しなやかな肢体の動きから、幻想的で美しいステージを紡ぎ出す竹内(た けうち・みか)さん。 舞踏家として世界的に活躍するいっぽう、「からだ」を通じてこころの問題にはたらきかける「ボディラーニングセラピスト」として、精 神医療の現場でも活動を行っています。移り変わる時代のなか、自らの「からだ」と日々、向き合い続けてきました。 「からだ」の時間・社会の時間 「からだの時間が現代の時間とずれていた」という実花さん。幼少の頃から、のんびりとした自分のペースと商売を営むテキパキとした家庭のペースにずれを感 じていたとか。OL時代はバブル期の真っただ中。豊かな時代を楽しみながらも忙しい毎日に「自分とはぐれていく」ような感覚をおぼえていたそうです。 もと もと体力は強くなく体への負担が大きく感じられてきた二十代の終わりごろ、景気が低迷。企業や銀行など、信じていたものが意外にあっさりとこわれていく、 のを見る中で、もう子どもではない年齢ながら「自分が本当にやりたかったこと」に挑戦しようと考えるようになります。 「自分の目で見て、確かめるのが大事。自分で手ごたえのあることをやらないと、またはぐれてしまう…」。そう感じた実花さんはかねてから興味を抱いていた 心とからだについて、独学で学ぴ始めました。 自分が確かだと思える感覚からはぐれぬよう、慎重にそれだけに時間はかかりましたが、それでも「自分の時期を 侍った」といいます。舞踏をはじめるきっかけを得たのもこの頃でした。 関係性を取り戻す 「舞踏」は、いわゆる「振り」のある踊りではありません。あらかじめ定められた型を踊るのではなく、内的なものを身体を通じて即興的に表出させていきそれ が動きとなっていきます。 技術を見せるのではなく、「巧くなくてもいいから、そこに必死でいる」。楽しいことばかりではなく、「気が狂ってしまうようなわ めきそうな衡動を抱えた心・からだのありようもある」なかで、ありのままの姿を瞬間ごとに、舞台の上に晒すのです。 「ごまかしのきかない世界。本当に正直でいるというのがどういうことか、それを舞踏のなかで学んだ」。「本当に正直」な自分で舞台に立ったとき、それを見 てくれる人がいる。そのとき、人との「かかわりの回復」を感じたと実花さんはいいます。 実花さんはまた、M・チアキとして舞台衣装や舞台美術も自ら手がけています。「技術的にはゼロだが本当に子どもが喜んでするように自由にやることができ た。『自分の責任において、これがやりたいということをやっていいんだ』と思った。」 こころを病む人たちも 実花さんは、舞踏という枠組みの中で、自分の心が併せ持つ「両極端な部分」までをも「生きる」ことを許されました。 様々な自分のありようが許された上で人とつながれる場があることで、「生かさせてもらっている」。そのような認識から、いわゆるこころの病気と言われる人 々のことも、「許されていないだけかも知れない」と思えるといいます。 しかし、舞踏がすべての人にとっての万能薬というわけでもなく、その人にとって「生きやすい」とはどういうことかは安直にはわかりません。そんな複雑な問 いを、相手との濃密な関わり合いのなかでともに居、考えていく。もしも苦しみにとらわれて、その背後にある豊かな世界を味わうことができなくなっている人 がいたら、「何気ない生活の中にいっぱいある宝物」に「気付けるからだ』」をつくる手助けをしていく。 それが実花さんのセラピストとしての仕事の一側面であるようでした。「不景気ないまだからこそ、自分の内面、ありかたを大事に、いま瞬間をどれだけ充実し て生きられるか。時間をかけて不器用さを生きる、それもけっこう楽しいことかも。」 ご自分の生き方を振り返られ、笑顔でそう話された実花さんでした。 |