熊野古道・紀伊路 (6) ”切目から紀伊田辺まで”

実施日:2008年10月12日(日)
コース: JR・切目駅〜切目中山王子〜榎木峠(100m)〜岩代王子社〜(岩代駅)〜千里王子社〜三鍋王子社 〜
      JR・南部駅(中間ゴール)〜芳養王子社〜出立王子社〜JR・紀勢本線・紀伊田辺駅
距離:  南部駅(中間ゴール)13km
      紀伊田辺駅 25km
高低差: 100m

 

新大阪駅発6:29の紀伊田辺駅直通快速(4両編成なので我々だけで結構な人数)にのってスタート。3時間ほどの列車の旅です。途中の駅から続々と仲間が乗ってきます。一般客が少なくなってから参加受付を始めてそれぞれグループ印のバッジを帽子につけます。朝が早いので車内で朝食にする人も多く、私もお仲間に。

やっと切目駅に到着。お尻が痛くなる頃でした。駅から集合場所までがいきなりの急坂です。ここの高低差は勘定に入っていなかったんじゃないの?長い距離ではないのですが上りきったみんなの顔はもう十分という感じ!
標識は中山王子・足の宮さんと書かれています。ん?

足の宮の由来:
昔一人の山伏が熊野詣りの途中、島田まで来たところで足が悪くなった。今の井尻谷のある辺りである。痛む足を引きずりながら山伏はやっとの事で谷の入り口までたどりつぃたがとうとうそこで命絶えたという。山ぶりの例は里人らによって懇ろに弔われたが不思議なことに埋葬した頭の上に大きな石が出てきた。

人々はそのことに霊力を感じ、その遺書を祭神として祀り足痛を治してくれると信仰するようになった。
土地の人々からは”山伏さん””やまっさん”とあがめられている。明治の末、神社合祀のとき、熊野九十九王子の一つである当中山王子社へ合祀されたが、後本隊は名杭の集落の外れにある。各地からわらじや草履をもっておまいりするひとがおおい。又備えている草履を頂いて帰る人もいる。〔案内板より)

 

有馬の皇子結びの松

磐代の 浜松が枝を引き結び 真幸くあらば また還り見む
(万葉集2ー141)

これは謀反の疑いをかけられ、藤白坂で殺された有間皇子が岩代の地で詠んだ歌です。

明日をも知れぬ自分の命を思いながら、護送される旅でのことでした。皇子は、岩代の松の枝を引き結び、すがるような気持ちで行く末の無事を祈ったのです。しかし、その祈りは遂に叶うことはありませんでした。

皇子が松の枝を引き結んだ場所には「結」という地名だけが残りました。眼下に青々と広がる千里浜の美しい光景も、皇子の目にはさぞかし無情に写ったことでしょう。

(新紀州語り部のたびより)

岩代王子への途中の素晴らしい海の眺望です。今回はほとんど海と共に歩みますが残念ながら天気がよすぎて海の青さ・蒼さ・藍さが飛んでしまっているのが残念!

 

自慢の梅干

千里王子社への道で梅干つくりを発見!道の直ぐ近くだったので一足敷地内侵入してパチリ。見事でおいしそうでつばをゴックン。

”写真撮るだけやで!”危ないっと見た仲間から声が飛ぶ。

分かっているわよーだ!・・・それにしてもおいしそうだった。

この家の玄関前を通り過ぎるとき、笑いをこらえているご主人を発見。ごめんなさい、ご心配をおかけしました。

梅干好きな私としてはお気に入りの写真です。満足!

 

千里浜にでました。私は一目散に走っていって海に手を浸します。暖かな綺麗な海水です。海に行くのも手を浸すのも本当に久しぶりです。何年ぶりかな〜?今回2度目の満足!でも仲間は無情にもさっさと行ってしまいます。

今回も99%舗装道路を歩きましたが、千里海岸から千里王子へ向かう、ほんのチョットの土の道を歩くことが出来ました。

千里王子、花山院、千里観音などここら辺がごっちゃになって分からなくなってきた。

右の階段を上がると展望台があってそこでランチになりました。生憎日陰は無いのでみんな木陰を探して広く散らばるため、連絡するスタッフは余分の歩数を余儀なくされました。

とくに三鍋王子の矢印の次の写真が何だか分からない、ごめんなさい。

 

 

三鍋王子社と小栗井戸の井桁”です。

小栗井戸の井桁:
喉の渇きを覚えた小栗判官が飲んだ井戸水とされる「小栗井戸」の井桁だけがあり、保存されている。 〔案内板より)

 

芳養王子社です。

ここへの道でお祭りの行列に出会いました。ラッキー!
太棹は長い竹です。太く、細く、とてもしなるので大変です。おまけにお酒が入ってほろ酔い機嫌!

交通整理のおまわりさんも楽しそう。ドライバーもあせらずのんびりやり過ごします。お祭りは楽しみましたが、みなさんの楽しみを邪魔してはいけないとの配慮のため芳養王子社は見上げただけでした。

 

 最後の出立の王子です。

出立王子は熊野九十九王子社の一つで、田部王子とも呼ばれました。古くから熊野詣の人々の信仰を集め、例えば藤原宗忠の日記”中右記”には天仁2年(1109)の熊野詣の途中、宗忠一行がここへ参拝したことが記されています。熊野参詣での道はこれより中辺路と呼ばれる山沿いのコースをたどり本宮へと向かいます。 〔案内板より)

 

5時17分の列車で帰宅です。

1時間に1本しか有りませんので皆急いで歩きます。おかげで余裕を持って紀伊田辺駅に到着。駅前の商店をブラブラ見る人、買い物する人、駅に急ぐ人。

スタッフも感嘆に反省会をしてこの列車に乗り込んだとか。

又もや素晴らしい夕日に出合いました。残念ながらいりこんだ湾での夕日には間に合わず、列車スタート直後の夕日でした。このあと、高校生だと思いますが、弓道部の生徒がきりりとした袴と草履姿でドット乗り込んできました。

若さ溢れ、清潔感のある、きりっとした姿は久しぶりです。会えてよかった。楽しく歩いておまけに夕日と若者のプレゼント!感謝します。 

 

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