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ネルガ:西のはずれの「白砂青松」 | ||
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まず言葉からして、この地方で主に話されているのはガリシア語もしくはガリシア方言と呼ばれるもので、私の耳にはスペイン語よりむしろポルトガル語のように聞こえます。気候もスペインの他の地域とは極めて異なっており、緯度が高い分気温が低いだけではなく、年間降水量は首都マドリードやアンダルシア地方の約2倍もしくはそれ以上になります。歴史的にも、イベリア半島が8世紀にアフリカ方面からイスラム勢力の侵攻を受けて以来他の地方が長い間その支配下に留まったのに対し、ガリシアは早くからキリスト教徒の手に奪回されたため、現在イスラム文化的な面影はほとんどなく、むしろ古代に西ヨーロッパに住んでいたケルト民族文化の色彩が濃厚です。例えば街角で目にしたり店の中で耳にする音楽は「ガイータ」とよばれるバグパイプの音色が特徴的で、スペインよりはむしろアイルランドやウェールズ、ブルターニュの音楽かと聞き間違えそうです。
ビーゴの船着き場を出航した船はみるみる町を背にし、前方の対岸の半島へ近付いて行きます。空は雲一つないので快晴と言うべきなのですが、ガリシア地方特有の天気なのでしょうか、大気全体に薄く霧が立ちこめたような感じで、朝日もうすぼんやりとかすんで見えます。デッキのベンチに腰掛けていると真夏なのにもかかわらず体がかなり冷え込んできました。Tシャツ一枚で出かけてきたことを後悔しました。乗客のほとんどいない連絡船のデッキは私と地元の人らしい男性2人だけで、厚手のジャンパーを着込んだ彼と私の身なりは好対照です。 20分で到着したカンガスの町は海辺のマイナーなリゾート地、といった風情で、船着き場の右手の倉庫群の先の広いビーチにはまだこの時間には人影はほとんどありません。一方正面のバスターミナルは人やバスの往来でかなりにぎやかです。半島内の各地へ向かうバスは、ほとんどがここから発着しています。バス待合所の中の切符売り場は行き先やバス会社別に窓口が分かれており、やっとのことで目的の窓口を見つけてそこで尋ねてみると、目指すビーチから近いイオという村落を通るビラノバ行きのバスは、発車まで1時間以上待たなければならないとのこと。係員はそれで充分に案内をし終えたという顔つきでしたが、せっかちな日本人である私は食い下がって他の手段がないか聞いてみたところ、30分後に出るアルダン経由ブエウ行きのバスが、イオから2キロ手前の地点に停まることを教えてくれました。
というのもこの教会も今回の私の旅のもう一つの目的地だからなのです。ロマネスク様式の教会の前庭に立つクルセイロと呼ばれるガリシア地方特有の石の十字架は、高さ6メートルにわたってキリストの生涯のエピソードをあらわした彫刻で飾られており、その周りを何周もしながら見上げていてもいつまでも飽きることがありません。視線を下ろせばここはリアス式海岸に突き出た小さな半島の先端近くに位置していますので、霧にかすんだ静かな入江を眼下に望むことができます。もっとゆっくりとしていたい、と思いながらも早くビーチに辿り着きたいという気持ちもせいて来ます。
ネルガ・ビーチに着いた時には霧がいっそう濃くなっており、砂浜の先の海面もぼんやりとしています。でも、都会でよくある霧のようにどこを向いても全体が暗く煙っているようなものではなく、日本でいえば高原の霧のような、ある範囲だけ雲が地上に降りてきてかすんでいるような霧なので、上空には青空も見えますしビーチには既に水着の人たちが2、30人いてビーチパラソルも何本か立っています。この近辺にとどまっている雲が時間とともに去って行けば、その後はさわやかな晴天となるに違いない、と自らを元気づけ、長さ600メートルほどのビーチの右端にある岩場の方向を目指して歩いて行きました。多分その先の方にバッラ・ビーチがあるはずです。
急ぎ足で岩場へ登ってみると、その先のビーチには手前の2つのビーチの数倍かというほどの人がいて、100パーセント裸です。人工物の何もないその広さ、背後に広がる松林の美しさ、どう見てもここが一番素敵なビーチです。たしかに一番遠い場所にあるとはいえ、ここへ来るまで私の持っていた「Naturistビーチは一般ビーチの奥とか蔭とかの目立たない場所にある小さな入り江」だというイメージはすっかり打ち砕かれてしまいました。
やはり「広い」ということは気持ちがいいものです。広いというだけならスペインにはもっと広いNaturistビーチはいくつもあるのですが、ここの素晴らしさは岩肌がむき出しになったような激しい風景ではなくて、砂の白と空の青と木々の緑に遠景の薄青色といった柔らかな色彩に包まれていることです。日本的な美しさだと思ってきた「白砂青松」の理想に、こんな所で出会えるとは! この風景の中、少しひんやりとしてさわやかな午前の大気の中を裸で歩む心地のよさ。また足元に目をおとしても白砂の上に散らばる帆立貝などの貝殻それぞれの表情には飽きません。苦労をして来た甲斐があったものだという充足感。 しかしこんな静かなたたずまいのバッラ・ビーチも、スペインのNaturismがまだ発展途上だった1980年代初めにはヌーディスト達と近隣の村人達が一触即発の状態になり、警官隊が出動したこともあったそうなのです。今私の周囲でのどかに過ごしている人たちの姿からは想像もつかないことですが。
そうこうするうちに先ほどまでの青空が嘘のように空は曇り始め、風も出て来ました。雨が降りだしそうな気配こそはないものの、裸で過ごすには辛い肌寒さです。ビーチにいた人たちも1人去り、2人去り、と見る見るうちに人影が少なくなっていきます。残っている人も多くが何かを羽織っており、もはや裸とは言えない状態です。残念ながら私も帰途につくことにしました。そうするとそこへ先ほどのポンテベドラの男性がやって来て、車で送ってあげようと言ってくれます。このビーチのの背後の松林を抜けると5分ほどで舗装道路に出ることができ、そこに車を停めているというのです。ここに来るまでの長い道のりを思うとこれはありがたい、と好意に甘えることにしたのですが、それが思わぬことに・・・。 先週はキャンプをしている人たちも多かったという松林の中は(本当はスペインでは指定地域以外でのキャンプは違法なのですが)、今は全く人影はありません。意外とまばらな木々の間の下草は丈も短く、気持ち良く散歩できそうな感じです。そこで、私は車の所まで裸のまま歩いて行くことにしました。既に服を着ていた男性と私は歩みながらも話ははずみ、彼に「この近くのここもNaturistビーチ、またここも...」と教えてもらったりしていました。ところが足場の悪い所や上り坂を進む時になると、彼は親切に私の体を支えてくれているように振る舞いながら、その手がやたらと私の腰や尻、股間の方へと延びて来るのです。さらには話しかけながらもだんだんと口元が私の顔に近付いて来ます。これはやばいな、と焦りがつのってきた矢先、幸い舗装道路が前方に見えてきました。
(01年夏 訪)
上記本文参照。
ビーゴ (Illas Ciesのページを参照) イオ 本文中に前述したイオは入り江を見下ろす高台にはりつくように家々が建ち並んだ集落で、そこの教会のクルセイロは19世紀に作られたものでガリシア地方に数多いクルセイロの中でも特に彫刻がみごとなものとされています。この地方の文化に関心を持つ人には必見。 [このページのトップへ] | ||||
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Viaje por las Playas Naturistas