日本の降伏が無条件降伏なりや否やの問題
総務局総務課 21.3.17



一.ポツダム宣言の受諾に依る日本の降伏は、差の諸点に鑑み、決して無条件降伏なりと云うことは出来ない。

(イ)ポツダム宣言成立の事情
 米国及び爾余の連合諸国に於いては、屡々日本に対して無条件往復を要求するものなることを主張していたことは事実であるが、1945年の春、米軍の進攻が硫黄島より沖縄に及んだ頃、米国は官辺、言論界を挙げて盛んに対日処理論を公表討議し、日本に対して明らかに一つの和平攻勢を展開し始めた。ポツダム宣言の内容は大体に於いて当時の議論の帰趨の落着いた所と符号するものであるが、同宣言は連合国側として譲り得る最大限を一方的に宣言し上陸作戦実施に先立ち最後の和平の機会を与ふるものとして提示されたものである。この点は同宣言発表後十日にして実施された原子爆弾攻撃と思ひあわすべきである。右の経緯に徴すれば、ポツダム宣言は日本の軍事的壊滅に先立ち、政治的の手段により日本の屈服を実現せしめんとした一つの手段であつたのであつて、同宣言の受諾は所謂無条件降伏と同一ではない。

(ロ)対独クリミア宣言との比較
 (省略)

(ハ)ポツダム宣言、降伏文書等の用語
 降伏に関する諸文書に於ける左の如き用語は日本の降伏が所謂無条件降伏に非ることを示すものである。
1、ポツダム宣言第五項
「吾等ノ条件ハ左ノ如シ」
(The following are our terms)
2、ポツダム宣言第十三項
「吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ…」
(We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces…)
3、一九四五年八月十日帝国政府申入
「帝国政府…『ポツダム』…共同宣言ニ挙ケラレタル条件ヲ・・・受諾ス・・・」
4、一九四五年八月十四日帝国政府通告
「天皇陛下ニ於カセラレテハ『ポツダム』宣言ノ条項受諾ニ関スル詔書ヲ発布セラレタリ」
5、一九四五年九月二日詔書
(本詔書は連合国側の作成せしものなり)
「朕ハ・・・『ポツダム』・・・宣言ノ掲クル諸条項ヲ受諾シ・・・」
6、降伏文書
(本詔書は連合国側の作成せしものなり)
「下名ハ・・・「ポツダム」・・・宣言ノ条項ヲ日本国天皇、日本国政府及日本帝国大本営ノ命ニ依リ且之ニ代リ受諾ス・・・」
「下名ハ茲ニ日本帝国大本営並ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ連合国ニ対スル無条件降伏ヲ布告ス」

(ニ)カイロ宣言との関係
 (省略)

二 以上述べた所を以て明らかなる如く、ポツダム宣言の受諾に依る日本の降伏は無条件降伏ではない。日本対連合国の戦争に於て其の努力に於て到底問題にならない程の懸隔の存在したことは幾許もなくして独逸と同じ運命を辿ったであらうこと、日本の降伏は実質的には無条件降伏に等しいこと等の議論は、本件とは関係のないことであって、現実に於て米国側乃至其他に於て如何程強弁しやうとも日本が無条件降伏したりとは言へないのである。
 但し現在に於て日本が右の如き主張を連合国に対して為すべきか否かは又別問題であって、最後の結論迄押し進めることは充分の考慮を要するし又之を為す為には為す者の強い自信と之を支持する国民の団結がなければならないのは勿論である。



出典:

外務省記録マイクロフィルム検索簿 第4回公開
リール/コマ番号 A'-0120/728


解説:
 日本政府は、『(ハ)ポツダム宣言、降伏文書等の用語』で、日本の降伏は無条件降伏ではない根拠を説明している。このうち、1,4,5,6は、term(条項)があるから、無条件降伏には当たらないとの説明である。しかし、term(条項)とcondition(条件)は異なる。
 2,6は日本軍が無条件降伏した根拠である。日本軍が無条件降伏したからといって、日本国が無条件降伏していないとの理由にはならない。
 3の説明は、全く理由になっていない。単に申し入れたと言うだけである。申し入れたとしても、その申し入れを受諾していなければ、申し入れには効力がない。
 このように、無条件降伏でないとする政府の説明には、まともな理由は1つもない。