身


 体


 の


 脱


 社


 会


 化


 と


 舞


 踏





 by

 葛


 西


 俊


 治




北海道工業大学研究紀要 1991 第19号 pp.217-224 から


身体の脱社会化と舞踏



北海道工業大学教養部 葛 西 俊 治


Body De-socialization and Butoh Dancing

Toshiharu KASAI

ABSTRACT


Our bodies have been trained and conditioned in the process of social changes since the Meiji government adopted the modernized mechanical images for human bodies. However, a variety of physical exercises, including the clinical psycological methods such as in the Gestalt therapy and the Bioenergetics, has emerged for relaxing the social pressure onto the individual bodies and for releasing the natural potentiality of our bodies. Body de-socialization is proposed here as the key word for understanding the meaning of the psychological-physical exercises.
Noguchi-taiso. a new type of Physical exercise invented by Noguchi, and Butoh dancing, originated by Tatsumi Hijikata, are reviewed as the method of body de-socialization and also as the way of taking the relativistic viewpoint of our society.
One of the recent tendecies in our society, inattention to other's pain or lack of bodily empathy. and its example (from the "blind-walk" lesson) is showed and discussed.



身体社会学あるいは身体心理学への序として

心理療法、あるいは演劇や舞踏のための訓練法の中に、心身の在り方に関心を向けるものが多々存在し実践されている。以下、それらの方法を身体技法と総称するが、各々の具体的内容、意味付けの多様さにも関わらず、それらは「身体の脱社会化」という術語によって表現されるような共通要素を含んでいると思われる。 本稿では、「腕のぶら下げ」と呼ぱれる簡単な身体的な実験、及ぴ、リラクセイショソや舞踏の基礎的方法として知られる「野ロ体操」的動きに焦点をあてて、「身体と社会」との関連について吟味を加える。

1.「腕のぷら下げ」実験

一人が腕の力を抜いて立っているように言われて、もう一人がその人の腕をつかんで上に持ち上げ、途中でその腕を落してみる−という二人組での簡単な状況設定の中で何が起きるのかを観察する。これが「腕のぷら下げ」の実験と呼ぱれるものである。

この実験を実際に行なってみると、a)持ち上げられ離された腕は自然に落下することなくそのまま空中に停留する、また、b)持ち上げられる際には無意識の内に腕が勝手に上がってしまう、という現象を頻繁に観察することができる。さらに、そのような反応は腕主(腕の力を抜くように請われた人)が意識しない間に起こる「自動反応」であることが多いため、知らない間に空中に停留する腕、あるいは、勝手に上昇Lていく腕を目の当りにして、腕の持ち主である当人は愕然となる、あるいは笑い出すという展開を見ることが多い。

この現象についての吟味はすでに葛西(1989,1990)[1]によって行われている。その中で指摘された「身体の他者性」には、暗示あるいは催眠現象の基礎として検討すべぎ「相互の身体を制御し合う癒合的存在」という理解が含まれていること、また、「指示への恭順と、結果としての非恭順的姿勢」という対比には、脱力という指示に従うことと、結果として生じる「だらいない、うやうやしくない姿勢」との個人内部での葛藤が存在するだろうこと、が述べられている。
したがって、この現象を考える際には、対象としての腕・身体を一個人の物理的身体という枠内にとどめるのではなく、あくまでも「腕がぶら下がりないコト」という現象としてとらえること、また、腕・身体を他者・社会などとの関係において認識する視点が重要であろう。

筒井(199O)[2]は、存在が要素・関係・機能という事柄によって構成されるという「科学的存在観」から腕の反乱現象への接近を試みている。しかし、上述するように、この実験において問題となっているのは「腕がぷら下がらないこと」あるいは「腕が勝手に上がっていくこと」といった現象であるため、氏の科学的存在観という視点が「コト」を認識するのではなく、あくまでも「モノ」としての「腕の存在」についての視点であるならぱ、このような抽象化・還元化によってこの現象についての理解がどの程度深められるかには疑問がある。

さて、腕の反乱現象を「身体が、本人の意志には無関係に、他者の意図にそって自動的に反応する」こととして位置付け、さらにその際の他者が、端的に言って「社会的強者・上位者」、すなわち、なんらかの威光暗示的資質、立場を有する者であるという状況を考慮に入れるならぱ、この現象の背後には「他者との関係性」というべき事柄が控えていることは明らかである。

また、ここでの「他者」という概念をより拡大して捉えるのならば、この現象を「身体の社会化」あるいは「社会の身体化」というより一般的な枠組みにおいて把握することもできよう。なお、「社会化」とは、さしあたり、身体というモノが単なる物質的・生物的存在物であることや、身体の持ち主である自我の制御をも超えて、社会という組織系の一要素として機能することを指している。

ところで、この腕の「反乱」という表現は勿論、自我から眺めた場合の語用であって、社会の側から眺めれぱ、社会的要求の内在化や社会的従順さの証しとして認識することができる。M.フ−コ一[3]は、近代化という過程においてこのような「従順な身体」あるいは「良き調教」が近代社会の構造と論理を支えるための必須条件として、例えぱ普通教育という「学校」制度の中で微底的に整えられたと指摘する。

明治維新によって近代化へと突入した日本では、しかし、E、モ−ス[4]が記すように、当時の人々は今日のせわしくメカニカルな動きではなく「のろのろ」と生きていたようである。したがって、当時の人□の大多数を占めた農民の身体を改造して、指示通りてきぱきと行列行進ができるような身体、すなわち、近代的兵士あるいは時間賃金労働者の要件である「時間的・空間的な拘束に対して従順な身体」へと向かわせるのに明治政府が行なった介入、この近と質とが「近代化」 (富国強兵政策)の成否と密接に関運することも明らかであろう。

その意味では、明治維新を推進し近代的(帝国主義段階へまで至った)資本主義国家として成立したニホン国において、「腕の反乱現象」あるいは「従順な身体」をより明確に観察し得るとも言えるだろう。



2.野口体操から心身の解放へ


野ロ三千三(みちぞう)[5]によって創始された体操を「野□体操」と呼ぷ。この体操の特徴は、人間の身体を筋肉系・骨格系から構成された「固体」とは見なさず、「生きた皮袋」[6]と表現されるように、身体を液体ないし流体と捉える点にある。身体内部の流れや振動を重視することによって生まれたこの体操は、したがって筋肉・骨格系の補強運動ではなく、からだ全体のしなやかさ敏捷さ、感覚の鋭さを回復あるいは創造することを目指すものといえる。

この体操はスポ−ツ、踊りなどの身体的訓練の場においても効果的に用いられることは言うまでもないが、それと同時に心理臨床的な場面での重要性を無視することできない。たとえぱ、センサリ−・アウェアネス(sensory awareness)[7]という概念が、社会的文化的環境の中で封殺されてきた「感覚」を覚醒することによって心身あるいは社会的なリアリティを回復する道を示すように、あるいはまた、精神分析の「異端」の弟子であるW.ライヒの系列にあるパイオエネルギー法(Bio−energetics)が、鎧化した筋肉を溶きほぐす身体・感覚的技法を中心に置くのと同様に、この野□体操は筋肉・骨格的な物理的身体に働きかける以上の要素から構成されているといえる。

竹内敏晴[8]は、からだのどこかで滞っている言葉を「劈く(ひらく)」こと、すなわち、そのことによって人が世界へと劈かれ出ていくことをワ−クショップの中で行なってきたと言える。その際、野ロ体操は氏のワ一クの導入においては特に重要な意味を持っていると思われる。とくに、身体が外面的にどのように見られる姿になっているかではなく、身体深部に眠っている「感覚」を野ロ体操の助きの中で引ぎ出し覚醒させること、この点において野ロ体操の方法とその理念が十分に開花する場を与えられたように思われる。

「緊張は、藤じることを停止させる機能を持つ」としぱしぱ指摘されるように、最大緊張の中では身体の微妙な信号を聞くことができず、たっぷりと緩んだ身体に至って初めて、微細な「気付き」が可能になることは確かである。これによって、発声に至るまでの様々な障害、例えぱ、姿勢・腹部・胸・喉・首筋・顎・頬・ロなどの部位での無意識的な緊張による呼吸の障害、「息を詰め」ざるを得ないような精神的心理的な問題とそのことの身体的反映などなどに気がつき、気がつくことによって本人による介入がはじめて可能となることは言うまでもない。


3.「舞 踏」


舞踏[9]には、垂直軸、水平軸から構成された解放空間を飛翔し移動するパレ−とは異なり、地べたに這いつくぱりしがみつくといった「生」への執念、あるいは執念の彼岸としての諦観(「死」)がまず存在する。したがって、舞踏における動き、姿も、空間を怜悧に切りとる踊りであるバレーとは異質であって、身体が存在する空間の屈曲、ねじれ、そしてその中に生じる感情、情動が表現の骨子となっており、多少の冒険を伴って述ぺるならぱ、舞踏は明らかに「内面の踊り」[10]であるだろう。

舞踏の練習[11]では、野ロ体操をその基礎訓練の一つとして取り入れているが[12]、それは野口体操が筋肉骨格系ではない視点で身体を了解する手段であることと通底するように感じられる。特に、舞踏の練習に際しては基本的に「鏡を用いない」[13]ことは、筋肉骨格系という視覚的イメ−ジによる身体の制御を嫌っていることを意味し、あくまでも身体そのものの内部感覚、深部懸覚を踊りの基本としていることを窺わせる[14]。

また、野ロ体操以外の練習も、筋肉系の補強運励、柔軟運助よりも身体の内部感覚とそのイメ−ジの活性化を主とする動きを取り入れることが多い。その点においてはイメ一ジによる心理療法と表面的な相違はなく、いくつかの舞踏的練習は身体・イメ−ジ療法の偶発的一方法とLて位置付けることもできる[15]。

ところで、土方巽が西洋的踊りを断念した際[16]、ギリシャ的均整の美から、逸脱の美、あるいは日本・東北という土俗的な歪み偏りの「美」への転向があったと考えられる。近代化過程の様々な局面における「標準化圧力」の中では、あらゆる非標準的在り方や事柄(身体的障害、方言、地方性…)が「逸脱」とされ社会的反コ一ドとして処遇されることになる。しかL、身体の様をつぷさに認識する舞踏家にとっては、いわゆる社会的に標準的な身体の持ち主の身体と感情が、どれほど社会的な、時代的な奇形へと陥っていろかを痛感Lたことは確かであろう[17]。

多くの舞踏公演が、社会的に許容されている姿・動きを逸脱する方向を強く持ち、それによる解放感なり嫌悪感なりが舞踏芸術の価値であるとしても、それは、あくまでも現社会の在り方との対比によって決定されるに過ぎない。問題を身体の動き・姿に限ったとしても、野ロ体操で回復されるような生々しい動物的身体への復帰とその在り様を舞踏の中に見るとき、舞踏的動きが逸脱しているのではなく、現社会がどれはど人間の身体を機械論的に認識しているかという「逸脱」に気がつかざるを得ない。


4.身体の脱社会化に向Iナて


脱社会化とは、しかし、それ自体は決して「非」社会的ではなく、人間が社会的存在者として社会の進展、展開を進めるひとつの方向である「社会的相対化」を目指す働きに過ぎない。文化人類学的視点による「中心と周縁」という概念が示すように、社会的(論理、価値などの)中心は、周縁として排除することによって成立する逸脱部分との対比によって初めて「中心」として定位されること、そLて、社会的中心が自ら排除した周縁とのなんらかの交流、循環の中で動的に安定したシステムが形成される、と考えられる。

このような点から推測されるように、「身体の脱社会化」とは、現社会に特有な仕方で歪められた身体を一度相対化することによって、あるいは、身体に染みつた現社会の論理を一度「脱ぎ捨てる」ことによって、からだが本来的に持っている可能性を回復する試みを示している。そして脱社会化され新鮮に取戻された「からだ」を拠り所にして、現社会からの「圧力」との対峙へと向かうという基点を与えるものである。

このような「身体の脱社会化」を促進する方法として、すでに述ぺた野ロ体操や舞踏、あるいは心身を対象として取り組んでいる様々な心理臨床的技法が考えられる。いずれにしても、個々の身体技法が筋肉骨格系の補強運動的ではないとき、その技法は、程度の差はあれ、身体化された社会あるいは社会化された身体へと働きかける何らかの契機磯むをもつと推測される。

ところで、身体の「脱社会化」という概念に関速して「前社会化」ということについても触れておこう。ただ、「前」社会化といっても、原始状態とか未開であるとかを意味するのではなく、それとは反対の最先端の「現代」における問題を指し示す概念である。すなわち、今日の肥大した情報環境と人工環境、それと同時に矮小化された自然環境という生活環境の中では、身体がいわぱ「社会化以前」の状熊に留まる、とでも呼ぷべき現象が現われてきていることを指摘するものである。

一般的には、家庭や社会生活の中での濃厚な対人接触の過程で、他者・社会及ぴそれらとの関係が内在化されることが期待され、多くの場合、それらの機会は直接的な「身体的」経験であると言える。

しかし、急速な社会変化の中で、かつての大家族制から核家族化、さらに「核」分裂家族へと「崩壊」しつつある現代の家庭では、従来「家庭」が保持していた様々な機能が外部へと放出され(食事、教育、療養、出産、臨終…)、生々しい身体的関与がますます希薄になりつつある。さらに、間接的経験の世界である情報環境の肥大は、身体的関与をさほど必要としない「情報社会」として現社会を再構造化し、コンピュ−タ処理に基づく視聴覚機器が造り出す虚像が、「事実上の現実 virtuaI reality」として定位され始めた現在では、身体的情動を中心においた対他者的直接関与の価値と重要性が明らかに低下してきている。

「相手の痛みが分からない」こと、すなわち、自分が傷つけ殺害した相手の感情、痛みなどの身体的感覚への共感が成立していないと思われる若年層の傷害、殺人事件は、他者との関係を前提としている「社会化」過程がなんらかの仕方で阻害されていることを窺わせる。このことをここでは「身体的レべルでの情動関係の喪失」として捉え、それを「身体の前社会化」と呼ぶものである。

つまり、前社会化段階に留まる身体は、情動を共有するチャンネル、すなわち、人と人が結ぴ付く回路であると同時にそれによって私と他者とが同時に分離される媒介であるチャンネルを、十分に成長させておらず、その結果として、今日的な「奇妙」な事件・現象が生起すると考えられるのである[18] 。

さて、「身体の前社会化」という語用ではあっても、それはそのような仕方による現代社会への適応という「社会化」の一形式であることも確かであって、その意味では、そのような前社会段階に留まっている身体を「脱社会化」するという方向も当然存在する。したがって、ここでは「身体の脱社会化」には、ふたつの内容が盛り込まれることになる。

第一には、「近代化過程における "良き調教”によって喪失された身体をもう一度回復すること」とLての脱社会化であり、第ニには「成長させてこなかった“身体的レべルでの情動関係”を回復すること」としての脱社会化である.この両者を単純化して言い替えれぱ,「近代からの身体の回復lと「現代からの身体の回復」あるいは「奪われた身体の奪還」と「喪失した“生身”の回復」として概観できるのかもしれない。

いずれにしても、極めて今日的なこの身体の問題と実際的に取り組むためには、野口体操とその理念、あるいは、竹内敏晴によって展開された理念と方法[19]、そして、アクションとしての舞踏こそが、「近代」及ぴ「現代」という両者からの圧力によって阻まれ、はぐれてしまった「からだ」をもう一度取り戻す、あるいは新たに創造する際の重要な基礎となっていることを指摘しておきたい。

補 遺

一般の人達を対象とした「札幌こころとからだの会」、それに引き銃く「こころとからだのワークショップ」、あるいは大学生を対象とした場などにおいて、この5,6年間、様々なエクササイズ、レッスンを試みてきた。以下、本稿の内容の理解を助けるため、そのような場で行ったエクササイズの一例として、ブラインド・ウォ−クについての実施体験を掲げておく。

プラインド・ウォ−ク(blind walk)とは、ニ人で一組みになり、一人が目をつぶり、もう一人がその人と手をつないで一緒にあちこち歩いてみる、なお、その際には互に沈黙を守る…という簡単な内容のレッスンであり、竹内敏晴のワ−クをはじめ臨床心理学的なワ−クショップなどでも比較的頻繁に行われているものである。
閉眼することによって日常では最も優位な視覚情報が遮断されるため、多くの場合、身体の定位は勿論、心理的にも非常に不安な状態に陥る。

実際に体験してみると直ちに理解できることであるが、視覚の替わりに分節化能力の低い感覚である聴覚、触覚、喚覚、体性感覚が総動員され、1)音が非常によく聞こえ、しぱしぱ、相当遠くでの物音も非常に近くのように聞こえて脅かされる、2)ありふれた壁や草木などに触れても、非常に異質な感覚を得る、3)草木などの事物や風の匂いを感じとるようになる、4)日蔭と日当たりでの日射しの変動や、空気の流れの変化に敏感になる(しぱしぱ裸足でも行うが、その場合は日常では感じることのない地面、草、土の感触、温度湿り気などの感覚に圧倒されることも多い)、ということが起きる。

視覚情報が絶たれた上、以上のような感覚全体の変化に慣れていないこともあって、プラインドウォークの初体験者は、一歩足を踏み出すことすら躊躇するほどの不安に駆られることが多い。したがって、二人一組での歩行を観察していると、手をつないでサポ−トする側の感受性の有無が逆にはっきりと浮き彫りになってくる.

最近、男子大学生約30名によって行ったプラインド・ウォ一クのエクササイズは、非常にショッキングな体験だった。それは、開始早々、不安のために足を踏み出さないでいる閉眼者を全く無視し、いわぱ無理矢理引きずるようにして進む者が大勢いたことによる。普通は、相手が尻ごみしているときには、引いたり引き戻したりという両者のやり取りによって適当な歩行速度へと調整が行われるのだが、そのような「人間的」やりとりもほとんど無く、まるでロボットが行進するように一様な速度で進み、裸足の足への配慮も「遊び」 (草木や建物や地面や坂などで、閉眼者を楽しませようとすること)も見られなかった。閉眼者を引き連れて歩くサポ一ト側の表情は堅く、したがって閉眼者の表情も堅く、ザポ−ト役の大半は「指示・教示として与えられた役目をひたすら果たしている」という在り方をしていた。

所定の時間が経過Lた後、閉眼者とサポ‐ト役が交替して同様の歩行を行った。すると、自分が身をもって体験した閉眼時の「不安・恐怖」 (遠くを走る車が近くに聞こえて、車にはねられるのではないか、目の前に壁があるのではない など、事後の内省報告)と感覚の変容体験を元に、交替してサポ−ト役に回った人達には「共感」的な歩行をする傾向が現われた。

つまり、交替した組のほとんどの歩行速度は適度な遅さに落ち、裸足の足元への配慮や、閉眼者が感じ確かめている感覚とその味わっている時間を尊重したような遅いぺ−スが徐々に現われるようになった。また、歩行中の他の閉眼者と出会わせようとしたり樹木に触れさせたりするような遊ぴも頻発し出した。そして、エクササイズ終了後のフィ一ドパックの際には、豊かな表情が相互に交流し、身体も緊張がほとんど抜けた状態で快活なやりとりが行われていた。

この状況に至ることでブラインド・ウォ一クというエクササイズの一っの意味が参加者によって体得されたと判断されるが、それは、「人や事物にきちんと触れろこと」そして身体的直接体験を共有することによる「共感」の重要性だと言える。




1) 「腕のぷら下げと社会体操」 1989 人間性心理学会第8回大会発表論文集、34ー35
「“うでのぷら下げ”から社会体操へ」 1990 人間性心理学研究第8号、21−26

2) 「“腕のぷら下げ"と人格変動」 筒井健雄 1990 人間性心理学会第9回大会発表論文集、72−73

3) 「監獄の誕生− 監視と処罰」ミシェル・フ一コ− 田村叔訳 新潮社1977

4) 「日本その日その日」エドワ一ド・モ一ス 新潮社 1977

5) 「整体」 「活元会」を創始した野ロ晴哉(はるちか)と混同されることがある.なお、身体についての理解には 両者に共通点が多い。

6) 「生きている人間のからだは、皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も 内臓も浮かんでいるのだ…」 「野ロ体操・からだに貞く」p.11 柏樹社 l977

7) 「センサリ−・アウェアネス」 (チャ−ルズ・ブルック 誠信書房 1986)は、身体的技法による心理的成長 自己実現を目指す「ニュ−・カウンセリング」の伊東博によって翻訳・紹介されいる。なお、心身両極を視野 に収める心理療法(ゲシュタルト・セラピ−、トランスパ−スナル・セラピ−など)、訓練法(野ロ体操、フェルデンクライス、アレキサンダ−・テクニックなど)の出現は、2O世紀後半の一つの潮流と言える。

8)演出家・名古屋南山短大教授。人間性心理学会における集中ワ−クショップなど多致の実践の行なってきている。
「安らぐこと、ふれること、真っ直ぐに向き合うこと」が氏のワ一クでの要点であり、その意味では、竹内は個 人的な「身体」というよりは、関係として在る「からだ」を重視してワ−クを行なっていると言える。

9)ここでいう「舞踏」は、土方巽の系譜にあるいわゆる暗黒舞踏と呼ばれる一群のオドリをさしている。ただし 舞踏手、舞踏集団毎にその表現、解釈などについて多様性があるので,本稿では著者の体験の施囲で記述してい る(主に、山海整・蝉丸、古舞族アルタイ・小島一郎)。

10)84歳という高齢で舞踏を踊る大野一雄が「歳をとって身体は動けなくなるが、経験してきたもの、精神の蓄積が ある」、そして身体がどんどん滅していくに連れて、踊りは「幽霊の踊り、つまり、からだの踊りから精神のみの踊りへと進む…そういう踊りを踊りたい」と語る場に居合わせるとき、舞踏がどれほど内面の踊りなのかを思い 知らさされることになる。1990.8.26 五番館西武赤れんがホ一ル公演後において。

11]蝉丸舞踏合宿(小樽万象館1988、宇都宮大谷洞窟1989、仙台天守閣自然公園1990)、及ぴ、古舞族アルタイでの体験に基づく。

12)野口三千三が芸術関係の専門学校で体操を教え、それを習った舞踏手が舞踏集団での練習に取り入れたのが始まり (蝉丸談)という事であった。

13)通常、練習揚の鏡を全て片付けるかあるいは暗幕で覆ってしまう。

14)西欧に発する身体訓練法にも、視覚イメ−ジの主導を警戒する頒向(フェルデンクライス)と、どう見えるかを重視する傾向(アレクサンダー・テクニック)とが存在する。なお、舞踏のそのような「反・視覚」的な理念は、公演における表現効果の追求とはしぱしぱ対立し得るだろう。

15)心理療法を意図してはいないが結果的に同等の働きを持つことがある(参考: 「時間のレッスンとしての歩行」 時の社会体操へ 日本人間性心理学会弟9回大会発表論文集、p.70ー71)。また、「療法」としての試みも しぱしぱ行なわれている(山海塾・岩下微 湖南病院ワークショップ「舞踏療法の試み」1989)

16)片足が3セソチ短かったというハンディも関係していたかもしれない。

17) 「…東京でぼくが知り合った友人たちは、いわぱ、そのような血を流す自然とは縁のない、においすらない、透明なメカニックな「世界」の住人だった。なぜか彼等はぽくにとって、屍体に見えて仕方がなかったのである。」
美貌の青空 土方巽 筑摩書房 p.40

18)浮浪者に対する暴行殺人事件、女子高生拘禁ドラム缶詰め殺人事件、幼児連統誘拐殺人事件などの加害者達に他者の痛みへの不感症と、他者という「ひと」の存在に対する非現実感を読みとることが出来る.なお、「かわいそうな象」などの物語に対する最近の小学生のク一ルな応答も、このような「共感」能力喪失の兆しを見ることもできよう。

I9)野ロ体操の参考資料としては、「原初生命体としての人間」 (三笠書房)、「野ロ体操・からだに貞く」及び 「野ロ体操・おもさに貞く」 (野ロ三千三 柏樹社)、「けいこノート」 (竹内敏晴 青雲書房)などがある。 また、竹内敏晴の著書としては、「ことぱが劈かれるとき」 (思想の科学社)、「からだが語ることぱ」 (評論社)、「子どものからだとことぱ」 (晶文社)など多数ある。


北海道工業大学研究紀要 1991 第19号 pp.217-224



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