■ セイラムの風〜From Etsuko #005--ハロウイーン
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10月はアメリカの特別な月です。10月には不思議なことが起こります。まず、沢山のかぼちゃが突然スーパーマーケットに現れ、その後すぐ、骸骨や白い幽霊、黒い魔女などで家々が飾られます。私がいつも行くスーパーの店先にも、山のように大きなかぼちゃが置かれ、50センチ位?のが3ドルほどで売っていました。黄色と黒のテーマカラーの雑貨でお店は賑やかになります。仮装パーティーが始まり、人々は大きな火を焚き、面白い事をします。例えば、目隠しをして水の中のりんごを口だけで取るとか・・・それは月の終わり、31日の夜の事です。人々は中を刳り貫いてかぼちゃで顔を作り、火の付いたキャンドルを中に入れ、家の前に置きます。子供達は変わった衣装を着て、近所を歩き「trick-or-treat」(くれないといたずらするぞ)と言ってキャンデイーを貰いに来ます。

私のジャック・オ・ランタン:最初にしてはまずまずの出来だと自賛しています。玄関に飾りました。
私のジャック・オ・ランタン:最初にしてはまずまずの出来だと自賛しています。玄関に飾りました。
我が家も小さいかぼちゃを買ってきて「ジャク・オ・ランタン」を作り(出来栄えはともかく、思ったより簡単でした)家の中の棚に何日か置いていたら黴が生えてきてビックリ、やはり外に置いておくものでした。慌ててベランダに出したら、それが見えたのかどうか、3人の男の子がお菓子を貰いに来ました。普段着で、でも顔を黒く塗って少し仮装して。近所に子供がいないようで、まして、アパートの3階なので誰も来ないと思っていたのですが。 念のためお菓子を買っていてよかった。 友達の家には50人位来たとか、お菓子が足らなくて買い足したとか。 住宅街によって違いがあるようです。

オレゴン・コーストの小さなリゾート・ホテルの飾りつけ。
オレゴン・コーストの小さなリゾート・ホテルの飾りつけ。コンテストをやっていたみたいで、良く見ると随分凝った造りになっています。
私のReading/Writing Classの「Halloween」に関する教材を抄訳してみます。

なぜアメリカでこの様な事が行われるのか、この奇妙なハロウイーンの伝統はどこからきたでしょうか。重要なのはアメリカは移民社会であるということ、様々な違った習慣や文化がミックスされ国が形成されました。ハロウイーンはその良い例です。ハロウイーンの前身はSamhainというケルトのお祭りにさかのぼります。
ケルトは2千年程前にアイルランド、イギリス,北フランスにいた人達で、農業、牧畜で暮らしていました。食物が育つ季節をBeltane、長い冬をSamhainと言っていました。11月1日はケルトの冬の始まり、それは食物を探すのも難しく、長く暗く寒く住むのには大変つらい季節でした。それは死の季節。そして、ケルトの人々は10月31日の夜、亡くなった人の魂が帰って来ると信じていました。でも、他の悪い霊、魔女、幽霊、化け物などもうろついていました。人々は自分や、家族を守るため、大きな火を焚き、怖い仮面や衣装を着ました。良い魂(妖精)は食べ物を貰いに家々を訪れました。

西暦43年、ローマ人がケルトを征服し、彼らの文化と共に住み着き、彼らの収穫祭をRomanと呼ました。年月が過ぎ、RomanとSamhainが一緒になり、10月31日の祭りとなりました。それからさらに500年過ぎ、ローマカソリック教会が強力になり、異教徒の祭りを禁止しましたが、人々は屈しなかったのです。その後、大司教Gregory3世の時、11月1日を「All Saints' Day」と決め、それは伝統あるケルトの祭りとよく似ていました。そして、その後、これが一緒になり、「Halloween」と呼ばれるようになりました。「hallow」は古いイギリスの言葉「halgian」からきていて、尊敬、神聖などの意味があります。

近所の家。
近所の家。ご主人が一生懸命に飾り付けをやっていました。かぼちゃだけではなく、骸骨、魔女、幽霊、クモとクモの巣など満艦飾です。大勢の子供が訪れたことでしょう。
17世紀始め、ピルグリムス・ファーザーズと呼ばれた人たちを初めとして、イギリスの開拓者がアメリカ東北部のマサチューセッツ、バージニアに移住しました。でも、プロテスタントの厳格な風習で多くの祭りはしませんでした。しかしアメリカの人々は厳しい開拓生活の中で、共に集まって過ごすことを好み、一緒に食物を作ったり、キルトを作ったりしてお祭りをしました。
その後、アメリカは工業化され始め、人々は町へ行き、田舎の祭りは無くなりはじめたが、19世紀初め頃、多くの移民がアイルランド、その他のヨーロッパの国から「All Saints' Day」と共にアメリカに移住してきて、新しい社会を作りはじめました。次第に、多くの町や市は、ハロウイーンを自分たちの生活カレンダーに組み込みだしました。そして、1920年、ニューヨーク、ロスアンゼルスなどの大きな市が、おおやけにハロウイーン祭りを祝ったのです。 このようにして、ハロウイーンの習慣は今も続いています。 古代のケルトの習慣のように・・・

アパートのお向かいさんの玄関マット。
アパートのお向かいさんの玄関マットも、ハロウイーンです。 このように外に何か飾ってあるのは、「どうぞ、いらっしゃい」のサインになります。。
私たちのアパートの近くには、YMCAと中学校があり、子供たちが白雪姫になったり、虎の縫いぐるみを着たり、開拓時代の衣装を身に着けたりして、登校しているいるのを見かけました。学校とか職場とかでは、夜遅くまで、中には徹夜で大騒ぎをしている人たちもいるようです。夫の学校、私の学校、共にいろいろなグループで、催し物があり、お誘いもあったのですが、「若者のペースには、チョットとね」との感じで、かぼちゃの煮物、かぼちゃのスープと、かぼちゃづくしの夕食を自宅で食べたくらいでした。
31日のハロウイーンが終わって、11月になったとたん、初霜、初雪、そして、初氷と冬の足音が攻めてきて震え上がりましたが、ほんの3日程度のことで、今は晩秋の寒いながら穏やかな日々になっています。

2003/11/08-from etsuko
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