教育行政・理念を中心に見た戦後教育史

 

注1 トピックを中心にまとめてあるので必ずしも年代順ではない。

年月

主要時事

主なトピック

トピックの内容 / 政府・主流の動向

非主流の動向 / トピック補足

外国・国民 / 備考

1945

8月15日

敗戦

 

文部省

 新日本建設教育方針を公表 9月15日

 国定教科書から戦時教材削除を指令 9月20日

 銃剣道、教練の全面停止 10月3日

 

教科書の墨塗りが始まる。10月

≪日教組≫

全日本教員組合結成 12月1日

GHQ 10月22日

 日本教育制度に対する管理政策を指令

GHQ 11月18日

 航空機研究、教育の全面禁止

GHQ 12月31日

 修身・歴史・地理の授業停止と教科書全面回収を通達

1946

『戦後民主化』

教育勅語擁護論

 田中耕太郎学校教育局長

 安部能成文相

  

日本側委員会

 人間性を基礎として自主的、批判的精神をもった平和的・文化的な国家・社会の形成者としての精神を取り入れ新詔書の奏請を考える。

世論は反対が強く勅語としての形式に反対。結局詔書は出されることなく教育刷新委員会に先議事項として引き継ぎ。

 

 

米国使節調査団は教育勅語の廃止については触れていない。

1946

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月7日

米国調査団に協力するため日本側教育家の委員会設置

3月5.6日

米国教育使節調査団来日

 

 

 

5月3日

全日本教員組合は全日本教育労働組合と改称

7月7日

教員組合全国連盟結成

 

憲法改正

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憲法問題調査委員会

 幣原内閣 松本烝治国務大臣中心

 天皇の統治権など帝国憲法とあまり変わらず。

政府案の教育条項

 国民主権・象徴天皇・戦争の放棄

 国民は全て法律の定むる所によりその能力に応じて均しく教育を受くるの権利を有すること。国民は全てその保護に係る児童をして初等教育を受けしむるの義務を負うものとしその教育は無償たること。

各党の教育条項

 日本自由党

  統治権の主体は日本国家、総攬者は天皇

  国民の権利は思想、言論、信教、学問、芸術の自由は法律を持ってするも猥りにこれを制限することを得ず。

 日本進歩党

  教育条項は特になし。

 日本社会党

  主権は国家にあり統治権は一部天皇、主要部を議会。就学は国民の義務なり、国は教育普及の施設をなし、文化向上の助成をなすべし。

日本共産党

  天皇制を廃止し人民共和国とする。主権は国民にある。すべての人民は教育をうけ技能を獲得する機会を保障される。初等、中等教育は義務制で費用は全学国庫負担、企業家はその経営の便宜のために被傭者の就学を妨げない。

そのほかに個人や団体から多くの草案が出される。

マッカーサーの草案そのままが日本の政府案ではない

<国会審議>

国家は教育権を妨げてはならい。

学問の自由は人間の本質に基づいて誰にでもある。

 

「能力に応じて」とは親の財政力により不公平が生じるのでは、という意見に対し「能力があっても学問ができないようなことがあってはならない」との趣旨である

 

学問の自由に含まれる教授の自由については教授活動に関する「条理上の制限」がある

奨学措置への言及はあったが障害者に対する言及はない。

 

 

 

 

 

象徴天皇・戦争放棄・貴族制の廃止を軸にして草案を作り日本側に要請。

 

マッカーサー草案の教育条項

Article XXIV Free, universal and compulsory education shall be established. The exploitation of children shall be prohibited.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1946

8月10日

教育刷新委員会設置

10月7日

日本国憲法国会通過

11月3日

日本国憲法公布

 

全日本教員組合協議会結成

教育基本法の準備

教育根本法の制定計画

 憲法における教育条項の審議の中で教育勅語にかわるものとしが必要だという要望が出た。政府は教育勅語を擁護する意見が強かったが勅令ではなく国会でこれを定めるべきだと答弁する。教育権の独立について現在計画している教育根本法で考慮してみたいと答弁

教育の政治的、官僚的支配からの独立に関し答弁があった。

 

教育刷新委員会 8月9日

 委員長安部能成前文相 翌年からは南原繁東京帝大総長

 

教育刷新委員会 第一特別委員会

 主査 羽渓了諦竜谷大学長

 「教育の理念および教育基本法に関すること」の建議採択

 11月29日

1.勅語ではなく「教育基本法」制定の必要性

2.教育の目的と方針(第1、第2の原型)

3.由来、趣旨を明らかにするために前文を設ける

      従来の教育が画一的、形式的であった欠陥を明らかにする

      新憲法の改正に伴う民主国家は教育の力にまつべき

      憲法および他の法令との関係を明らかにする。

4.必要条項

      教育の機会均等、義務教育、女子教育、社会教育、政治教育、宗教教育、学校の性格、教員の身分、教育行政の9項目を取り入れるべき

5.内容には総会、各特別委員会の審議の結果を取り入れる。

6.文部省に対し原案の作成を要請

<審議・要望>

新しい教育の根本を規定するものは国家を以て、その実質が定められなければならない。

民主的な新しい教育理念、或いは教育の指標、或いは文教の根本精神の宣明を、この憲法の1箇条として設けていただきたい

 

組合代表は要求の末1名参加

学者、専門家を重視、組合は軽視

 

 

左記の後

文部省官房審議室を中心に作成

 <修正点>

      人間性の開発→人格の完成

      女子教育→男女共学

      教育の自律性が削除

      前文に入れると要請のあった従来の欠陥が削除

      学校の性格と教員の身分を統合して学校教育とする

 

審議の速さは異例に早かった

 

1947

3月31日

教育基本法公布、即日施行

教育基本法の成立と影響

 

前文

 民主的で文化的な国家の建設と世界平和と人類の福祉への貢献という憲法理念の実現は根本において教育の力に待つべき

 個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす

目的

 人格の完成、平和的な国家および社会の形成者として真理と正義を愛し、個人の価値を尊び勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成

方針

 あらゆる機会にあらゆる場所で実現、学問の自由の保障、機会均等

 人種、信条、性別、社会的身分または門地によって差別されない。

 義務教育の9年制と授業料不徴収、男女共学

学校教育、社会教育、宗教教育の規定

 教員は全体の奉仕者

教育行政のありかた

 教育が不当な支配に服することなく国民全体に対し、直接責任を負って行われるべきもの

基本法としての位置

 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合は適当な法令が制定されなければならない。

 

意義

1.民主主義国家の教育のあり方を定めた教育憲法としての理念

2.天皇制教学体制とは異なる人間の基本的権利としての教育の位置づけ

3.教育基本法は議会で決定され法律として公布された

 

国民の側からの権力の教育運営の規制原理を明示

国民の反応

 特別の盛り上がりはない。こうしたものはお上が決めることという意識がまだあった。

教師への勇気

 ある学校長はむさぼるようにして読み、学校長としてんの心構えの土台となったという。

 

教育勅語は基本法制定後15ヶ月たって姿を消す。時間がかかったのは新旧の考えが交錯していた証

 

1947

 

基本法制の形成

教育基本法の趣旨の具現化

 

 学校教育法 3月31日

 教育委員会法 公選制教育委員会制度 7月15日

 文部省設置法 49年5月31日

  指導助言を主サービス機関として文部省を位置づける。

 私立学校法  49年12月15日

  自主性を重んじ公共性を高め、私立学校の健全な発達を図る

 教職員免許法 49年 5月31日

  新教育の精神及び方法を体得し、その職務の重責を果たすに足る十分な資質と能力を有する教育職員を得るために

 教育公務員特例法 49年1月12日

  教師の研修の機会の充実、大学の自治

 社会教育法 49年6月10日

  社会教育委員、公民館の設置、学校の施設利用、通信教育

  国、地方公共団体は社会教育関係団体の求めに応じ、指導、助言、援助を与え不当に支配や干渉を与えてはならない。

  

国や地方公共団体は援助をしても支配や干渉をしてはならないという基本法の姿勢が見える。

 

 

 

地方自治法公布

4月17日

地方団体の自主性の強化と地方分権の徹底、教育の地方分権化

 

 

 

 

改正民法

12月22日

憲法13,14条委個人の尊厳と両性の本質的平等に基づき婚姻による共同生活体を全ての家族関係の出発点とする。

「家」制度の廃止、子供は親の権力から解放され、自由と権利の主体として育てる教育の土台ができる。

 

1947

 

教育制度の改革

単線型体系の採用

 

学校教育法成立

3月31日

 

学校教育法施行規則

5月23日

不平等で階級的な「複線型」から民主的な「単線型」体系に再編成する課題が生じる。(戦前にも6.3制構想はあった)

教育刷新委員会の建議 46年 12月 6.3.3.4制が採用

 

文部省が上記の建議を受けCIEと折衝し、案を作成。47年1月17日の閣議に草案を提出予算面で多難であったが31日公布翌日施行

審議中に一般の人からの教育制度の改革を骨抜きにするなと手紙が600万通もきたという。

 内容

1.国家主義を改め真理の探究と人格の完成を目標とし、心身の発達段階に応じて適切な教育を施す。

2.中央集権を改め地方分権をすすめる。高校以下の学校は都道府県に監督を委任。教科書検定も都道府県レベルに委任する含みあり。

3.大学は可能な限りの自治の保障。

4.機会均等のため夜間学校、通信教育の制度化。

5.私立学校は法規上の間接監督にとどめ、自由な発展を保障。

問題点

1.盲、聾、養護学校の義務化の見送り

2.教育委員会を予定した「監督庁」は「文部大臣」に

<46年度統計>

学校在籍者 1790万人

初等科児童 1025万人 6割

残り76万人の内高等学校、専門学校、大学で高等教育を受けていたものは5パーセント弱

70パーセント弱が国民学校高等科、実業学校、青年学校、実業補習学校という行き止まりの学校で学んでいた。

<真剣にして悲壮感溢れる国会>

6.3制47年度実施予定の初年度予算要求75億円は財政難のため全額削られる。「子供たちに対して教科書も与えられない状況」を思い、涙を流す場面もあった。

<高等学校と青年学校>

青年学校は次の点で意義を持っていた

      男子については義務制を予定していた。

      軍事訓練的な色彩が濃くなったが勤労青年の重要な教育の場であった。

新制高等学校に統合されるが

「全入、無償、勤労重視」の考えは引き継がれる。

米国使節調査団報告書

46年3月

学校体系について義務教育として延長された3年を初級中等学校とし、続く3年を上級中等学校として6.3.3制の体系を勧告する。

大学を4年とする勧告はない。

 

新制の前年国民学校高等科就学率(46年)

 第一学年

   93パーセント

 第2学年

   86パーセント

 

 

 

教育行政改革

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文部省の改廃案

 

 

 

 

 

 

文部省の改革 46年10月

 学徒動員、専門教育、国民学校、教学、科学の五+大臣官房

 学校教育、社会教育、科学教育、体育、教科書の五局+大臣官房

 文部大臣も政治家、行政官から学者、文化人が選ばれるようになり

 専門分野別の研究活動もみられるようになった。

官僚機構の改革

 日本側委員会 46年

  「教権確立問題に関する意見」

      学校に対する文部省及び地方庁の監督権を縮小し、その発する指示、命令は大綱に止むること。

      かわって府県に地教育委員会を置くこと。

 

文部省は行政から教育行政を切り離し、専門家支配の意向がある。一方使節団報告書ではレイマンコントロールの意向があり、ギャップは存在した。

文部書は48年6月10日アメリカ型を採用し、閣議決定

 

教育刷新委員会の建議 46年〜48年

「教育行政に関すること」

      公正な民意の尊重

      自主性の確保と地方分権

      一般行政から独立し、且つ国民の自治による組織でおこなうために公民の選挙による教育委員会を新設する。

      文部大臣の諮問機関である中央教育委員会を設置

      中央教育委員会

各職代表50人で構成、この委員会の諮問を経て、文部大人は教育文化の基本方針や予算、基準などの権限を行使する。さらに次の建議ではさらにこの委員会の権限を強化策を示す。

      文部省を「文化省」に統合、さらには文化省から「学芸省」かえる案を出す。文部省は純然たる世話的な学芸賞に転化させ、内閣総理大臣の管理のもとに学校教育関係の事務を掌握する「中央教育委員会」を設けることを考慮するべき

      しかし、理想であって現状にあわないとし、文部省の考えを取り入れ最終的には文部省を改称すべきかどうかは今後の具体的研究に待つとした。 48年 6月

結局内務省は廃止されたが文部省は残ることになる。

《全日本教員組合》

文部省縮小論

      文部省は教育のために最大の予算を編成することが唯一最大の任務

      教育の内容に干渉しない

 

組合側の教育委員会の構想

      学区単位の委員会を設置

      父兄、教師、文化人、他の組合代表者、さらにできれば生徒代表も構成員になる。

単なる公選制ではなく、組合員、国民中心の構想

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文化省に対して文化の実体に干渉してはならないという反対意見があった。

 

<米国施設調査団>

レイマンコントロールの思想

      文部省の行政的管理権の縮小

      教育課程編成権、人事を公選制教育委員会に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文部省

<存続した説(不確か)>

      文部省の全国的な統制力を占領政策に活かそうとした総司令部の意向もあった

教職員組合が予算を獲得、教育条件整備のためには文部省があった方がよいとして司令部に陳情にいった。(朝日新聞)

1948

 

教育委員会法の成立

7月15日公布

      教育委員は都道府県7人、市町村5人、うち一人は議会選出の委員、残りは住民の公選

      任期は4年、2年ごとに半数改選

      教育庁は教職免許法に基づく教育庁免許の保有者、当該委員が任命

      指導主事は教員に指導、助言を与える。ただし、命令及び監督してはならない。

      都道府県と市町村の間に上下関係なし。

      他の行政部に対し財政上独立

   委員会が送付した歳入歳出の見積もり書を減額するときは長は委員会の意見を求めなくてはならない。また減額した時は元の見積書の詳細を予算案に付記するとともに議会における修正(復活)にそなえ、財源を留保し、その旨明記する。

3本柱

      地方分権

      素人統制

      教育行政の独立

 

 

地方公共団体の長からすれば厄介なものであった。

 

 

 

 

 

文部省設置法の成立

49年5月31日

      文部省の機構簡素化

      従来の中央集権的監督行政の色彩を一新して教育、学術、文化のあらゆる面に対して指導、助言を与え、助長、育成する期間

チェックアンドバランス方式(相互抑制方式)

 管理的行政事務と専門的技術指導助言事務を明確に分け、行き過ぎをお互いに押さえあう。

指導助言とは 〜審議の中から〜

 すべてのことを強制的におこなわないこと。法令に基づいて基準を示して、指導する。求められた場合について指導助言を与える。

戦後教育の官僚管理体制の第1歩と見る声もある。

1949

 

「物が無い」中、新制学生のスタート

            小学校    中学校

2部授業の実施       13,908        3,268

講堂等を教室に            2,888        3,342

物置、廊下を教室に        3,888        3,090

仮校舎の利用              3,927       12,307

教員不足と過負担 当時の教師が負担におもう原因

  「静粛にさせる指導」「父兄との連絡」「校外における生徒組織の強化」

世界的に類の無い異例な速さの教育改革

      国民の教育に対する熱意・関心の高さ

      上からの一斉、画一の変革

      占領軍の圧力

インフレが進み生活も苦しい中強制的に寄付金を募る自治体が多くなる。一方で辞職する市長村長も多かった。

職員生徒が一致団結して学校建設のために建設貯金やイナゴ取り、養兎などをするところもある。

 

新制国立大学の発足

 5月

教育職員免許法公布

 5月31日

教員養成制度の改革

48年当時の教員養成諸学校

 高等師範学校、女子高等師範学校、師範学校、青年師範学校、教員養成専門学校、臨時教員養成所、実業学校教員養成所

教育刷新委員会            ↓

学芸大学、教育学部へ しかし、開放的か、閉鎖的かをめぐり次のような対立があった。

 旧帝大派

  本当の学問をしたものが本当の教師になるのであって教員養成のために特別の大学や学部は必要ない。

 旧師範学校派

  大学レベルで教員養成の必要はあるが教師には特別の教養や技能が必要、従って、大学内に特別な学部、課程が必要。

現実には教師、学校が不足していて安定した供給機構が臨まれ特別な機関が残ることになる。

新しい学芸大学の位置づけ

教員養成にとどまらない「新しいリベラルアーツの教養教育を目指す」

これまで国家統制の元、「師範養成」として「学問」からは疎外されてた教員養成にこれまでにない視点が加わる。

しかし、予算は旧帝大の学部に比べ少なく設備、図書、教育条件は劣悪であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国定教科書と検定教科書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教科用図書検定規則

48年2月

臨時措置法

48年7月

 

 

 

 

 

学校教育法21条

「監督庁の検定、もしくは認可を経た教科用図書、または監督庁において著作権を有する教科用図書を使用しなければならない。」

 

しかし、検定制はなかなかすすまない。

教科書制度改善協議会答申(地方選出委員が中心) 47年発足

1.編集発行に対し機会均等

2.教師の積極的な参加

しかし、細目では民間人より文部省による編集が先、全国共通の教材に重点を置く

一方この答申の3日前に「教科用図書の検定公開について」では

 一般の教科書著作に検定の道を開くことにする と発表。

教科用図書委員会発足(38名中14名が組合関係者)

 国定教科書を廃し、検定の実施へ 

 その図書が教育基本法及び学校教育法の趣旨に合し、教科用に適することを認めるものとする」

 

教科課程の構成に応じて組織配列された教科の主たる教材として、教授の用に供せられる児童または生徒用図書

社会科教科書「土地と人間」

 土地の封建的所有に縛られてきた農民の姿を認識する視点が欠落している。

国語科教科書「おはなをかざる。みんないいこ・・」小学1年

 「空疎な明るさ」小田切秀雄

自らの手で教科書を編成したい教師もいたがそうはならず。

 

 

政府は学校教育法で国定制を廃止したが、実質的それを継続しようとする意図があると批判

 

その後の教科書裁判で争点となる

 

教科書とは

「主たる教材」としての位置づけ

 

実際に下からの改革をめざす人たちは次のような不安を持つ

      検定になっても基準は文部省にある

      教育委員会に検定の権限があっても官僚統制がおこなわれる

社会の矛盾に目を向けさせるより相互依存を強調した学習指導要領

教師自らの教科書批判がなくてはならないという提言があった。

 

<アメリカ教育使節団>

教科書の作成や出版は一般競争にゆだねる。という原則を示す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学習指導要領のはじまり

学習指導要領一般編(試案) 47年3月 12月までに各教科編を発刊

 従来は政府の決めたことのまま現場で実行されてきたが今度はむしろ下からみんなの力で作り上げてきた。

<学習指導要領の内容>

      学ぶのは児童だ

      子供の自発性を尊重

      活動の興味

      生活の必要

      問題解決能力の重視

 

戦前の指導方法の反省にたった、子供中心、生活体験重視のものであった。

<指導要領批判>

安易な児童中心を排し、子供たちが実践による検証を通じて真理、真実をめざし、成長していけるような指導方法を模索する。

「・・お空の星を眺めれば、我々に解決の道を与えるであろう・・・」

6年国語に対し、必要なのは科学的教育であり、生活現実や実践を土台にして教材にも疑問を持ち、批判できなくてはいけない。調査活動と材料の正確な分析、さらに発表、学級討論までを考えた。

 

1949

『逆コースの時代』

文教審議会

 5月

 

吉田首相が私設諮問機関として設置

 教育勅語に変わる教育宣言を出したいと主張

 愛国心、紀元節の復活の要望

背景には日本の再軍備があった。

<占領政策の転換>

朝鮮情勢の影響

1950

朝鮮戦争勃発

6月25日

警察予備隊令

8月10日

 

朝鮮人連盟解散 49年9月

朝鮮人学校閉鎖事件

 

マッカーサー年頭挨拶

 憲法9条の解釈で自衛権の存在を強調

1951

サンフランシスコ講話会議

9月4日

サンフランシスコ体制の成立

日米安全保障条約の締結 日米行政協定

アメリカの治外法権、特権を許す。

警察予備隊に旧軍人の大量入隊、アメリカ式に教育

 

 

 

 

中央教育審議会の設置

11月12日

教育刷新委員会の後を次ぎ文部省に恒常的な諮問委員会として設置

目的

文部大臣の諮問に応じて教育、学術または文化に関する基本的な重要政策について調査審議し、これらの事項に関して文部大臣に建議する。

間接任命制や政府に対する自主性が考慮されていたにも関わらず、文部大臣による直接任命制が取られる。

委員は20人以内 任期2年 専門委員を置くことができる。

 

当時他にも

 教育課程審議会、学術奨励審議会、文化財専門審議会などがあったが中教審が上位にあった。

問題点

      高齢者に偏りすぎ

      教職員組合の推薦者はいなくなる

      親、教師の発言が考慮されない

      財界代表が加わる

教育刷新委員会はバトンタッチの際に、「教育刷新の基本精神を堅持して、慎重に審議すべき」ことを要望する。

 しかし今後は「政府の御用審議会」としての性格が強くなる。

1952

警察予備隊保安隊に改組

吉田首相 保安長官になる

吉田首相 議員総会にて

「日本の再軍備は一日にして成らない。・・日本の歴史が万国に冠たり、日本の国土が世界でもっとも美しいことを青年に徹底的に教育してこそ初めて愛国心が養われる。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天野文部大臣の就任

50年〜52年

 

日の丸・君が代問題

学校の祝日行事に「国旗」を掲揚し、「国家」を斉唱することが望ましい。周知徹底の通達

修身教科特設の主張

 人生論や思想問題を主とする教科

文教懇話会 50年11月

 社会科の中で道徳的な事柄を強化する。

 道徳教科を主体とする教科を設けることは好ましくない。

文部省は特設を断念、教育活動全体で道徳教育を行うという手引き書を公表した「道徳教育の手引要綱」51年 4月

国民実践要綱の提案

 文相は「一般の道徳的基準になるようなもの、個人、社会、国家というような、天皇の象徴性というようなことを国民に理解していただく参考になるものを示したい」と要望

 読売新聞に文相案がスクープされる

 「天皇が道徳的中心である」と明記されていた。

 その後公聴会等で反対され要綱の刊行を断念する。

《日教組》 新国歌制定運動

 君が代を国家として歌わせることに反対。君が代を国家として存続する方針を改め、新憲法に基づく主権在民の原則に立った新国歌制定の申し入れをする。

 

 

 

 

 

 

当時一般家庭では国旗を揚げるのは2割程度であった。

 

この時は文相も申し入れに賛成を表したという

<青少年の非行の急増>

 非行件数は45年を100として49年には344まで上がった。

また当時の保護者は学校でのしつけ、厳しさを求めた。しかし天野文相の道徳教科論に国民はあまり賛成しなかった。

 

 

 

文部省内部部局の再編 7月

      権限の強化

      地方分権の行き過ぎの是正

      チェックアンドバランス方式の廃止、行政の一元化

指導助言の拡大、調査、企画範囲の拡大  大学、研究機関にも

勧告の追加

 地方公共団体、都道府県知事、教育委員会

将来学習指導要領は地方の教育委員会に委ねる含みがあったのを取り消し(付則6項但し書きの削除)

文部省は再び中央監督庁としての性格が明確になる。

 

 

 

 

愛国心教育

 

 

 

 

 

社会科学習指導要領の改訂へ

文部大臣が 岡野清豪氏に変わっても愛国心を強調する路線は変わらず。

 文相「生活道義」科の新設を説く、吉田首相も総合社会科を解体して「地・歴」を復活し愛国心教育をすすめようとする。

教育課程審議会に対し   52年12月

 社会科の改善、特に道徳教育、地理、歴史教育についての諮問をおこなう。

 「基本的人権の尊重を中心とする民主的道徳の育成」は次のように変わる

 「社会公共のためにつくすべき個人の立場や役割を自覚し、国を愛する心情を養う。」

 

 

 

 

民間教育団体は

「社会科問題協議会」を結成して反対運動をする

 

MSA(日米相互安全保障法)

51年10月制定以後アメリカは日本が再軍備すれば援助をおこなうと示唆

 

1953

 

池田・ロバートソン会議

日本政府は教育及び広報でもって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長するとアメリカに約束する。

 

 

 

 

教育制度の手直し

教育制度の改革に関する答申 51年11月

1.      6.3.3.4制は維持

2.      中学校以上で普通課程に重点をおくものと職業課程に重点をおくものにわける

3.      大学も専門的職業教育や教員養成を主とする2,3年の専修大学と4年生大学とに分ける。

4.      教科内容の画一化を排し、弾力性を持たせる。

5.      生活経験カリキュラム方式に偏ることをさける。

6.     教科書は検定を原則とするがバラエティを持った標準教科書を国家で作成する。

7.     公選制の教育委員を任命制に改め、文部大臣の責任体制を明確にする。

8.      大学の自治を尊重しながら管理の具体的方式を考え、会計については特別会計方式を採用する。

9.      各種教育関係審議会を整理統合する。

10.教員免許制度を単純合理化し、高校以下の教員確保のために奨学金制度を確立する。

 

左記答申に対する批判

      普通課程と職業課程をおくのは頭と手の分離

      前近代的、非民主的な日本の経済、政治組織に教育を奉仕させようとしている。

      教育による人権の確立に極めて冷淡

      社会の階層性を助長

      産業構成の上下関係を教育にわりつける

      教員養成は旧師範学校にもどる

      能率と経済を重視し、民主化の意義を軽視

マッカーサーの後任リッジウエイの声明 51年5月

「日本政府は現行法令再審査する権限が与えられた」

<日経連の要望>

実業高等学校の充実

産業人養成の教育

早稲田、同志社に寄付講座の設置

5年生の職業専門大学

6年生の職業高校

専門教育の充実

理工系の充実

高校コース制56年、私立理工系大学への補助金58年等に具現化される一方で能力主義教育のはじまりでもあった。

1954

保安隊から自衛隊に改組

レッドパージ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教員の政治活動の制限

小中高の教員約1700人がレッドパージにあう

「山口日記事件」 53年6月

 山口県の教職員組合の自主制作した教材「小学生日記」「中学生日記」が保護者から「偏向」していると教育委員会に訴えられる。

  問題箇所 ・再軍備と戸締まり・気の毒な北朝鮮・ソ連はどんな国か等。

 大達文相はこれが教職員組合の組織的、計画的な仕業と述べ、地方教育委員会、知事に注意を喚起。

中央教育審議会 54年1月

 高等学校以下の教員の政治的中立性維持を認める答申を発表

 日教組が教育の軍国主義化を確立するために躍起となっている反動陣営の文教政策に対決するというのはあまりに政治的と避難。

審議会委員の中にも反対意見の者がいた。

 前田多門委員(前文部大臣)

  日教組の行動は良いとは思わないが法律でもって組合の活動を制限することに承知できない。

  答申の「適当な措置をとれ」とは極めて漠然であってそれを政府が採用する以上いかなることもできるのは問題である。

《日教組》

再び教え子を戦場におくらない決意のもとに日常教育活動に努力を傾注する。

第18回中央委員会

平和4原則を堅持して運動する

      全面講和の締結

      軍事基地提供反対

      中立堅持

      再軍備反対

東京都占領軍

 教員の政治活動は教育基本法8条違反

占領軍デュッペル大尉の言明

 共産主義者は小学校教員としては不適格

CIE顧問

W.Cイールズ49年

 共産主義を信望する大学教授を排除すべき

日本を反共の砦とする

大学については関与しない

 

 

大達茂雄文相の就任(旧内務官僚)

12月

「日教組の動きの中に見られる組織的偏向教育が日本教育の障害」

とし、「教育二法案」の通過に努力。

旧内務省の官僚人事を進める。

 

 

 

 

 

 

 

 

教育二法案の成立

 

 

 

 

 

 

54年6月3日可決、即日公布

義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案

教育公務員特例法の一部を改正する法律案

旭丘教育事件

さらに「偏向教育の24例」が文部省から提出される。信頼性の乏しい内容であったが京都市立旭丘中学校では市教委が転任を教諭に命ずることがおき、教諭3人はこれを拒否すると免職になった。

後の学者で調査するとこの教諭らの実践は民主的な教育だと学問的に実証された。

一部修正後可決

 反対させるための教育→反対させる教育、刑罰規定を削る

反対運動の広がり

 組合だけでなく学会、校長会、教育委員、PTAからも反対の声

 

 全国教育委員長協議会の幹事会も「立法の必要なし」

 日本教育学会も批判的意見を出す。

教育二法案の影響

 施行後無言の圧力となる。

 実際にカリキュラム改編や社会科の授業内容に影響する。

1955

『合理化・能力主義、官僚統制の確立』

うれうべき教科書の問題

 

学力低下としつけの混乱

 

「学力観」の転換

は力足らず

 

民間教育運動

偏向教育の摘発は教科書にも広がる

 

 

1950年の子供の体力は30年ほど前に後退、学力も戦前より劣るという声が広がり、保護者の間には新教育に対する不満が増えた。子供の非行、犯罪も増え、「修身科」を望む声は3分の2程度あった。

保護者からは「最近の子供は集会運営は自分の意見をうまくいえるようになったが読み書き計算の力は落ちている」という声が広がる。

 

戦前の教育運動の流れを受け、新教育にとらわれない実践運動

・ 生活綴方 「恵那の教育」「山びこ学校」無着成恭 国分一太郎

      歴史教育者協議会 

      創造美術協会 久保貞治郎

      数学教育協議会  遠山啓 生活単元学習の批判

新教育の提唱者は「学力観」の転換の必要性を説くが保護者には充分な説得にはならなかった。

≪日教組≫

「ごっこ遊び」が所期の成果を上げていないことを指摘し、教科の大系を無視した学習指導要領に原因があるとした。

教育研究活動を開始 51年

教師の倫理綱領   52年

 

<学力低下の実態・同問比較>

小学6年生の算数

28,29年の5.6年生より低く、4年制程度、特に応用問題ができない。

 

 

教育三法案の提出

12月

1.臨時教育制度審議会設置法案

教育基本法改正を含め教育制度全般の改革を審議するために中教審とは別に内閣付属の審議会の設置。

2.地方教育行政及び運営に関する法律案

  公選制教育委員会の廃止、教育行政の集権化と能率化

  清瀬文相

  「教育行政については指導、助言、勧告の権利があるが教育内容についてはないのです。これらの1つの盲点を掘り下げて欲しい」

3.教科書法案

  教科書検定の強化

臨教審法案は通過

教科書法案は混乱の中廃案になる。

ところが実質的な部分が行政指導で実施される事態が起きる

 F項パージ(教科書調査員以外の意見)

  「太平洋戦争は日本の悪口はあまり書かないで、それが事実であってもロマンチックに表現せよ。」

<地方教育委員会の実体>

      農業関係者が多い

      ボス的人事支配も見られる

      住民に近づけ、民主化を求める気運も生まれつつある

発足当時の投票率は都市部では東京28.7パーセントと低い。平均は56.5%都道府県レベルでは教職員組合関係者が多かった。

1956

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地方教育行政及び運営に関する法律

強行採決

6月2日

自民党声明

「占領政策の重要項目として行われた従来の教育制度に対する国民の批判は極めて強い」ことにかんがみ「我が党は全国民の協力のもとに今次改革をあくまで断行する」

 

逐条審議が済まない段階での原案可決。

乱闘、警察官の本会議出動という空前の事態となる。

反対運動

      10大学長によって「文教政策の傾向に関する声明」

   教育の国家統制につながると批判

      日本教育学会、日本社会教育学会

   教育の自主性と創意工夫にあふれた活発な教育活動を抑圧する危険が著しい

地方の財政は厳しく、教育委員会は大きな負担でもあった。

 

戦後の教育行政の地方分権化、公正な民意の直接反映、官僚統制の排除という改革理念は消え、中央集権化、官僚統制、住民直接参加から遠ざかる方向に向かう。

1957

 

 

 

 

ソビエト

人工衛星打ち上げ成功

「スプートニックショック」

学校の管理体制

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勤務評定の実施

 

 

 

 

 

 

階級構造化

 

 

 

全国校長会 56年 10月

 清瀬文相

 「校長は毅然たる態度で教育の政治的中立を堅持するように・・」

 緒方初中局長

 「職員会議は決議機関ではないからあくまで校長の自主的判断と責任で意志を決定すべき」

 「校長は学校での教職員の服務を厳正にし、偏向した政治教育や違法の政治活動を厳に戒めるべき」

 

任命制教育委員会の発足

 地教行を根拠に勤務評定の実施 

愛媛県から始まる 教職員の定期昇給を7割に押さえ、成績主義の実施、組合活動の統制、分裂をはかる。

 

全国都道府県教育長協議会 12月20日

 公立学校教職員の勤務評定試案  翌年実施

  愛媛県教育委員会が最初に実施

  成績主義、非公開を原則

 

      教師自身のアピール権はなし

      参加研究会、所属団体名、役職名が秘密裡に記入される

 

      校長、教頭、主任、一般教諭の分類と序列化

      職員会議は校長の諮問機関(教育長の意見伝達の場)

 

 

自民党の日教組対策

 文部省の措置すべき事項

1.交渉的態度で臨まない

2.文部大臣の措置要求を適正に実施し、文部省の指導性を高める。

3.都道府県教育長をよく握って各種の措置を通じて服務の厳正をはかり、状況によって文部大臣は教育長の進退について事実上の措置をとる。

4.地方課を強化、拡充し、教育委員会を握ると共に教祖運動を主管する機構を整備する

5.視学官制度を拡充し、その態勢を整えて視学官の査察、復命を厳正にする。

6.教育研修会などの教育集会を文部省主催ないし、教育委員会と共催でおこなう。

 教育委員会の措置すべき事項

1.学校管理規則を速やかにかつ的確に制定し学校管理を厳正におこなう。

2.教職員の服務監督の強化をはかり勤務評定を励行する。

3.校長・教頭の管理職の立場を明確にし、その給与体系その他必要な措置を講ずる。

4.職員団体の専従職員も必要最小限にとどめ、ヤミ専従をなくす。

スプートニックショックによりアメリカを中心とする資本主義圏には危機感が走る。

国家主導による科学技術の振興、優秀な人材育成のためにエリート発掘、教育が急進する。

 

 

<高度経済成長と産業界の要求>

日経連

 「新教育制度の再検討に関する要望」 51年

 「新時代の要請に対応する技術教育に関する要望 56年

 

産学協同、能力主義が進む

 

1958

 

学習指導要領の改訂

内容・ねらい

      道徳教育の徹底、基礎学力の向上、科学技術の振興

      進路・適正に応じる教育

      国際社会において信頼と尊敬をかちうるような立派な日本人の育成

      国土に対する愛情、伝統・古典を重視し、君が代、国民的な愛唱歌が共通に歌われる工夫

「道徳」が特設され、「学校行事」が加わる。祝祭日に国旗掲揚、君が代斉唱を奨励する。

「能力・特性」に応じた教育課程の編成

<日本教育学会>

「教師の勤評問題に関する全般的見解」

      教育効果の向上のためには教育条件の整備こそが必要。

      勤評は学校内の民主的協力体制を弱め、教師を分断させる

      自発的研修と職能的倫理の確立、教師の人間性尊重が必要

 

<高度経済成長の弊害>

 TVの普及

 マンガ文化の普及

 核家族化と地域教育力の低下

 

 

教科書検定制の強化

 

教科書無償法制定

 62年3月

教科書法案は廃案となるが清瀬文相は省令等により文部省設置規則の一部を改正し、検定調査官40名をおくなど実質的に検定制強化をおこなった。

「義務教育諸学校の教科図書の無償に関する法律」

  69年には全学年に拡大する。

 教科書編集担当者は文部省令で定める基準に適合しているものであることと定める。

教科書発行者、編集者の資格は文部省の監督下になる。

現場教師の発言権は著しく制限される。

教科書は大手会社に集中することになり中学社会科について59年には30種類あったのが69年には8種類になった。

1959

 

社会教育法改正

各市町村に社会教育主事を置く。

補助金制度を開始

 従来の助長行政から指導行政に、また民間団体活動への介入と統制

 

 

戦後の財政難の時期を乗り越え財政力がついてくるとこれらを用いて地方への補助金や援助を進める一方で管理・統制化が進む。

1960

日米安全保障条約改定

国民教育運動

・学生運動、市民運動の広がり

≪日教組≫

国民教育は国民の教育要求に根ざして、それを組織化する運動であると同時に、教育要求を果たす主体としての国民を育てる教育、国民つくりの教育でなければならない。

・学力テスト反対闘争

・教育内容の自主編成運動

・教育研究活動 

この後革新陣営の分裂が続く

615日 

東京の高校生1000人安保反対集会、全学連国会突入東大生死亡

参加者 一万人を越え、20数分科会 国民教育研究所の設立57年

・高校全入運動、同和教育、障害児教育

1961

 

学力テストの実施

全国中学校一斉学力調査を実施

 中学2,3年を対象にして5教科のテストを全国一斉に実施。

 結果を指導要録に記入、保存

文部省の主旨説明

 教育水準の維持と人材の全国分布の調査とし、批判を受けた後は育英制度、特殊教育施設のための資料と説明

<学力テストの影響>

 地方では「工場誘致には学力テストの結果が一番」という声も出てきてテストのための授業や不正事件も起きた。

 

1962

 

教育「正常化」

 

 

小中学校教育課程研究大会

政府による日教組弱体化の動き

 任命制教育委員会・学力テスト・勤務評定等により中央官僚管理体制を進める一方で「教育正常化」の名の下に日教組解体への試みがおこなわれる。

文部省は日教組の日教組教研に対抗して行う。

 校長・教頭になる条件として67年まで続く

政府の方針が各教育委員会→校長会・教頭会→教職員への徹底という流れが確立していく。

岐阜県の場合組合員は1万2000人から2000人に減った。

 

1963

 

能力主義と産学協同

経済審議会「経済発展における人的能力開発の課題と対策」

      ハイタレント・マンパワーの養成

      中学・高校でもハイタレントの発見とプールの時期として重要

能力開発研究所が作られ「能研テスト」実施 69年度廃止

 

 

1965

アメリカ北ベトナム爆撃開始

家永教科訴訟

家永三郎 教育大学教授

六三年の検定で不合格になった

現行検定が教育行政の正当な枠を越えていると訴訟

70年杉本判決 東京地方裁判所

国家の教育権をしりぞけ子供の学習権教育の自由の原理を基調として家永勝訴

 

1966

 

期待される人間像

10月

中央教育審議会

      帰属社会への忠誠心と仕事への専念

      社会連帯の意識と社会奉仕の精神

      天皇への敬愛が日本国への敬愛につながる

      祖国を守る決意

戦後の教育基本法に見られる平和主義、民主主義への不満の中、当時の経済界の要求を聞き入れ作成される。

 

 

1968

 

教育統制の強化

 

 

 

 

 

 

後期中等教育の多様化

 

 

 

大学紛争の広がり

学習指導要領の改訂

 68年小学校 69年中学校 70年高等学校

      国家、社会の形成者として自覚をもった日本人の育成

      社会科と道徳の結びつき、神話(小学校)の登場

      政治、経済、社会は公民分野へ 国家、社会の成員としての自覚を強化(中学校)

      技能教育施設との連携措置、連携強化の増大

   工業の他、家庭、農業、商業、水産、看護等

      産業開発・国土開発と同調

   学力テスト等は労働力の確保、中央官僚体制の強化に役立つ

      高等専門学校の発足

   学校教育法改正 5年生工業専門学校設置 61年

東京大学医学部スト 1月 安田講堂に機動隊 69119

占拠・封鎖となる大学は43校に広がる(4割は国立大学)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

政府、財界、警察が一致しで弾圧

内紛、分裂もあり70年には沈静化

高校進学率の急増

      50年 42.5%

      61年 60%

・ 70年 80%

1969

 

 

 

 

 

 

 

新構想大学

 

 

 

学生運動を受け政府は大学にはもはや管理能力は欠如しているとして「大学運営に関する臨時措置法」設置

 文部省の大学管理能力強化を背景に「筑波大学」等を設置、教員養成大学にもこの方式を取り入れ、兵庫、新潟、上越などに設置、大学運営の管理・統制を強化した「筑波方式」は新大学構想に広まって行く。新教育大学もこの方式で管理職・人材養成のために現職のまま大学院にいく政府は特に「教員政策」に力をいれ、待遇改善を図るとともに政府によって管理された養成、運営体系を考えた

国立大学協会の反対

教育委員会の推薦がなければ現職教員は大学院に入学できなかったり、修了者の優遇に反対、これでは大学院が人事行政の手段に使われ、大学としての本来の機能を失い、教員研修に堕落する。

新教育大学の現職大学院派遣はその選抜方法や目的が不透明として日教組では当時希望を出さない運動がおきた。

1970

 

万国博覧会

 

大学入試制度改革案

 

 

 

 

放送大学

中央教育審議会

 1.大学毎の学力検査は実施せず内申書重視

 2.共通テストの実施

3.内申、論文、面接等も利用した総合判定方式を採用

見通し、予算的裏付けがないと批判される

 

放送大学準備調査会

 ・124単位 最低4年 1日2時間の放送講義 年10日から19日のスクーリング 多様な系とコースをおく。

≪日教組≫

国民の教育要求を結集した教育改革

教育制度検討委員会の設置

@      日本の教育はどうあるべきか

A      教育内容

B      機会均等

C      教職員の地位

D      学校以外の教育文化

E      地方分権

放送大学学園案

 81年 可決

 

 

OECD(経済協力開発機構)教育調査団来日

 

調査結果の見解

 ・大学間格差が大きな問題でこれを解消するには教授・学生がより多く交流すること

 ・日教組と文部省は対立することなくもっと話し合うこと。

 ・日本では学生の先天的能力の開発より選抜に重点をおく傾向があらゆる教育段階でみられる。

 ・権威の問題が生じるところでは相互の同意と協力よりも権力と強制の見地からこれらの関係をみることがあまりに多い。

 ・価値意識のある人を育てるだけでなく自分自身の価値体系を築き、生きる自主的な人を育てるべき

 ・教師や両親、教育関係者間のコミュニケーションを増大、改善すれば価値に対する教育と政治的思想教育との違いを認識させることができる。

同見解<中教審について>

・中教審は国公立大学の自治を委ねられた法人に再編成すべき

・教育の目的は社会的選別を行うものではなく個人の成長を有効に助長するものであるという認識をもつ

・価値観を教える教育が政治的教化と混同されないための具体的努力

・校種間、教員団体間等でのコミュニケーションの重要性

・教育改革にあったて当局、関係者の自由な実施

・計画の具体策、予算の見通し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教員超過勤務問題

自民党

国立及び公立の義務教育諸学校等の給与等に関する特別措置法案

 

 

 

 

 

 

教職員給与特別措置法 可決 71年 翌年施行

 日教組との会談 「超過勤務を命じ得る場合」

 ・生徒の実習、学校行事、学生の教育実習、職員会議、災害非常時

≪日教組・社会党≫

特別手当という形ではなく労働基準法の定めた超勤手当ての支給が本筋として反対

文相への要望

      修学旅行、時間外勤務の支給

      超過勤務手当の制度化

      無定量勤務を命じない

≪日教組≫

      超過勤務項目は文部省と日教組の協議で決定

      超過勤務に関しては労基法に基づく割増を支給

という修正案を出すが無視される

≪日教組≫

法案通過に反対し、早朝30分スト

 34都道府県294千人が参加

1971

『個性化・ゆとりの教育』

第3の教育改革

中央教育審議会

 「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」

      学校制度の多様化、中高一貫教育、個人の特性に応じた教育

      幼稚園の普及、障害児教育の普及

      教員の専門性と初任者研修

国家理想の実現のために国民に不可欠な教育を共通に確保するのが国の責任であるとする

 

社会教育審議会 430

 急激な社会構造の変化に対処する教育のあり方

  物質が豊かになった一方で個性の喪失、人間疎外、世代間の断絶

  地域連帯意識の衰退、交通災害、公害、自然破壊現象がある中国民は生涯の各時期に応じて新しい生活課題や学習要求をもつにいたり、あらゆる年齢層を通じて、絶えず自己啓発を続け、人間として主体的に、かつ豊かに生き、互いの連帯感を高めることを求めている。したがって、自己学習と相互教育を意欲的に高め、またその機会と場を豊富に提供する社会教育への期待に応ずるため・・」

  生涯教育の観点から社会教育の必要性を強調

社団法人日本経済調査協議会

 急速な工業化、能力主義の反省を受けて

      家庭、学校、社会教育の役割分担

      画一的教育の打破と国際化

      教職員の待遇改善と資質の向上

      企業における人間形成の尊重と学歴偏重の打破

      公正な産学協同の推進

      教育施設の近代化と地域コミュニティの開発

      文教行政の刷新と生涯教育、予算充実

≪日教組≫

・今回の答申の目的は国民的なまとまりを実現することにある

・国が定めた国民教育に不可欠なものをおしつけている

・教職の専門性をいいながら初任者研修等で思想統一をはかっている。

右記の要求に応えるため当面の課題

第1次報告 教育制度検討委員会

      6,3制の堅持、学校区分は変更可

      幼保一元化

      高等学校3原則堅持

   総合制、共学制、小学区

      高校多様化はしない。高校入試全廃

      大学、私学のありかた見直し

      沖縄の教育委員会公選制維持、

本土の公選制復活

   

日教組のとらえていた

「国民の教育要求」

国民は誰しも今日の教育の荒廃現象を憂え、悩み、正していかなくてはならないと考えており、子供に遊び場や運動場、緑と太陽を与えたい。

はっきりと話し、聞き、読み書きできる子供にしたい。しっかりとした学力が身に付くようにわかるように教えて欲しい。できる子とできない子を差別しないで欲しい。将来の生活を自ら切り開く子供にしたい。せめて高校、できれば大学まで進学させたい。貧困と差別をなくし、すべての子供の発達を保障する教育であってほしい

1972

浅間山荘事件

 連合赤軍立てこもり、警察と衝突〔TV全国中継〕

田中角栄内閣

 

学校管理体制の強化

 東京教育大移転

「筑波大学」設置要綱案 管理体制の強化

      学長の管理運営に関する権限強化

      文相任命の副学長設置

      学部に変わり学群、学系の設置

 

大学問題研究会(大学教官)ら反対活動

≪日教組≫ 教育制度検討委員会

第2次報告

      教育内容の削減

      小中教員の授業時間を週20程度

      高校全入と地域総合制高校に

      教員に6年ごとに1年の研修

78年 筑波大学は多くの反対があるままスタートする。

 

 

教頭法制化

文部省は過去廃案になっていた

「学校教育の一部を改正する案」を国会提出

 教頭の法的地位を明確化する

74年 教頭法制化 可決 91日施行

≪日教組≫

中教審路線反対、教頭職の法制化反対

早朝2時間スト

 

組合員逮捕

 警視庁は組合幹部、東京、埼玉、北海道幹部逮捕

1973

石油ショック

 高度経済成長にかげり

「暴走族」現れはじめる。

 

学校管理体制の強化

 

人材確保問題

教職員の給与改善に関する臨時措置案

 教員の専門性を認め給与を上げる一方で管理・統制の強化

 5段階職階性賃金体系

学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法案

靖国法案強行採決

組合のストに対し、刑事罰を検討

日の丸・君が代の法制化を検討

 

≪日教組≫

主任制反対闘争

 主任制は教師集団の分断を起こすだけでなく子供にも悪影響を及ぼすとして反対

第3次報告 教育制度検討委員会

      小学校を2つに分け計5段階に

小学前期では理科、社会をなくす

・大学入試は進学資格試験を原則

教師の専門職性の主張

 教師は子供一人ひとりの教育に直接責任を負う。

すべての教師に主体性、自主性が保証されてこそその能力は発揮されるしたがって身分的な上下関係を持ち込むことは専門職にふさわしくない。

 

 

 

高等学校生徒指導要録改訂 教科外活動の記録、健康の記録の廃止

 

 

1974

 

 

田中首相TVにて「国民へのアピール」

      徳育、知育、体育のバランスのとれた教育

      優秀な人材、教職意識に燃えた教員の優遇

      大学運営について政府の責任

      教育に投資

≪日教組≫ 教育制度検討委員会

最終報告

 教育改革共通の視点

      戦後教育改革の理念と6.3制

      教育と福祉の統一

      住民自治の実現

      公費負担の完全実施

      民主化計画の推進

下からの改革を強調する。

 

1975

 

 

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ 」流行

主任制度問題

文部省 中間管理職制度化構想

      教務、生活、健康の位置付け、学級担任の位置付け

・学校教育法施行規則改正 次官通達 76年

≪日教組≫

非常事態宣言 ストを中心とする闘争

地方自治体によっては主任制反対の態度をとるところもあった。

 

 

 

ゆとりある教育

教育課程審議会 73

「小学校、中学校および高等学校の教育課程の改善について」

@      高校教育の普及にともなう教育内容のありかた

A      小中高を通じた調和と統一のある教育内容のあり方。

B      学習負担の軽減を図り、基本事項の指導の徹底

 75年に課題別委員会の設置 内容の厳選、校種間の連携を検討

10月 教育課程の基準の改善に関する基本方向

      人間性豊かな児童・生徒の育成

      ゆとりあるしかも充実した学校生活

      国民として共通に必要とされる基礎的、基本的内容重視

      児童・生徒の個性・能力に応じた指導

自民党文教部会

 高校制度および教育内容に関する改革案

      普通科を文科、理科に分ける

      教育内容の程度を下げる

      総単位、必修科目を減らす

      職業課程は基礎学習を重視

      高卒試験制度または普通卒業と特別卒業にわける

≪日教組≫

      小中高の12学年を3年づつ4段階にわけ、格段ごとの教科内容を示す

      教育課程の領域を、教科、総合学習、自治的諸活動の3領域とする

      授業時数は19から25とし午後は自主的活動や総合学習をおこなう。

      教科内容の再構成、厳選

 

 

≪日教組≫

国民教育研究所と共同で小中5万人を対象に学力テスト

 基礎学力の低下、格差の拡大が深刻な状況と発表

<日教組案に対する朝日新聞の批判>

      高校教育に適応できない生徒に目を向けているのは評価できる

      授業についていけないのは現行の入試制度、教育課程のせいだけではない

      文部省は日教組案を考慮してほしい

1976

 

 

 

ゆとりある教育

全国連合小学校長会 教育課程改善委員会

      高学年は週に30時間程度に削減

      国語、算数を低学年で増やし、社会理科は中、高学年で削減

      特別活動の中に学校裁量でおこなえる時間をつくる。

教育課程審議会 教育課程の改善について

      小中高を通じて1割の時間削減

      あまった時間は学校で教育活動をする。

      内容の3割削減

      高校では1年を国民としての基礎教育期間、2,3年を適正に応じた多様な教育

特例的にゆとりある教育を早々に実施 小学78年 中学80

≪日教組の教育課程審議会批判≫

国家主義、個別的能力主義を強め中教審路線を推し進めるもの

<朝日新聞の批判>

 特に学校の自主的なとりくみについて要望したい。授業時間の削減からうまれる学校裁量の自由時間を持て余すようでは教師の指導性が問われる。

<毎日新聞の批判>

 一人一人の児童生徒の可能性に目を向けるためにまず、教師が専門家として主体性を回復することにある。

<野党の教育改革案>

新自由クラブ 河野洋平

      6,3,3,4制の見直し

      大学入試の抜本的見直し

      公立学校の格差是正

      家庭、学校、社会の連携

社会党 石橋書記長

      主任制度反対委員会

      高校全入

      大学社会人枠

      系統的な公開講座、学位取得付

      放送大学、通信大学設置

      大学の卒業証書廃止、単位証明のみ

「いつでも、どこでも、だれでも、ただで」がスローガンになる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教科書問題

教科用図書検定調査委員会

 「教科書検定制度の運用の改善について」を建議

      内容精選の基準の改善

      適正な手続きの整備

      内容精選の観点の重視

      教育実践の反映

 

「教科書検定規則及び教科用図書検定基準および実施日」改正

 検定 原稿本調査、内閲本調査、見本本調査

 

<教科書検定訴訟を支援する全国>

左記についての批判

      不徹底で一層の内容統制になる危険がある

      秘密主義を改めるために少なくとも著作者、発行者から要求があれば検定関係文書を提出すること。

      拘束性を緩め著作者の創意工夫を尊重

      恣意的運用のおそれのある「誤記、誤植」による検定受付拒否制度の新設はやめる

      不合格理由を文書にする

      改善の作業は国民に公開する。

 

新自由クラブ 

      6,5,5制 中学5年は義務

      幼稚園、保育園の統合

       

 

 

 

 

  君が代問題

中学校指導要領案

      授業時数、内容の削減

      君が代を国歌と書き換え

 

≪日教組≫ 文部省申し入れ

      君が代を国歌とし、強制的に斉唱させることを撤回

      総則に「教育基本法」を明確に位置付ける

      自治能力と政治的教養の基礎を与え、民主的徳性を形成する道徳教育を位置付ける

      社会科の内容に「核」や「公害」問題を明記する。

      建国神話の格上げ、市民革命の格下げを改める

      法的拘束性の主張をとりやめる

上位下達の伝達方式、強制参加を改める

 

1978

 

特色ある学校つくり

高等学校学習指導要領 告示

 特色ある学校つくり、個性をいかす教育、ゆとりある学校生活

 卒業単位数 85→80

 習熟度別クラス編成の認知

 

現場では逆に学校格差が広がり、入試競争が激化する。

1979

共通1次試験実施

インベーダーゲーム流行

「父よ母よ」

 斉藤茂男

元号法制化

 

 

学校の荒廃が表面化しはじめる

1980

第二次ベビーブーム小学校入学

川崎市金属バット両親殺害事件

「贈る言葉」流行         

 

公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律等の一部改正

 40人学級の実現、定数の改善 ゆとりある学級編成へ

東京中野区議会

 教育委員会準公選条例案可決

東京

「教科書に真実を言論に自由を」2万人集会

中学の対教師暴力倍増

1981

 

教科書問題

筑波大学 森本真章講師「疑問だらけの中学教科書」

自民党 教科書問題小委員会 国定をめざし検討

      教科書採択を都道府県に拡大

      検定にあたる調査官増員

      基準、規定の徹底

      学習指導要領の見直し

      広域採択をとる教科書発行に関して法律による一本化

 検定例

  公害企業名の削除(チッソ)、水俣病の写真取替え、丸木位里・俊の「原爆の図」削除、侵略を進攻、出兵を派遣、収奪を譲渡

  自衛隊の成立は自衛隊法による、天皇への敬語表現等々

≪日教組≫

教科書会社に公開質問状を出す

文部省に密室検定の公開を要求

自治省

80年の「政治資金収支報告書」を発表、教科書協会が自民党に1600万円の献金をしていりことがあかるみになる。

 

1982

中曽根康弘内閣

『多様化・規制緩和』

 横浜の中学生10人浮浪者襲撃

 

たくましい文化・福祉「従来の基本的な制度をタブーなく見直す必要がある。」首相

 

 

1983

戸塚ヨットスクールコーチ逮捕

 

ロッキード事件田中角栄懲役求刑

 

教科書問題

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外国からの批判を受けて

 文部省 教科用図書検定調査審議会

 「アジア近隣諸国との友好、親善の精神が反映されるように」と

 検定の基準に国際理解と国際協調の視点を加える」

 検定基準改正

中央教育審議会 

 「教科書のあり方について」

      検定の細目化と強化

      都道府県教育委員会への選定権付与

・ 採択広域化、高校教科書会社の指定制

 

 

 

 

 

≪日教組≫

 反民主的、反国民と非難

 

各新聞社も批判的な社説をかかげる

「政治的すぎる教科書改革」毎日新聞

<アジア諸国からの批判> 

韓国 李外相正式抗議

中国 五日呉外務次官修正申し入れ

 

 

文化と教育に関する懇談会

首相の私的諮問機関

 構成員 井深大(Sony)、曽根綾子(作家)、石川忠雄(慶応大学)鈴木健二(NHK)、山本七平(評論)、天城勲(放送教育開発センター)田中美和太郎(京大)

教育の改革7つの構想 首相

6.3.3.4制の見直し、偏差値依存の是正、共通1次を含む入試改革、社会奉仕・集団宿泊訓練の学校教育への導入、情操・道徳教育の強化、国際化、教員の資質の向上

 

 

1984

 

 

 

 

 

臨教審設置

 2頭立て路線

世界を考える京都座会 座長 松下幸之助 

      学校の多様化、通学区制限の緩和、意欲ある教師の採用、教育方法の弾力化、現行学制の検討、偏差値教育の是正、規範教育の徹底

3月27日 臨時教育審議会設置法案 提出 3年間の時限立法

 教育基本法の精神に則り・・総理府に臨時教育審議会を置く

 時代の進展に対応する教育の実現のための基本方策をつくる。

文部省―中教審、総理府―臨教審の2頭立て路線はじまる

 

 

1985

NTT発足

 

 

臨教審 第一次答申

 ・伝統文化の尊重、日本人としての自覚、6年生中学、単位制高校、共通テスト 

 

 

1986

 

 

臨教審 第二次答申

 ・初任者研修制度、現職研修、適格性を欠く教師の排除

 

 

1987

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国鉄民営化

 

臨教審 第三次答申

      教科書検定制度の強化、大学教員に任命制

      生涯学習体制の整備(学歴社会の弊害の是正と評価の多元化、家庭・学校・社会の諸機能の活性化と連携、スポーツの振興、生涯学習基盤の整備)

      情報活用能力育成のための教育内容、方法、教育課程への導入、情報環境の整備を挙げる。

臨教審 最終次答申

・高等教育の多様化と改革 、初等中等教育の充実 、国際化への対応 、情報化への対応

・教育行財政の改革(基準・認可制度の改革、地方分権の推進、塾など民間教育産業への対応、教育費・教育財政の在り方)

・文部行政(政策官庁としての機能の強化、生涯学習体系への移行への組織的対応、許認可行政と指導助言の見直し、教育委員会の活性化、私学行政の推進)、秋期入学への移行の整備

 

 

1988

 

 

単位制高等学校教育規定施行

教育公務員特例法一部改正 初任者研修の制度化

 

 

1989

中国天安門事件

米ソ緊急首脳会談(冷戦終結)

 

14期中央教育審議会再開

 

国連総会

「児童の権利条約」採択

1990

東西ドイツ統合

 

 

 

 

1991

湾岸戦争

ソ連邦消滅

テレクラ経営者がバイト名目の高校生に5万円で売春させたとして逮捕される。

 

 

全日本教職員組合(全教)結成

・教育委員の民主的選任、教育委員会の議会に対する予算、条例の原案送付権の確立

・学習指導要領の強制、教科書検定など教育内容にたいする権力的な支配・介入・統制、排除

・教職員と教職員組合が教育行・財政に積極的に関与する権利

 

1993

インターネットの普及はじまる

 

高等学校改革推進会議 最終報告

 「総合学科」創設を提言

 

 

1994

村山連立政権誕生(47年ぶり社会党首班)

 

児童の権利に関する条約公布

 

 

1995

阪神淡路大震災

 

地方分権推進委員会設置 

目的 地方分権推進のための具体的指針を総理大臣に勧告

内容 機関委任事務の廃止・整理、指導助言行政の見直し、必置規制の廃止・縮小、補助・負担金の整理・簡略化

 

 

1996

 

 

中央教育審議会

21世紀を展望したわが国の教育のありかたについて

      生きる力の育成、ゆとりある教育 

      中高一貫教育

      地方教育行政の見直し

 

 

1998

中学生、女性教師刺殺事件(栃木)

高校生に携帯、PHS電話の普及

学校の自主性・自立性

 

 校長の権限の強化

中央教育審議会

 「今後における地方教育行政のあり方」

      学校の自主性、自立性の確、立学校評議員制度の導入

      学習指導要領の弾力化

      教育の裁量権拡大から「総合的な学習の時間」を設定

      校長の具申機能強化、校長裁量権の拡大

職員会議の位置付けの明確化

学校に、設置者の定めるところにより、校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議を置くことができることとし、職員会議は校長が主宰するものとする

 

学校評議員制度の導入

《概要》

(1)設置者の定めるところにより、学校や地域の実情に応じて、学校評議員を置くことができる。

(2)学校評議員は、校長の求めに応じ、学校運営に関し意見を述べることができる。

(3)学校外から多様な意見を幅広く求める観点から、学校評議員は、当該学校の職員以外の者で教育に関する理解及び識見を有するもののうちから、校長の推薦により、設置者が委嘱する。

<東京都>

都立学校等あり方検討委員会報告

・人事委員会、予算委員会の廃止

・管理職は主任経験者か 

 ら

・教頭の職務明確化

・職員会議の位置づけ

・校長の権限強化

権威的学校管理が進み教職員の自主運営組織が壊れていく。

1999

 

 

 

 

 

 

 地方分権・民営    

 化

地方教育行政法改正 分権型行政をめざす

      教育委員会委員長と教育長の兼任の禁止

      事務の委任及び補助執行並びに条例による事務処理の特例

      県費負担教職員の服務監督等に関する技術的な基準

      国又は都道府県教育委員会による指導、助言及び援助

中央省庁等改革の推進に関する方針 中央省庁等改革推進本部決定

・国の事務及び事業の減量、効率化等を進め、行政組織の減量、効率化を図る.廃止、民営化、民間委託等

・地方分権、規制緩和、補助金、公共事業の見直し

・郵政事業庁は、基本法の定めるところにより、郵政公社に移行することとする

・国立大学の独立行政法人化については、大学の自主性を尊重しつつ、大学改革の一環として検討し、平成15年までに結論を得る。

 

<所沢高校>

校長主催の入学式は午前9時10分から体育館で始まった。約4割が欠席した昨年とは異なり、新入生401人のうち9割を超える367人が出席。式は文部省の学習指導要領に基づいて進められ、日の丸掲揚、君が代斉唱も行われた。一方、同じく体育館で午前10時15分から開かれた祝う会には、新入生全員が出席した。校長主催の入学式は新入生と父母、教職員だけが出席したが、祝う会には在校生も出席、学校生活を紹介するスライドの上映などをして新入生を迎えた。                       【99.04.09付毎日新聞夕刊より】

<経済団体連合会>  社会においては、個々の市民が、自律的に公益活動を行う市民活動団体(NGO、NPO)などに参加して、地球環境に配慮した循環型の経済社会システムの構築や豊かな長寿社会の確立などの諸課題に創意工夫しながら取り組んでいく。

2000

 

 

学校教育法施行規則改正

      校長、教頭の資格要件の緩和

      校長権限の拡大強化

      校長のリーダーシップを発揮させるための運営組織の補助機関化

説明責任制と学校評議委員制の導入による参加型学校経営の実現

東京都 全教育公務員を対象に人事考課制度実施

 

教育改革国民会議

人間性豊かな日本人を育成する

      教育の原点は家庭であることを自覚する

      学校は道徳を教えることをためらわない

      奉仕活動を全員が行うようにする

      問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない

      有害情報等から子どもを守る

一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する

      一律主義を改め、個性を伸ばす教育システムを導入する

      記憶力偏重を改め、大学入試を多様化する

      リーダー養成のため、大学・大学院の教育・研究機能を強化する

      大学にふさわしい学習を促すシステムを導入する

      職業観、勤労観を育む教育を推進する

新しい時代に新しい学校づくりを

      教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる

・地域の信頼に応える学校づくりを進める

・学校や教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れる

・授業を子どもの立場に立った、わかりやすく効果的なものにする

・新しいタイプの学校(“コミュニティ・スクール”等)の設置を促進する

教育振興基本計画と教育基本法

      教育施策の総合的推進のための教育振興基本計画を

・  新しい時代にふさわしい教育基本法を

 

 

 

 

 

 

 

≪日教組の国民会議批判≫

「奉仕活動の義務づけ」論は時代錯誤である「拒否」する子ども・親たちと「指導」する教職員の軋轢と相互不信が大きくなり、不登校の増加など新たな問題が生じる。「問題を起こす子」に対する方策は対症療法に過ぎず、「隔離」につながる発想は教育の放棄であり、インクルーシヴな学校をめざす国際的な流れに照らしても承服できない。「教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる」とした「特別手当」から「免許更新制の検討」に至る提言は、これまで何度となく試みられ失敗してきた「アメとムチ」策であり、暗く古めかしいものである。必要なのは、教職員の協力・協働を担保することである。「学校選択」は地域コミュニティをほり崩す

 

 

 

 

 

<東京都>      人事考課の対象を全教育公務員に拡大


<戦後教育史・概観>

 戦後教育史50年を振り返り様々な文献をみるとその解釈の相違を感じる。日教組側など批判的な立場からすれば今日の路線にしても官僚による統制的、反民主的な内容があるとする。「校長の権限と責任に基づく適正な学校運営、企画委員会・運営委員会による機動的学校運営など個別学校のレベルでは校長権限の拡大と少数運営体制が打ち出されている。それは教職員、生徒、父母、住民の参加の学校運営という分権、民主主義化にむしろ真っ向から逆行するものであって、時代錯誤と

しかいいようがない」(「教育、地方分権でどうなる」久冨善行)。また、16期中教

審専門委員の小川正人「地方分権改革と学校・教育委員会」では「職員会議を学校の意思決定機関と位置づけるなど、校長の正当な権限をも否定するような考え方が

勢力とを得ていた学校も少なくはなかった。そうした状況に対応するとなると、どうしても学校管理規則は学校に対して規制の強いものとならざるおえなかった。しかし、いまや保守対革新の政治的対立も解消し、教育界の紛争もほぼ終息した。ようやく当局と組合の協調の時代に入りつつある」とある。これらは根本的に立場の違いを感じるし、視野の違いがある。戦後教育史をどうとらえるかは未だ論議が不十分でることを示す。当局と組合が協調する必要はあるが対立は解消していない。終息したのは当局と組合との力関係にはっきりと差がみられてきたということであり教育行政の基本原理についての討論の必要はむしろ大きい。

 教育基本法前文に掲げられた教育への期待は今日本当に近づいているだろうか。

政治的な力関係はともかく教育の民主化を一般国民の意識という観点からみると残念ながら日本の教育は教育基本法の公布以来進歩していないのではないかと思う。「教育はお上がするもの」で、与えられた中ですこしでもいい条件にすがろうとする傾向は今日ですらあたりまえとして残っている。教育行政の民主化は国民の意識変化と共にあり、それは「教育は自分が関っていくもの」として教育主体としての意識の向上、大人としての社会的教育活動に自己をどう位置づけていくかを見出すことにある。また「とにかくいい大学を出てほしい」という子供への期待感もほとんど変化がみられない。教育の進化は個性の多様化の実現と共にあってそれは普通の親が「いい大学」から一歩踏み出して具体的に子供に合うだろう進路を示すことである。残念ながら現在でもその価値基準を明確に大人は示すことができない。

これはらは明らかにこれまでの教育の責任である。政府主導の行政は戦後から今日まで教育水準の引き上げを日本全国統一的におこなうことには成功してきた。その業績は評価した上で「民主化」という点では課題が多いことをしっかりと認識し、反省する必要がる。

 敗戦という経験をして、幸か不幸か突如アメリカ式の民主主義が教育界に導入される。しかし、10年もたたないうちに旧来の中央官僚主義がとってかわることになる。敗戦後のアメリカによる民主教育の導入はむしろこの国の国民による民主教育の獲得過程という貴重な機会を奪ったのかもしれない。日本の国民の教育に対する関心の高さ、我が子に十分な教育をしてあげたいという熱意は特別なものがある。

しかし、それらは自分たちが教育の主体者であることの自覚に育ちきれなかった。教育の民主化という理想が先ず掲げられ、その神輿をあげたまま、担ぎ手のほうは官僚統制に変わっていく。米ソ冷戦の追い風を受けその体制は強固になり反対勢力

を外においやることに成功した。反対勢力の中心である日教組も国民には十分な説得力を持ち得ず戦後の教育行政は高度経済成長等で神輿が巨大になる中「だれが担

ぎ手になるのか」に関心がいく。そのうちに神輿である教育そのものはますます形骸化していった。戦後教育の中で教育の主体としての子供たちをこの国は見失っている。政府は管理統制を進めるなか教育への「目」を失い、教師側は抑圧と管理の中、教育者としての「声」を失ってきた。この国は戦後とは比べ物にならない豊かさを得ている。しかし、子供たちが自らの個性を求め表現していく際の多様な教育としての壁をどれだけ大人は与えられているだろうか。国家理想の実現、管理化、中央集権化の徹底と引き換えに広域的な教育課程や教科書作成から現場の教師は遠ざかることになる。子供は時代の変化をもっとも素直に反映する。しかし、その子供の変化を出発点とした教育課程、行政の改革より時代の要請と国家の理想がこれまで重要視されてきた。先人の教育財産を目の前の子供に時代の変化を察知して噛み砕く努力はほとんどの分野で不十分である。この国の生活と共にある子供中心の教育はむしろ今日ではあまり注目されなくなった戦前からの民間教育運動の中に見ることができる。形骸化した教育理念は大人の建前の象徴として子供たちは感じている。豊かに、高度に組みあげられた今日の環境はこども集団、生物活動としての連続性に大きなギャップを与えている。戦後の急速な教育改革はこども自身の探求と試行錯誤の場、時間を疎外してきた。現場でおこる問題の中には子供がみずぼらしく未熟なままでも生物としての人間性を回復しようとする素直な声がある。その子供たちの変化を知らずして今日の教育改革はありえない。今の時代、子供たちが自分らしさをみつけることは過去のどの時代より非常に困難になっている。同時に今を生きるこどもたちは過去のどの時代より自分らしさを求めている。大人の子供たちへの期待が多様化し、しかも子供が自らうち破りたくてたまらくなる壁として伝えられるように大人自身が力を持ち、教師はその教育財産を再構築しなくてはいけない。その原点は荒廃が叫ばれる教育現場その場にあると私は思う。まず現場教師が声をあげ、ネットワークを広げる必要がある。今日、開かれた教育への声の中、民営化が進み規制緩和が広がる傾向がある。しかし、同時にこれは教育界に市場原理が満ちこまれることを避けられない。教育が政治や経済と完全に独立することは難しい。しかし、市場原理のもとで教育が市場経済に組み込まれていけば教育活動は生産活動にとってかわり教育から人間的な生命活動は消えゆく。

<今日中教審路線に対する主な論点>

・校長のリーダーシップの現状を考えると、早急に、校長に教育的リーダーシップおよび文化的リーダーシップを発揮する資質、力量を身につけてもらわなければならない。

「学校組織・教職員勤務の実態と改革課題 13章」 加治佐 哲也 

・これまで職員会議は事実上学校の意思、とりわけ教育思想を形成する際に重要な役割、時には意思決定の機能を果たしていた。それは学校の意思は必ずしもイコール校長の意思ではないことを物語っていた。そこには学校の意思形成のダイナミックな姿と形があった。それがこのたび職員会議が校長の補助機関であることを法令の上で明確に規定したことで、学校の意思決定のダイナミズムが失われ、校長を学校の意思決定者とするシステムが制度化されることになった。・・今次改革がデザインする自律的学校経営は学校自治の形とはなりえないのではないか。

「子供・学校と教育法」 小島弘道

・校長・教職員の定期的で短期の広域交流人事を基本とする日本の学校システムは、そうした改革とは整合的とはいえず・・学校の裁量権の拡大といったとき、これまでのシステムを前提とした改革をめざすのか、人事行政の改革も含めて踏み出すのかで変わってくる

「地方分権改革と学校・教育委員会」 小川 正人

・裁量権限が増大しただけ、学校運営がうまくいかなかった場合、他にその責任転嫁をするのが難しくなる。・・学校現場に自主的運営能力が本当にあるか一目瞭然となる。・・

自治権や裁量権が拡大すれば地方や学校の実態に則した学校教育が可能となる反面、地域や学校による格差が拡大する公算が大きい。平等教育になじんできた国民がこれにどこまで耐えられるか。公教育の原則がゆらいでくる危険もある

「未来の教育」 市川正午

・国家活動の「公共性」に対する批判的な問題意識はバブル崩壊後に国家の財政破綻が露になるにつれ国家が「公共性」を独占する事態への批判的認識として広く一般に共有されるようになり、ボランティア団体、NPONGOなど市民によって自発的に形成される亜アソシエーションにも注目が集まるようになり国家と市場社会の双方から区別される市民社会の独自の意義が強調されるようになった

斉藤純一

・学校の公共性をどこに求めるのかの選択。すなわち子供に身につけさせた市場競争力(中教審のいう「生きる力」とその公認)という自らの市場競争力に根拠をおくのか、それとも差異ある唯一の人間という多数性としての人間の条件(アーレント)を現実化する活動と言論の能力・固有性の豊かさをこどもの中に育むのかの選択が今日の大人の責任として問われている。

「子供・学校と教育法」 小島喜孝 

・学校評議委員については校長の推薦により教育委員会が任命するものであり、校長の権威付けのための機関となってしまったり、職員会議を校長の補助機関とする動向と結びつくと教職員の意欲を損なう機関ともなりかねない。ただし、学校評議員の会合を公開するなど、保護者、住民そして子供たちの発言の場を保障し、また、教職員の専門性にもとづく判断を交流させることができれば学校評議委員制度を学校つくりのための公共的な討議と合意の経験の場とする可能性が生まれる。

「教育、地方分権でどうなる」 新井秀明

【参考文献】

戦後日本教育史                 太田 尭 岩波書店

教育の戦後史 V、W               三一書房

戦後日本教育史料集成              三一書房

子供・学校と教育法           日本教育法学会 三省堂

自治・分権と教育法           日本教育法学会 三省堂

教育データブック2000、2001       時事通信社

未来の教育               市川正午 教育開発研究所

学校組織・教職員勤務の実態と改革課題  堀内 孜編

教育、地方分権でどうなる 教育科学研究会・社会教育推全国協議会 国土社