各国の教科書に見るソ連対日参戦


 第2次大戦末期、ソ連は日本に対して宣戦布告し、おもに中国東北部(満州)に駐留していた関東軍を攻略、中国東北部を解放した。この時の状況を関係各国の子供たちはどのように学習しているのか、中学校・高等学校の教科書を比較する。(太字は特に重要な記述です。) 

  




中国の歴史教科書


抗日戦争の勝利

 太平洋戦場では、日本は徐々に敗退し、アメリカは日本本土に攻撃を近づけてきた。一九四五年八月六日と九日、アメリカは日本の広島、長崎に二個の原子爆弾を投下し、大量の飛行機を編成し、昼夜休まず日本本土を爆撃した。八日、ソ連政府は対日宣戦布告の声明を発表した。ソ連赤軍は中国東北に駐留していた日本の関東軍に進攻し、長春、落陽、ハルビンなどをあいついで解放し、日本の関東軍を壊滅させた。
 九日、毛沢東は"対日寇の最後の一戦"と呼びかけた。翌日、朱徳総司令官は八路軍、新四軍およびその他の抗日軍隊に大規模な反撃を促し、投降を拒絶した敵軍を壊滅せよと命令した。それぞれの抗日根拠地の人民軍は大反撃を展開した。抗日戦争は大反撃の段階に入った。
 そのころ、国民党はアメリカ帝国主義の支持のもとで、内戦を企んでいた。蒋介石は部隊に"積極推進〃を促し、人民の勝利の果実を奪いとることを命令する一方、人民軍には"現地駐留待機"を要請し、敵に進攻せずと要求した。さらに、日本軍と傀儡政府軍に「地方の治安を責任をもって維持する」ことを恥じらいもなく命令し、人民軍の進攻をくい止めようとした。人民軍はこの蒋介石の"命令"を決然と拒否し、失地回復を積極的に行った。毛沢東と朱徳の指揮と処置で、ニカ月の激戦をへて、日本軍・傀儡政府軍の二三万人あまりを殲滅し、一八七〇万人あまりの人民を解放し、一九〇の都市を奪回した。
 世界的反ファッショ勢力の大打撃を受け、とりわけ中国人民の勇敢な反撃で、八月十五日、日本帝国主義は無条件降伏を宣言した。九月二日、日本政府は連合国に降伏文書を渡し、九月九日、中国戦域における投降儀式が南京で行われ、日本侵略者の首領岡村寧次中将が中国政府代表に降伏文書を渡した。八年間の抗日戦争で、中国人民はついに偉大な勝利を獲得した。十月二五日には、日本の台湾総督安藤利吉が降伏文書を中国政府代表に渡した。こうして、日本に五〇年の久しい間支配されていた台湾も祖国の懐に戻った。
 八年間の抗戦で、中国の抗日軍民は日本軍一三〇万人余、傀儡政府軍一一八万人余を壊滅させた。抗日戦争の偉大な勝利が獲得された。しかし同時に中国人民もきわめて多くの民族の犠牲を払っており、八年間の抗戦中、中国軍民は約二一〇〇万人以上が死傷し、約六〇〇億ドルの財産の損失をこうむった。八年間の抗戦中、人民の革命努力も大きく発展し、抗戦勝利のときには、人民軍は一二〇万人余にのぼり、解放区の面積は一〇四万平方キロメートルにおよび、それらは民主革命勝利獲得のための基礎となった。
 抗日戦争の勝利は、中国人民が帝国主義侵略に反抗しながらも失敗し続けたこの一〇〇年来の局面を転換し、植民地人民が残虐な帝国主義国家の侵略を打破する道を築きあげた。
 中国の抗日戦争は世界の反ファシズム戦争を形成した重要な部分である。抗戦の勝利は、世界の反ファシズム戦争の勝利に重要な貢献をし、全世界の圧迫されている民族と人民の解放闘争に深遠な影響をおよぼした。




引用文献

アジアの教科書に書かれた日本の戦争 東アジア編 越田稜編・著(1990/2) 梨の木舎


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