ソ連軍による北海道および南クリール諸島上陸(『イズベスチヤ』紙、一九九二年五月一二日)

神話と現実
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スターリンとトルーマン
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北海道占領の停止
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 八月二二日午後五時、ソ連最高司令部は、クズネツォフおよびユマシェフ両提督に宛てて、次の暗号電報六七七号を送った。
  「2.さらにソ連最高司令部から命令を下すまでは、サハリンから北海道へのわが軍隊の上陸は差し控える必要がある。サハリンへの第八七軍団の輸送は続行されたし。
   3.日本側がクリール列島で降伏する用意を声明している関係上、第八七軍団の首席師団をサハリンから、北海道を回避して、南クリール(国後と択捉)へと輸送する可能性について考慮せよ。この件に関する貴下の考えを、遅くとも八月二三日朝までに私宛てに通告せられたし」。
 第一極東戦線司令部から太平洋艦隊司令部へ送られた次の電報を読むかぎり、ソ連軍最高司令部の動機および立場は、われわれにはおおよその推測がつく。同電報は、述べていた。「連合国との間の関係に関しての誤解や対立を避けるために、ソ連最高司令部は、北海道の方向へ向けていかなる船舶もいかなる飛行機も送ることを絶対的に禁止する」。

南クリール諸島(北方領土-訳注)への上陸
 北海道上陸作戦のキャンセルが明らかとなった以後、ソ連軍最高司令部は、南クリール諸島の占領の完遂に精力を集中することに切り換えた。その時期までに状況は、好都合に展開していた。日本軍は、サハリン南部および北クリール諸島の各地で武器を捨て、降伏した。ア・グネチコ中将指揮下のカムチャツカ防衛軍は、この地域の最強の島であるシュムシュ島およびパラムシル島をすでに占領し、クリールの中部クリール(ウルップ島を含む)および残りの島を占領せよとの命令を受けて南進を続けた。八月三一日、グネチコ中将は、これらの占拠が完了した旨、第二極東前線司令官に通告した。
 このようにして、対日戦の最終の作戦、すなわち南クリール諸島の占領を実施する時が来た。ソ連軍が八月二五日に大泊(コルサコフ)の海軍基地を占領し南サハリンを解放するや否や、北太平洋艦隊司令官は、八月二六日の朝、南クリール諸島を占領する目的の上陸作戦の指揮官に任命されたア・レオノブ大尉に電報を打った。その電報は、作戦開始とともに、島一つごとに"VMS"型の一掃海艇部隊を使用することを命じていた。
 八月二八日の夜、濃霧の中、掃海艇は択捉島に近づき、上陸を開始した。一万三五〇〇人からなる日本軍の将校および兵士は、何らの抵抗も行なわずに降伏した。しかし、択捉島に上陸したソビエト二部隊はそのような大集団からなる敵に遭遇したので、彼らの降伏を受け入れる作業には時間と一定の努力が必要だった。これが、上陸部隊長のブルンスタイン中尉が国後への上陸を、そうするようにと命令されていたにもかかわらず、ただちに組織しえなかった理由だった。国後上陸は、サハリンから追加的な部隊が到着後の九月一日になってはじめて可能となった。同じ日、ボストリココフ大尉指揮下の部隊が、色丹島に上陸した。日本兵士は、ソ連兵に色丹島に配備されている兵士数は四八〇〇人であり、武器を捨て降伏する用意があると告げた。

最後の動き
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(『イズベスチヤ』、一九九二年五月一二日、六頁)



『日・米・ロ 新時代へのシナリオ』 木村汎/グラハム・T・アリソン/コンスタンチン・O・サルキソフ/著 ダイヤモンド社(1993.3.18) P235〜P240