■ セイラムの風〜From Etsuko #012--チャーチ(Church)
セイラムの風 目次
ヨーロッパ、アメリカなどを訪れて、気になり、興味を惹かれることの一つは、広大な畑の中のどんな小さな村にも、高い尖塔を持った教会が必ずあることです。日本でも村々には鎮守様があります。子供の宮参り、新年のお参り、など限られた場面しか、行くことがないように思いますが、これと似通った性格のものなのか、違うのか。歴史の話、日々の暮らしでも、教会が大きな位置を占めているように思えますが、実際はどうなんだろう?などなどの疑問・興味が浮かんできます。ここセイラムでも、身近に10を超える教会があります。それぞれがどう違うのか、天台宗、浄土宗などの違いのようなものなのか、そうではないのか。などなど・・

イースターの日の祭壇
4月11日:イースターの日の祭壇。きれいに飾り付けてあります。
アメリカ滞在中に、教会のミサに日曜日に参列するなどして、その一端を知りたいと思って居ました。でも、教会の分厚い大きなドアを開けるには、なかなか勇気ときっかけが必要です。時折、結婚式などがあって、ちっらっと雰囲気を垣間見ることは、ありましたが、ずーとそれ以上には行かないまででした。そんな折、私の元のホスト・マザーが、イースターの時に教会に行かないかと誘ってくれました。ラッキーとばかり、喜んでついて行ったのが、今年の春のことです。最初が普段の礼拝(サーヴィス)でなく、お祭り的で、やわらかな雰囲気のイースターなのは、ホスト・マザーの心配りなのでした。牧師さん、参加の人たちもにこやかに私たちに接してくださったし、説教ばかりでなく、いろいろな催しものも多く、したがって、言葉の壁もこの日は低かったのです。後で分ったことですが、この教会は比較的自由な雰囲気のプロテスタントに属し、さらに、その中でも、進歩的な教会とのことで、やや排他的で、格式高いと言われているカソリックでなかったのは、幸いでした。もちろん、その辺を十分考慮してホスト・マザーが選んでくれた結果だと思いますが。

私達が礼拝(Service)に参加している教会(First Congregational Church, United Chursh of Christ イースター以来何回か参加しています)の様子をメモしてみます。夏は、日曜日の9:30から、冬は10:30から朝のサーヴィスは始まります。時間はおよそ1時間です。毎回、大体同じように進行しているように思います。

イースターの日はハンドベルの演奏
イースターの日はハンドベルの演奏がありました。美しい音色が教会の中に満ちました。
教会に入ると、入り口のすぐ中に、今日の進行、祈り、牧師さんとのやり取り、賛美歌の番号、歌詩、楽譜をなど書いた紙を持った人が、「お早うございます。よくお出でくださいました。」と出迎えて下さいます。この方は、教会の牧師さんではなく、多分、信者がボランティアしているのだと思います。

サービスの開始の前から、通常パイプオルガンが演奏(いわゆる、プレリュード(The Prelude)、なのですね)されます。これを聞きながら、席に着き、開始を待ちます。祭壇の後ろの壁は格式ばったものではなく、抽象画のような十字架、鳩などのキルトのタペストリーが架かっています。 ヨーロッパなどの観光旅行の折に見る厳しいのとは全然違っていて、ややびっくりしました。祭壇の向かって左の演壇に男の牧師さんが、右に女の牧師さんが座り、教会の鐘が鳴って、始りです。牧師さんの挨拶の後は、自分の席の周りの何人かの人と朝の挨拶:握手と自己紹介などをする時間です。相手によって、自己紹介。知っている人同士ならちょっとした世間話など。

続いて、日によって、ソロ・ボーカル、ゴスペルであったり楽器だったりしますが、祭壇で音楽が演奏されます。それが済むと、いよいよ、サービスが佳境に入ります。テーマがその日によって決められています。例えば、「ジーザス」"Jesus"。先ず、牧師さんと配られた紙の文章を神に向かってする応酬話、賛美歌の和唱があります。次は、ある意味では結構重要な時間、子供の時間です。子供は祭壇の前に出て、男の牧師さんの、その日のテーマに沿った優しく身近な話を聞きます。たいてい、15人くらいの子供が出て行きます。「このブレスレットは何だか知っていますか?そう、ランス・アームストロング(今年のツール・ド・フランスで6連覇の偉業を成し遂げた、アメリカの今一番の英雄)がガンと闘い、勝利を勝ち取った時に創設したガン救済基金からの、寄付による"Live Strong"ブレスレットなのですよ。では、この袋から一つずつ取って腕にはめてみましょうね。で、"Live Strong"ってどうゆうことかな?はい、David。勇気をもって生きる。いい答えだねぇ」などです。子供の時間には、簡単な遊びとかプレゼントが付いています。これを楽しみに教会に来る子も結構いるようです。

First Congregational Church
First Congregational Church, 152年の歴史のある、小さいながら上品な石造りの教会です。
子供の時間が終わると、普通、男の牧師さんが、テーマに沿ったバイブルの一部などを読み、女の牧師さんが身近な環境での具体的な話でそれをサポートする話をする式次第になっています。最近身近にあった出来事などが、普通の言葉で話されます。これが、その日の最も重要な部分なのでしょう。時間も結構長く、20分くらいはあるでしょうか。話の多くの部分は、素直に聞き入れられる内容ですが、例えば、自由がテーマの時だと、その自由は神様が私達に下さった大事なものです。と神との繋がりが必ず入るところが、未だスーとは聞き入れられられないところです。また、時には、ジーザス・センタード(Jesus Centered)、クライスト・センタード(Christ Centered)あるいは、ゴッド・センタード(God Centered)のどれが最もあなたにとっては重要でしょう、など分らない話もあります。でも、深くは分らなくても、こんなことが話されるんだと、主人の助けを借りながら興味深く聞いています。

終わりに近く、"The Life of the Community"と言うの場があって、信者の何人かが前に出て、このコミュニティーに関するアナウンス(?)をします。「今週、Mager さん宅で、Moving Saleがあります。」とか。かつて、ヨーロッパから移住してきた人たちが、あるいは西部移住した人たちが、小さなコミュニティーで、共に喜び、悲しみを分かち合った、映画などで見る、場面を彷彿させます。

このころになると、銀色の金属のプレートが回ってきます。心付けをするのです。お金をそのまま出す人、封備え付けの封筒に入れ名前を書いて出す人、チェックを書いて出す人、額もいろいろのようです。もちろん、必ずしも出さなくてもいいのです。私たちは、よく分からないこともあって、(ちょっと人に聞くわけにもいかない)二人で数ドルを出しています。

日常のプログラム
日常のプログラム。中にその日の進行、今後の催しの案内などが書いてあります。
一日の内に賛美歌を4-5曲歌いますが、多くの参列者は諳んじていたり、備え付けの賛美歌の本を見たりして歌います。私たちはもちろん分厚い賛美歌の本を見ながら、メロディー簡単なのは、3番くらいになると、周りの人についてなんとか声を出します。たまに知っている歌があるます。小学唱歌にあったものなどです。夫婦でハモッテいる人、大きな声でヴィブラートしている人もいて、健康によさそうですね。

終わりは、挨拶の言葉が特にあるわけではなく、パイプオルガンで終曲(The Postlude)が流れ出すと、そんな雰囲気になったなぁ、といった感じでだんだんに席を立つ人がでてきます。礼拝堂の出口で牧師さんが待っていて、皆に挨拶、握手、ハグなどをしてくれます。いったん、散会した後は、階下でのリフレシュメント、簡単なブランチ、別な部屋でのいろんな教会の活動の打ち合わせなどがあり、殆どの人は、すぐには帰らないで、どれかに参加しているみたいです。私たちもリフレシュメント、ブランチにたいてい参加します。食事のためと言うより、参加者コミュニティーへの仲間入りの感じですね。サーヴィスの始まる前にも、途中の挨拶の時にも、終わった後のブランチの時にも、大勢に人が気軽に声をかけてくれます。部屋に小学生の絵・図工作品など飾ってあるときもあり、話題になります。日本の話なども結構話題になります。大分、気楽に参加できるようになってきたように思います。

独立記念日の教会のプログラム
7月4日:独立記念日の教会のプログラム。教会誕生152年、アメリカ独立228年の祝いです。
7月4日は、アメリカの独立記念日なので、特別行事でした。(イギリスからの独立記念日と書かれていて、改めて、ああそうなんだと再認識しました。)ダウンタウンから車で 5分ほどのちょっと離れた、ウィラメット河の中の広大なミント・ブラウン公園(Mint Brown Park)の緑一杯の中での開催です。式の終わりに、牧師さんが順番にが並んだ参加者にパンとぶどう酒(キリストの肉と血を象徴している)を供します。私たちは信者でもない、いわば飛び入り人なので、並ばないでいると、周りの人にどうぞと列に入れられてしまいました。何か、キリストと契りの杯を交わすような感じもして、やや戸惑いました。式が終わると、ポトラック・パーティー(Potluck Party:参加者がサラダ、メインディッシュ、デザートなどを持ち寄った食事会)です。実は、これが楽しみで参加している人が結構います。私たちは、チラシ寿司風野菜サラダでしたが、中々の評判でした。この様に、1-2月に一回くらいは、催し物が行われるみたいです。

未だ、参加回数が多くはない時点での感触ですが、教会はお祈りの場では、少なくともお祈りだけの場ではなく、同じような生活のバックグランド、生活感覚を持った人たちの、定期的な一種の交流の場としての役割が大きいように思います。今後、私達の参加はどんな展開になるのか、今日の感じが変わってくるのか、そうでもないのか、楽しみです。しばらく、日曜日の朝は、続けて参加してみようと思っています。

2004/08/09-from etsuko
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