■ セイラムの風〜From Etsuko #011--アルカトラズ(Alcatraz)
セイラムの風 目次
ツイン・ピークから眺めた市内
SF郊外のツイン・ピークから眺めた市内、そしてその向こうの(真ん中やや右、湾内に小さく見える)アルカトラズ島
今回は風がセイラムではなく別の方向から吹きます。
先日、何年かぶりでサンフランシスコ(SF)を訪れました。SFで有名なのは、霧、ゴールデンゲイト・ブリッジ、ケーブル・カー、フィシャーマンズ・ワーフなどですが、最近人気を集めているのが、フィシャーマンズ・ワーフの2キロメートルほど沖、SF湾の中にある小さな島:アルカトラズ(Alcatraz)のようです。映画に興味のある人だと、古いものでは、クリント・イーストウッドの「アルカトラズよりの脱出」、やや最近(と言っても 8年ほど前)のニコラス・ケイジ、ショーン・コネリー主演の「ザ ロック」など数々の映画の舞台ににもなったことで、ご存知でしょうね。年間、100万人をこえる観光客が訪れているとのことです。
島へ渡るフェリーはフィシャーマンズ・ワーフのピア41から、「ブルー&ゴールド・ライン」で、片道約30分です。当日申し込みでは殆ど満員で乗れない状況との話だったので(実は前回がそうでした)、私たちは一週間ほど前に予約しました。インターネットで予約をしようとしたのですが売り 切れでした。それでは、と電話で試してみると、こちらはOKでした。ネット枠と電話枠が別々にあるようで、今後、この手の予約をする時の参考になりました。

案内のレンジャー
案内のレンジャーが来訪者に説明をしています。右手には監視塔が昔のままの姿で見えます。
天気は晴れでしたが、フェリーの上甲板は、何時もの事とは言え、7月だと言うのに、セーターの上にジャンパーを着ていても寒いくらいで、かなりの人はガラス張りの船内にいました。セイラムよりずーと南なのに、霧の元にもなる寒流が流れ込んでいるからなのでしょう。これでは、運良く監獄から脱出できても、泳いでいるうちに、体が動かなくなるだろうと実感しました。
そうです!!アルカトラズは 1963年、当時のロバート・ケネディー司法長官によって閉鎖されるまでは、確くとした実績のある犯罪者専用の、最も脱出不可能な監獄だったのですが、今は観光客に開放されているのです。脱出を試みた過去を持つとか、他の刑務所では扱いきれないなど、札付きの犯罪者がほとんどで、あのシカゴ・ギャングで有名な、アル・カポネ、マシンガン・ケリーなどがここに収容されていたのです。
島に上陸すると、レンジャーの案内・注意事項説明などの後、ツアーに参加するか、個別に見るか、となりました。私たちは、時間の関係もあって自分たちで行動し、ツアーには参加しませんでした。案内書は英語版のほか、スペイン語版、日本語版など何カ国かが用意されています。 この案内書はとても興味深く、良くできています。これを参考にアルカトラズの状況を書いてみます。

アルカトラズは大きく分けると、5つの時代を持っています。無人島の時代、軍事要塞の時代、監獄の時代、アメリカ・インディアン保護活動家の時代、観光地の時代(今)です。

灯台
刑務棟の外れには、今も使用されている灯台があり、霧のSF湾の航行を助けている。
【無人島の時代】
太古の昔から、長い間、アルカトラズはミウォック・インディアンなどが漁などの時たま訪れるだけの、無人の孤島でした。スペイン人がSFベイ・エリアに住み出した1700年代中ごろにも、地図には載ってはいても、住む人は誰もいませんでした。

【軍事要塞の時代】
アメリカン・フットボールの名門サンフランシスコ・フォーティーナイナーズ"49ers"(10年ほど前に名クオーターバック、ジョー・モンタナを有して絶頂期にあった)の名前は、SFを中心としたカリフォルニアのゴールド・ラッシュが多くの人を惹きつけたのが、1849年だったことを示しています。それまでは、SFは人口300人ほどののんびりした小さな村だったのですが、ゴールドに魅惑された人たちで、欲望と繁栄に満ちた人口2万人の街になり、これをきっかけに、SF湾に出入りする船を監視・街の防衛のため1853年に要塞建設が着工されました。また、南北戦争(アメリカでは、市民戦争 Civil War と言う)の時には、南部軍からSF市と湾を守るため島全体がさらに要塞化されました。

刑務所時代の掲示
島のピアに着き、先ず目に入るのが、これ。「アメリカ連邦刑務所 渡しドックより1.5 マイル(約2キロ)。政府の船以外は200ヤード以内に近づくことは出来ない」の刑務所時代の掲示の脇に、ウエルカム・インディアン、インディアン・アイランドと赤字で書かれたアメリカ・インディアン保護活動家の時代の名残も見える。
【監獄の時代】
南北戦争時代に脱走兵などの犯罪兵、19世紀後半のインディアンとの戦いでの捕虜インディアン、第一次世界大戦の反戦主義者など、の投獄に始まり、1930年代のいわゆる大恐慌時代には最高の警備設備の連邦刑務所となったのです。14人の脱走計画の中で、3人組が1962年に行ったものだけが、未解決となっていますが、溺死したと言われています。当時は外観から"The Rock"(岩)と呼ばれる島への出入りは厳重に制限されましたが、今や、観光資源として多くの人を呼び込んでいるのは、やや皮肉ですね。 この時代のことは、私たちは現実より、フィクションあるいは噂として知っていることの方が多いみたいです。

【アメリカ・インディアン保護活動家の時代】
連邦刑務所としての役割を終えた後、全インディアン部族と名乗る人たちによって島は占拠され、島の歴史、アメリカ原住民問題が絡んで、一時は何百人にも占拠者がいたが、長続きはしませんでした。

2階、3階の独房(Cell)
2階、3階の独房(Cell)
【そして、観光地の時代(今)】
島のピアからS字形の坂を300メートルほど上ると、刑務所棟の入り口になります。ここで、乗船券を見せると、ウォークマンみたいなオーディオ・ガイド・セットを希望の国語にセットして渡してくれます。スウィチをONにして、その案内に従って内部を見学します。囚人たちに、ブロード・ウ エイ"Broad Way"と呼ばれていた廊下の両側に、三階構造の独房(Cell)が250位並んでいます。一坪半ほどのCellには、小さなベッドとトイレがあり、映画などで見る日本の独房に比べると、思っていた以上に整っていたように感じました。しかし、刑務所の中の刑務所と呼ばれる、全く光の入らない独房もありました。棟の入り口の反対側には結構大きな食堂があり、ここからだと、大都会の明かりの瞬き、喧騒が聞こえそうで、改めて、刑務所の悲惨さを肌で感じて、興味深かったけれど、決して心から楽しいものではありませんでした。

アルカトラズ島からの、霧に霞んだSFダウンタウンの眺め
アルカトラズ島からの、霧に霞んだSFダウンタウンの眺め。かもめが風に浮かんでいるのが見えるでしょうか。
刑務所棟の外の広場に出ると、霧に薄く霞んだSFのダウンタウンがとても美しく見えました。対岸にあるSFの奥座敷ティブロンから眺めるダウンタウンもきれいでしたが、ここからの方が近くにあるため、一段とはっきりとした素晴らしい眺めでした。この広場は、映画「ザ・ロック」でニコラス・ケイジがVXガス・ミサイルの発射チップの破壊に成功した合図をする感動のシーンがあった所です。私たちは、今、ここに、たまたま、観光で来ている幸せを、しみじみ感じたことでした。

2004/07/22-from etsuko
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