脱キットへの道-其の四-第壱章 グレイン醸造理論編  穀類からの醸造は、当然麦芽からビールをつくり出すことになります。 缶詰主体のそれに比べて時間がかかりますが、それによって得られる味や 知識の奥深さを考えると、挑戦してみる価値は充分あります。 1.なぜマッシングするか  マッシング(mashing)とは、麦芽が持つ糖化酵素の働きで麦芽中のでん ぷんを糖化し、糖分をつくり出すことを言います。麦芽を砕き、適度な温 度(65℃程)のお湯に入れておくと、糖化酵素のはたらきで麦芽のでん ぷんが分解され、甘い麦汁を得ることができます。この麦汁を濾して濃縮 したものがモルトエキスです。  マッシングを行うと、エキスでのビール造りに比べて作業時間は大幅に 長くなります。5〜6時間かかるのは覚悟した方が良いでしょう。モルト エキスも元をただせばマッシングで造られた麦汁なのに、なぜ無理をして 麦芽をわざわざ糖化してビールを造る必要があるのでしょうか。私の場合 そこまでして造りたいのは以下の理由によります。  まず、第一に出来上がりのビールの味が違うのです。濃縮還元果汁と直 接果実を絞った果汁を飲み比べてみた方はいるでしょうか。味は明らかに 違います。もっとも濃縮果汁の場合、輸入果汁が多いので、元の果実の味 が違うという問題もありますが。他の例ならインスタントコーヒーと豆か ら入れたコーヒーの違いでしょうか。市販のビールとキット缶のビールと の間に、キット缶ビールには無い何かがあるのといつも感じます。しかし、 それがあるからと言って、市販品の方がかならずしも美味しいというわけ ではないですけれど。  また、色の薄いビールを造ろうとしたらキット缶やエキス缶では無理で す。どうしても色が濃くなってしまいます。ハイネケンなどを造りたい方 は是非挑戦してみてください。(ただし、バドぐらい薄い色はオールモル トじゃ無理かと思います)  他にやってみる価値はなんでしょうか。それは作業の工程がおもしろい ことです。私が初めて手にした自家醸造の洋書 - The Complate Joy of Home Brewing (Dave miller) - に次のようなくだりが出てきます。 Most remarkable of all, the liquid will be sweet! You will probably feel like a magician, but don't get too excited. You have to keep going.  ここを読んだとき、私はマッシングをしてみようかと考えました。甘く なった液をなめてみたいと思ったのです。そして、確かにその液は甘く、 出来たビールもうまかったのです。 2. パーシャルマッシングとオールグレインマッシング −  全てを穀類から糖化醸造すればそれはオールグレインマッシングになり、 市販のビールとなんら変わることは無くなります。しかし、かなり大変な ことも事実です。そこでエキスによる醸造とマッシングを掛け合わせた複 合醸造の方法があります。これをパーシャルマッシングと言います。なぜ こう呼ぶかと言うと麦芽の一部(partial)をエキスで代用するからです。 普通はエキス缶ひと缶使い、それと同じ重さの麦芽の代わりとするようで す。スモールスケールマッシングとも呼びます。  この方法を採ると、使用する麦芽の量を減らせますので、設備をそう大 げさにせずともマッシングによる醸造を行うことが出来ます。また味もエ キス主体のビールに比べて格段に穀物の風味が増し、ビールらしくなりま す。手始めに挑戦するにはこの方法が良いでしょう。そして経験を積めば、 オールグレインもパーシャルも工程上に違いは殆どありませんので、自然 にオールグレインにステップアップできるでしょう。   3.マッシングの方法 −  パーシャルとオールグレインの違いは麦芽の量の違いだけですが、双方 ともマッシングを行わなければなりません。マッシングの基本はお湯に麦 芽を浸して糖化をさせることなのですが、それ以外に色々とすることがあ るのです。 − マッシングの工程 −  マッシングをする場合、通常下記の工程を経ます。各工程は下記にある ように、pH調整と最後のスパージング以外は、それぞれ糖化槽中の麦芽 液(マッシュ)の温度と、その温度の保持時間を変えることで制御します。     pH(マッシュのpH)調整    ↓    蛋白質調整(protein rest)       約55℃30分    ↓     糖化(starch conversion)    約67℃1-2時間    ↓   酵素不活性化(mush out)    約77℃5分    ↓   スパージング(sparging)    ↓   煮込み(boiling) (1) pH調整 麦芽の持つ酵素は1種類だけではなく、多数の酵素が存在します。糖化 を行うものもあれば、蛋白質を分解するものもあります。これらの酵素は それぞれに働きやすいpH値と温度が有り、適正な働きを得るためにはマッ シュのpHをきちんと調整する必要があります。  通常は5.0−5.5に調整するのですが、低すぎても良くないし高すぎ てもいけません。ともにビールの濁りの原因となったり、蛋白質の過剰分 解による泡持ちの悪いビールが出来たりします。また糖化が充分に進まず、 発酵に必要な糖分をきちんと生成できない可能性があります。  私の経験では湯に麦芽を加えるだけで、pHは目的の値にかなり近くな りましたし、pH試験紙でpHを計るのも面倒だったので、調整をしたこ とはありません。しかし、デジタル式のpHメータを手に入れたら、きち んと調整したいと思っています。  pHの調整は、お湯のpHを調整してから麦芽を加えるのではなく、お 湯に麦芽を加えた物(マッシュ)に対してイオン調整用の成分(石膏と炭 酸カルシウムが多く使われている)を加えて行います。また酸を加えて調 整することも可能であり、この場合は乳酸や燐酸を使うのが良いでしょう。 酸を加える訳ですから、当然pHを下げるのに使います。  具体的に説明しましょう。まず用意したお湯に麦芽を加えてマッシュを 造ります。するとお湯だけのときよりpHが下がります。それだけで運良 くpHが合えば良いのですが、日頃の行いの悪い人は目標を外れるでしょ う。特にロースト麦やチョコレートモルト等の濃い麦芽を多く入れた場合、 pHが下がりすぎることが多いようです。pHが目標を外れたら調整が必 要ですので、pHが低ければ炭酸カルシウム(チョーク)を加えてpHを 上げ、pHが高ければ石膏や酸を加えてpHを下げてください。当然、こ れらは食品添加できる品質のものを使う必要があります。 (2) 蛋白質調整(protein rest)  麦芽には種々の蛋白質が含まれいます。大きな組成のものもあれば小さ な組成のものもあります。小さな組成のものはイーストの栄養剤になり、 中位の組成の物はビールの泡持ちを良くしたりする働きがありますが、大 きな組成のものはあまり必要ではないのです。これが多いと、ビールが濁っ たりえぐい味になったりします。  そこで蛋白質をある程度分解し、ビールに必要な組成の蛋白質にするた めの作業がプロテインレストです。麦芽液の温度を蛋白質分解酵素が働き やすい50℃かそれ以上に保つことで行います。時間は30分が目安なの ですが、蛋白質の多い小麦モルトやバーレイフレイクを使うときは、45 分程にすることもあるようです。もっとも、この時間が長すぎると蛋白質 の分解が進みすぎ、泡持ちの悪いビールが出来たりします。注意が必要で す。 (3) 糖化(starch conversion) 他の工程を省いてもビールは出来るのですが、この工程だけは省くこと が出来ません。この工程無しには麦芽の糖化が進まず、発酵に必要な糖分 を得ることが出来ないからです。  糖化酵素は麦芽中のデンプンを糖化しますが、その場合デンプンがゼラ チン化(片栗粉を煮るとある温度になった時点で突然溶解するが、それと 同じ)している必要があります。この温度はおおよそ60℃以上ですから、 まず最低でもその温度までマッシュの温度を上げる必要があります。実際 の糖化は、63℃ぐらいから70℃程の温度で行われており、高い温度ほ ど糖化は早く進み、必要な時間も短くなりますが、あまり高いと今度は酵 素が不活性化してしまいますので、限りというものがあります。  以上の話からすると、酵素が活性を失わない高い温度で糖化させれば仕 事がはやくなると思えます。しかし糖化酵素は温度によって働きが変わる ため、目的のビールに応じた温度での糖化が必要になります。簡単に言え ば、温度が高いと発酵されない種類の糖(デキストリン等)が多く生まれ、 その結果コクが増えます。逆に低い温度で糖化するとデンプンの多くが発 酵可能な小さな糖(麦芽糖など)に変わので、すっきりしたアルコール度 の高い味(ドライ)になると言えます。 とはいえ、私にしてもここまで考えてビールを造ったことはありません。 し、そこまで温度を厳密に保つ技術もありません。オールグレインだとこ のあたりまで考えて味を造れるのが良いとMillerは書いてますが、いった い、いつになればこの辺まで到達できるのでしょう。 (4) 酵素の不活性化(mush out) 糖化が済んだら温度を上げて酵素を不活性化させます。77℃ほど、5 分間で良いでしょう。しかし、どうせ煮込むのだから、これはしなくても 良いのではと思うのですが、別の目的もあるのです。  糖化後の工程に後述のスパージングというものがあります。この作業は 麦芽粕に付着している糖分をお湯ですすいで取り出そうというものなので すが、麦芽の糖分は77℃ほどの温度で粘性が低くなり、その結果すすぎ がしやすくなります。つまり低い温度ではネバネバしているのが、温度が 高くなるとサラッとするということです。ですから、あらかじめこの温度 まで麦芽液の温度を上げておくと、スパージングで回収できる糖分が多く なるのです。 (5) スパージング  スパージングの目的は二つあります。取り出す麦汁を澄ますことと、麦 芽粕に付着した糖分をなるだけ多く回収する事です。ちなみにスパージン グ(sparging)の意味は、「ケチを働くこと」です。  鍋などの上にザルを載せ、それで糖化後の麦汁を濾すとわかるのですが、 得られる麦汁はずいぶんと濁っています。キ社の「一番絞りビール」は濁っ た麦汁から造っているのでしょうか? それはさておき、ウオートが濁っ ている原因は、目に濁りとして見える程大きな粕などが、流れ出るウオー トに含まれているからです。これを再びザルの上の麦芽粕に戻すと、麦芽 粕がフィルターとなって、これらの濁り成分を受け止めます。この作業を リサーキュレイション(recirculation)と呼び、何回か繰り返すとウオート が綺麗に澄んでくる筈なのですが、コツが要りますし適当な道具ではあま りうまく行きません。もっともこれをしない人も居るようですし、たとえ しなくても煮込み時に凝固沈殿するものも多いでしょうから、とりあえず は気にしなくても良いのかも知れません。  リサーキュレイションのつぎに行うのがスパージングです。要は麦芽粕 をお湯ですすいで殻に付着しているエキス分を回収するわけです。この場 合77℃ほどのお湯ですすぐ必要があります。そしてここで上手にやると、 効率よくエキス分を回収できるのですが、これもコツがあります。肝心な のは急いてはいけないということです。つまりゆっくりとひたひたにお湯 が麦芽粕の間を流れて行くのが理想なのです。まあパーシャルマッシング なら多少の糖分の不足があっても可でしょうから、私はそれほど丁寧にや ってはいません。しかしオールグレインに挑む場合は、そうはいかないで しょう。 なお、スパージングのお湯もpHを下げておく必要があります。そうし ておかないと、スパージングによってウオートのpHが上がりすぎます。 pHが高くなると麦芽殻に含まれるタンニン質が湯に溶けやすくなり、ウ オートにタンニンが多く入ってしまうのです。そして渋味のあるビールが できてしまうことになります。調整するpHの値は色の薄いビールが5.7 くらい、濃いビールは6.5あたりと言われています。  マッシュのpHを下げるのには石膏を使いましたが、石膏はマッシュに 加えたとき、はじめてpHを下げる働きをします。ですからスパージング 用のお湯のpHを下げるためには(pHの急な変化を防ぐバッファとして は使うこともある)使えません。刺激の少ない乳酸や味に影響のない燐酸 を使ってpHを合わせるのが良いようです。 (6) 本当は何が必要か  以上マッシングの工程を述べましたが、本当にこれらは全部必要なので しょうか。(1)pH調整と(5)のスパージング以外で必須なのは、( 3)の糖化だけです。マッシュアウトはあまり重要じゃないと思えますし、 プロテインレストにしても、麦芽に'fully modified'とか'highly modifi- ed'と呼ばれるものを使えば、含有する蛋白質が少ないのでプロテインレス トの意味は薄くなります。実際こういう麦芽を多く使うエイルの醸造現場 では、糖化工程だけを行うということも多いようです。  この糖化だけを行うのを「シングルステップマッシング(single step mushing)」と言います。それに比して、それぞれのレストを経ながら行う のを「ステップバイステップマッシング(step by step mushing)」と言い ます。  私はMillerの本から入ったので、3段階のマッシングを律儀に行ってい ますが、実のところプロテインレストは、自分の使っている麦芽が'fully modified'かどうか知らないので、保険のつもりで行っています。  難しいと感じられるのなら、はじめは「pH調整+糖化+スパージング」 だけで良いのではないでしょうか。('95AHAの'Beer Maker of the Year' になった方は、シングルステップマッシングだったと記憶しています) 4.糖化槽の温度制御の方法 (1) コンロで温度調整 シングルにしろステップバイステップにしろ、麦芽液の温度は適温に調 整する必要があります。どのようにすれば良いのでしょうか。すぐに思い つくのは鍋にお湯と麦芽を入れ、コンロで加熱して温度調整する方法です。 この方法の良い点は、鍋があれば糖化が出来るということです。なお、こ の方法で注意することは、焦がさないようにすることと温度が高くなりす ぎないようにすることです。  具体的には、大きなしゃもじなどで麦芽液をかき混ぜながら、温度を計 測しつつ鍋を加熱します。温度が目的温度に遠い間は5分間の加熱と温度 測定を繰り返し、近くなったら2分、さらに1分と加熱の時間を減らし、 温度を合わせます。こう書くと面倒くさそうですが、一度やってみると1 分あたりどのぐらい温度が上がるかわかって来ますので、要領よく作業が 出来るようになります。  温度が適温になったらそれをこんどは必要な時間保つのですが、冷めた らその分加熱すれば良いわけです。それほど急激には冷めませんので、1 5分ほどの間隔で測定と加熱調整を繰り返せば良いと思います。もちろん このときも、焦がしたり温度を高くしすぎたりしてはいけません。なお、 この間保温性の良い箱などに鍋をしまうと、温度調整せずに放っておくこ とが出来て便利です。私は冬の間はコタツにつっこんで保温しています。 (2) 差し湯をして温度調整  お風呂の温度がぬるいとき、釜を再び炊くのが前者だとすれば、熱い湯 を足して温度を上げるのがこの方式です。この方式の場合、糖化槽として 鍋以外にピクニッククーラーなどが使えます。ピクニッククーラーの場合 ある程度の保温性がありますから、温度の保持という点でも有利です。し かし差し湯だけで大幅に温度を上げるのはむずかしいのです。ですから多 くの場合は、シングルステップのマッシングに適用されています。  具体的な方法はまず糖化槽にさらのお湯を入れます。そしてそこに穀類 を入れると当然温度が下がりますので、あらかじめ低下する分を見込んだ 温度のお湯を入れておくわけです。続いて細かな温度調整は差し湯、差し 水で行います。 (3) 私の方法  私の方法は、これら二つの方法の混成版です。私の家のボイラーを最大 温度にして連続出力させると、約60℃のお湯が出てきます。このお湯を 穀類100gあたり220ccの割合で鍋にとり、それに穀類を加えると約 10℃温度が低下します。すると50℃になりますので、プロテインレス トに最適な温度になります。プロテインレストの間はコンロで温度を調整 します。  プロテインレストが終わったら次に、ボイラーのお湯を加えて湯の量を 280cc/100gぐらいに増やします。なぜかというと前述の割合だとかき混ぜ るのに重すぎるのと、湯を注す分だけコンロだけで加熱するより糖化温度 への移行が早く済むからです。(本当はそれだけでなく、麦芽液の密度に よっても酵素の働きに違いが現れるらしいのだが、そこまではとても考え ていられない)その後コンロで不足している分温度をあげ、糖化に適した 温度に調整します。後は糖化の間それを保ち、糖化が済んだらコンロで再 び加熱してマッシュアウトします。以上で2時間ぐらいでしょうか。                 工藤弥 claw@cat.email.ne.jp