■ セイラムの風〜From Etsuko #007--キャピトル
セイラムの風 目次
今回は、オレゴン・キャピトル(州庁舎)を中心にセイラムの歴史などについて、わたしたちの暮らしとのつながりをとおして、書いてみようと思います。

キャピトル
キャピトル(オレゴン州庁舎)。屋上に「ゴールド・マン」と愛称される黄金の開拓者の像。
日本の首都は東京、韓国の首都はソウル。それぞれの国の最大の都市。一方、アメリカの首都は、ニューヨークでも、シカゴでもなく、やや小規模な都市、ワシントン。これらは、誰でも知っていることでしょう。では、去年、かのシュワルツネッガーが州知事になったカリフォルニアの州都は、となると、やや知っている人が少なくなるでしょうか。ロスアンジェルスでも、サンフランシスコでもなく、やや小さな都市、サクラメント。アメリカ建国以前からの、政治・文化・経済の永い歴史のある地が、そのまま首都/州都になっているのでしょうか。日本で言えば、奈良、鎌倉あるいは京都が、首都として継続しているような感じかなと思います。
この例が示すように、オレゴンの州都も、最大の都市ポートランドではなく、ずっと小ぶりな、わたしたちの暮らしているセイラムなのです。州都なのに、アメリカの中ですらあまり有名でなく、セイラムと言えば東海岸のマサッチューセッツのセイラムの方が、はるかに有名です。あの悪名高い、「魔女狩り」(1692年、悪い魔法を使ったとして、多くの女性が裁判に掛けられ、リンチでなく公式に処刑された)の街として。

オレゴン・ガバナー(州知事)の机
オレゴン・ガバナー(州知事)の机。ここに座って、ガバナーの気分になってみました。
オレゴン州 セイラムの街は、キャピトル(州庁舎)を中心に、各種の州機関、ウィラメット大学、ダウンタウン、そしてそれを取り巻く住宅地と農牧地、で構成されています。裁判所など州の各種の機関は、市内のキャピトルの周辺地域に分散しています。
アメリカ合衆国と言われるように、それ自体、独立性を持った州の集合体がアメリカですので、州はあたかも一つの国であるかのように、ガバナー(州知事)、州の上院、下院、裁判所などが存在し、州政府を構成しています。法律も州によって違うことが多くあります。身近な例で言えば、オレゴンは消費税がありません。 正札どおりの支払いです。先日、カリフォルニアに旅行した時、思った値段と請求された値段が違い、ビックリしました。同じ国の中なのに、オレゴンとは違って、消費税があるから、そのぶん高かったのでした。
交通法規も州によって若干違います。赤信号での右折は、特に気を付けることの必要な違いです。

クリスマスコンサート
キャピトル・ロビーにて、小学生のクリスマスコンサート。
キャピトルと市民の関係は、日本と根本的に違うと言うのが、6ヶ月暮らした中での感想です。日本では、県本庁舎、知事室、県会議事堂などに足を運んだ経験のある人は、殆ど居ないと思いますが、セイラムでは、年に何回かは、多くの人が訪れているようです。何か手続きをするためだけではなく、楽しみのために。
昨年のクリスマス前後も、キャピトルの大ロビーは、きらびやかに飾られ、各地の学校などに開放されていて、コンサートが毎日行われ、家族、一般の観客など大勢来ていました。ガバナーズ・オフィス(知事室)、上院/下院議事堂も開催日以外はおおむね市民に開放されています。
先日も、わたしたちは、ガバナーズ・オフィスに入ることが出来ました。オフィスのドアを開けると、前室になっていて、秘書に「入っていいですか」と訊くと、「どうぞ、どうぞ」との感じで、わたしたちは、知事さんの椅子に座ったり、公式会見用の壇に立ったりして、しばし楽しんできました。

ヘリテッジ・ツリー・レストラン
ヘリテッジ・ツリー・レストランの改修前の外観。後ろに大きな胡桃の樹が見える。
わたしたちの自宅から歩いて1-2分のところに、「ヘリテッジ・ツリー:Heritage Tree」(heritage:文化遺産、伝統)と言う名前のレストランがありました。(注参照)
1913年に建造されたとても趣のある、旧き、よき時代のアメリカを彷彿とさせる建物です。オゥナーの説明によると、東部からの移住者が1800年代中頃(カリフォルニアでゴールド・ラッシュがあったのが、1849年)にオレゴンに住み始め、1850年ごろ、ラフォレット・ファミリが胡桃の木(Black Walnut Tree)を今の駐車場に植えた。この樹齢150歳くらいの樹は周囲4-5mはあり、セイラムの象徴的なランドマークとなっており、1982年、「Heritage Tree」として認定された。ここ以外にも、市内に何本か指定されています。
(注:残念なことに、去年の夏の終わりに、オゥナーが代わり、レストランの外装・内装を今様に変えてしまい、外観にわずかに前のイメージを残すだけとなってしまった。でも、ヘリテッジ・ツリーはそのまま残っている。)

「セイラムは、ここに始まる」
近所のミル・クリーク堤の「セイラムは、ここに始まる」の記念表示板。
また、自宅から50mくらいをミル・クリーク「Mill Creek」川が流れておりますが、そこに、「セイラムは、ここに始まる:Oregon History Salem Began Here」と書かれた木製の大きな碑があります。要点は、「1840年の秋、メソジストの一行がミル・クリークを堰きとめダムを造り、製材所を建造し、続いて製粉所、羊毛加工所を造った。1841年の春、セイラムの第一番目の家が建てられ、二番目にお店、郵便局、そして、オレゴンの財務局が建造された。」となるでしょうか。 オレゴン、セイラムは、ここに始まった、とこの二つの話は言っているのです。因みに、主人の学んでいるウィラメット大学:(Atkinson Graduate School of Management)Willamette Universityは、「The First University in the West」と言って、アメリカ西部で最古の大学で、スタンフォード、UCなどより歴史があるのだそうです。

このように、永い伝統・歴史を背景に、セイラムは存在し、キャピトルも一般市民と共に存在しているように感じます。日本では、お城は殿様とその家臣の為のためにあり、一般市民とは、お堀の内外で隔絶されていました。他方、ヨーロッパを訪れると、城壁は街全体を囲っていて、一般市民もその中にいて外敵と戦ったことが分かります。これと同様に、キャピトルは、いわゆる、日本流のお役所ではなく、市民の生活の一部として、空気や水のように自然に市民と交流しているように、未だ半年の短い生活を通しての感じですが、思いました。

2004/01/05-from etsuko
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