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人間性心理学研究 1990 第8号 pp.21-26 から


「腕のぶら下げ」から社会体操へ


北海道工業大学教養部 葛 西 俊 治


1 「腕のぶら下げ」のレッスン


「腕のぶら下げ」というレッスンに最初に出くわしたのは竹内敏晴氏のワークショップであった。二人一組になり、一人(A、被支持者)が両腕の力を抜いて立ち、もう一人(B、支持者)がその腕を持ち上げてみる、という簡単な設定のもとに何が起こるのかを調べてみる、というものであった。
力が完全に抜けていれば、腕を持ち上げるときや離すときになんら抵抗がない筈である。しかし、実際にはいくつかの現象が起こってしまう。ア)BがAの腕を持ち上げようとすると。Aの腕が勝手に持ち上がってしまう。イ)Bが持ち上げている最中に、突然、Aの腕が軽くなってしまう。ウ)Bが持ち上げをやめると、そのやめた状態でAの腕が空中に停止してしまう、などという事柄が多くの場合Aが自覚することなしに生じてしまう (以下、このような現象を「腕の反乱」と呼ぶ)。
私自身の体験として、「腕が空中に止まっていますよ」と突然知らされ、中空にしっかりと張っている自分自身の腕に気がついたとき、腕がまるで別な生き物のように見えたあの衝撃は忘れることができない。

試行錯誤

このレッスンは数日に及ぶ竹内氏のワ−クの導入部分で行われた簡単なレッスンであったが、その後に続く様々なレッスンとその際に生じた現象にではなくて、この「腕の反乱」に注目するようになったのは次のような理由からであった。まず現象の奇妙さとそれを引き起こした課題の単純さが印象的であったこと、次に、課題が単純であるため、心理的・身体的な準備などせずに様々な状況で試してみることが出来たこと、さらに、パートナ一と現象そのものを(驚き)楽しんで問題本意に関わることが出来たこと、である。
その後、「腕の反乱」の起きる理由、条件を確かめるために、様々な場所、様々なやり方で、腕のぷら下げについての実験を繰り返してきた。その中で、この現象そのものについては、おおよそ次ぎのように記述できるのではないかと思うようになった。

ア)腕の反乱は特殊現象ではなく比較的頻繁に観察されること、イ)反乱の発生は多くの場合自分では気がつかず、他者に指摘されて初めて気がつくことが多いこと、ウ)気がついたあとも、あるいは、最初から気がついていたときでも、反乱を制圧することが困難な場合が多いこと、エ)小集団の中でよりも観察者の多い大集団での実験の場合に反乱の可能性が高いこと、オ)腕を持ち上げる人間が友人や知人ではない場合に反乱が起こり易いこと、カ)反乱を起こす腕の部位は、手首肘、肩など人によって様々であること、キ)腋が直角以上に開くあたりで一度、反乱が起こる場合が多い、などである。
「腕」という部位を解剖学的、物理学的に認識すれぱこの先の研究・実験はより科学的な装いを取ることになる。しかし、「腕・肩の筋緊張の弛緩能力」という還元的な方向だけでは、上のような「反乱」現象を十分に把握することはできそうにない。 したがって、ここでは「腕」という物体としてではなく、「腕がぶら下がらないでいるコト」と捉えて考察を進めていくことにする。

関連する事柄について

「良い腕」という条件反射

持ち上げられたときには「自動的に腕が持ち上がり」、支持者が持ち上げをやめようとすると「緒に空中に止まる腕」は、支持者にとっては重さの負担のかからない、迷惑にならない「艮い腕」であると考えられる。極端な場合には、ほとんと時間的なずれなしで支持者の意図通り動いてしまう、本人のものとは思えない「良い腕」が存在するが、本人には、しぱしぱ、肩こりなどの痛みによって自分の腕として自覚されているようだ。
いずれにしろ、このような「反乱」は腕の持主の意識的な動作ではなく、あくまでも腕自体の反射的運動として本人によって知覚されることが多いので、「他者の意向に自動的に反応する」条件反射として捉えるのが最も自然であろう 〔1〕。 なお、このような「反射」を停止させようとする意識的な介入によっては、支持者の意図と反対の動作を単に誘発することが多く、その場合には持ち上げられるときには「腕は下へ引き付けられ」、停止させられるときには「上がり続ける」ことになる。いずれにしても、そのような意識的努力が「ぶら下げ」という状況を作り出すことは極めて少ない。

腕の切リ離し

腕がよくぶら下がる人と出会うとき、手首・肘肩の関節・筋肉が確かに弛緩していることを確認することができる。しかし、その際の感想を尋ねてみると、およそニ通りの異なった感じ方があるようだ。ひとつは「別に緊張はしないし、リラックスしていた…]であるが、もう一つは「自分の腕をあまり感じない…」というものである。
後者の感想は少ないが、自分の腕を「自分と切り離された別のもの」とみなしているように聞こえることが多い。確かに。単に「腕がぷら下がること」だけが目的であれば、腕の制御を完全に放棄してしまうことによって、腕は「ぶら下がる」。しかし、そのような場合、腕を持ち上げているパー卜ナーには(しぱしぱ、腕の持主にとっても)、モノとして委ねられた腕を前にして、索漠たる思いが生じることが多い。

非恭順的姿勢の回避

「両腕に力を入れずにぶら下げてください」という指示は、言葉上は単なるお願いでしかないが、支持者と被支持者という両者の関係から見ると実質的には命令であることに違いはない。その場合、どのような理由からにせよ、自己主張の放棄が「恭順」という形によって暗黙の内に成立することになる。しかし、「腕をぶら下げる」という指示は、「かしこまっていない両腕という一種の無礼を結果的に要求しているのだから、この「恭順」と結果的な非恭順的姿勢の間に矛盾が生じて来るであろう。 すなわち、「腕のぶら下げ」を受容すると同時に回避しようとする矛盾が、内的動揺や腕の振動・けいれんなどの反応へと結び付くものと考えられる。つまり、腕の反乱は意識主体としての本人にとっては確かに「反乱」であるが、逆に社会的コ−ドからの逸脱を自動的に回避しようとする、身体の「条件づけられた動き」「社会的に期待され許容されている動き」であるともいえる。

服従とリスク

腕をぶら下げる際に腕だけを脱力させることは一般に難しい。したがって、「腕をぶら下げよ」という教示は、からだを全体として弛緩させることと等価となり得る。このため、教示を与える者が実際に被支持者にとって危険な存在ではない、という大前提がなければ、この実験は。被支持者が自己をどの程度無条件に放置できるかという服従度や被虐性(広い意味での)のテストとなりかねない。実際、実験参加を拒否する人達の理由の多くは「不安」であるし、また、参加する者も無防備に身体を委ねることへの恐れを口にする者が少なくない。つまり、結果として起きた「ぶら下げ」なり「反乱」は、教示への恭順による危険と、教示への非恭順による危険というリスク評価の問題とも関わっていると言えよう

野口体操

「生きているからだは皮膚につつまれた液体である」〔2〕という言葉は、野口体操の最も基本的な点を示すものと言える。もしこの言葉通りであるとすると、反乱して「空中に停留する腕」は「生きているからだ」ではないだろうし「液体的」でもないだろう。野口体操の基本点を取り入れたいくつかの体操、運動を繰り返して行なううちにこの反乱は多くの場合徐々に治まっていくことを確かめてきたから、「中身の柔らかさ」を回復することが反乱の沈静に役立つといえる。なお、このときの体操は腕にのみ集中する訳ではなく、からだ全体が「たっぷり・ゆったり・しなやか」に動く方向を目指して行われるのだが。結果的に「腕が重くなる」とか、あるいは「腕が長くなる」などいった感覚の変化と同時に腕の反乱が収まることが多かった。

竹内敏晴のレッスン

「安らぐこと・ふれること・まっすぐに向き合うこと、ということをレッスンの中で行って来た… 」〔3〕と竹内氏が語ったように、竹内のレッスンは「他者との関わり」というべき次元を骨子としていると思われる。野口体操があくまでも「私が私のからだと出会う」という意味で「私」の中を模索することに集中しているのに対して、例えば、「脱力と呼ばれる基本的レッスンは、個人的な作業ではなく実際に「他者のからだにふれる」「他者によってふれられる」という関係的な要素を多く含んでいる。そのような脱力のレッスンにおいて 必ずしもマッサージの専門家である訳がないパ一トナ一との関わりの中で、「筋緊張が取れる」という還元的方向では表せない何かによって「からだの“液体化"」が起こり、その結果として反乱が治まることもしばしば確認して来た。
野口体操による「弛緩」を「身体的緊張からの脱却」と呼べるのならば、竹内のレッスンはさらに、「関係的・社会的緊張からの脱却」とでも呼ぶぺき側面を合わせ持っていると思われる。

場の「人称性」

小人数での実験とレッスンの際、腕どころか身体が全体として弛緩して、まれに「私・あなたそれ」という概念やそのような思考とも無縁の、いわば無人称的な状態にまどろむ人がいる。また「私の腕・身体」というあたリに固執し、「私」と「身体」が、その人の中でいわば三人称的に対比されている人がいる。また、同様に三人称的であっても、周囲にいて私を眺めている「彼等」と「私」とが対比されている場合や、「私」が「私」によって眺められている場合もある。さらに、腕を持ち上げている「他者」と持ち上げられている「私」との関係を強く意識する、いわぱニ人称的な状態 の人もいる (なお、このような分類で考えつくべき「一人称的」状態は、多分、パ一スの言う「第一次性firstness」やジェイムスの「純粋経験pureexperience」などの概念に近いものと推測されるが、その状態をこれまてに体験、あるいは観察したことはないように思う。
このように人称的に記述された状態はその人にとっても固定したものではなく様々に変動するが、実験の場にその人が「どのようにして居るか」を記述し説明する際に、この人称性という概念がしぱしば役に立った。

身体の他者性

「意志・意識が身体を統御する」という認識は鼓動や呼吸や自律神経系の働きを知っていれば必ずしも正しくないことが理解できるのに、我々は「腕の反乱」を体験した際に「驚く」。さらにはしぱしば驚くと同時に「笑い出す」のは何故だろうか。
一つには、「身内のもの」であった筈の腕が「自分のモノではなかった」という当惑に由来するように思える。そのとき、意識主体としての「私」は、「自分の腕すらぷら下げておくことが出来ない」という事実、すなわち、身体のいわば他者性の前に、「私というコト」の限界に直面しているのではないだろうか。もしそうであるならば、「私」という意識主体が専制的に身体のコントロ一ルを取っている、という日常的「自明さ」の根拠が逆に問われるべきことになる。
ところで、ここでの指摘、すなわち「身体のある部分がすでに意識主体の制御外にある」との仮定をもう一歩進めて、「身体のある部分がすでに他のナニモノかによって制御されている」と考えることはできないだろうか。というのは、百名前後の集団、あるいは10名内外の小集団の中でも同様に体験したことだが、「腕を持ち上げますよ」という指示の後、相手の腕をつかみに向かうだけて全く触れないうちに腕が持ち上がってしまう、という現象にしばしば遭遇したためである。
暗示あるいは催眠による運動支配についてその理由を議論する能力はないが。もしそうならぱ「関係」という言葉は「相互の身体を制御しあう癒合した存在の機能」という意味を強く含むことになるだろう。

差別化された動き

解剖学的な身体の「可動範囲」、その結果としての「姿」の全てが社会的に許容されている訳ではない。それどころか、社会的な場面・状況において許される動き・形はそれぞれ規制されていると推測される。その中で「ぶら下げ」という姿は日常的な場面においては、「だらしない」「はしたない」という表現・ラべルによって否定的に了解され、社会的に忌避されていると思われる。
このような姿・動きに関するラぺリングは、例えぱ身体的障害などに由来する非標準的な姿勢・動きを忌避する場合の「意味論的反応 semantic reaction」〔4〕 と質的にはほぽ等価であろう。 「ぶら下げ」という身体の液体化状態とは反対に、身体の部分的固体化を中心においたレッスンによって、身体の姿・動きは見慣れない非日常的な領域に踏み込んで行く。このような状況の中では「腕の反乱」現象を見ることはほとんどない。
多分、身体の非標準的有様が恭順や服従を意味しないことによって、日常的な社会的な在り方や関係を逸脱するのがその理由てあろう。
ところで、姿・動きの芸術である様々なオドリのうち、いわゆる「舞踏」〔5]における身体の動きは、動きそのものにおいて、また、それが意味することにおいてもしぱしぱ社会的許容範囲を離脱する。そのため、多くの場合、ネガティヴな意味論的反応を引き出すことになるが、そのような「逸脱」こそが嫌悪感であれ解放感であれ何らかの舞踏独自の「感動」を観客に与える根拠になっていると思われる。〔6〕


2 肩こりと「治療」レべル


 腕のぶら下げの実験を繰り返していくうちに、じきに「肩こり」の問題と遭遇することになったそれは。特に集中的な実験・練習の場面で起きたのだがI肩こりが楽になった」「肩が凝らなくなった」と言う人が現れてきたことによる。勿論、腕や肩の緊張が取れないことが、腕がぷら下がらない理由と関係する訳だが、参加者の多くがこのレッスンの意義を「肩こり」と結び付けたことが興味深かった。日常的には経験しない身体的関わりのレッスンや、脱力から身体のゆだねへと向かういわぱ自己溶融的なレッスンなどの。マッサージ的な要素を持たないレッスンによって、しばしぱ「楽になった」と評価されたことから、肩こりの「治療」については、次に示すような第三のレぺルを考えるようになった。

 第一に「身体レベル」。これは、腕や肩などの緊張を「医学」的に除去・緩和するという段階を指し、筋肉などを対象とするいわゆる対症療法がこの段階に属す。この段階の治療は。それによって楽になるがじきに再発するという「症状・治療循環」を延々と繰り返すことになりかねない〔7〕。
第二に「心理レべル」であり、「こころ」や「内面」への働きかけによって治療を行う段階を指す暗示、自律訓練、催眠などの用語で示されるように、主に「個人」の在り方が治療対象となっている。例えぱ肩こりの場合。その理由を対人的場面でのその人の緊張傾向へと結ぴ付け。そのような傾向を緩和させようとするものである。

第三に「社会(関係)レべル」。すなわち、日常生活をしている場や関係の構造自体に原因を求める段階を指す。腕のぶら下げレッスンを通して現れてきたレべルがこれである。なお、この場合にも「治療」という概念を用いるならぱ、治療されるべき「患者」はその本人ではなく、その本人が生きる場・関係の構造ということになる。 以上のレべルは、肩こりという現象に関する因果帰属のレべルとして理解することが出来るが、そのうち第三の「社会レべル」は、それ以下のレぺルと比較して独特な特徴を持っている。
すなわち、「社会レベル」は、身体・筋肉や個人・心理に問題を還元しないという方向性の故に、肩こりで苦しむ個人の存在を全体として許容している点である。つまり、身体レぺルにおける「痛みにより顕在化する、"私"と“身体”の離反」という分裂や、心理レべルにおける「緊張が取れない“私”」という苦悩、これらの自己否定的な認識を逃れて問題の原因を外部・外界へと帰属させる道を与えることによる。このため、「日常の生活で肩がこるのは当り前」「緊張するのが当然の状況」という理解に到達するのが容易だし、さらに、このような相対化あるいは原因帰属の外部化によって、自身を受苦的な存在とする立場から「能動」へと方向を転換させる点にこのレべルの意義があると思われる〔8〕。
勿論、レッスンの場が、その人の生きている現実の状況を変えることは、さしあたり、ない。しかし、一定の時間閉じられているレッスンの場は、日常的に生活する場とは異質な在り方を参加者に求め、かつ、許容する傾向を持つ。このような体験が全体として、対人的緊張を要求する日常を相対化するきつかけとなっていると思われる。

3 社会体操へ


「腕のぶら下げ」の実験、そして、様々なレッスンを通しての取り組みの中で生じてきた大きな疑問は、野口体操や舞踏練習を行うことによって変幻自在のしなやかさを回復する我々のからだは何故日常的には固く閉じているのか、というものであった。その理由には、既に示した第一・第ニレべルの問題も勿論関わっているわけだが、その後、腕の反乱現象について得た一つの結論、すなわち、「相手の意向をなぞり先取りする腕の反乱は、身体に組み込まれた社会的反応である」という認識から、筋肉や個人の心理の段階には留まらない、第三のレべルにおける認識の必要性を痛感するようになった。

それと同時に、「社会化された身体を解きほぐす」あるいは「身体化された社会を探る」という試みとして、社会・身体・体操という概念から「社会(身体)体操」という言葉が徐々に結実してきた。
ところで、竹内敏晴のレッスン全体がここで言う「社会体操」的であることや、いくつかの心理療法・技法などが「社会体操」的であることを体験して来たが、社会体操という概念はその独自の関心を表現するために必要に思える。というのはこれは、心理療法が通常は前提とする「個人の治療」という枠内に必ずしも留まってはいないためである。すなわち、社会体操の一つの理想状態では、それは「自分が生きている社会的現実と現実をそのように捉えている私を探り、解体し再構成することによって、より"艮く”生きることを目指す」〔9〕営みであるからだ(「良く」という事柄自体も体操による吟味を免れるわけではない)。
つまり、社会体操において重要なことは、「なおす・なおる」ということではなく、自分が生きている世界の多元化・多重化〔10〕によって、自分にとってよりリアルである世界を探索し拡大することにある、と言える。
 以上のような社会体操の概念は、小人数によるワークショップの実践の中で徐々に固まってきたが、レッスンの中心的な目標は、身体に組み込まれた「社会的な反射」への気づきに至ることであった。そのために行うレッスンの基本的な内容は身体の液体化・固体化という「身体の変容」、その変容体験としばしぱ同時進行的にも発生する「時間の変容」〔11〕、そして、人と人との日常的には希な関わり方による「関係の変容」、このような変容の体験から成り立っている。そして、そのような体験を通じて、自己の「社会的」同一性への固執を捨て去り、真の「自己同一性」と「自己の社会的多様性」の創造を志向するものとなっている。


4 おわりに

エンカウンターグループ、ゲシュタルトセラピー、バイオエネルギー、内観治療、一般意味論ワークショップ、竹内敏晴のワークショップなどなどの体験的な場面に一人のクライエントとして参加し続けてきた。それぞれに大きな影響を受けて今日に至っているが。社会体操という概念へと踏み出さざるを得なくなった、という意味においては竹内敏晴のワークが決定的だったといえる。
第一に「なおす」という概念からの離反において第二に、「からだ」という存在のかたちへの関心において、第三に「やすらぐこと・ふれること・真っすぐに向き合うこと」という竹内氏の仕事に出会えたこと、その結果として、自分自身の理解を確かめ共有するために実践へと向かうことになった。
その後、小さなワークの場を5年ほど継続するとともに、「社会化された身体」についての解明、及び、非日常的動き・姿について体験を深める目的で「舞踏」〔l2〕の世界に足を踏み入れて今日に至っている 〔13〕。



[1] 「先取りして身構えてしまう」ことについて 例えぱ「ドラマとしての授業」竹内敏暗、評論社 p. 54−55

[2] 「原初生命体としての人間」野口三千三、三 笠書房 p.5, p.31

[3]札幌こころとからだの会主催ワークショップ 1986,3/24−26 北海道白老

[4]ラべリング(labeling)に関する最も基本的な理解は「意味論的反応semantic reactions」として一般意味論において示されている。
“……all af-fective and psychological responses to words and other stimuli involving meanings are to be considered as semantic reactions."
Science and Sanity, 1958 4th.ed.Korzybski, A. The International Non-Aristotelian Library Publishing Company,p. 25

[5]土方巽に始まる「暗黒舞踏」の系譜の動きを指す。舞踏の基礎的訓練として野口体操が取り入れられている(山海塾蝉丸舞踏ワークショップ 小樽万象館1988,宇都宮大谷洞窟1989)

[6] 障害などに由来する差異化された動きと舞踏との関係については、「美貌の青空」土方巽、筑摩書房 p.7ー8

[7心療内科はこのレべルに留まる治療方法に対する反省から始まったと言える。
[8]例えぱ、「スティグマの転換 stigma conversion」などの現象と類似した認識上の転換を促進する。

[9]ここでいう「社会」は擬似体験的な知識による三人称的なものではない。また、「一人称の社会学をして生きている人々」をまなざすエスノメソドロジーとは異なり、「一人称の社会学をして生きている私」を「私」が身をもって暴いて行く実践といえる。

[10]A.シュッツの多元的現実論における「複数のリアルな世界」との対応が考えられる。

[11] 「遅い歩行」という単純なレッスンによっても非日常的な状況(変性状態 altered states)に移行する。

[12] 舞踏を表現手段としてではなく治療に結びつける「舞踏治療」の試みに関しては、「対談 踊りを語る 石井満隆・川仁宏」、美術手帳 198l,Vol33.No.481,124−141.また.「精神病医の観た舞踏」千葉元、大駱駝艦発行「幽契」第弐号 昭和55年。

[13]小樽に本拠を持つ舞踏集団「古舞族アルタイ」

(1990.3.12受理)


人間性心理学研究 1990 第8号 pp.21-26 から



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