■ セイラムの風〜From Etsuko #017--私には夢があります(I Have A Dream)
セイラムの風 目次
1月17日は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士の祝日(Dr. Martin Luther King, Jr. Day)で、アメリカ全土の(公立)学校、国・州の役所、郵便局、銀行などが休みとなり、キング Jr. の誕生と生涯を祝福します。

マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師国立歴史地区の入り口
マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師国立歴史地区の入り口。
ヴィジター・センター、記念館 フリーダム・ホール、生家、墓などがある。
前日の16日(日本では17日)は、私たちの記憶に永遠に残る阪神淡路大震災の10年目の慰霊の日であることはこちらにいても、覚えています。過酷な現実でしたが、日本人が一つの価値観を共有して、自発的に結束できることを示すことが出来た、貴重な体験だったとも思います。
震災の鎮魂を兼ねて二人で教会に行ってきました。サーヴィスの前半に「子供の時間」があり、子供達が祭壇の前に集まります。牧師さんが、「あなたの目は何色ですか?そう、ブルーですね。あなたの髪は何色ですか? そう、ブロンドですね。他の人と何か違いますか?何も、違いませんね。でも、皮膚の色がダークだったら、どうでしょうか?皮膚の、目の、髪の色が違っても、人としては何も変わらない。知性も、品性も、考えも、皆同じで分け隔てをしてはいけないと気づかせてくれたのが、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師です。明日17日は、キング牧師を記念した祭日ですね。」と易しく話しました。この日のテーマは彼の偉大さを記念して、「夢と自由」で、説教のあとは、女性4人のコーラスで「I Have a Dream(Mary Donnelly)」が、爽やかに、優雅に歌われ、参集の人を惹き付けました。

マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の生家
マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の生家。
思っていたより整った家で、彼が黒人の中では上中流の家庭に育ったことが想像される。
マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の墓
マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の墓。
池の中にあり、静かな、しかし、大きな、彼の性格、活動を象徴しているようです。(Free at Last, Free at Last, Thanks God Almighty, I'm Free at Last)と刻まれている。
私たちは、この冬季休暇で、キング牧師のホーム・タウン ジョージア州(Georgia)アトランタ(Atlanta)に行き、生家、記念館(Freedom Hall)、墓 などを訪れ、身近に彼の偉大さを実感しましたので、感慨深いものがあります。今回、アトランタ、ニューオーリアンズ(New Orleans)などの南部を訪れ、ただ旅行者として立ち寄っただけですが、南北戦争(Civil War)、奴隷制、人権問題が現実のものとして感じられ、今まで教わってきたこととは違った視点で、歴史を見ることも必要と感じさせられました。

キングJr.の祝日(1月の第3月曜日)を制定するについては、議論に多くの年月が掛かり、下院、上院で法案が通り、ロナルド・レーガン大統領が署名したのは、キングJr.の死から、15年の歳月がたった、1983年のことです。この法案が両院を通過するには、幾多の反対意見がありました。
個人の栄誉を称えた祝日は、ジョージ・ワシントン(George Washington)と コロンブス(Christopher Columbus)しかなく、もし追加するとすれば、リンカーン(Abraham Lincoln)とか ケネディー(John F. Kennedy)であって、キングJr.は不適任である、との反対意見が多くありました。また、キングJr.の出身地ジョージア州の上院議員は、ちょうどマッカーシー旋風、いわゆる、「赤狩り」 が吹き荒れていた時期でもあって、彼は共産主義者であり、とんでもないことだ、と主張しました。しかし、終に法案が通過し、最初の祝日が、1986年1月20日に祝われました。

記念館(Freedom Hall)で、キングJr.が身をもって教えた、「人権の大切さ、勉強の大切さ」を、子供向けに、優しい挿絵とともに書いた本「Meet Martin Luther King Jr.」を見つけました。その本、その他の資料、などを参考に彼について記してみたいと思います。

子供向けの絵本「Meet Martin Luther King Jr.」
子供向けの絵本「Meet Martin Luther King Jr.」。
小学生中上学年向け程度と思います。彼の生涯を通して、易しく、簡潔に人権・自由の大切さを理解させる内容になっている、とてもいい本だと思います。
マーティンが5歳の時、それまで友達であった白人の子の母親に、「うちの子供と、これからは遊んではいけません」と言われ、驚き、家に帰って話すと「白人と黒人は一緒にいてはいけない」と言うきまり(Jim Crow Laws)あるので仕方ないのです、と母親になだめられたのが、彼の人生の基点になっています。黒人は、レストラン、バス、学校、はては、水飲み場まで、白人と一緒ではなく差別されていたのです。子供ながら、フェア(fair)ではないと感じたのです。

1929年1月15日に生まれたマーティンは、牧師をしていた父親が教会で何時も素晴らしい説教をして、皆に尊敬されるのを見て育ち、自分も牧師になろうと幼いときから決めていました。学校での成績が優秀で、2度の飛び級をして、15歳で大学に入り、さらに奨学金を得て、ボストン大学の博士課程に進み、卒業後、アラバマ州(Alabama)のモンゴメリー(Montgomery)の教会の牧師になりました。

アラバマ にも「Jim Crow Laws」があり、黒人はバスの後部にだけしか乗ることが許されていませんでした。ある時、ロサ・パークス(記念館には彼女の部屋もありました。)という黒人女性が白人に席を譲ることをしなかったため、警官に逮捕されてしまいました。キングJr.は、モンゴメリーの全黒人に「勤めや、学校に行くのに、バスに乗らないで、歩くか、車を融通しあって行こう」と呼びかけました。次の年には、モンゴメリーのバスは空っぽになりました。 これが有名な「モンゴメリーのバス・ボイコット」です。白人と黒人の関係が今まで以上に悪化し、あわや暴力争いになりかかり、多くの黒人が彼のところにも、権利獲得のため力で戦おうと詰め寄りました。しかし、ガンジーの行動に大きな影響を受けていた彼(記念館にはガンジーの部屋もあり、はじめて彼とガンジーとの関係を知りました)は、”No Fighting.”暴力で行動するより、平和的に抗議をする方が、より勇気がいり、効果があるのですと、民衆を説得しました。終に、アメリカ大法廷は、「どの街も、黒人のバス乗車に関して規制をしてはいけない」と裁定しました。ロサもキングJr.も他の黒人も、自由にバスに乗れるようになりました。

しかし、未だ、黒人は白人と一緒に学校に行けなかったし、投票権、参政権などを含んだ、いわゆる、公民権がありませんでした。1963年、首都ワシントンDC、ワシントン記念塔とモールの間の広場で、黒人の公民権を要求する大規模の集会が開かれ、25万人の聴衆を前に、キングJr.は演説をしました。これが、「I Have A Dream Speech」と呼ばれた名演説なのです。

「私には夢があります。アラバマのある日、黒人の女の子、男の子と白人の女の子、男の子が、兄弟姉妹として手を取り合うことが出来る夢が。」
(I have a dream that one day down in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.)

実は、このスピーチの中には、I have a dream that〜で始まるフレイズが6カ所ありますが、子供でも容易に分り、私たちが一番好きなのが、上に書いたフレイズです。興味のある方は、http://www.mecca.org/~crights/dream.htmlなどのサイトがありますので、全文、英語版を読んでみてはいかがでしょうか。それほど長くはなく、文章もそんなに難しくないと思います。

オーク・プランテーションの奴隷売買値段表
オーク・プランテーションの奴隷売買値段表。
とてもショックでした。これを見るだけでも、いろいろな過酷な物語が想像される。家畜と同じにオークションで値段が付けられて売買された現実。
キングJr.は1968年春、黒人待遇改善運動の途中、テネシー州(Tennessee)のメンフィス(Memphis)で射殺されました。彼は人の助けになるのが好きでした。世界に平等と自由のための勇気を示しました。それ以上に、彼は、どのようにお互いが愛し合い、平和の中で過ごすことが出来るかを、世界の皆に教えてくれました。時の、大統領ジョン・F・ケネディーは、公民権運動(Civil Right Movement)を支持し、南部の政治家の抵抗にあいながら法制化をはかっている途中、テキサス州(Texas)ダラス(Dallas)で暗殺されてしまいます。彼の死は公民権運動に直接関係するものではないと言われていますが、この時代のアメリカの全体的な動き--冷戦、ベトナム戦争、マッカーシイズム(共産主義者追放運動、「赤狩り」)、ボブ・ディランの反戦歌 など--の中で、考えるべきことだと感じました。

アメリカで黒人が公民権(Civil Right)を獲得したのは、第二次世界大戦の終了した1945年より20年も経った、1964年、つい「昨日」のことなのだと改めて知り、とても驚き、ショックを受けました。南北戦争後、合衆国憲法では人種差別を禁止したにもかかわらず、第二次世界対戦前のアメリカは、実際には、非白人にたいする人種差別が存在していました。北部では法的な差別はほとんどありませんでしたが、人種差別は実際にはありました。また、南部の州では、州法や地方条例により、制度としても黒人にたいする差別が存在しました。Jim Crow Lawsは、その代表例です。今回の旅行中、ニューオーリアンズ の砂糖栽培の大農園シュガー・ケイン・プランテイション(Sugar Cane Plantation)を見学した時、奴隷の売買の値段表を見ました。家畜と同じに市場で売買されていたとは、知識としては知っていましたが、現実とは結びつかないでいました。このプタンテーションでは、家内仕事奴隷(House Slave)は子供を含めて20人、例えば、Meanna(34歳)、混血の針子、5人の子供連れ$1,500、畑仕事奴隷(Field Slave)は子供を含めて93人、例えば、Paris(35歳)、黒人のティーム・マスター兼労働者$1,000(1848年のオークションの値段)を使っていたと書かれていました。黒人奴隷の小屋も残っているのがあり、見ましたが、藁のベッドがあるだけで、壁も隙間だらけの、ほんとに家畜小屋みたいな貧しいものでした。黒人は家畜と同じ扱いであったことは現実であり、今でも、その影響は残っていることを認識させられ、日本人の平和ボケ、脳天気を改めて反省させられました。

私たち二人は、「I Have A Dream」と何か縁があるように感じています。今度の冬季休暇の旅、昨日の教会のコーラス、昨年の休暇でのこと。昨年のクリスマスはラスベガスで過ごしましたが、その時、見たのがアバのヒット12曲をベースにしたミュージカル「マンマ・ミーア」(日本でも劇団四季が汐留で公演)でした。 楽しいミュージカルで、何より素晴らしかったのは、観衆に「現状に満足せず、壁を乗り越え、先に行こう!!」と元気をくれたことでした。「I Have A Dream」で静かに始まり、「I Have A Dream」で熱く終わる、素晴らしく、とても感動的な演出でした。
これは私たちの勝手な解釈ですが、この曲「I Have A Dream」は、1979年、キングJr.の死から10年経って、アバ が彼らなりのやり方でキングJr.の偉業に敬意を表し、世界に向け、「夢を持って・・」と呼びかけたものだと思います。この解釈が正しいかどうか、自信はありませんが、大切なのは、小さな夢でも、大きな夢でも、自ら積極的に持ち続け、”Dream Catcher”に、夢実現の手助けをしてもらいえるようになれることだと思いました。

ウィラメット大学で開催された「MLK Day」のレセプションの表示板
ウィラメット大学で開催された「MLK Day」のレセプションの表示板。
25の丸テーブルに総勢200人位の参集者があり、静かに、かつ、熱気に包まれた会であった。
1月17日のCNNの記事です。TVも新聞もかなりの時間とスペースを割いて報道をしていました。「キングJr.の夢を忘れない」と表題した記事を紹介します。

今日17日、キングJr.に触発された多くのアメリカ国民が全国に亘ってマーチ、ラリーを開催した。アトランタ(Atlanta)では、キング三世(King III)が、父の平和へと遺志と連携を忘れないよう市民に呼びかけた。フィラデルフィア(Philadelphia)、デンヴァー(Denver)、サン・アントニオ(San Antonio)では、何千人の人が集まって、公民権運動のリーダーを記念してマーチと祈りを行った。首都ワシントン(Washington)では、ブッシュ大統領が「キングJr.の信念、勇気はアメリカと世界を鼓舞させ続けている。」とスピーチした。

MLK Dayの週には、身近なところでもいろいろの催しものがありました。夫のウィラメット大学(Willamette University)であった催し物のの一つを紹介します。「キングJr.を祝う昼食会(The MLK Celebration Luncheon)」で、ドキュメンタリー・フィルムの放映、市民権運動指導者Dr. Vincent Hardingの講演 などでした。このフィルムは、1965年、アラバマ州セルマ(Selma)から モンゴメリーへの公民権を求めて行われたマーチのドキュメントです。 無抵抗の民衆のマーチに、棍棒、ショット・ガンで武装した警官隊、騎馬に乗った警官、ガス・マスクに催涙ガスの警官隊が、容赦なく襲い掛かります。「家に帰れ、さもなければ、監獄だぞ!(Go home or go jail!!)」 と叫びながら。この様子が、全米に放映され、白人を含んだ多くの人が、応援に駆けつけ、5日かけて、ついに行進を完遂する、ショックと感動を参集者に与えるものでした。このようにして、毎年キングJr.の偉業を思い出すともに、新たな活動を続ける地道な運動が各地で行われているのです。

2005/01/29-from etsuko
セイラムの風 目次
MAILHOME
Copyright cafe etsuko All rights reserved.