東京新聞1976.6.12夕刊


『北方領土』と言う言葉 六月の発言

中野美代子

あいまいな用語  千島列島は国後、択捉をも含む  問題をすりかえるな




 私はかねてから「北方領土」という言葉に大きな疑問を抱いていた。言葉を業(なりわい)とする者として、この言葉がいかにも明晰さを欠く不健全なものであることを直観したからである。
 ちなみに、手もとにある各種の資料を繰ってみると、終戦後間もない昭和二十年代には、政府も民間も、「北方領土」という言葉は誰も使っていない。当時の日本人はすべて、千島列島とか歯舞、色丹とか、きちんと固有名詞をもって呼んでいたのである。ところが、昭和三十年代に入ると、この言葉かボツボツ登場しはじめる。しかし当時は、少なくとも公的な場では、「北方の領土」と言うことはあっても(たとえば昭和三十一年三月十日の衆議院外務委員会における重光外相の発言)、「北方領土」と熟した言葉はまだ一般的ではなかったように見受けられる。

39年の次官通達で

 この言葉は公的な場にも登場しはじめるが(たとえば同年二月一日の衆参本会議における藤山外相の外交演説)、それでもその地理的解釈は、政党や人によりまちまちであった。そこで三十九年、外務省は六月十七日付で事務次官通達を出した。以下その全文である。
「北方領土問題に関して、国後、択捉両島を指すものとして南千島という用語が便用されている場合が散見されるところ、このようなことは左記の理由から一切避けることが適当であり、また地図等における表示においても国後、択捉両島が千島列島とは明確に区別されていることが望ましいので関係機関に対して、しかるべく御指導方御配慮を煩わしたい。
 わが国はサンフランシスコ平和条約によって『Kurile Islands(日本語訳千島列島)』を放棄したが、わが国固有の領土である国後、択捉両島は、同条約で放棄した『Kurile Islands』の中に含まれていないとの立場をとっている。
 上記立場からして、国後、択捉両島を南千島と呼ぶことは、これら両島があたかもサンフランシスコ条約によりわが国の放棄した『Kurile Islands』の一部であるかのごとき印象を与え、無用の誤解を招くおモれがあり、北方領土問題に関するわが方の立場上好ましくない。」
 国後、択捉が日本固有の領土であるというのは当然である。その最も古い根拠が、安政元年(一八五四)の「日本国魯西亜国通好条約」にあることも周知の通りである。しかし、実のところ、交渉相手のソ連にしてからが、全千島列島を日本固有の領土と認めている
ではないか。たとえば、「ヤルタ協定」において、樺太はソ連に「返還せらるべし(shall be returned)」といい、千島働列島はソ連に「引渡さるべし(shall be handed over)」といっているのはその有力な証拠である。ソ連でさえ暗にそう認めざるを得ない根拠は、明治八年(一八七五)の「樺太千島交換条約」にあること、これまた申すまでもない。

千島列島の珍見解

 ところで、この「交換条約」の第二款には、ロシアが日本に譲るべきものとして、「現今所領『クリル』群島、即チ第一-シュムシユ島第二…(中略)…第十八「ウルップ」島共計十八島」と記してある。この条文は、一見して明白なように、「クリル群島」の地理的定義ではない。「現今所領」とある以上、「クリル群島の中で現今はロシアの所領に係る十八島」という意味であり、フランス語によるこの条文も、当然のことながら同様である。
 しかし、日本政府は昭和三十年ごろからにわかに、この「交換条約」の第二款を楯に、千島列島とは得撫(ウルップ)島以北を指し、国後、択捉両島は千島列島には含まれないという珍見解をとりはじめたのである。すべては、全千島列局の放棄条項を含む「サンフランシスコ平和条約」体制を前提としつつ、対ソ領土交渉に臨もうとする政府の苦肉の策だった。かくして、「千島列島には含まれない」、従って日本固有の領土である国後、択捉と、もともと北海道の一部である歯舞、色丹との四島の総称としての「北方領土」という言葉が公然と使われはじめたのである。政府ばかりではない、政府を批判すべき立場にある野党も、また言葉を業とするマスコミも、こんなあいまいな、自堕落な言葉とその背景とを掘り下げもせずに、政府の意のままにこの言葉を使っている。
 この言葉を英訳すればnorthern territoriesとして公文書に見えるが、一歩まちがってNorthern Territoriesとでも記されれば国際的に大きな誤解を招くであろうこと、オーストラリアのNorthern Territoriy、カナダのNorth West Territories(いずれも連邦政府の直轄州の意)、香港は九竜半島のNew teritories(租借地の意)などの例を見るまでもなく、明らかである。

全千島の返還要求を  

 さて、私の言いたいことは、単純である。千島列島とは、世界中の、また私たち日本人の地理上の常識が語るように、国後、択捉両
島をも含むものである。そして、さような千島列島すべてが日本固有の領土であって、国後、択捉だけをわが固有領土とする政府の見
解には与(くみ)しがたい。しかし不幸にして、わが国は「サンフランシスコ平和条約」によって、固有領土である全千島列島を放棄
した。従って、ソ連に対しては、歯舞、色丹とともに全千島列島の返還を要求すべきであり、モのための至難の交渉にあたっては、日
本政府がより自主的な外交姿勢、よリスケールの大きい国際感覚、そしてより敏密な領土意識をもつ必要かあるであろう。
 この問題は、はじめから歯舞、色丹及び千島列島問題でしがなかったはずである。それを政府がどこかで問題をすりかえ、「北方領
土」問題に後退させてしまりたのだと私は思う。問題かあいまいになれば、言葉もあいまいになる。逆に、言葉があいまいになれば、
問題もあhまいになる。土地には、おのがじし名前がある。その名前を呼ばないで、どうして国際世論はもとより、わが国民の総意を喚起できょうか。ことがらは、もはや、たかが言葉一つの問題にはとどまらないのである。

(北大助教授-中国文字)