THE STONEROSES


1989年10月25日 大阪 毎日ホール



ヘヴィ・トリップ・ミュージック

 いよいよザ・ストーンローゼズのライヴを体験することになった。 彼らの日本デビューは7月である。その月に初めてCDが出て、ロッキン・オンで絶賛された批評が載った。それ以来毎月同紙には絶賛批評が載っているが、それ以外の音楽誌で彼らを取り上げたのは、僕の見た範囲では週間FMぐらいで、まだザ・ストーンローゼズを知っている人間は少ないはずなのである。それなのに、突然に来日、そして予想外のファンの多さ。今日の大阪ライヴは毎日ホールというわりと小さなみすぼらしい会場だったが、立ち見を求めてチケットのない奴らがずらりと並んでいた。ザ・ストーンローゼスを聴きたい奴はこんなにいたのだ。 (中略) 
 
 僕がザ・ストーンローゼズの大阪ライヴを知ったのは、ぴあ誌に既に発売中と告示されてからだからちょっと遅い。来日は知っていたが東京方面だけだと思っていたのだ。(中略)チケット購入がもう少し遅れていたらおそらく買えなかったであろう。意外にも彼らのライヴを観たい奴らはこんなに多かったのだ。 

 ライヴの始まる前にアナウンスがあって、「演出の都合上1時間でライヴは終了させていただきます。アンコールもありません」とのこと。今時1時間でアンコールもないとは珍しいと思うが早いか頭に浮かんだのはザ・ストーンローゼズのルーツであるザ・ビートルズ。彼らのライヴはさらに短い30分で、アンコールにも1回も応えることはなかったという。もっともそれはアンコールを期待してさせておいて、、会場の周りをファンが取り囲む前に脱出するためと言われていた。だけどザ・ストーンローゼズの場合は、、、。まさか真似してるだけとは思わないが、何か大物を感じさせる大胆さ。“レパートリーがないんじゃねえのか?”なんて言う奴もいたけど、それもたしかに1里あるかも? 

 ライヴは開演時間を20分ほど遅れて始まった。洞窟のなかでターザンが叫んでいるような音がしばらく流れた。最初から興奮させられた。最初からこれは凄いライヴだと予感されられた。期待はいやが上にも高まった。「シー・バンクス・ザ・ドラムス」で始まり、始めから圧倒された。彼らのセールスコピーに「時間軸を溶かすヘヴイトリップミュージック」とあるのだが、まさにその通り、サイケデリックなメロディにたちまち僕は酔ってしまった。その後はもうただただこんなロックを直に聴ける喜びで、、、。ボーカルのイアンは写真より髪が延びて、思うにまるで60年代のミックジャガーの様に素早く踊りながら歌い、それはまるで猿のようで、、、しかしそれがカッコイイと感じてしまった。ドラムのレニはこれまた素早く歯切れよいリズムを刻んでいる。ライヴでドラムに此れ程目が行ったのは初めてだ。リードギターのジョンは写真とほんと同じイメージで目にかかった前髪で表情は読めず、姿勢も始めから終わりまでさして動かず、しかしまだギターでこんな素晴らしいメロディが残っていたのかと思えるほどギターを思いのままに操っていた。4人のなかで1番カッコイイと思ったの はこの人だっ た。ベースのマニはごく普通のイメージだったが持っていたベースギターは何ともストーンローゼスらしくサイケなペイントで、、、、ヨイネエ。 

 ライヴは予定どおりアンコールも無く1時間で終わってしまったが、中身は相当濃かったと感じた。4人がステージから去った後はまたあの洞窟のターザンの音が流れ、余韻をたっぷり残して閉幕となった。これ程心から感動したライヴはなかった。嬉しくて嬉しくてたまらなかった。この世にロックバンドはザ・ストーンローゼズとビートルズとあと1つ2つあればもう何もいらないとまで思わせた。こんな凄いバンドに凄い曲で圧倒されると今のポール・マッカートニーなんて60年代のゴミじゃないかとまで思えてくる始末だ。 


*おことわり*

 このライヴ・レヴューはザ・ストーンローゼズ初来日ライヴを見た当日の夜にその熱さを忘れぬために書いたものです。ですから最後にポール・マッカートニーに対する暴言が出てきますが、私自身の当日の興奮状態を考えれば無理からなぬことだった、と今は思ってます。若気の至りです。ご勘弁下さい(^^;)




The Stone Rosez
石と薔薇


 新人バンドのアルバムを、そのルックスだけで買ったしまった僕にとっての唯一の作品。恐らく2度とないと思う。音を聞く前から彼らのやらんとしている野望が伝わってくるような気がした。それが何なのかは後に彼等自身の“ビッグ・マウス”から「世界はストーン・ローゼズを待っている」とか「U2みたいなひどいバンドを葬り去るためにバンドを始めた」とか、マスコミを通じて世界に伝えられたが、そんな彼等のアティチュードに期待するファンも多くて、批判的な意見はきかれなかった。
 そしてまたサウンドも’60年代のロックを90年代的に進化させたかのように、そからかしこにビートルズ(テープの逆回転サウンド)やバーズ(「ウォーターフォールズ」では12弦ギターを思わせるギターが聴ける)、ジミヘン、はてはサイモンとガーファンクル(歌詞だけ変えてカバー)までミックスチャーされて最新のダンスミュージックとしてできあがっていた。だから僕みたいなビートルズ中心にロックを聞いていたロックファンが最新のロックに接する接点としても最適で“僕は時代の最先端のサウンドを聴いているんだ!”とも自負できた。



What The World Is Waiting For
ホワット・ザ・ワールド・イズ・ウェイテング・フォー


 彼等の初来日が実現してまもなく発売された彼等にとって初の日本編集盤。アルバムタイトル曲と「フールズ・ゴールド」が新
曲。彼等は1stアルバムを出した後、アルバム未発表曲を続出させることになるが、この2曲が出来では最高だろう。
 「フールズ・ゴールド」は彼等が初めてファンクナンバーを披露したもので、ジェイムス・ブラウンの某曲のリズムを流用して作ったらしいが素晴らしいリズムビートな曲。この夏に公開された英国映画「ロック・ストック・アンド・トゥー・スモーキング・バレルズ」でエンディングに使われていたのは驚いた反面嬉しかった。



フールズ・ゴールドの12インチ
 
 このジャケットアートも含めて、ローゼズのアートワークはほとんどがギターのジョン・スクワイアが手がけています。このフールズゴールドの絵、何を書いたと思いますか?バナナじゃないですよ。右側を下にしてみてみるとわかりますが、実はこれイルカです。水族館とかのイルカショーで水中からジャンプするのありますよね、あれです。それに気づいたとき僕は声をあげて驚きました。そして同時に何て素晴らしいアートなんだろうって。ジョン・スクワイア、只者ではありません。





Second Coming
セカンド・カミング


 1stから実に5年7ヵ月かかって発表された2ndアルバムであり、最後のアルバム。この間には来日もしたし、新作シングルも出た。その一方でマネージャーとの離別、レコード会社ペンキぶっかけ事件や移籍に関する裁判とかも起こった。しかし1stアルバムと彼等のオーラの虜になったファンは待った、ずぅーーーーーーーーーと待った。僕も5年半も待ったのだ。5年は長い。この間にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わった。日本も自民党の55年体制が崩れた。僕は大学生から社会人になり、フリーターになっていた。くどいが5年は長かった。そして待望のセカンドアルバムが出た。悪くない、かもしれない。しかし5年前に味わった味わいとは違う。これは彼等が変わったのか、それとも僕が変わってしまったのか。

 再びローゼズが来日公演をした。僕はチケットを予約。でも5年前とは何かが違う。アルバムの出来は良いような気もするし足りない気もする。5年の間に僕の求めるロックが変わってしまったのかもしれない。せめて2、3年で出していてくれたらこんなに距離を感じずに済んだだろう。僕はチケットをキャンセルした。

 翌年の秋、彼等は解散した。ドラマーが抜け、ギタリストが抜けたあと残されたメンバーの決断だ。やはり彼等にとっても空白の5年間でメンバー間にも距離が発生したのではなかろうか。まともな活動をしなかった(できなかった?)のが遠因だろう。やっぱり5年は長いのである。

ストーンローゼズの来日から10年経った1999年11月10日、記す