北海道新聞 2008年5/12(月)朝刊から

 

下半身まひのダンサー ボーレルさん
イスラエルから札幌の研修会に

4月に、札幌市内で開かれた「舞踏」の研修会に、イスラエルから下半身まひの女性ダンサーが参加した。タマール・ボーレルさん(42)。16歳の時、函館出身の舞踏家大野一雄さんの公演を見たのがきっかけで、日本発祥の舞踏の世界にのめり込んだという。(中原洋之輔)

 
■障害は個性 情念の「舞踏」
 
 研修会は舞踏家で札幌学院大教授(身体心理学)の葛西俊治さん(56)が主催した。ボーレルさんのほかデンマークと米国、日本から5人のダンサーが参加。葛西さんと、同じく舞踏家でダンスセラピストとしても活躍する竹内実花さん(41)が2週間、指導した。
 
■滑らかな動き
 
研修会最終日の発表会。約20人の観客に囲まれた薄暗い舞台で、白い布が軟体動物のように動き、白い衣装のボーレルさんがが徐々に姿を現す。横たわったり、すわったり、マユからかえったチョウのようだ。自在で滑らかな動きからは彼女が普段、車いす生活であることは想像できない。
 後半は竹内さんと踊った。計約30分。「人間の精神の旅路や女性の一生を表現した」(ボーレルさん)という演技 に、涙ぐむ観客の女性もいた。
 ボーレルさんがイスラエルで見た大野さんの公演は、代表作でスペイン舞踊のアルヘンチーナをたたえる「ラ・アルヘンチーナ頌(しょう)」。「非常に独創的で『これが私が歩む道だ』と感じたのです」。
 当時はイスラエルの舞踊団に所属。23歳で独立し、現代舞踊の公演活動を始めた。この間、クラシックダンスやモダンダンスなどを学び、舞踏の研究も続けた。
 
■制約を前提に
 
 1990年、24歳の時に悲劇が襲った。交通事故で下半身まひになったのだ。しかし『以前の自分を越えたい」と練習に熱が入り、92年に初来日。横浜の大野さんの研究所で学び、2006年にはパリで開かれた大野さんの息子慶人(よしと)さんの研修会にも参加した。
 母国では現在、舞踏の活動のほか、戦場で精神を病んだ兵士や夫の暴力などに悩む女性らを対象に、舞踏の動きを通して心身を癒す「ダンスセラピー」を行っている。
 踊りとしての舞踏と、心理療法としての舞踏。研修会がこの両方を教える場だったことから、来札を決めた。
 舞台では車いすは使わない」「下半身まひという制約があることで、かえって表現が明確になった。演技が自然に発展したと思う」と振り返る。
 「バレエなどと違い、障害を個性ととらえ、それを前提に表現できるのが舞踏」と葛西さん。「ボーレルさんの演技のような多様性が、舞踏の魅力の一つ。多くの人に知ってほしい」と話している。

■日本独自 海外では「BUTOH」

 「舞踏」1950年代に秋田出身の土方巽さん(86年、57歳で死去)が始めた、日本独自の身体表現。バレエやダンスなどと異なり、手足の短い日本人の体型に合わせ、腰の位置を低くし、手足を曲げて踊るのが特徴。全身を白塗ることも多い。
 しかし「定まった型に従うのではなく、踊り手が自らの情念をいかに表すか」(札幌学院大・葛西俊治教授)が重要とされる。障害の有無に関係なく表現できるなど、多様性も魅力となっており、海外では「BUTOH」として広く知られている。

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