南千島の占領
8月22日17時 | 暗号電報第677号 ワシレフスキー元帥は、クズネツォフ、太平洋艦隊司令官ユマシュコフ上級大将に対して、北海道を避けて第87狙撃兵団の先兵を南千島へ輸送することができるかどうかを検討するように命令。 |
23日 | 太平洋艦隊参謀部より北太平洋艦隊司令官に宛て、択捉島と国後島へ海兵2個小隊を乗せた掃海艇二隻を派遣することが命令された。 23日2時、電報第6360号発信。南千島攻略作戦はレオーノフ大佐にゆだねられた。このとき、レオーノフは真岡から大泊に向かっていた。 |
25日1時 | 太平洋艦隊参謀部より北太平洋艦隊司令官に宛て、択捉島占領のための準備命令が下されるが、北太平洋艦隊司令官アンドレーエフ海軍少将は、レオーノフの大泊港占領作戦が完了していないことを理由に、命令の再考を求めた。 |
25日 | 10時:レオーノフの大泊港占領作戦が完了。ドブロヴォーリスキー海軍大佐到着まで、レオーノフが臨時の大泊海軍基地司令官に任命された。 正午までに、第56狙撃兵団の先鋒部隊は豊原に入城。 これにより、南樺太はソ連軍に占領された。 |
択捉島 | |
26日5時40分 | 大泊港上陸作戦に参加した艦船は特別船団に編成され、レオーノフが指揮をとることになった。 特別船団には、国後島・択捉島への上陸部隊の揚陸を伴う偵察が命じられた。 |
26日12時50分 | 掃海艇第589号、掃海艇第590号、大泊港から、択捉島に向けて出航。 |
27日 | (この項は、千島歯舞諸島居住者連盟創立者の高城重吉氏の証言であるが、日にちは28日の誤りである可能性が高い。) 9時ごろ、ソ連軍艦が択捉島西岸の紗万部沖に現れる。発動機船に乗船し、9時半、両船の距離は1500mに接近。高城はソ連艦に乗り込み、天寧・留別の場所を教える。10時ごろソ連艦から離れる。 19時、留別からの第一報で、ソ連艦上陸を知る。 |
28日13時15分 | 掃海艇第589号、掃海艇第590号は択捉島留別湾に入港。20分後、掃海艇第589号から揚陸を開始した。 上陸すると、日本軍軍使が現れて、降伏の用意あることを伝える。 |
30日18時 | 揚陸指揮官ブルンシテイン海軍中佐、択捉島で6000人を捕虜としたが、3000人は別の場所にいるため即座に捕虜にすることは困難と、報告。 |
31日5時 | 掃海艇第590号は100名の上陸部隊を乗せて、択捉島留別湾から国後島へ出航。 |
国後島 | |
31日早朝 | 大泊港において、ヴィニチェンコ海軍少佐率いる部隊は乗船し、国後島へ向けて出航。 |
9月1日 | 5時40分:掃海艇第590号とヴィニチェンコ海軍少佐率いる部隊は国後島古釜布湾で合流。 6時40分:部隊の揚陸開始。上陸すると、日本軍軍使が現れて、降伏の用意あることを伝えた。 10時5分:ヴィニチェンコ部隊は国後島上陸を完了し、捕虜・武装解除に着手した。 |
9月1日11時 | チェチェリン海軍少佐指揮する部隊は、大泊港で乗船完了。 |
3日4時 | チェチェリン海軍少佐指揮する部隊が、国後島古釜布湾に到着した。 |
4日8時25分 | ウスペンスキー海軍大佐指揮下の上陸部隊が、国後島古釜布湾に到着した。 |
色丹島 | |
8月31日2時30分 | ヴォストリコフ海軍少佐指揮下の第113狙撃旅団の2個大隊からなる上陸部隊(総勢600名)が編成され、大泊から色丹島に向けて出航。 |
9月1日9時 | ヴォストリコフ部隊は色丹島の斜古丹湾にはいる。 先進部隊の上陸後、日本軍軍使が現れ、降伏の用意があることを告げた。 |
1日11時40分 | 色丹島上陸を完了し、捕虜・武装解除に着手した。 |
歯舞群島 | |
9月2日10時40分 | 北太平洋艦隊司令官、電報第7071号により、レオーノフ大佐に対して、歯舞群島の占領作戦準備を命じる。(作戦の遂行は、チェチェリン少佐に委任)。 レオーノフ大佐は無線で命令をチェチェリン少佐に伝えたが、連絡が不良であったため、作戦準備指令であることを伝えることはできなかった。 |
3日6時 | 4時に国後島古釜布湾に到着したチェチェリン少佐は、上陸部隊の編成、歯舞群島の調査に着手した。 第一グループには水晶島・勇留島・秋勇留島を占領する任務を与え、第二グループには多楽島・志発島・春刈島を占領する任務を与えた。 |
3日11時 | チェチェリン少佐指揮下の第一グループ・第二グループは古釜布を出航。 |
4日 | 3時50分:チェチェリン少佐指揮下の第一グループ・第二グループは歯舞群島の担当地域に到着。 13時:歯舞群島の偵察完了。部隊の揚陸開始。日本軍は降伏の用意を示した。 19時30分:諸部隊の揚陸完了。 |
5日 | 19時:歯舞群島の日本軍部隊は武装解除され、捕虜と武器の引渡しは完了した。 23時35分:捕虜と武器を国後島古釜布湾に移送完了。 |
注意;このページは、ボリス・スラヴィンスキー/著『千島占領』(共同通信社 1993.7)に基いて記載しています。各島の占領の日付は、日本政府の説明も同じです。