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   フェイセズとの関係

 フェイセズは当時ストーンズの小型版と揶揄されたこともあるほどストーンズの影響は多分に強いバンドだった。ロン・ウッドいわく、ストーンズもフェイセズも元にするルーツミュージックは同じ。ただ、ストーンズにはそれにファンクやレゲエが加わるぐらいー、とか。
 バンドとしても仲は良く、ツアー中にたまたま同じ街にいたときなどは両バンドのメンバーがホテルのロンの部屋に集まり飲み食いしていたこともあったりするほどで、時にはグルーピーがベッドからベッドへ伝言を伝えてきたりもしたとか。また、フェイセズはライヴの前にはストーンズのライヴ盤「ゲット・ヤーヤー・・」を聴いて気分を盛り上げていたらしい。フェイセズがストーンズを好きだったことは間違いなさそう。


 
ロッド・スチュワートとの関係  

 ロッドがストーンズファンなのは知る人ぞ知る常識。70年代、ロッドの夢はストーンズみたいなバンドを作ること(今はどうかな?)。「明日へのキックオフ」あたりが最もストーンズに近いのじゃないかな?
 カバー曲も1stアルバムの冒頭を飾る「ストリート・ファイティングマン」を初め「ルビー・チューズデイ」「ラヴ・イン・ベイン」あります。ストーンズがまだクラブでプレイしていた時代から見ていたようでロッド曰く、“あの頃は20人足らずの客しかいなかったのに、今も解散もせず続いているんだから大したもんだよ”、と。60年代末にはミック・ジャガーにソロシングルのプロデューサーを努めてもらったこともあります。90年代初めにはストーンズのライヴを見に来て客席で盛り上がっているロッドも目撃されています。
  
 
ロン・ウッドとの関係  

 関係も何も、現メンバー(笑)。ロンほどロック史に名を残すバンドを渡りあるいた者を僕は知らない。しかも常に加入先のバンドにこれ以上ないくらいにピタリ!はまってしまうのだから素晴らしい。ストーンズ参加は1975年からだが、実はブライアン・ジョーンズ脱退後にもメンバー候補に挙がっていた。しかしその時はロニー・レインが加入話をもみ消したというのも今では有名な逸話。ロンはミック・テイラーとは昔からの知り合いで、プライアンにも会ったことがある。でも彼はドラッグ漬けで会話にならなかったらしい。ストーンズ加入直前の74年にはロンの自宅でのミック・ジャガーとのセッションで「イッツ・オンリー・ロックンロール」が生まれた。翌年からのストーンズでのライヴではこの曲の時にロンにからむミックが見られ、曲の成り立ちを暗示しているかのようで楽しい。


 ロニー・レインとの関係
 
 ストーンズの1967年の問題作「ゼア・サタニック・マジェスティーズ」収録のビル・ワイマン作曲の「イン・アナザー・ランド」にギターで参加。ちょうどストーンズのスタジオのとなりのスタジオでレコーディングしていたため、スティーヴ・マリオットともども呼ばれゲスト参加している。ミックとキースはその場にいなかった。 後にビル・ワイマンはロニー・レインの病気への支援を契機として自身のバンドウィリー&ザ・プアボーイズでチャリティー活動をしている。これにはチャーリー・ワッツやケニー・ジョーンズも参加。


ケニー・ジョーンズとの関係

 ストーンズの「イッツ・オンリー・ロックンロール」はロン・ウッド宅でのセッションから生まれた曲。ロンの自宅の近所に住んでいたケニーがドラムで参加。ケニーのドラミングに対してミックが「たかがロックンロールだろうが!」と言われ、「だけど好きなんだ!」と返したことが曲タイトルになったとか。


テツ・ヤマウチとの関係

 テツがフェイセズに加入する際には英国のミュージシャン組合が外国人のバンド加入に対して横槍を入れてきた。それに対しては音楽マスメディアやファンがキャンペーンを張って署名運動を行いテツを支援した。ミック・ジャガーも手紙や当局への電話という形でテツの立場に理解を示し援助にまわった。


イアン・マクレガンの関係

 1978年のストーンズの大ヒット曲「ミス・ユー」でキーボードを弾いたのがマクレガン。アルバム「女たち」でも幾つかの曲で参加しています。78年のストーンズの全米ツアーにサポート参加、79年にはロン・ウッドのニュー・バーバリアンズにキース・リチャーズ、ボビー・キーズらと参加しツアー、81年の全米ツアーにも参加し、数年間はほとんどメンバー的な扱いを受けていましたとマクレガン自身語っています。しかし翌年の欧州ツアーは辞退してしまい、以来、ストーンズとの関係は途切れたままなのが残念。もし継続参加していれば89年ツアーにもお呼びがかかっただろうから、今もツアーで一緒にプレイしていたかも? 




A Bigger Bang

 本作ほど一聴して感じたそのサウンドに驚きや新鮮やよりも安心感が先に来たアルバムは個人的に初めて。「ラフ・ジャスティス」を初めて聴いたときは「いいの?こんな、ストーンズぽくって?!」と要らぬ心配までしてしまった。アルバム全体を聴いた後もビックリ!な曲はなく、前作までは少しは混じっていたストーンズなりのロックの進化なり流行を表現したような曲があったが、今作はない!いつものストーンズなのだ! 
A Bigger Bang

 ストーンズを聞き出したのは「スティール・ウィールズ」からだが、いつも違和感少々から徐々に聴き慣れていき、次第に好きにはなるのだが、ツアーで盛り上がったあと、数年経って聞き返すと好んで聴くタイプの曲が少なかったことに気づく。つまり新鮮なうちはいいが、そのうち聴かなくなるアルバム(好きな曲はそれぞれの作品にもあるけど)になりがち・・・・その繰り返しだった。
 でも今アルバムはほぼ全曲、僕が抱いてるストーンズのイメージの中に最初から収まった感じ。キースのリフ、ミックのハープ、ロンのスライド、チャーリーのビートがいずれの曲でもこれ以上望むのが罪なくらいバンドサウンドとして絡み合い、僕のなかのストーンズのイメージに同調している。ストーンズが意図的にそうしたのか、そうせざるを得なかったのか、それはまた別の話だけど・・・・。
 ともあれ、一時の新鮮さよりも長く聞き続けられる作品を望みたいから、僕は好きでい続けられるアルバムになりそうです。
 (2005年10年10日)


 Rock'n Roll Circus

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 僕の部屋には18年前からロックンロールサーカスのB4版生写真が飾ってあってずっと見てきているのだけれどほんとに飽きが来ない。レノンの歌う「Yer Blues」時のものだと思うのだけど、ジョン・レノン(ビートルズ)、キース・リチャード(ローリング・ストーンズ)、エリック・クラプトン(クリーム)のビッググループからの3ショットがとても気に入っている。まるで僕の音楽趣味を1枚の写真で説明しているかのよう。レンズに向けられたジョンとキースの視線もクールでイイ。

 ロックンロール・サーカスは映像ととして収録されながら、一般公開までに実に28年も要した。その理由はザ・フーやレノンらのプレイがあまりに素晴らしく、ミックがストーンズの演奏の出来に満足できなかったとか多々ある。しかしこれらビッグアーティストが一堂に会するだけでももの凄い価値がある訳で、もはや永久にこの形の再現は見ることはできない。ブックレットの最後に“remenbering”としてこのショウに参加した今は亡き人達の名が記されているが、何と数多いことか。発表までに費やした年月の重なりを感じずにはいられない。

 今やパンク以前のロックは歴史学の1ジャンルにもなろうかとしている。このフィルムが世に出たことはあの頃のロックが持っていたパワーと空気を年月の劣化を経ずして(真空パックか何か煮詰めたような状態で)現代に突然もたらしたという意味で非常に大きいと思う。公式には誰もが初めて見る聴くものなのだから30年のロックファンも5年のファンも同じである。巷に流行るコムロ系などに騒がず、こんな本物が出たことこそもっと騒がれるて聴かれるべきなのだと切に思う。

  (1997年06月15、2005年10月9日加筆)

 
Hide Park 1969


 ミック・テイラーのお披露目コンサートのはずがブライアン・ジョーンズの突然の死により形式上は追悼コンサートとなったという、ストーンズライブ史上でもひとつのターニングポイントとなった歴史的コンサート。
1969年夏の日のロンドン・ハイドパークで、ストーンズは生まれ変わった姿を30万人の聴衆に見せ付けたのです。キースの弾き出すリフのビートの上にテイラーが編み出すソロがかぶさり、その間に立つジャガーがオーラを放ちマイクひとつで聴衆をコントロールしながら全体を高みに導いていくという今に伝わるストーンズスタイルが出現します。
 この時の演奏はチューニングが狂っているとか不安定とかいい評判がありませんが、彼等もそれは充分わかっていたはず。それでもライブをやる理由としては、テイラーを加えた新メンバーでこれからやっていけるかどうかを推し量る必要があったのではないでしょうか。それは長い間ライヴをしていませんでしたからバンドとして機能するかどうか、今やベテランとなったバンドを聴衆はいまだ求めているのか、古い曲への反応はどうなるのか、など実験的な意味付けがあったはずです。ですから演奏自体も特に計画性も無くイケルとこまでいってみよう的な部分もあります。現在のストーンズはエンターテインメント的パッケージ・ショー・バンドですが、この時ばかりは聴衆を楽しませよう何て余裕はなかったはずで、ひたすら自分たちのサウンドをやり遂げることに集中していたのでしょう。その分聞いてる側としては懸命に演奏するストーンズを聴けるわけです。聴きがいのアルバムなことは間違いありません。
(1999年06月12日)
Get Yer Ya-Ya's Out


 '69年の全米ツアーのライブ・レコーディング。しかしオーバーダビングもされたりして会場そのままのリアルなライブ盤とは言い難い。とは言っても内容は実に素晴らしくってて、ミック・テイラーを擁しての初ツアーであり、しかもしばらくライブをやってこなかったのせいか再出発を賭けるメンバー達の意気込みはかなりのもんと推察する。
 オリジナル曲をライブ向きにアレンジし直し、「JUMPIN' JACK FLASH」、「MIDNIGHT RAMBLER」、「STREET FIGHTING MAN」などスケールが二周りも大きくなり、よりアグレッシブに変貌を遂げ
ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト
ているのは驚嘆に値する。特に「悪魔を憐れむ歌」の本来パーカーションだったパートをドラムとリズムギターでやってしまうというアイデア、それに絡むテイラーの“竜の滝昇り”を思わせるうねるリードギター!
    (1997年07月17日)
Let It Bleed


 ストーンズのアルバム中で、これほどの密度の濃さを感じさせる作品はありません。いずれの曲も何度も何度も演奏して練りに練った末の趣向品という印象を受けます。 
 ストーンズが本作で表現しようとしていたのはサティスファクションのようなノリ重視のロックンロールでなかったと思います。このアルバムがレコーディングされていた時期のストーンズはブライアンの不参加やミック・テイラーの加入などバンドサウンドの端境期にあり、時代も60年代のクライマックス(ウッド・ストック、オルタモント)に向けて膨張し続けていました。さらにブルーズなどのルーツ・ミュージックがロックサウンドを形作る上で重要な鍵として認知されてもおり、ストーンズの狙いはこの時代の“空気”をつかんだアルバムを創ることでした。米英に新しい感覚を持ったバンドが多数出現しつつあり、ロックの先駆者たるストーンズは60年代の傑作を創る必要があったのではないでしょうか。いくつか録音された典型的ロックンロール曲はお蔵入りです。
レット・イット・ブリード

 しかし収録曲はライブでの定番曲となっていくものばかり。彼等がこの後数年の間毎年のようにライヴを行なう“生バンド”への決意の証しとして、その障害だったブライアン・ジョーンズを切り、ミック・テイラーを新メンバーに迎えたことはスタジオで練り上げたサウンドをライヴの場でも再現させるためでしょう(テイラーがアルバムで活躍するには次作まで待たねばなりません)。
  それにしてもアルバム発表から既に30年も経ってしまいました。これほど社会情勢が変化しているにもかかわらずこのアルバムは名作としていまだ輝いています。もちろん今でもストーンズが活動していてアルバムの曲を演奏していることもその要因ですが、将来、ストーンズが20世紀の伝説として語られる時、彼等のアルバムが引用されるとしたら本作がその筆頭作のひとつにあげられることはまちがいないでしょう。
 (199X年、2005年編集)


Black And Blue    


 本作のレコーディング開始直前の1974年12月、リードギタリストのミック・テイラーが脱退しました。彼に代わってフェイセズのロン・ウッドがレコーディングに参加します。その時点では彼はまだフェイセズのメンバーでした。しかしその立場のまま’75年夏のストーンズの全米ツアーに参加してしまいます。そんな状態にロッドは苛立ち、同年末、彼はフェイセズ解散を表明してしまいます。明けて’76年1月、ロンは晴れて正式メンバー扱いとなりストーンズのメンバーとしてアルバムのフォトセッションに参加します。
 それが本作のインナースリーブの写真です。タバコ(?)のわずかな光りを利用して空にメンバーそれぞれがラインを描いています。ミックのはまるで踊っているように軽やか。キースは自らのギターのように左右に揺れを刻んみ、チャーリーは人柄を象徴してか純なマル。ロンは一見ミックと似ていますが、彼の将来を示すかのような末広がりの8の字を、ビルのは心に鬱積したものがあるのかグルグル円を描き、僕にはそれぞれが実にらしいものに見えます。
(1999年10月25日)


catital conection   (ブートレグ)

 この時期のストーンズは従来のラインナップだったボビー・キースらのブラス隊、ビリー・プレストンらのパーカッシブなサポートからも離れて、5人のメンバー+キーボード、ピアノのシンプルでベーシックかつ、ストレートなバンドサウンドに戻ったことが魅力です。ま、パンクの影響と言ってしまえばそれまでなんですが・・・・(^^;)。

 この時期のストーンズのキーボーディストはイアン・マクレガンが担当してます。イアン・スチュワートがピアノとクレジットされていますが、全編で聞こえる転がるピアノはマックっぽい(でもやっぱりイアン?)。。2枚目の冒頭でミックに“ポップグループの、スモール・フェイセズのマック!”と紹介されてます。ピアノは全編で聞こえますが、一番良く聞こえるのは2枚目の方ですね。ロックンロールな曲にはやっぱり似合います、マック?のピアノは。

 盤は2枚組みで二枚目の途中までは’78年のニュー・ジャージー州のキャピトル・シアターでのスモール・ギグで、残りはもっと大きな会場のようです。同時期のライブでも会場が違えば結構雰囲気も違うんですね。

(2000年05月31日)


 
Tattoo You

 各ディケイドの代表曲を聞かれたミック曰く、「60年代のSATISFACTION、70年代のMISS YOU、そして80年代はSTART ME UPさ。」
 しかし僕にとっては90年の東京ドームで聴いた1曲目の「スタート・ミー・アップ」こそ90年代の幕開けを告げる衝撃的な曲でしだ。あのでっかい花火とともに20世紀の最後のディケイドが始まったのです・・・・・・・。
 その時の「START ME UP」に比べるとアルバムのは幾分大人しいけれどまあしょうがない。ところでこのアルバムの曲は過去の曲の焼き直しが多いようですがそんな事は微塵も考えさせないほどできはいいです。
 「友を待つ」なんて最高。恐らくまだミックとキースがほんとに仲が良かった頃に作ったんだろうね。イントロから曲の世界に惹かれてしまう。ビデオクリップでもいいムードに作られている。大人の男の1対1の友情、シブイ・・・。 「ハング・ファイアー」、「ネイヴァース」、などの曲でもミックのフット
Tattoo You
ワークの軽さに比例してか快速に飛ばすマラソンランナーのように調子がいい曲。ドラムの音色のせいもあるかもしれない。 「ブラック・リムジン」。いいねえ。これぐらいのレベルのブルースナンバーを毎アルバムに1曲は入れて欲しいもんだ。

(1997年07月15日)
Let's Spend The Night Together

 ストーンズの1981年の全米ツアーは映画化されて全世界公開されました。巨大スタジアムを埋め尽くした大観衆をに向けられた5人+αだけの演奏エネルギーにはすさまじいものを感じます。
 また、ライヴ映画の作りとして感心するのは遠景と近景の組み合わせ方です。スタンド席奥からの遠景を折りはさみ、巨大なスタジアムの中にいるような感覚を見るものにもたせかと思うと、ステージやや下からの近影では袖下の最前列席から見ているような感覚も与えています。メンバーひとりへのクローズアップは最小限に留め、常に2〜3人が映っている“ひき”の状態にする事であくまでも観客からの距離・視点でのベストショットを追求しているのがわかります。
 実際のライブの場合、誰しも少しでも近くの席で見たいのが当然ですが、それがライブ映像の場合は近距離ばかりだとかえって不自然で、見るのも疲れてしまいがちです。結果としてメンバーが豆粒みたいなショットも結構ありますが、全く不満を感じさせないのはこうした配慮が見えるからです。
 ワールド・ツアー=映像化の図式はストーンズ場合この作品から以後、定常化されて、最近のツアーは映画化こそされなくなりましたが、オフシャルでビデオソフト化sれています。この81年のツアーを記録した作品は、ストーンズのライブ映像の中でもトップに位置するものと思います。

(2000年06月01日)