笑大作"野門沢遥かなり"公開記念特別企画

真説? 野門沢布引の滝遠征記
1998年7月25日(土)

出演(参加者):
瀑貘 Kazuさん(総隊長)
瀑将 みながわさん(本隊長)
瀑王 おおにしさん(真隊長)
岳聖 やまやさん(女峰山踏破別働隊長)
称号未定 ぽたさん(北部方面隊長)
瀑嵐坊 澤枕(事務局・記録者)

企画:JWFえんたーぷらいず
配給:The Seven Falls Club
協力:全日本瀑布連盟事務局・東日本統括本部

脚本・監督・制作:澤枕 瀑




Prologue

裏日光は栗山村、女峰山に源を発する野門沢に落差100mを越える大瀑があると言う。そんな情報を我が全瀑連メンバーのKazuさんが聞きつけて来た。事務局の総力を挙げての情報収集で遠征隊の派遣が決まった。誰が隊長になるべきかで大もめにもめて最終的な陣容が決まったのは決行日の前日であった(笑)。これは先に何本か発表されている手前味噌的レポートとは違い事務局公認の迫真の記録である(笑)。

Act I

明日の遠征に備えていつもより早めに帰宅する。午後4時すぎにNotice Boardへ「決行!」の連絡をポストしたのでもう後には引けない。ぽたさんはもう出発しただろうか?他のメンバーのようにMapFanIIIなどという秘密兵器を持っていないので、紙のMappleを見ながら現地までの所要時間を試算して見た。高速を使えば3時間あればお釣が来そうだ。午前4時起床と決めて器材など準備を整え床に入るが興奮しているせいかなかなか寝つけない。再び起き出して空を見たりビールを飲んだりする。結局うつらうつらしただけで、3時半に目が覚めてしまった。雨音が聞こえ、急いで外を見るとざんざん降りだ。急いでGMS5の写真や天気図を確認する。昨夜の予報と基本的には変わっていないのでまだ希望はありそうだ。どのみち、自分だけ家にじっとしているわけにはいかない。「まあ、ぽたさんをなぐさめに行くだけでもいいじゃないか」と気を取り直して4時45分ごろ家を出た。

こころなしか、雨は小降りになっているようだ。北の方角を見やると空が明るい。「もしかしたら行けるぞ!」と心の中で叫んだ。インターに入る前にコンビニに寄って、朝食を調達し、みながわさんからプレッシャーをかけられていた1/25,000地形図のコピーを取る(^_^;。カラーは勘弁してもらうことにして1枚10円の白黒でメンバー人数分をコピーする。とは言え何だかすごくもったいないことをしているような気がして、ぎりぎりまで地形図を買いに行かなかった自分を恨めしく思った(笑)。

加須インターから東北自動車道に入るとほとんど雨は上がったようだ。早朝なので車は少なくスムーズに流れている。ラジオの天気予報を聞くと夕方までは降水確率20%で何とかもちそうだ。レポーターが「栃木県地方は晴れ間が見えている」などと言っているのが聞こえるではないか。「やっぱり普段の心掛けだよ。うんうん…」などと一人で納得する(笑)。途中で陽が射したり、小雨がぱらついたりしていたが天気は概ね回復の方向へ向かっているようだ。順調に宇都宮JCから日光宇都宮道路に入り今市ICで降りた。ここから県道今市青柳線を使うのが最短距離だが、そこまで入ってしまうと昼飯や缶びいるを調達できなくなるおそれがあるのでR121を鬼怒川方面へ向かう。龍王峡の駐車場に「県北最後の」と書かれたコンビニがあったのでここでいろいろと仕入れる。まだ時間的に余裕があり、ちょっと睡魔も襲って来たので20分ほど仮眠した。

川治温泉でR121と別れ、鬼怒川沿いに県道を進む。ほどなく「唐滝」の看板と駐車場が見えた。対岸に落差30mほどの唐滝が落ちている。距離は遠いが、なかなかの水量で思っていたより豪快な滝だった。側へ行けたらさぞかし素晴らしい滝だろうと思いながらここを後にした。次に期待していた「蛇王の滝」は、遊歩道への指導標が見えるだけで滝は見えない。ここは帰りに余裕があったら寄って見よう(などとその時は)と思った。

Act II

栗山村は同じ村とは言っても両神村とはちがって随分賑やかなところだ(^_^;。温泉もあるし、村を挙げて観光客の誘致に力を入れているようだ。などと考えながら車を進めて行くとほどなくして野門温泉への分岐にさしかかった。立派な橋を渡り「家康のゆ」駐車場に車を停めたのが7時50分くらいだったがまだ誰も来ていない。駐車場にあった案内図を見ると奥の林道入口の側にも駐車場があることがわかったのでそちらへ向かう。みながわさんとぽたさんが談笑しながら待っていた。ぽたさんは何と秋田からの参加だ。挨拶していると間もなく瀑王一行が到着、これで全員が勢揃いした。Kazuさんとは、昨年末のオフミ以来だ。彼の持って来た「日本百名谷」の野門沢の写しを見ながら行程を確認する。その時は、この遡行図がまさか我々をあの行為にまで駆り立てることになろうとは誰も想像できなかった(笑)。さらに私の用意して来た地形図の写しや資料を配布してすぐに出発する。天気はうす曇りで時々陽も射すといったところ。これでも、出掛けた時の様子にくらべるとうそみたいだ。

やまやさんはすごい勢いで林道を駆け上がって行く。走っていると言ってもいいくらいだ。よせばいいのについて行こうとして500mほどであえなく脱落してしまったが、この時受けたダメージに後々まで祟られることになった。後は、しんさん、ぽたさんと並んで登った。寡黙な二人は無駄口を叩かずひたすら登って行く。私があれやこれやと下らぬことを盛んに話しかけるので二人からは迷惑そうな様子がありありと見て取れる(^_^;。「林道にリンドウが…」と言う誰かのだじゃれを思い出してあちこち探して見る。残念なことにホタルブクロやキキョウは咲いていたがリンドウは見あたらなかった(笑)。

やがて林道は未舗装に変わり「布引の滝入口」の指導票が見えて来る。ここからいよいよ山道だ。よく踏み込まれた快適な道ではあったが、早くも遅れ気味となりこの先が思いやられる(^_^;。富士見峠への分岐点まで駐車場からおおよそ2時間かかって到着した。標高約1,600m付近である。先に着いていたメンバーの歓声が聞こえ、かなたに目指す布引の滝の流身が遠望できた。女峰山山頂方面はまだ深い雲に覆われていて、それが時折滝のすぐ上まで降りて来る。何と言う荘厳な光景だろう。突然やまやさんが顔を出したので一同大いに驚く。一瞬、もう頂上から下山して来たのかと思ってしまったが道を間違えたらしくそそくさと富士見峠方面へ消えて行った(笑)。たらたら写真を撮っているメンバーに愛想をつかしたKazu総隊長は「私は偵察を兼ねて先へ行きます」と脱兎のごとく沢へ向かって降りて行った。私も望遠で二、三カットだけ撮って滝を目指すことにした(^_^;。

そこからは、恐ろしく急でストロークの大きな階段道であった(^_^;。おそらくこの道は欧米人の大男を基準にして作られたに違いない。帰りのことを思い浮かべ憂鬱な気分でさらに下って行くと突然苔むしたきれいな沢を横切るところに出た。これがガイドに載っていた「冷たい水で喉をうるおすことができる沢」であろう。斜度40度ほどで一気に野門沢の方へ流れ下って行く。まるで全体が一本の滝であると言ってもよいくらいだ。めいめいに、水を飲んだり補給したりして休憩を取る。あんちゃんによれば「こういう状況で飲む山の水が美味いのは当たり前だ」ということになるのだが、本当に今まで飲んだことのないような美味い水だった。しんさんと私はカメラを出して撮影を始める。少し上には落差3mほどのきれいな小滝も懸かっていて箱庭のように美しいところだ。メンバーは小休止の後次々と野門沢目指して降りて行ったが小滝派である私はここに小一時間ほどとどまって心行くまで撮影を続けた。

はっと気がついてあわててみんなの後を追いかける。その先にも何本かの魅力ある枝沢が懸かっており、いずれも清流だ。それにしてもやわらかな緑の光と緑の苔に包まれたこの山は本当に美しい。道はやがて少し開けた平らな所へ出る。苔むした岩や倒木が印象的な場所でテーブルやベンチも置いてあった。更に進むと再び登りとなり、石畳を重ねたようなガレ場を横断して行く。降雨の後なのでツルツル滑って危ないことこの上ない(^_^;。やがて道は再び下りとなり数分で野門沢へと出た。500mほど先に布引の滝の上二段だけが見える。おそらくガイドに載っている写真はここから望遠で撮影されたものであろう。

当然のことながら、ここに留まっているメンバーは一人もいなかったので沢を溯り始める。それほど困難な個所もなく200mほど溯るとぽたさんがぽつんと一人でいるのが目に入った。この先は連瀑帯で廊下になっており、みんなは右岸を大高巻きして行ったとのこと。よく見ると結構ヤバそうなガレ場でその上は垂直の崖である(^_^;。「よくまあ…」などと思いながら、何はともあれ缶びいるを飲む。ぬるいけど美味い(笑)!すきっ腹と疲労のせいかすぐに酔いが回ってくる。「こりゃいかんわ」と思い、握り飯とゆで卵で固形物を補給する。突然ガレ場で大きな音がして直径60〜70cmほどの岩が落ちて来た。ぽたさんが跳んで行って確認するが幸いメンバーはいなかったようで安心した。しばらくするとみながわさんが降りて来て興奮気味にあちらの様子を語ってくれた。このガレ場を登れると判断したのはKazuさんの持って来た遡行図のおかげであり、難しいのはこのガレ場の部分だけであとは何とかなると言うではないか。私は、その話を聞いてすぐに行って見ることに決めていた(^_^;。その時は「何とかなる」という意味が「みながわさんのレベルでなら何とかなる」という意味だとは気がつかなかったのが不幸の始まりであった(笑)。

Act III

ガレ場は浮き石だらけで慎重の上にも慎重に50mほど登る。すると右側に取り付けそうな木の根が露出しているのが見えた。踏み跡もあるのでメンバーはここを行ったに違いない。しかし、取り付いては見たがけっこうな難所で足場の確保が難しい。ようやくそこを乗り越え、少し休憩して息を整えているとぽたさんもやって来た。まだ少ししんどかったので先に行ってもらう。「あれっ、いいのかな」と思っているうちに、ぽたさんはどんどん上へ登って行ってしまった(^_^;。わたしの方は斜面沿いに少しトラバースして進むとすぐに斜面を深く抉った急斜度の涸れ沢に突き当たった。ちょっと深過ぎてそのまま進むのは難しそうだ。上の方には降りられそうな部分があったので、結局少し戻って木の根をたよりにさっきぽたさんが行った2mほどの垂直な部分を乗り越えたが、かなりきついところだ。さきほど見当をつけておいたところから涸れ沢に降りると反対側に取り付けそうな場所が上と下に二個所あってどちらにも踏み跡が確認できた。ここで落ちたら野門沢まで30mノンストップの特急便だ(^_^;。少し迷ったが上の方を選んだのが運のツキだった(笑)。そこから少し進むとまた崖で下がガレ場になっている個所に出た。下のルートを取っていればガレ場を伝って沢へ降りられそうに見えたが、ここからでは危険でそのまま進んだ方がいいように思えた。

実際、下からそのガレ場を降りるルートが正解で、上を進んだ私は(ぽたさんも)相当余計な高巻きを強いられるはめとなった(^_^;。前方の樹間越しに布引の滝が大きく迫って来るのが見える。しかし、どこまで行っても下降ポイントが見当たらない。ひょいと崖下を見ると何とみながわさんが歩いているではないか。彼も一瞬私がなんでこんなところにいるのかと思って驚いたようだ。戻ってさっきのガレ場から降りるように身振りでさかんに合図を送って来る。戻る方がしんどいと判断した私は、大声と身振りで先へ進みたいと合図を送る。みながわさんが先を確認して両手で大きくマルを作ってくれたので安心して進むことにした。こんどはしんさんとぽたさんが見えた。二人が手でもうすぐだと合図を送って来る。前方はちょっとしたブッシュだったが、一気に突っ切ると急に視界が開けて緩斜面のガレ場に跳び出した。約40分に渡る悪戦苦闘の高巻きが終了した(^_^;。

某テレビ局の滝番組のキャッチじゃないけれどまさに「息をのむ絶景」が目の前に広がっていた。でっかい、何てでっかい滝だ。思っていたよりずっとでっかい滝だ。最初に遠望した地点からちらりと見えた三段目は落差30mもある堂々たる直瀑であった。一段目は約40m、二段目は約50mの落差がある大瀑であった。滝の前だけがすり鉢のように広がっていて、みながわさんが「コロシアムの中にいるようだ」と表現したのは言い得て妙である。疲れきっていたが、すぐにカメラを出して撮影を始める。時は1時半前後、太陽は滝の右少し上にありあまりいい条件ではない。ハレ切り用のサンシェルターの位置をいろいろと変えて見るがあまり効果はなさそうだ。タカを括らないでフードも持って来るべきだったと後悔するが後の祭りである。

何カットか撮って、大きな平らな岩の上にごろりと大の字になる。空が抜けるように青く頬を通り過ぎて行く風が心地よい。しばらく休んで起き上がり、今度はじっくり滝と対面する。二段目は横に広がったテラス状になっている。右側に本瀑と平行するように水量こそ少ないが落差30mほどの滝が落ちている。これは下へ降りて見て分かったのだが正面からではまったく見えない。下を見やるとしんさんがレンズをとっかえひっかえ休む間もなく撮影を続けている。後で聞けば昼飯も食わずに撮り続けていたそうだ。まったく「滝の虫」にも困ったもんだ(^_^;。Kazuさんが何度も滝の方を見上げているのに気がついた。何だか涙ぐんでいるように見える。思えば、全瀑連設立記念祝賀会の席でKazuさんからちらっと出たこの滝の話がきっかけとなって今回の遠征が実現したのだ。誰よりも感慨無量であろうことは想像に難くない。

最後は私も下へ降りて、メンバー全員で記念写真を撮った。その時しんさんが「あのハレ切り板を貸せ」というので渡したが、自由雲台はクリップで挟む出っ張りがなくて固定するのに苦労していた。最後は首をかしげて傍らにぽいと投げ捨ててしまった(^_^;。ゆ、許せん…。そして何て可哀相な私のサンシェルター…(笑)。

こちら側からはまた少し違った滝の姿を見ることが出来る。右岸からは落差50mほどのしたたるようなすだれ状の滝が落ちていた。御大に言わせれば「ション○ン滝風の美瀑」と言うことになるのであろう(笑)。ただ、日陰ではあるが状況としては対岸の緩斜面とさほど変わらずハレーションを完全に遮断することは難しそうだった。メンバーは帰り支度を始めたが、私は少し残って今日出番のなかった新兵器EF17-35mmF2.8で撮影することにした。予想通り20mmと17mmでは全然世界が違う。サンシェルターを思いきり離さなければすぐケラれてしまう。ということは17mmの世界ではサンシェルターなどあってもなくても同じだと言うことなのか(^_^;。「まあ、これではろくな写真は撮れないだろうな」と思いながら(いつものことだが、実際ろくな写真は撮れていなかった(^_^;)フィルム一本を撮り終えると滝を後にした。

Act IV

帰りは、例のガレ場から登って行く。登りながら、ここへ出てくればあんな苦労をしないで済んだのだと実感した。次の難関であるルンゼ状の涸れ沢へ差し掛かる。もちろん今度は下の方の取っ付きを降りて行く。来る時に取り付いた部分ははるか上の方にある。こちら側からよく見ると、最初にトラバースして来てだめだと判断した部分は何とかいけそうではないか。「もうけ、もうけ」と喜んでそちらへ向かおうとした瞬間平たい岩の斜面でツルっと滑った。とっさにカメラバッグを下げている左側を上にして身体を捻ったが、そのまま少し落ちて2mほどずるずると小滑落してしまった。右太股をしたたかに打ってしまったが、歩行には何とか支障ないようだ(^_^;。本能的にカメラを守ろうとした自分の貧乏性に少しあきれてしまったが、何はともあれ幸運であったと言う他はない。

今度は約20分ほどでメンバーのところへ戻ることが出来た。着いて見るとしんさんが大の字になって寝ていた(笑)。私は、密かに沢水で冷やしてあった缶びいるを取り出して飲んだ(笑)。「また飲むのか…」とメンバーの視線は冷たかったがそれ以上にびいるは冷たくて美味かった(笑)!何かを達成したあとのびいるは何でこんなに美味いんだろう(何も達成しない時のびいるだって美味いけど)。しかし、疲労のせいなのか「心地よい」と表現するにはあまりにも急激な酔いが回って来るのを感じた(^_^;。このままここで眠ることができたらどんなにか天国だろうと思い、もしそうしたら本当の天国行きだとすぐに考え直し、あわててみんなの後を追って帰路に着いた。

懸念したとおり脚が重くて上がらない。特にガレ場で打った右足が全然上がらない(^_^;。なんとか水場の沢までたどり着いて、喉を潤す。来た時と違ってすごく冷たく感じて驚いた。ここからいよいよ難関の階段道である。私には、階段というよりも踊り場の連続のように感じられた。5段登っては2分休みの繰り返しだ(笑)。「こんな無様な滝行はここ数年なかったなあ」、「もう年だなあ」、「少し普段から節制しなければ…」などといろんなことを考えながらあえぎあえぎ登って行くと、すでに分岐点まで下山していたやまやさんが心配して迎えに来てくれた。さっそうと先に登っていくその勇姿ではあったが、階段を踏み外してこけたところを私はしっかりと見てしまった(笑)。

みんなより相当遅れてようやく分岐点まで戻り、少し休んで下山を開始した。上がらない足でも下りなら何とかなる。とは言えスピードが乗って来ないのでたらたらと下って行く。心配して付き添ってくれたのか、腹が減っていて元気がないのかまたまたしんさんと一緒だ(笑)。明るく開かれた林道の土手にはキイチゴ類が多い。ここの土手斜面にもエビガライチゴやクロイチゴが生えていた。エビガライチゴはまだ少し早く、クロイチゴを摘んで食べた。しんさんにも少しおすそ分けしたが、本当はもっと食べたかったのだそうだ。道理で貪るように食らいついていたと合点が行くとともにもっと取ってやればよかったと後悔した。10粒取った内の4粒ではなくせめて5粒食べさせてやるのだったと今では反省している(笑)。

林道も後半に差し掛かるころ、ぱらぱらと雨が落ちて来た。これも予報通りだが、まさしく我々のために晴れていてくれたのだとしか思えない一日であった。これというのも私の普段からの善行のおかげであることをメンバー各位はしっかりと認識すべきである(笑)。雨が少し強く降り出して来たころ、みながわさんが車で迎えに来てくれた。その準備の周到さ、パワーあふれる行動力、冷静な判断力、みながわさんに大いに感心させられた一日でもあった。ぽたさんは翌日仕事があるそうで、そのまま秋田へと帰って行った。遠路の日帰り参加には本当に頭が下がる思いだ。残りのメンバーは途中夕食をともして友好を深め合い、無事帰還して行ったのであった(^_^;。めでたし、めでたし。

え、「その前に何か事件があっただろう」って?一体何のことでしょう(^_^;?そこの人、不規則発言は控えて下さい(笑)。

Epilogue

何と瀑将みながわさんはそのまま日光湯元温泉方面へ向かい、翌日奥日光の秘瀑赤岩の滝を踏破して見せた。滝フリークとしては誰もが「オラが一番に決まってっぺ」と密かに自負している全瀑連メンバーもこの連日の快挙にはさすがに声もなかった。この日以来彼は誰が言うともなく畏敬の念を持って"ぱわふるみながわ"と呼ばれるようになったのであった。

The End



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