電撃的な作戦で満州を占領した。また一つ新たな強国を相手に闘うことは日本帝国にとって不可能なことであり、ヒロヒトは躊躇落する軍部に対し降伏を命じ、八月十五日に受理された。九月二日、東京湾に浮かぶアメリカ戦艦ミズーリ号上で降伏文書が調印された。

 第二次世界大戦は幕を閉じ、大量殺戮も終りを告げた。


引用文献

ヨーロッパの教科書に書かれた日本の戦争  越田稜編・著(1995/10) 梨の木舎


各国の教科書に見る対日参戦タイトルページへ  千島列島のロシア領有のページへ 

詳しい北方領土問題の話の先頭ページへ       北方領土問題の先頭ページへ