北千島の占領



北千島占領命令
8月15日 暗号電報第10542号
ワシレフスキー元帥は、第二極東方面軍司令官プルカエフ上級大将、太平洋艦隊司令官ユマシュコフ上級大将に対して、カムチャツカの現有勢力で千島列島北部上陸作戦を準備し、実施するように命令。
同日 太平洋艦隊軍事評議会、ペトロハブロフスク海軍基地へ、占守島占領を目的とした上陸部隊を準備し、部隊を上陸させる命令。
第二極東方面軍軍事評議会、カムチャツカ防衛司令官へ、占守・幌筵・温禰古丹島の占領を命令。
19日 暗号電報第11087号(ペトロハブロフスク海軍基地宛)
カムチャツカ防衛区司令部と共同して8月25日までに新知島までを占領すること
  
占守島の占領
17日5時 アパチャ湾出航
18日4時22分 占守島上陸開始。占守島激闘が始まる。
19日 9時:日本軍軍使、ソ連軍陣地に到達。停戦交渉始まる。
18時:占守・幌筵・温禰古丹島を防衛する日本軍第91師団が無条件降伏を受諾する文書に調印がなされた。
20日8時10分 揚陸部隊が第二千島海峡に入ると、突如、日本軍は攻撃。停戦合意は破られた。
21日 7時:グネチコ少将は第91師団長へ無条件降伏・武装解除の最後通牒。
21時:ソ連の最後通牒に対する回答がある。
22日14時 占守島日本軍の降伏・武装解除が始まる。翌日、日暮れに完了。
24日12時 幌筵島、占領完了。
 
北千島の占領(第一偵察部隊)
  掃海艇第525号、歩兵用上陸用舟艇第3号、第49号、軍用輸送船E・プガチョフ、小型浮遊手段 が偵察部隊に編入された。
  この部隊には、捨子古丹島・春牟古丹島までの、北部北千島占領の任務が与えられた。
23日15時40分 輸送船、艦艇、その他の船舶はウスチボリシェレツク、ロパトカ岬、片岡湾に集結
24日12時40分 掃海艇第525号、上陸用舟艇第3号など、デニーソフ海軍少佐指揮の下、片岡湾を出航
25日12時 ・志林規島、磨勘留島を調査し、自動小銃部隊を温禰古丹島に上陸させ、敵の抵抗なしとの報告を送る。
・報告に基いて、カムチャツカ防衛区司令部は、軍用輸送船E・プガチョフ、上陸用舟艇第49号などを送る決定を下した。これらの部隊には、デニーソフ海軍少佐部隊を増強し、戦利品と捕虜を収容する任務が与えられた。
25日21時 デニーソフ海軍少佐は、捨子古丹島の調査を終え、自動小銃部隊を上陸させ、守備体調に無条件降伏命令を手渡す。
27日 14時:デニーソフ海軍少佐部隊は、捨子古丹島から捕虜と武器を受け取ると、春牟古丹島に向かう。
17時:春牟古丹島に到着。捕虜と武器を積み込み、温禰古丹島に向かう。ここで、軍用輸送船E・プガチョフの部隊と合流。
28日2時30分 デニーソフ海軍少佐の部隊は、捕虜と武器を積み込み、片岡湾に向かった。
 
北千島の占領(第二偵察部隊)
  この部隊は、カムチャツカ防衛区参謀長ウォローノフ大佐指揮する第302狙撃連隊の第一中隊をのせた警備艦「ジェルジンスキー」である。
  この部隊には、松輪島・計吐夷島・新知島、のちに得撫島占領の任務が与えられた。
23日15時40分 輸送船、艦艇、その他の船舶はウスチボリシェレツク、ロパトカ岬、片岡湾に集結
24日21時30分 ジェルジンスキーは松輪島へ向かって、片岡湾を出航。通訳として日本軍参謀、水津満を乗船させた。
25日14時 松輪島到着。島の守備隊長、上田美憲大佐に降伏命令を手渡し、捕虜と武器の接収を開始した。
26日12時 ソ連軍司令部が任命した松輪島指揮官をのこして、ジェルジンスキーは松輪島を出航。計吐夷島に向かう。
(計吐夷島に日本軍がいないことが分かると、新知島に向かった。)
27日昼頃 新知島到着。日本軍部隊がいないと判断すると、指揮官はカムチャツカ防衛区司令部にこれを報告し、得撫島へ向かう許可を求めた。
第二偵察部隊に、警備艇「キーロフ」、掃海艇「ヴェーハ」、掃海艇第334号、輸送船「メンジェンスキー」「モスカリヴォ」「レフリジェラートル第2号」、などが加わる。
27日8時 「キーロフ」「モスカリヴォ」「レフリジェラートル第2号」などは松輪島に到着。
27日9時45分 グネチコ少将、第二極東方面軍軍事評議会から得撫島を早期に占領せよとの命令を受ける。
28日4時50分 カムチャツカ・サハリン・千島列島で行動中の軍の指揮命令系統を、第二極東方面軍に統合させる。
28日9時 「キーロフ」「モスカリヴォ」「レフリジェラートル第2号」掃海艇第334号は得撫島北部に接近。
28日13時34分 「キーロフ」、掃海艇第334号は床丹湾に投錨。このとき、既に派遣されていた「ジェルジンスキー」は上陸用舟艇第6号とともに、「キーロフ」に接近。
28日17時30分 得撫島西側には日本軍はおらず、上陸に適した場所もないとの判断で、「キーロフ」、掃海艇第334号、上陸用舟艇第6号は、島を南から迂回して、タノワ湾に向かう。
29日12時 「キーロフ」などと、輸送船団はタノワ湾で合流。
30日 10時20分:ペトロハブロフスク海軍基地指揮官の指揮する上陸部隊が得撫島北部に到着。
偵察タイは島の海岸に上陸して、島には日本軍守備隊が駐留していることを確認。
ラドジャーノフ少佐が上陸すると、日本軍軍使が現れたため、日本軍守備隊指揮官が20時までに、掃海艇第334号のソ連指揮官のところへ来るように伝達。しかし、指揮官は現れず、副官らが現れたため、指揮官が来るように伝達。
31日 正午頃:カムチャツカ防衛司令官と日本軍守備隊指揮官仁保進少将は、掃海艇第334号で、会見。
この日の夕方までに、日本軍守備隊は見島湾の桟橋に集められ、「レフリジェラートル第2号」に乗船し、占守島の片岡湾に向かった。


注意;このページは、ボリス・スラヴィンスキー/著『千島占領』(共同通信社 1993.7)に基いて記載しています。各島の戦闘や占領の日付は、日本政府の説明も同じです。